大図書館の住人
国の奥に聳え立つ柱の塔。低い階段を数段登った先にある大きな扉の中に広がるのは、天井ギリギリまでに伸びた本棚の数々。
読むスペースと狭い通路以外は、本棚で埋まっている。場所は1階、2階、3階といったように、天井へ行くに連れ空間が広がっていて、本棚の数も増していく。それぞれの階へは、配線の無い開放的なエレベーターで移動するようになっている。天井の巨大なシャンデリアは、普段使うには物足りないと感じそうな照明だが、読書に集中するには丁度いい。
仄暗い大図書館の中には人の気配が無く、コツコツと2人分の足音だけがよく響いた。
『誰も……居ない?』
「今日は人の出入りが少ないみたいだな。さて、あの子はどこに居るか」
『人の気配、しないけど……本当に居るの?』
「気配を消してるんだろう。あの子は魔法も得意でね。隠れん坊が好きなんだ」
ジェイドはまるで自分の子供を語る様に、優しげな声音で仕方なさそうに言った。それから大図書館の中心で、スゥッと息を深く吸い込み口を開く。
「ジャスパー、私だ! 隠れていないで、出ておいで。手紙を寄越したのはお前だろう?」
手紙の主の名前だろうか、ジェイドの声が壁に反射してしばらくこだまする。
それでも彼に応える声も気配も無かった。しかしもう一度呼びかけようとしたその時、世界を映していた視界が誰かの手で奪われる。
「ダァレだ?」
突如聞こえたいたずらっ子な笑いを含んだ声は、どちらかと言えば男だと判断出来るほど中性的な音だった。声色は落ち着いているのに、どこか子供の様な弾みを感じる。
ルルはそこで、ジェイドの背後に誰かが居る事に気付く。驚く彼とは対称的に、ジェイドは平然としたままで、目を隠した相手の手をそっと外して振り返った。
「普通に出迎えておくれ、ジャスパー」
彼らを驚かしたのは、ルルより幾つか歳上の青年だった。ジャスパーと呼ばれた彼はつまらなさそうに、ふわりと空気を混ぜた艶のある茶色のお下げに指を通す。
彼の先が尖った靴底は地面に付いていなかった。ジャスパーはそのまま空中でクルリと回って見せる。
「ジェイドォ……卑怯ダ。振り返って答えヲ言うなんて。ずぅっと平等なんダヨ? ボクは」
「先に仕掛けたのはそっちだろう? 紹介したい人が居るんだ」
「フゥン……隣に居ル人? それって」
ジャスパーは地面に降りようとはせず、唖然としたままのルルに顔を寄せる。
猫の様な赤と濃い緑の目がじーっと仮面越しに宝石の瞳を見つめた。ルルは自分に強く集中する視線に、自然と背筋を伸ばされる。
「ああ。今朝方、物売り場で出会った旅人だ」
「ヘェ、珍シイね、旅人なんて」
『僕はルル。ジェイドには……グリードの案内を、してもらっているよ』
ジャスパーは、ルルの薄い唇が動く事なく言葉を伝える事に目を瞬かせると、面白そうに笑った。
「フフフ、そう。ボクはジャスパー。住んでいるンダ、ココにね。ヨロシクどうぞ、ルル。ココは面白いヨ。まぁ、ずっと居ると退屈になっちゃうけど」
「だからこの紙飛行機を寄越したのではないかね?」
そう言ってジェイドが取り出した紙飛行機を見ると、ジャスパーは驚いた様にキョトンとする。確かに彼へ届けばいいなとは思っていたが、本当にジェイドに届いていたとは。言葉の神様も粋な事をしてくれる。
ジャスパーは可笑しそうに、嬉しそうに浅く微笑む。
「アハッジェイドに届いたンダ。運が良かったヨ。来てくれてアリガトウ、2人とも。ネぇルル、お話しをしなイ? 退屈な図書館の、ステキな場所を案内するよ」
ルルは優雅に差し伸べられた手を僅かな間見つめ、言葉の代わりに手の平を重ねた。
「ジャスパー、あまりルルを困らせる様な事をするんじゃないぞ?」
