最後の遊びに自由を賭けて
ルルばかりに集中していたジャスパーは、何があったのか分からなかった。横たえた兵士が邪魔で状況が見えない。
一方で音を聞きながら、ルルは状況が変わったのが分かった。すると、まだ不安定な体が誰かに支えられる。
「言ったろう、ジャスパー。あまりルルを困らせる様な事をするな……と」
その声はジャスパーにとって最も親しく、最も聞き知った声だった。
兵士が熱により、細かな宝石となって完全に崩れ、2人の姿が目に映される。ルルの体を支えるジェイドは、仕方なさそうな笑みを浮かべ、彼を庇うように立っていた。
「ナンデ……足止めしてたノニ……!」
「相手をしていた兵士たちの動きが、急に止まってくれてね。ルルが何か言ったのだろう」
ジャスパーはそれを理解して悔しそうな顔をした。しかし当の本人は分かっておらず、ようやく痛みと目眩が治まった頭をかしげる。確かに、邪魔をしないで欲しいから「大人しくして」とは言った。
『偶然じゃ、ないの?』
「ああ。王はオリクトの民を完全に従える言葉を持っているのだよ。王は全ての頂点だからね。ジャスパーもオリクトの民の血が混ざっている。兵士も、王に従ったという事だ」
ルルは知らないと言っていた王について、饒舌に語られた事に目をパチクリさせる。どうやら知らなかったのは、記憶を弄られていたからだったようだ。しかし何故膨大な知識の中、それだけを忘れるよう仕向けたのだろう。
「ジェイド……ッ」
しかしその恨みの篭った声に、尋ねようとしていた言葉を崩される。驚いて見上げたジャスパーの体は足元が淀んだ緑色に染まり、その爪先からパラパラと小さく崩れて行っていた。
ジャスパーは体が崩れる激痛と苛立たしさに頭を抱え、ぶつぶつと呟く。
「アぁアア……! 何で、上手く、いかない? ドウシテ……」
それまで僅かに残されていた理性が、少しずつ力に喰われていくのを感じた。
恐ろしいという感情が消えていく。生み出された意味、そして生み出した事自体への怒りだけが募っていった。
「勝手に、作ったクセに……ボクを、拒ムなんて。ボクを、消そうとするなんて、絶対、許さなイ……。消えるのは……アッチのボクだ!」
独り言の様な声は、苛立ちが混ざり、濁っていて荒々しい。これまでの落ち着いた声色とはまるで別人の様だった。
「ボクだけニなれば、もう1度……今度コソ創れるんダ……完璧ナ国を。だから邪魔ヲ、しないで!」
吼える様な叫びが見えない刃となり、地面に無数の亀裂を作る。しかし影響はそれだけではなかった。
ジェイドは突如、頭の中に襲った激痛に顔を歪める。まるで無数の矢で射抜かれる様な痛みが、ジャスパーの言葉が発せられるごとに襲って来た。そしてその痛みは脳を超え、実際に皮膚が焼かれている様な熱を持たせた。
『ジェイド……!』
異変に気付いたルルの手がそっと背中に触れる。ジェイドは顔を片手で覆いながら、目だけで振り返った。
彼は言葉の魔法の影響を受けていないようだ。しかしそれは特別驚く事ではなかった。暴走しているからこそ、神の代わりとも言える王には通用しないのだ。もしルルでない王だったら、むしろジャスパーの方がただでは済まない。
「……君のような王で、助かったよ」
『え?』
「ナンデマダ生きてるノ? 2人トモ」
ジェイドの言葉がくぐもった声に遮られる。
その声は先程までの荒々しさは無く、比較的冷静な声色。しかし世界全体に届くのではと思う様な重さがある。
「ナンデ……ドウして、生カシテタんだろう?」
彼はゆっくりとした仕草で、自分に問いかけるように首をかしげる。それは今までよりも子供の様で、本当に生かそうとしていた事を不思議に思っている声だった。
やがてキョトンとしていた顔が、何か閃いたのかパッと明るくなる。クスクスと笑った声が頭に直接、大きく響き渡った。
「アハッ……キ~メタ! 2人は大事にするヨ。ボクの思イ出として!」
彼は名案だと両手を合わせ、キャッキャと笑った。ジェイドは光の無い赤と緑の瞳で、死んだ様に、それでも無邪気な笑みを浮かべる姿を見上げて目を細める。今の彼は彼でありながらも、力に呑まれた別人だ。まともに話をする事は叶わないだろう。
このまま時間を稼がれたら、相手の思う壺だ。しかしこの足は、今もなお体に走る激痛のせいで重く、とても急げそうにない。頼みの綱は1人だけ。
