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宝石少年の旅記録(8日更新)  作者: 小枝 唯
【宝石少年と言葉の国】
53/217

再出発

 体が赤子の様に優しく包まれ、手が暖かい。微かに開けた視界は、どんな宝石の輝きよりも眩しすぎて、すぐに鮮明にはならなかった。

 ジャスパーは何度も目を瞬かせる。そして、何百年ぶりかの新鮮な空気に肺が驚いたのか、思わず大きく咳き込んだ。


「ん……うぅっ」


 ルルは彼の背中を摩り、ようやく意識を鮮明にさせた彼へジェイドと一緒に微笑んだ。


『おはよう、ジャスパー』

「おはよう」

「あ……っ」


 真新しい太陽を背景にした2人は逆光だったが、優しい笑みがハッキリと分かった。それを理解した瞬間、視界が水の中のように歪む。みるみるうち、赤と緑の目に涙が溜まって勝手に溢れ出す。

 ジェイドはジャスパーを包むルルごと、力強く抱きしめた。


「ゴメンナサイ……痛イ事して……! 傷付けて、ごめんナサイ……!」

『独りには、返さないって約束、したでしょ?』

「大事な子供を見捨てる訳ないだろう」

「ありがとう……ジェイド、ルル」


 2人からの言葉にしゃくり上げながらも頬を染めて俯いた。やはり2人は優しすぎる。

 ジェイドはその様子に笑い、ルルもホッとしながら周囲を見渡した。


「どうした?」

『国宝を、新しくしたいの。グリードはここに、確かにあったから』

「しかし、国宝ごと破壊してしまっただろう?」

『大丈夫。核があれば』


 今はもう聞き逃してしまいそうなほどの脈動。国宝の欠片はジャスパーの足元に転がっていた。それは親指ほどの小さな物だった。

 それを両手の器で包み、口へ招き入れた。何よりも硬い歯で2つに割って飲み込むと、痛いと思える熱が胸元で弾ける。グッと体を丸め、熱を持つ胸に両手を持っていく。祈る様に絡ませたその指の隙間から、眩い光が放たれた。やがて光が収まった両手をそっと開いて見せた。

 光の加減で赤や青、緑にも見える美しい宝石が手の中で転がった。


「これは……アレキサンドライトか?」


 国宝をルルが決める事は出来ない。これを持つべき存在に、相応しい宝石が選び出されるのだ。


『これは君の石。これからきっと、助けてくれるよ』


 ジャスパーは跪き、それを慎重に受け取る。そして胸元に宝石を抱えると、そのまま背中を丸めて懺悔する様にルルへ頭を下げた。彼は覚悟を決めて目を閉じている。


「王サマ……裁いて下さい、ボクを。ボク受けるよ、どんな罰モ」

「! ルル、この子を裁くのなら──」

『悪人以外を……裁く必要は、無い』

「デモ、ボクは間違えたンダヨ?!」


 ルルの口から可笑しそうに「ふふ」と笑った音が聞こえた。彼は罪と罰を勘違いしている。


『間違える事の、何が悪なの? 本当に悪いのは、それを認めない事。それを、正さない事。君は違う』

「ルル……ッ」

『これからは、前を見る必要が、ある。待っているのは、罰じゃなく……君への、沢山の幸福だから』


 その優しい言葉は、耳に囁かれている感覚だった。ジャスパーは包まれる冷たい筈の体が暖かく感じ、声を出さずに静かに涙を流した。


 ルルは頭の奥底で新しい小さな悲鳴を聞き、視線を空へ上げた。次の国宝が呼んでいる。


『そろそろ……行かないと、いけないかも』

「新しい国へ行くのか?」

『うん。呼ぶ音が、聞こえたの』


 ジャスパーはその言葉に寂しそうに目線を落とした。ルルはその気配を察して首をかしげる。


『どうしたの?』

「モウ……さようならだから」

『また、会えた時、沢山話せるよ。だから……寂しいだけじゃ、無い』

「会ってくれるノ? マタ」

『もちろん。会えるのを、楽しみにしてる』

「……ウン、そうだね。ルル、マタ、会おうネ」


 まだ寂しさを拭えないままでいるジャスパーの額に、ルルはそっとキスをした。


『もう君は、独りにならない。それを叶えるのは……僕じゃないけれど』

「え?」


 しかし不思議そうなジャスパーには答えず、ジェイドへ視線を向ける。彼は目を瞬かせたが、意味を察したのか微笑んで頷いた。

 別れ際、差し出された彼の手を握り返す。


「ありがとう、ルル。世話になった」

『僕の方こそ、ありがとう。楽しかった。またね』

「ああ、必ずまた会おう友よ。あぁそうだ……マジェスに行ったら、リンクスと言う男を訪ねてやってくれないか? 私の親友だ。君に会いたがっていてね。恐らくだが、旅の助けになる情報をくれるだろう」

