国宝の無い塔
『ジャスパー?』
ジャスパーはルルへ再び、興味深そうに顔を近付ける。緑と赤の目を細め、先程までの明るい声とは打って変わって低く囁いた。
「ルルって、男?」
『え? ん……どっちでも無い、かな』
「ソウナノ?」
『うん。一応僕は、男……に、近いとは思ってる』
「フゥン」
『何か、変?』
「あぁ、ソウジャない。綺麗だなって思ったンダ。ボクは美しい存在が好き。だからキレイでしょ? ボク自身も。イナイって思ってたよ、ボクと同じくらい綺麗な人なんて。ウウン、同じじゃない。ルルには……負けたカモ。初めて見たナァ、ボクより美しい人」
彼はしみじみ言いながらルルの手をようやく離す。だが今度は、両手で頬を包んで逃がさない。じーっと無言で見つめられる感覚は、仮面越しでもやはり慣れず、ルルは見えていない目だけでもと小さく逸らした。
『綺麗、とか……美しいとか……よく、分からないや』
「綺麗ダヨ、ルルは凄く。ねぇ、そう言えばどうしてズット、フードと仮面を付けているノ? モチロン似合うケド」
ジャスパーはルルと距離を取り、全体を眺めた。ただ静かに座る姿も絵になると、色違いの目を細める。
もちろん、室内でも取り外されないフードと仮面に、何かしら意味があるとジャスパーは察していた。それでも理性の壁から欲が顔を見せてしまう。顔を隠した今でも美しいのだから、それを取り払った本来の姿はどれほどなのかと。だがそこでジャスパーは我に返り、慌てたようにルルから大袈裟に離れた。
(嫌われタかな? あぁ、聞きすぎた……マタやっちゃった)
ルルは黙ったままだ。ジャスパーは沈黙の緊張に思わず指先が冷えるのを感じた。せっかく友達になりたかったのに、嫌われれば元も子もない。
思い出すのは、ジェイドと出会う前の人々の拒絶。
(……ボク、やっぱり性格悪いのカナ)
『見たい?』
「へっ?」
底無し沼の様な思考に溺れかけていたジャスパーを、ルルの声が引き上げた。ジャスパーは彼の首をかしげる仕草に、素っ頓狂な声を咄嗟に上げる。ルルは唖然としているジャスパーへ再び尋ねた。
『中、見たい?』
「え、ゥ……ン、と。でも、イヤでしょ? だって何か、事情も……アルでしょ? 隠シテルのは」
ルルは可笑しそうに笑った。戸惑うジャスパーの様子が、初めて仮面を取って見せたジェイドの反応とそっくりだったのだ。
確かにこの姿を晒す相手は、もっと厳格に選んだ方がいいかもしれない。ルルだって、人間の嘘は巧妙だと知っている。けれど彼らの戸惑う声にどうしても偽りを感じない。声しか分からないルルにとって、判断はそれだけで充分だった。それに、彼のもてなしに応えたかった。
『隠してる意味は……ある。でもジャスパーになら、いいよ。今人は、居ないみたいだし』
「デモ」
『来て』
今度はルルから彼へ招く手を差し伸べた。するとジャスパーは、ふらふらと無意味に多く距離を飛びながら、迷いを断ち切れない様子でルルの元へ寄る。
『ジャスパーは、どうして僕に……取って置きの場所を、教えてくれたの?』
「ソ、それは……ナリタカッタんだ。その……友達に」
『うん、ありがとう……僕もだよ。だから──』
ルルはそう言うと、肌にピッタリと付いた仮面を外す。そして髪を隠したフードを取り払い、瞳をゆっくり瞬かせた。すると瞳に掛かる前髪を縫う様に光がこぼれる。本棚の影になって仄かな光しかないここに、眩しいと思えるほどの輝きが生まれた。ルルの宝石の耳と目は、世界の僅かな光の反射も溶け込ませて魅了するのだ。
ジャスパーの息を飲んだ音が聞こえた。
「ルル……その、耳……宝石ナノ? もしかして」
