旅の記録を
どんよりとした雨雲が去った世界は、洗われた様に綺麗に見える。顔を見せた太陽も眩しくて、真っ白な雲をより輝かせている。
馬車から降りたルルは、新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んで充分に体感する。その様子にジェイドもつられて、眩しい天を仰いだ。
「晴れた日が好きかね?」
『ん……そうだね、気持ちがいいから。でも、雨上がりが、特に好きかな』
「ああ、まるで世界全体が生まれ変わったようだな」
『その表現……きっと、ピッタリだね』
ジェイドに連れられて来たのは、老若男女問わずに賑わう商店街。人々は雨上がりの空のように、晴れやかな顔をして楽しそうに店を回り歩いている。その中で彼が腹ごしらえにと選んだのは、屋根や室内など店全体にドライフラワーを飾った小洒落たカフェだった。ルルが外に興味を持っているため、室内ではなく空いているテラス席を選んだ。
ルルは席に浅く腰を下ろして街を見渡す。店自体は花の香りが強いが、やはり本の香りもする。この国の空気には、必ずと言っていいほど紙とインクの匂いが漂っていた。
『グリードの人は、本が、好きなんだね』
「ああ、ここには世界中の本が集まっているのだよ。先程言った柱の塔である大図書館は、一般人も気軽に出入り出来る」
ルルはカバンの中から紺色の小袋を取り出し、エメラルドを選ぶと口へ放る。カモフラージュとして飴玉の形にしたそれを舌の上で転がしながら、巨大な本棚を想像した。開くとまだ読んだことの無い世界に触れられるから、本は好きだ。しかもどれほど読んでも飽きず、楽しさは増すが決して静まらない。
『いつまでも……居られそうな場所、だね』
「ルルも本が好きかね」
『うん、読むのも……書くのも好きだよ』
「ほう、どんな物を書くんだね?」
『今じゃなくて、昔に、ね。文字を教わった頃は……よく…書いていたよ。ジェイドは、色々自分で、書いているんだよね。僕も何か……また、書こうかな』
「ふむ……それなら、旅の事を書くのはどうだね? ルルにピッタリだろう。君の足跡が、本として……記録として残る。素晴らしいとは思わないかね」
ルルは店員に出された水を飲みながら彼の提案に目を瞬かせた。
確かに自分が旅をして、そこで出会った人々との交流をそのまま残せたらとても素敵だ。それも、未来永劫この世に残り続ける。自分が居なくなったあと、それを誰かが読む。そして誰かは旅の様子を想像し、自分と同じで心躍らせるかもしれないのだ。その可能性を考えるだけでもワクワクしてくる。
『うん……とっても楽しそうで、とっても素敵。ジェイドは、頭がいいね。僕、地形図を作るよ。本で世界を繋ぐの』
「名案だ。ここは丁度、本と知識の国。目移りするだろうが、相応しい物が見つかるだろう。食事をしたら、観光ついでに良い店を紹介するぞ」
『ありがとう』
テーブルに、ジェイドが注文してくれた料理が並べられた。皿には、数枚の薄い生地の間に野菜や肉、果物が挟まったミルフィーユ状の料理が盛られている。サントと呼ぶこれは、グリードで一般的に食されている郷土料理だ。大きな物を、ナイフで一口サイズに切って食べる。ルルはジェイドに教わりながら、ナイフを手探りで持つと小さく切って口へ運んだ。
肉と果物の甘さが絡まってとても美味しい。生地が薄い分、食材の食感も心地よく伝わってくる。
『……美味しい』
「お口に合ったかな?」
『うん。お肉と果物って、不思議だけど、とっても合うんだね』
「そうだろう。これにはな、ほんのり苦い紅茶をお勧めするぞ」
そう促され、氷で冷えた紅茶を飲む。
確かに甘くはないが、仄かに花の香りが鼻から抜ける。紅茶の味を舌に覚えさせた頃に再びサントを頬張ると、苦味が甘さを引き立ててより美味しかった。
「美味いだろう? 足りなかったら遠慮せず言いたまえ」
ジェイドはじっくり味を堪能するルルの姿を、微笑ましく眺めた。その時、彼の背後によく見知った物が近付いて来た事に気付く。
「! ルル」
ジェイドの声に手を止めて顔を上げたその時、ルルは後頭部にコツンと何かぶつかったのを感じた。仮面下で目をパチクリとさせ、一体何なのかとキョロキョロする。ジェイドは彼の様子に申し訳なさそうに苦笑いした。
「すまんな、気付くのに遅れてしまった。大丈夫かね?」
『ん、うん』
ジェイドは椅子から立ち上がり、床に落ちたそれを拾い上げる。ルルの頭にぶつかったのは、肌色をした紙飛行機。未だ状況が分かっていないルルに、ジェイドは笑ってそれを見せた。
ルルは受け取って興味深そうに両手で触る。しかし彼は紙飛行機という物自体が始めてで、結局は分からなかった。
「紙飛行機は作った事は無いかね?」
『かみ……ひこうき? 聞くのも、触ったのも初めて』
「グリードではよく飛んでいる。皆、手紙として誰かへ届く様にと飛ばすのだよ」
『手紙を、飛ばすんだ。面白いね』