『分かった、ありがとう。それじゃあ、2人とも……さようなら。また、会う時まで』


 ルルは森の小さな庭から一歩外れる。視線をくれるジェイドとジャスパーへ振り返って大きく手を上げ、緩やかに振った。

 それ以降、こちらに顔を向けるは無く、森の中へ消えて行く。数ヶ月共にし、充分な思い出で満たされた彼にとって、名残惜しいという寂しさは無かったのだ。

 ジャスパーは何も見えない森の奥をしばらく見つめていた。


 ジェイドは彼の隣に座って空を見上げる。朝の太陽によって、雲は赤くなっていた。


「さあ、初めての太陽はどうだね?」

「うん、あったかイ。あっついカモ」

「はっはっは、すぐ心地好くなるさ」

「…………行くノ? ジェイド」

「ああ、行こうか」


 ジャスパーはまだ引き止めたい気持ちがあった。だが彼にはこれから、膨大な旅が待っている。そう言い聞かせて自分に首を振り、意を決して頷くと、肩に掛かる上着を握りしめる。


「じゃあコレ、返すネ?」

「仕立て屋に行くまで着ていなさい」

「無いよ? 仕立テ屋なんて」

「これから行くのさ」


 そう言われて差出された大きな手を、何の事だか分からずただ見つめた。ジェイドは仕方無さそうに笑みを含めた溜息を吐いて、もう一度目線を合わせる。


「さぁ、行くぞ。旅に」

「…………え、エ? 旅って……ジェイドの?」

「当たり前だ。それ以外、何かあるのかねまさか置いていくとでも?」

「そりゃ、だ、ダッテ……え、何で? ボク、邪魔をしたんダヨ? なのにナンデ、居ようとスルノ?」

「自分の子同然に愛しい子を置いていけなんて、随分と残酷言うじゃないか。それに、出会った頃も誘っただろう? あの時は、外に出られないから仕方なかったが、今はその障壁が無い」


 向けられる優しい微笑みは記憶と何も変わらない。しかしジャスパーは甘い誘いに大きく頭を横に振った。そして膝から形だけを模した鉱石の両足を見せる。


「ホラ、この鉱石の足、地面を歩けないンダ。一歩も。旅は出来ナイよ。それに、それに──」


 言い訳を必死に探し続けていると、呆れた溜息が聞こえてきた。しかしその直後、冷たく硬い膝裏に手が差し込まれ、背中に腕が回るとフワリと抱き上げられる。


「ワっ!」

「足は、解決するまでこれで我慢したまえ。はっはっは、軽い軽い。ちゃんといいものを食べないといけないなぁ。お前は育ち盛りなんだ」

「だ、ダメだって……!」

「……なぁジャスパーよ、望んではくれないか? お前は自由を手に入れた。それで……選んでおくれ」


 小さくて少し哀しそうな声にジャスパーは言葉を詰まらせる。彼の首に、迷いに迷って恐る恐る腕を回した。

 恐ろしい。何度払っても自分を優しく導こうとする、その手が。自分がその手を殺してしまうかもしれないのだ。


「ホントに……」


 自分は人にも、オリクトの民にもなれない存在。神に背いた象徴。それなのに選んでいいのだろうか。自分にも選ぶ権利があるのだろうか。彼らが言う、本物の自由を手にしても。

 ジャスパーは体を僅かに離す。


「……ヤダ」


 ジェイドはボソリと呟かれた否定に、岩の様に表情を強張らせる。本当にショックを受けたようだ。しかし少しして、ムスッとした顔で付け加えられる。


「ジェイドばっか、ボクに、色々してくれるのは、ヤダ」


 ジャスパーは自分が負わせた足の怪我を見て、そっと触れた。そして、歌う様に口ずさむ。


「【痛いの痛いの、飛んでいけ】」


 ジェイドはそれに驚いて目を瞠った。ズキズキとした重たい痛みは言葉通りに消え去ったのだ。それはまやかしではなく、立ち上がっても何事も無いようだった。


「これクライしか、出来なイけど」

「……充分すぎるよ」


 眉根を下げて微笑んだ彼の胸元に顔を隠し、繰り返し尋ねる。


「本当に、ホントに……イイノ? しても知らないよ? 後悔」

「ああ、行こう。一緒に。ずっと」


 ジェイドはまだ幼い顔をクシャクシャにして泣く彼に「泣き虫だな」と笑う。不思議だ。悲しくないのに涙が止まらず、不器用な笑顔しか作れない。だがその笑顔は、これまでで1番輝いていた。


「見てみたイ。色んな物」

「ああ。まずは腹ごしらえだな」

「アハッ……フフフ。ウン、そうだね」


 ジャスパーは自分よりも広い肩に頭を預けて、涙混じりに可笑しそうに笑った。

 ジェイドは庭から出て顔だけを振り向かせる。その視線は、蜜を探す緑色の蝶を追っていた。

 彼は蝶が選んだ花に一瞬驚いたが淡い笑みを浮かべ、再び旅へと足を踏み出す。それは新たな門出を見送った、紫の美しい宝石の花だった。

途中、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。


2章まで見て下さった方が居たら、とても幸福です。3章も投稿していきますので、もし宜しければご覧ください。

ありがとうございました!

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