彼は独り夢の中
意味もなく何時間も閉じた目を開く。だが視界から受け取れる情報は、いつもと同じで何も無かった。何もない場所の中央に座っている自分と、腕に抱えたマラカイトだけが暗闇ではよく見える。
ここは光が届かない場所。太陽の熱も届かずに、空気すら冷たかった。
自分はいつからここに居るのだろう。どうしてここに居るんだっけ。何百回とこの自問自答を続けた結果、全てが曖昧になってきた。自身の存在を実感できない。ちゃんと生きていて、呼吸をしているのかも分からない。
ああ、今日も眠れなかった。それ以前に、眠るって何だろう? 夢とは何だろうか。分かるのはたった1つの感情だけ。
「寂しいナァ」
何度目かの空を見上げる。気が遠くなるほどの場所に、小さな丸い穴が見えた。そこから太陽であろう光が差しているが、ここまでは途中で闇に消えていて届かない。
無駄でも、その光が欲しくて両手を伸ばす。
この小さな両手から溢れ出る幸せなんて要らない。あの暖かな光だけでいい。
「……寂しいヨ」
これは何かの罰だろうか。『神の落とし人』と『人間』の間に生まれ落ちた自分への、神からの罰なのだろうか。
「ゴメンなさい」
永い時を過ごす中、何度も同じ言葉を繰り返す。外の世界に居る人間はこの様な長寿を望んでいるそうだが、実際はただの生き地獄だ。
しかしそれは今日までだった。
少し迷いを見せながら口を開け、彼は小さな声で願った。
「ココは……【明るい】」
言葉が狭い空間に響いた。反響した音が消えるよりも前に、足元から影が伸びる始める。影の存在には光は必要不可欠だ。今まで闇しかなかったここで、初めて見た自分の影に驚き、彼は急いで振り返った。
そこにあったのは、自分を誘う様に輝く小さな太陽。手を伸ばすと、とても暖かい気がした。
「嘘ジャ、なかったんダ」
眩しく思う金の髪を持つ誰かが、少し前に、どうやってかここへ訪れた。その誰かは嘆いていた自分に、とある力を教えてくれた。それはまさに『言葉の魔法』。この体が持つ特別な魔法。
言葉にすれば、その望みは命を生み出す事すら可能だった。
「……【外は広イ国】で、とても暖かいンダ。【大きな街があって】……モチロン【自然もアル】。それも沢山」
その瞬間、少年が落とされた穴を中心として放射状に、世界は一変する。青々とした草原と、賑やかそうな街並みが現れた。美しい空も空気がとても澄んでいる。
そう、1度は望んだ。どこかの国の住民になってみたいと。牢屋以外を見た事が無かったけれど、想像でどうにでもなるものらしい。
誰も居ない国というのは妙だろうか。けれど、外から人間を誘うのは嫌だった。人間はとても怖い存在だから。
少年は命の存在をどうするかで長い時間悩み、迷いに迷った。
「……要らないヤ、ヤッパリ。住民はボクだけでイイ。痛イ事なんてされないもんネ、誰も居ナケレバ」
これで外は安全だ。あの見世物にされていた様な目には絶対に合わないだろう。
さぁ、次はどんな言葉を紡ごうか。こんなにワクワクした心で、明日を望むのは生まれて初めてだ。生きている事に嬉しいと思えるのは、なんて幸福なのだろう。
数十年かけてついに国は完成した。名前は悩んだが『グリード』と命名した。
グリードの中央になっているであろうここは、大きな図書館にした。何故図書館にしたのかと言えば、ずっと昔に読んだ事のあるお伽話が好きだったから。もっと沢山の物語を知りたくて、大図書館を作ったのだ。
少年は何十年ぶりかにとても満足そうだった。
「最後の仕上げダネ。外へ行かなくちゃ……ボク自身が」
しかしそれは難しい願いだった。生まれ付き足の半分が鉱石になっていて、地面を踏む事が叶わないのだ。
だから考えた。自分の分身を魔法で作り、心をそれに託して自分は深く眠ろうと。そうすれば歩く事も出来るし、外で魔法を使う事も自由だから。
少年は目を閉じて、最後の願いを言葉に乗せる。
「サァ、早く目を覚まさないと。いろんな事ヲするんだ、今日も。ボクは【自由】なんだよ」
一滴の言葉が世界に波紋を描く。腕に抱えたマラカイトがピシピシと音を立てて形を変え、少年の体を包み込んだ。それに彼の意識が薄れていく。
眠りへ手招きをする初めての闇に、不思議と怖さを感じない。だって次に目を覚ました時、目の前に広がるのは自分を縛る者が居ない世界なのだから。
誰も邪魔をしない優しい闇の中で、夢見る時間だ。おやすみなさい。
~ ** ~ ** ~
無数の亀裂を抱えたジャスパーの体がパキパキと音を立て、染まる様に少しずつマラカイトになっていく。やがて出来上がったのは、マラカイトで出来た彼の石像。
その足元を中心にして、世界の色があっという間に剥がれていった。
『ジャスパー……?』
揺れが治ったあと、ルルの呼びかけに答える音は存在しなかった。自分の呼吸する音、指が宝石の地面を滑る音。それしか聞こえない。
それが何を表すのか理解出来、唇を固く結んで立ち上がる。今も少し欠けらを落とす彼の石像を見つめ、目を閉じた。ここに彼は居ない。ジャスパーに不思議と気配を感じなかったのは、これが理由だったのだろう。
『君は、どこに居るの?』
思い返すと、彼はここから出ないのではなく、出られないのだと言っていた。離れられない訳がここにあるのだ。
後ろに佇むマラカイトの分厚い壁を見上げる。彼はここから先へ行く事を良しとしていなかった。この先に、幻想を壊せる何かがあるのだろうか。
(壊せるかな?)
しかし引き抜かれた剣の腹が、突如下から生えるようにして突き出たマラカイトの槍で弾かれた。ルルは地面からの音で咄嗟に手を引いたが、剣は手放す形となってしまう。
「っ!」
転がった剣の音を頼りに急いで手を伸ばしたが、指先が触れたのは冷たい宝石。グリップを握るよりも早く、剣の周りを膜の様にマラカイトが覆って邪魔をしたのだ。
ルルは剣を取られた事に顔をしかめたが、仕方なさそうに息を吐く。見るに、宝石たちの目的は剣の破壊ではなく、ただ手に渡るのを阻止する事だけのようだ。
『あとでちゃんと、返してね?』
一旦剣を諦め、今度は壁へ腕を伸ばす。すると、触れる前に再び新しい壁が出来上がり、それ以上の侵入が阻止された。
次いでたたみ掛ける様に、踏み出そうとした足元が小さく震えると、鋭い刃を持った槍が列を作って突き出した。
槍は彼をその場から離れさせようと、次々目の前から現れ、あっという間に崖に追いやられる。しかしそれ以上槍は現れない。何かを伺っている様に、いくら経っても何故か仕留めに来なかった。
(この宝石……)
違和感を覚えたルルは、少し考えると目を閉じ、崖である後ろへ倒れた。




