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宝石少年の旅記録(8日更新)  作者: 小枝 唯
【宝石少年と言葉の国】
52/217

目覚めの時間

 橋に降りてよろけた体を、壁に手をついて支える。血が滲む手が不思議と暖かい。それは気のせいではなく、ジンジンとした痛みが少しずつ穏やかになっていった。勢いに任せて触れたそこは、目的の国宝の壁。

 ルルは中で眠るジャスパーに、ホッとしたように目を細めた。


(良かった……まだ、生きている。間に合った)


 その安心に足が力を失くそうとするが鞭を打つ。最後の仕上げだと、姿勢を正した。剣のグリップを両手で握りしめ、頭上へ持っていく。


『ジャスパー、起きる時間だよ』


 切っ先を思い切り振り落とした。剣が宝石にぶつかる透き通った音が国中に響き渡り、表面に小さな線が入った。それはたちまち大きく深い亀裂となり、奥まで届く。ジャスパーを包んでいた国宝が、最期の悲鳴を上げて砕けた。


~ ** ~ ** ~


 辺りに散らばる、宝石兵の骸。最後の1人が崩れ落ちた直後、ジェイドの顔が再び小さく歪んだ。

 彼は思わず片膝をつく。足の骨に痛みを感じた。幻覚ではなく、現実で。折れてはいないが、歩くのに厄介なほどのヒビが入っただろう。小さな痛みではあるが、多量に創り出される敵との戦闘で溜まった疲労も相まった。


「モウ終わり?」

「……そうだな、もう充分……気を引けただろう」


 ジェイドの笑みに、ジャスパーはどこかつまらなさそうで悔しそうな顔をした。

 彼にもう1人の兵士と対峙させたら、完全に倒れるだろう。しかしそれは、ジャスパーが兵士を造れたらの話だ。そう、ジェイドが限界のように、ジャスパーにも力がほとんど残っていないのだ。あるのはこの身1つだけ。


「スル? 降参。そうしたら、楽ニ終われるヨ?」

「はっはっは、それは出来ない相談だ」


 ジャスパーはそう言いながら、なおも優しく笑う彼に目を細めた。脳裏に彼らとの思い出がチラついて邪魔をする。その感情は要らない。自由になりたいのならば、邪魔をする彼らを敵とみなせ。


「アハッ……イイ事思い付いた」


 まだこの視界は、眠る自分と繋がっている。彼の死を目の前で見せられれば、復讐になるのでは? 生ぬるい感情とも決別出来る。

 ジェイドはジャスパーの手の中から、キラリと瞬いた光を見た。彼はその鋭い石のナイフを示すように、自分の目元に近づけてクスッと笑った。


「ジェイドは特別。直接、ボクが眠らせてあげる!」


 そう言うと共にナイフをジェイドへ向け、彼の元へ落ちる様に素早く空中を滑った。ジェイドは迫る彼になんとか立ち上がり、銃口を向ける。しかしそれはすぐ下された。

 ジェイドの頬にポタポタと水が落ちる。それは、狂気的な笑みを浮かべるジャスパーの瞳からこぼれていた。彼はそれにハッとした様な顔をすると、反射的に、本能的に銃を捨て、両手を広げる。


(ああ、しまった。だが……)


 ジェイドの口が小さく動いた。作られた言葉はたったの3文字。ジャスパーはそれを理解して目を丸くした。

 彼の喉にナイフの先が触れる。その時、眩い緑の閃光が、ジェイドの背の向こうから走った。ジャスパーはそれに、自分の中で国宝の最期の声を聞く。

 指先に細かくも深い亀裂が入り、ナイフが地面に落ちた。ガシャンと体の中で無機質な音が鳴り、涙に濡れた顔がズレる。


 ああ、もう終わりか。宝石の最期は、なんて呆気ないのか。もう、痛みすら感じない。


「…………バイバイ」


 トンと、胸に寄りかる崩れた体。掠れた声が耳に届いたのか、そっと背中に回された手にジャスパーは静かに笑った。

 光が治る。足元に、灰色に近いマラカイトの欠片が転がった。ジェイドはチカチカする視界を瞬かせ、足元の彼だった断片を見つめた。


「ジャスパー、楽しかったぞ」


 小さく呟いて握った手に力を込める。その時、右手に銃ではない何かが収まっている事に気付いた。見ると、それは歪みのない球体をした小さなマラカイト。それはまだ微かに熱を持っている。


「これは……あの子の、核か?」


 ふと、頭に埃の様な物がパラパラと降って来たのを感じた。

 ジェイドは雨を確かめる時の様に、手の平を宙へ差し出す。落ちて来たのは、黒ずんだマラカイト。誘われるように空を見て、その欠片の意味を理解した。国を保つための国宝が失われたのだから、その先に待つのは崩壊だ。

 ルルが向かった場所を見る。彼は粉々になった国宝の中で座り込んでいた。その腕から、見慣れた艶のある茶色の髪が見える。ジェイドは震える足の痛みを無視し、急いで彼らの元へ走った。


「ルル!」

『ジェイド、良かった……無事だったんだね』


 ルルは声に振り返ってホッと胸を撫で下ろしている。腕の中に居る一糸纏わぬジャスパーは、見た所怪我も無さそうだ。しかし彼らへ手が届く直前、地面から突き上げられ、視界が大きくブレるほどの揺れが3人を襲った。