「言葉には魂が宿るのだよ。風が選んで飛ばすとされていてね。さて、これは誰が書いたのか」
そう言いって、楽しそうに紙飛行機を開く彼にルルもワクワクしながら、手紙を覗く。すると、その文面に目を通したであろうジェイドから「ん?」という声が聞こえ、ルルは不思議そうに彼を見上げる。
「どうやら、知り合いの手紙のようだ」
『なんて、書いてあったの?』
「退屈だと」
ルルは理解しようと何度か目を瞬かせたあと、結局はゆっくりと首をかしげた。ジェイドはその姿にクスクスと笑い、彼の頭にポンと手を置く。
「大図書館に住人が居るんだよ。退屈な事が嫌いな子さ」
『ジェイドの、家族?』
「まぁ、似たようなものだ。ちょうど大図書館へ向かうからな。良かったら会ってみてくれないか?」
手紙をじっと見つめてから、ルルは楽しそうにコクリと頷いた。ジェイドは手紙を小さく4つに折り、ポケットにしまう。そして2人分のルナーをテーブルに置くと、さっそく彼の手を引いて店をあとにした。
~ ** ~ ** ~
橙色の柔らかな灯りが照らす店内は、物が多いせいかとても狭く感じた。しかしその狭さが不思議と、時間を気にさせない落ち着く雰囲気を出している。ここはジェイドがよく訪れる万屋だった。金持ちしか買えない高額な物から、子供が初めての小遣いでも買える商品まで選り取り見取りだ。どうやって揃えたか分からないが他国の物まで集まっているため、いつ来ても飽きない場所だ。
ルルはまるで散らかった様に沢山の商品が並ぶ店内を、興味深そうに見回す。
『凄いね……このお店。全部、売り物なんだ』
「ああ、選択肢は多くあった方がいいだろう?」
『うん。でも、良い物だらけで……迷っちゃうね』
「ふっふっふ、物も人と同じで運命というものがあるからな。自分と出会うべき存在は、遅かれ早かれ必ず目の前に現れるものだ。ゆっくり選んでおくれ」
ジェイドは彼が何時間もかけて選ぶ姿を見たかった。どんな物で目移りするのか気になったのだ。
ルルは店内を何度も見て回る。しかし、そのしなやかな指が全ての商品を撫でても、手の中に収める事はしなかった。やがて全ての品を確かめるように触り終える。最後に全体を一瞥し、彼は迷わず2つの商品に手を伸ばした。
まず抱えたのは、肩のカバンと同じくらいの大きさをした紺色の本。分厚いその中は質の良い羊皮紙で、まだ何も書かれていない。そのあとに手を伸ばしたのは、繊細な模様を刻んだガラスペン。それもインクを必要としない物だ。
「ふむ、よくそれを迷わずに選んだな」
『なんとなく、これが好きだなぁって……思ったの。ジェイドが言った通り、運命、だもんね』
「はっはっは、そうだな。他に欲しい物は?」
『うん、大丈夫。あまり物は、持たないようにしてるから』
「そうか。しかしその本……入るかね?」
言葉の通りルルは、旅人としては荷物が少ない印象だった。腰に携えた剣と肩掛けカバンのみ。
ルルは心配そうな彼にカバンの中身を見せた。するとジェイドは、思わず2度その中を覗き込み、更に目を疑った。
「に、荷物はこれだけかね?」
『そうだよ』
「……う、奪われた訳ではなく?」
『? うん』
ルルはジェイドがどうして驚いたのか分からない様子でいた。しかし、彼のカバンを覗けば誰でも同じ反応をしてしまうだろう。
理由は至極単純。カバンの中はルナーと宝石、そして商品が入る小さな袋が、それぞれ1つずつ……たったそれだけだったのだ。旅に出たばかりという訳でもないのに、これはあまりにも少な過ぎる。
「これでよく、2年も旅が出来たなぁ。服はどうしてるんだね」
『湖が沢山あるから、そこで洗うよ。体も』
「その間は?」
『マントは不思議と、汚れないんだ。だから、これを羽織って、服が乾くまで……ジッとしてる。あ……泳ぎたい時は、その間、ずっと泳いだりするかな』
「き、君は慎重かと思えば、変に大胆だなぁ」
『マントを着れば、殆ど、体は見えないし……大丈夫。それに僕は、男でも女でも、無いし、誰も狙わないよ。だって、男性には男性の、女性には、女性の魅力が……あるでしょ? 僕には、どちらも無いから』
ジェイドはその妙な自信に、言葉を無くしながら溜息を吐いた。
確かに彼らは人の様な性別を持たない者が多い。しかしその美しい宝石となる体は性別関係無しに狙われるだろう。それに体が宝石なのを抜きにしても、余計な筋肉や贅肉が削がれた体は、男女問わず目を惹く筈だ。
「ルル……世の中にはな、並外れた性癖を持つ輩がいる訳で……。そうでなくとも、君は目立つんだぞ?」
『そんなに僕、変わってる?』
ジェイドは不思議そうにこちらを見て首をかしげる彼に、顔を手で覆って頭を振った。
どう言葉を選んで説明すればいいか分からない。しかし元々奴隷だったにしては警戒心が少なすぎる。
「……他人には、気を付けたまえ」
皆が認める語彙力を持つ彼は数秒ののち惨敗し、かろうじて言葉を絞り出す。ルルは反対方向にまた首をかしげてから、とりあえず警告として受け取って頷いた。




