ジェイドの国石
ルルはこちらを真っ直ぐ見つめながら、確信を示すようにゆっくりと頷いた。
『僕は、そう思っているよ。ジェイドの記憶を聞いて、確信した。うん……そうとしか、思えない。だって現に記憶が、正しく書き換えられて、いるんだから』
「あぁ、その通りだ。ならば、まずは古い記憶を思い出さなければならんね」
『そうだね。じゃあ今日、別れたあとの事、聞いてもいい?』
「今日は久々に、離れた友人と話をしていたんだ。マジェスと言う国があるんだがね」
『どんなお話、していたの? 会ってすぐは、慌てて見えたから……気になったんだ』
そう言われてみれば、確かに自分は焦っていた様な気がする。とにかく、一刻も早くルルとジャスパーに会わなければいけないと家を飛び出したんだ。
しかしその時の自分の心情と行動が、まるで他人事のようだ。リンクスとの会話は、エムスの樹液の行方を確認したあとからが曖昧だ。これもまた先程と同じで、その部分だけがすっかりと抜けていた。
ジェイドは思案に負けて首を横に振る。だがその直後、曇天の様だった頭にハッキリとした案が描かれる。
ルルは突然立ち上がったジェイドを不思議そうに見上げた。彼はこちらに背を向け、一心不乱に何かを探し始めた。ガサガサと激しく物を動かす音と共に、今は不要な物が床に放られる。ここは狭い割に物が多すぎるのだ。
『ジェイド?』
呼び掛けに応じない所、随分と夢中になっているようだ。ルルもソファから腰を上げようとした直後、比較的軽いクッションがポフッと頭にぶつかった。彼は虹の目をパチクリさせ、クッションを胸に抱くと「もう」と仕方なさそうに呟く。
次に放たれた物が、音と落ちるスピードでガラス物だと分かり、咄嗟に手を差し出した。
なんとか床と接触する数秒前で助かった。片手で捕まえたのは、手のひらサイズの人工ルビー。胸を撫で下ろす一方で、一向に気付かないジェイドにジトッとした目を向ける。
先程のクッションを持つと、尚も気付かない背中へ強めに投げた。そのか弱い衝撃で、ようやく意識が探し物以外に向いた彼は、ルルの珍しい不満そうな顔に苦笑いを返す。
「す、すまない……つい」
『いいけど……危ないから、ね? それで何を、探しているの? このままじゃ、ここを、ひっくり返しちゃう』
「その会話に必要な映像石を探しているんだ。こことマジェスは随分離れているからな。それが見つかれば、再度友人へ繋げて会話の内容を尋ねればいい。しかし、普段しまった場所に見当たらなくてね」
『どんなの?』
「様々な石を繋ぎ合わせているんだ。厚さはそれほど無く、滑らかな面をしている」
『なら、任せて。香りがある筈、だから』
ルルは部屋を見渡しながら、深く息を吸う。いろんな香りがする中、宝石特有の透明感ある香りをいくつか拾った。すると、そのうちの1つの香りに強く引き寄せられた。世界中に存在する宝石のものとはどこか異なった、不思議な鼓動を感じる。
(呼んでる?)
香りはまるで、主張する様に彼へ語りかける。ルルはその微かでも強い香りに惹かれ、部屋の壁を手で撫でて探した。見守る視線を受けながら、しばらくして立ち止まる。
何度かその壁の一部を触れて確かめ、ジェイドへ振り返った。
『ここに、何かある』
「何だって? 壁の中にかね」
『うん。剣、ちょうだい』
「あ、ああ」
ジェイドは彼が座っていたソファに立てかけてある剣を渡す。ルルは金色の鞘を抜いて床に置くと、宝石の鼓動が聞こえるそこへ剣先を立てた。
『少し……ごめんね』
壁にか、家主のジェイドにか、それとも両方にか呟き、短い息を吐くと同時に切っ先をぶつけた。3回ほどそれを繰り返すと、壁はその部分だけガラガラと崩れる。剣を下ろして穴を覗いた。暗闇でも眩い瞳に、闇に溶け込む青色が混ざる。
「どうだね、大丈夫か?」
ルルは心配そうな声に頷き返し、まだパラパラと崩れる穴へ手を入れた。石の冷たさと微かな脈を手の中で感じながら、そぉっと外へ取り出す。瓦礫のせいで服に埃がついて、煙たそうに払う。
『この宝石……僕を呼んでいた。心当たり、ある?』
この家にあったのだからジェイドの物だろうと、興味深そうに待つ彼へ差し出した。
「これ、は……?」
薄青い手の器に収まっているのは、大きな石を飾りにしたピアスだった。夜空に似た青の石に、荒れ狂う風を閉じ込めた様なそれは、ブルーピーターサイトと呼ばれる石。
「あぁ、これは!」
少しずつ彼の目は見開かれ、ピーターサイトを受け取る手は、声と同じに震えていた。
「そうだ、これは……私のだ」
触れた瞬間、戻ってくる。この世に生を受けた瞬間の景色、故郷の風景、相棒と歩いた道、語り合った場所。そして育て親でもある師匠の姿。自分の全てが戻って来る。
それまで存在していた偽物の過去が色あせ、塵の様に崩れて消えた。
「ルル!」
「っ!?」
ルルはジェイドに力強く両肩を掴まれたと思えば抱き締められ、目を白黒させる。
「思い出した! 全部、全部思い出せたんだ……! ありがとう、君のおかげだ!」
『ん……っと…………どう、いたしまして? ちょっと、苦しい』
「ああ、すまん。恩人を潰してしまう所だった」
言葉通りに潰されそうな興奮気味な熱い抱擁から解放される。ホッと息を吐きながら、なおも嬉しそうな彼が持つピーターサイトを見た。
『全部って、どういう事? 今日の事、思い出したの? それは大切な物? 他の石と少し、違うようだけど』
「ああ。これはな、マジェスの国石なんだがね。私の国石でもあるんだ」
「……?」
「私は、グリードの住人ではないのだよ」
『……そう、なの?』
「ああ。私はな、君と同じ旅人だった。もっと自分の知識を蓄えたくて国を出た。25年前の事だ。ここに来たのは、10年前だ。今日友人からそれを教えられたのだよ。その時はまだ、記憶が無かったが……。彼にはグリードから離れた方がいいと言われた。だからとにかく、一刻も早く、この事実を話さなければと思ってね」
歓喜に震える声は、ルルには大きすぎるくらいに良く響た。早口に説明された言葉を頭の中で復唱し、ゆっくり飲み込む。
『……全部、嘘だったの? この国での、ジェイドの記憶は』
「ああ、そうだったんだよ」
『この国の住民……だって言う、その記憶を誰かに、植え付けられた……って、事?』
「そうなる。しかしまだ、それが誰なのか、いつから私がそうなったのかはさっぱりなんだ。10年前、大図書館に訪れたのは確かだがね」
ルルは目を細め、顎に指を絡めると考え込む。その時、置き時計がもう朝日が昇る2時間前だと、低い音で2人に知らせた。
「あぁ、もうこんな時間か。とりあえず少しでも眠った方がいいだろう。起きて万全にしてから、また話し合おうじゃないか」
『ん……そうだね』
桃色をした月が落ちて太陽が顔を出した頃、ジェイドは目を覚ました。しかし、人の丈ほどあるクッションで眠っていた筈のルルの姿は無かった。
添えられてあった紙には一言『大図書館に行く』とだけ書かれていた--。