 ジェイドは転びそうになる体をなんとか踏ん張らせ、ルルが居る壁に両手をつくと、覆いかぶさるように瓦礫から庇う。


『ジェイド!』

「平気さ。ルルはジャスパーを。デカイのが来るぞ」


 すると彼の言葉通り、体が地面から僅かに浮くほどの巨大地震が来た。ルルは息をする事を忘れ、目を固く瞑るとジャスパーを強く抱き締めた。

 長い様で短い、たった数秒で国が全て崩れ落ちた。ジェイドは背中に積もる小さな瓦礫が止んだ頃、視界が眩しくなり恐る恐る振り返る。


「ああ……。ルル、ご覧」


 ジェイドの穏やかな声色に、ルルはそっと目を開く。肌を触るのは、まだ朝が訪れたばかりの柔らかなぬくもり。生茂る木々の合間を縫って、3人の影を優しく伸ばしている。


『ここ……森の、中?』

「どうやらそのようだ」


 ここは、遠く離れた国同士の間を挟む道沿いに出来た大きな森。その中でも比較的拓けた場所だった。まるで戦場跡の様に散らばった宝石が、太陽の光を含んでキラキラとしている。

 ジェイドはジャスパーへ上着を掛け、思い出した様に痛み出す足に両膝を地面に付ける。彼はまだ起きない。息が浅く、まるで今にも止まってしまいそうだった。


「ルル、ジャスパーは」

『ん、眠ってるだけ……なんだけど…………何かが、足りない』


 まだ、目を覚ます力が無い。今のこの体は、僅かな呼吸で命を保つのに必死のように思えた。

 ジェイドがジャスパーの顔を覗き込もうとしたその時、冷たい体から感じる途絶えそうな鼓動に、別の脈動が重なる。ルルはそれにハッとして彼へ振り返った。


『ジェイド……何を、持ってるの?』


 ルルの言葉に、ジェイドは手に握っていた核を見せる。ルルは綺麗に磨かれた様な核に驚いて手を添えたが、すぐにジェイドを見上げた。


『これを、ジャスパーに』

「あ、ああ」


 言われるままに、ジャスパーの薄く開かれた唇へ近付ける。歯にコツリと当たると、無意識にか、彼はそれを咀嚼し始めた。細い喉元が動くと、不安定だった呼吸が整い、微かに青白かった顔色に正気が蘇った。

 ジェイドはそっとジャスパーの幼い手を握る。


「ジャスパー……帰ってきておくれ」


~ ** ~ ** ~


 目を開けても開いても変わらない暗闇の中、1人の震える声がよく響いた。


『嘘つき』


 壊れかけた拳を握る自分をジャスパーは静かに見つめた。

 大人の姿なのに、心は幼いまま。本物を経験し、見なかったからだろう。何百年と呼吸をしてきたというのに。

 客観的に見れて、ルルが言っていた事が分かった。暗闇が怖いと嘆く彼は間違いなく自分だ。


『自由にナリタイト、ソッチが願ったんじゃないカ!』


 彼は顔を覆うとその場にしゃがみ込んだ。立てない自分と目線が同じになる。


『コレじゃあ、逆戻リだよ』


 しかしそう言った小さな声は、悲しみと恨み以外、どこか安堵を思わせる。ジャスパーは絶望する様に顔を覆った自分を目を背けず、静かに問いかけた。


「じゃあドウシテ? 殺さなかったのは」

『……見テタデショ? 強かったのヲ。2人ガ』

「いくらデモ殺セタのに? 言葉ノ魔法で」


 彼は手から顔を上げ、迷う様に唇を動かしたが、微かに開かれただけですぐに閉じられる。

 そう、わざわざ兵士作ったり自ら攻撃をしなくても、精神的にも物理的にも攻められた。国の中で生きたジャスパーが個人になった時には、その力は既に強力なものになっていたのだ。冷静だったら王である彼すら殺せるだろう。言葉によっては、2人を戦わせる事だって出来た筈だ。

 それでも彼は、そうしなかった。そう出来なかった。


「ネ? 分かってるンダ。2人が大好きダカラ」

『ヤメテヨ。そうじゃない……』


 否定を信じて頭を振る彼へ、ジャスパーは仕方なさそうに笑った。前に放り出している宝石の足を引き寄せて、立ち上がる真似をする。硬く、鉱石の足は動きを変えられずに力が入らない。地面を掴めないまま、中途半端に起き上がった体が前のめりになった。

 俯いていた彼はそれを見てハッとし、咄嗟に駆け寄って支えた。ジャスパーはその背中に腕を回し、意地悪そうに呟く。


「捕マエタ」


 笑みを含んだ声に目を丸くする。壊れた頬に涙が伝うのが分かった。


『卑怯だ……。平等の、つもり……だったんだよ? ボクはずぅっと』

「ウン」

『外ヲ1度でも、綺麗だと思ったコト、無いのにサ』


 自分よりひと回り大きな手がそっと背中に触れる。その手は震えていた。これからどうなるのか、それを考えたのだろう。


『……独りぼっちダヨ』

「大丈夫ダヨ。ちゃんと、ボクらには……思い出がアルから」

『前ヨリも、寂しくナイ?』

「ウン」


 心の中は以前の様な空虚ではない。だからこの先どんな罰を受けようと、どこに連れて行かれようと、寂しくない。

 抱擁を解いて、互いの目を合わせる。大人びた彼は優しく微笑むと「そっか」と、安心した様に言った。一筋の涙が手にこぼれ、そこから彼の体が消えていく。


「ありがとう、ボク。幸せだったヨ」

『良かった』


 囁かれたその言葉が最後となり、手の中に核が残される。それをジャスパーは飲み込んだ。

 さあ、目を覚まそう。

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