『うん。耳だけじゃない。目も、髪も……全て、宝石になる。僕はオリクトの民なんだ』
「オリクトの、民? ナンカ、聞いた事あるような、ナイよーな」
『体が鉱物で、出来ている人たちの事を、言うんだって』
「へぇ、不思議な人だね。綺麗だよルル」
『ありがとう』
「羨ましいヨ。デモ」
ジャスパーは言い掛けて口をつぐみ、ルルの滑らかな髪を掬うと愛しそうに唇を寄せる。
「綺麗なのはルルだからダ、きっと。ボクだったら似合わなかったダロウね、その色と宝石ヲ持っても。石ノ美しさに負ケチャウや」
ルルは囁かれた言葉に目をパチクリとさせ、可笑しそうに、嬉しそうに目を小さく弧にさせた。初めてこの名前を貰った時、クーゥカラットからも同じ様な事を言われたと思い出したのだ。
ジャスパーの手が離れると、代わりにルルが彼の頬を撫でる。
『僕、目が、見えないの。だから……ジャスパーが、どんな顔をしているか……触ってもいい?』
「もちろんサ」
ジャスパーはルルが盲目である事に驚いた顔をしたが、すぐに微笑み、彼が触りやすいようにと初めて地面に降り立った。
時間の経過を知らせる時計の音すら届かない、ジャスパーにとっての秘密の場所。そんな、時忘れの場所でどれほどの間、話を弾ませたか分からない。
話題はルルが旅をしている目的になり、国宝の名前を聞いたジャスパーは興味深そうに言った。
「ドンナ所にあるの? その、国宝って言うのは」
ルルは、空中で長い足を組んで首をかしげるジャスパーに、意外そうな目を向けた。国宝は国の中心である柱の塔にある筈なのだ。だからここに住んでいる彼は詳しいと思っていたが。
『国宝は、柱の塔にあるんだ。だから、ここにある筈………だと、思ったんだけど』
「ん~? でも、ボクは初めて知ったよ……? ジェイドに聞こウ。ジェイドはね、な~んでも知ってるカラ」
『そうだね』
「デモ、聞くのはアトでじゃイケナイ? まだルルと居たいンダ……。駄目かな?」
ジャスパーは胸の前で、お願いするように指を絡め、上目遣いにルルを見つめる。ルルはそれに一瞬だけ、ジェイドが居るであろう本棚の向こう側を壁越しに見やった。
実を言えば、もうそろそろソファから腰を上げようと思っていたのだ。日が暮れる前に移動した方がいいと思っていたから。しかし彼は立ち上がる事はしなかった。ソファに体を沈めたまま、ジャスパーに優しい視線を向ける。
『うん。もう少し……ここに居る』
ここに彼が残った理由は単純で、ジャスパーの声がとても寂しげに聞こえたからだった。友達のそんな声を聞いてしまえば、体から力が抜ける。
ジャスパーはルルの言葉にパッと顔と声を明るくさせた。しかしすぐに曇らせる。
「ア……ボク、また言ったカナ。無理な事」
『大丈夫だよ。まだ日は、明るいでしょ?』
「うん、多分。実はさ、ボクね、初めてなんダ……友達とのお喋り。ルルとのお喋りはトテモ楽しいよ」
『そう、良かった。僕も楽しい』
ジャスパーは嬉しそうに笑い、クルリと宙返りすると逆さまになった状態で胡座をかく。長い茶色の髪だけが重力に従い、床すれすれで揺れた。
彼はルルの膝に置かれた仮面を指で示した。
「ルルはアヴァールって国から来たんだよね? アヴァールでは流行ッテイル物カナ? そのオシャレな仮面って」
『ん……そうなのかな。言われてみれば、これをくれた人からは、そういうの……聞かなかった。どこで買ったのかも、知らない』
「そうなんだ。とってもカッコいいよ。ルルに似合う」
『ありがとう。着けてみる?』
「イイの?」
ジャスパーはその言葉に、頷いたルルの元に滑るように降りる。彼の手からそっと、落とさない様にと慎重に仮面を受け取った。
その瞬間。
「痛っ!」