「ハ~ぃ。相変わらず心配性で、頭ガ硬いナァジェイドは」
「何を言う」
ルルは彼らのやりとりにクスリと笑った。小さく口を尖らせるジャスパーと、仕方なさそうにするジェイドが、まるで親子に感じたのだ。
ジェイドと別れジャスパーに連れられて来たのは、ズラリと並ぶ本棚のとある一角。背の高い本棚の壁に遮られ影が濃くなったここは、まるで別世界の様に静かだった。ルルの宝石の耳を持っても、自分の足音以外聞こえない。
『静かだね』
「そーでショ? ボクはねぇ、静かな場所がスキなんだ。取って置きを教えてアゲルよ、特別ニネ」
それにしてもこの静けさは、まるで世界に2人だけが取り残されたかの様だ。
突き当たりの壁に、1人掛けのソファがあった。ルルはジャスパーに促されるままに柔らかなそこへ腰を沈ませる。しかしジャスパーはまだ地面に降りようとはせず、背の高い棚の1段目まで飛んで、お気に入りの本の背表紙を撫でた。
「ねぇ、ルルは本好キ?」
『うん』
「フフ、お揃いだ。ボクは好きダナァ、御伽話とか。ルルは?」
『ん……その国によって、色んな物があるから、絞れないや。でも……物語がある本は、好きかな』
「アぁソウカ、ルルは旅人かぁ。楽しい? 旅って」
『うん、楽しいよ。そういえばジャスパーは……ここに住んでいるって、聞いたけど』
「そーだよ。出られないンダ、ボクはココから」
『え?』
ジャスパーは驚いてこちらを見上げたルルにクスリと笑った。ふわりと地面ギリギリまで降り、ルルの鼻先を指でツンと触れる。
「もちろん、興味はアルヨ? 外ノ世界には。でも別に、不満はナイからね、出られナイ事に」
『……そう。ジャスパーは、ここが、好きなんだね』
「フフフ、大正解~。それに、ジェイドがヨク持って来てくれるンダ、外からのオ土産ヲ」
ルルはその楽しそうな言葉で、カバンの中の贈り物を思い出してソファから立ち上がる。
「ン? ドウシタノ? 急に」
『お土産……持って来たの。ここに来る前、ジェイドと一緒に、作ったんだよ』
「え、ホントに? アハッ! 初めてダ、ジェイド以外から貰うのは……!」
『僕はジェイドに、協力しただけ……だけど』
「関係ナイヨ! トテモ嬉しい、ありがとうルル」
心の底から嬉しいのか、彼は目を輝かせながらルルの周りをクルリと1周する。まだ手渡しても、見せてもいないのに。
ルルはわざわざ焦らす事はせず、カバンから宝石の花を取り出して彼に見せた。ジャスパーは、薄青い手の器に収まる美しいアメジストの花に目を丸くする。彼は受け取る事も忘れて見惚れていた。
「とても……キレイ……。もしかして、宝石? コレ」
『うん。ジェイドが、錬金術で作ったあと……僕が、宝石にしたの。気に入ってくれた、かな?』
「モチロン! 凄い……。見タ事がナイよ、こんなに美シイ物! ほ、ホンウトに貰ってしまってイイノ? やっぱり返せぇなんて」
『言わないよ。ジャスパーのために、作ったんだから』
ジャスパーは美しさに圧巻されてか、呼吸すら止めてそぉっと受け取った。
「宝物にするよ! アトで、ジェイドにも言わないとネ、お礼ヲ」
『喜んでくれて、良かった。ジャスパーが、美しいものが好きって……聞いたから』
「ウン、大好きダヨ、美しいのも綺麗なのも。物もそうだけど、人もスキ」
ジャスパーはそう言いながら、ルルをじっと見つめて口を閉じる。急に黙り込んだ彼にどうしたのかとルルが思ったその時、一回り大きな手が重なった。握った彼の手の平がスルリと器用に移動し、指を絡め取られる。
ルルは這う様な動きに思わず、反射的に小さく肩を跳ねさせながら目をパチクリとさせた。