「ルル……行きたまえ……先に。あの子が、眠る場所へ。君は辿り着ける」
『けれど』
「安心したまえ。あの子には誰も、殺させんよ。私も、あの子自身さえも。さあ、君の役目は、立ち往生する事ではないだろう?」
彼の声は激痛に小さく震えながらも、芯の通った強さがあった。
そうだ、グズグズしている暇はない。早く2人を解放しなければ。
それまで戸惑いに崩れていた瞳の色彩が、決意を示すように強く整う。それにジェイドは安堵の笑みで見送った。
ジャスパーは後ろへ振り返って走り出したルルに気付く。追おうとした目と鼻の先を、空へ放たれた赤熱の弾が走り抜けた。
「まだ私の相手が、終わっていないだろう? 問題は1つずつ片付けなさいと、言った筈だ」
驚いた。額の汗を流しながらも未だ立っているとは。何故平然と立っていられるのか、ジャスパーは不思議で堪らない。とっくの昔に倒れているとさえ思っていた。
彼には自分が考えられる最大の痛みを与え続けているのだ。たとえ痛みに強い者が受けても、ショックで倒れるくらいの。これで何人、自分の前から追い払ったか。
ジェイドはその疑問を悟ってか、陽気に笑って、痛みに丸めていた背中を伸ばす。
「この痛みで、私が退くと思ったのかね? 悪いが、これくらいの痛みは、とっくの昔に慣れているのだよ」
思わず緩めていた武器を持つ両手に力を込め、もう全身を暗く濁らせた彼と見つめ合った。
「さあ、殺す気でおいで! 互いの自由を賭けて、遊ぼうじゃないか!」
ジェイドは好戦的に笑みを称えたまま、まるで抱き締める様に両手を広げる。ジャスパーは『遊び』という言葉に目を瞬かせると、満面の笑みを浮かべた。頬に入った亀裂からパラパラと自身のカケラが落ちるが、彼はそれを拭わず、地面へ手を翳した。
~ ** ~ ** ~
ジェイドを残した背後で、激しくぶつかり合う甲高い音が聞こえてくる。少しずつ距離は離れているのに、その音は小さくなるどころか激しさを増し、ルルの足を急かした。
眠る彼が待つ場所はあと僅かだ。しかし、螺旋状に仕上げた宝石の階段に異変が起こる。
ルルは石の奥から感じる小さな震えに、反射的にその場を跳んだ。それと同時、そのまま踏んでいたであろう地面が大きく割れ、そこから枝の様にゴツゴツとし、刃物の様な鋭さを持った槍が無数に突き出す。更に槍は地面からだけではなく、壁からも彼の頭を狙った。
髪の毛が微かに触れた。ルルは前のめりになり、崩れた体勢のまま、なんとか受け身を取る。しかし立て直す安堵の余地は無く、次の槍が胸元へ切っ先を向けた。
しかし次の瞬間に聞こえたのは、肉を裂く鈍い音ではなく、石同士が噛み合う鋭い音。槍の先は、剣の腹の壁に遮られていた。
受け止められたのは敏感な聴覚のおかげだろう。しかしその繊細さは、暴力的な力には勝てない。壁からの槍は成長を止めず、振り払えない。ルルの体は剣ごと、崖になった足場の隅へ追い詰められる。細かな刃が槍から素早く枝分かれし、すり抜けられる隙間を埋めていった。
少しでも剣をずらせば心臓を貫かれる。しかし手前ばかりに集中していたせいか、宝石の動きの変化に気付かなかった。
足元で小さな瓦礫が崩れる音がした。そそこでやっと足場へ意識が向いたが、遅かった。槍の先が狙ったのはルル自身ではなく、足元。それに気付いたと同時、無数の刃が、限界まで下がっていた地面を深く突き刺す。宝石の橋が小さく地割れし、彼が居る場だけが脆く、ガラスの様に砕かれた。
グラリと体が傾き、背中からの浮遊感を覚える。受け止める地面は何十メートルと先で、新しい足場を作れる力も残っていない。縋れる物が無い。
(落ちる……!)
あと少しなのに。あと少しで、彼に手が届く。このまま奈落へ? いいや、こんな所で、何も出来ずに死んで堪るものか。
『約束したんだ、2人と』
自分へ囁いた様な言葉に、虹の目が強く輝いた。
左手を目の前へ伸ばす。そこにあるのは、自分を貫こうとした刃。ルルはそれを迷い無く鷲掴んだ。棘の様な刃が手の皮膚を裂いて食い込むが、今はいい滑り止めと思える。
体を振り子の様に揺らし、勢いを付けて跳ぶと、槍が重なって出来た茨の道へと降り立った。刃が靴裏に穴を開ける前にと、呼吸を整えないまま不安定なそこを走り出す。
ようやく見えた刃の道の終わりに、足へ力を込めて跳んだ。そんな彼の背中を、最後まで追っていた刃がスレスレの所で、力尽きるように止まった。




