神の石と王
『黙っていて、ごめんね。知らない人には……あまり姿を、見せられないの。約束だから。ナゾナゾ、楽しくなって、やっちゃった。付き合ってくれて、ありがとう』
はにかんだ様なルルの声を呆然と聞きながら、ジェイドはその美しさに魅入られていた。
銀を混ぜる紫の長い髪から原石のような宝石の柱が覗き、それら全てが炎を閉じ込めたかの様に赤く輝いている。反応を見せない事に不思議そうで、少し心配そうな透き通る瞳は、今は暖炉とジェイドの色を取り込んで、赤と緑が混ざっている。その幻と言われる虹の宝石の存在を見たのは初めてだった。
流石は幻想種族とも呼ばれる民だ。彼らが隣に居たら、きっとその美しさで人間は怠け者になるだろう。
「ほ、本当に……」
『ジェイド?』
感極まった様子で声を震わせるジェイドは、ルルの頬にそっと手を伸ばす。彼の体は人よりも冷たかった。ルルは久し振りに触れられる人のぬくもりに、心地好さそうに目を細める。
しかしジェイドは頬を撫でた瞬間、我に返ったように慌てて手を引っ込める。ルルは急に離れた手に少し残念そうにした。
「い、いいのかね? 私にその姿を見せても」
『貴方は僕を売ったり、捕まえたり……なんて、しないでしょ? だから、大丈夫』
「そ、それはもちろんだが」
『? ジェイド、あまり……嬉しくない……? びっくり、させたかな』
頭の声は少しだけ残念そうで、ジェイドはその子供らしく見える顔に思わず笑った。遠慮に引いた手を再び伸ばしてサラサラな髪を梳く様に撫でると、彼は嬉しそうに目を閉じる。
「ああ、驚いた。けれど嬉しいよ。私を信じてくれてありがとう、ルル」
ジェイドが笑うと、ルルも安心してソファに座り直した。しかしすぐ、彼の顔は申し訳無さそうなものに変わる。
ルルは言いづらそうに輝く瞳を陰らせると、指を胸の前で絡める。ジェイドにはそれが、まるで反省する様子に見えた。
『……ごめんね』
「どうした、何故謝るんだね?」
『ジェイドは、オリクトの民に会ったら……質問をしたいって、言っていたでしょ? それは、叶えられないの。殆ど、オリクトの民の事、知らないから。多分……ジェイドよりも』
世に出ている資料を殆ど読み漁ったジェイドにとって、それはとても意外だった。頭にある知識には、彼らは国に必ず集落を作り、団体で生活をするらしかったからだ。
「それは、何故か聞いても?」
『少し前まで、僕、奴隷だったんだ。覚えている記憶にも、僕の傍に……誰かが居た事は、無かった。だから、僕は僕が、どうして体が宝石なのかさえ、知らなかったの。今は、音が分かるけど、昔は何も、聞こえなかったから』
奴隷という言葉にジェイドの眉根がシワ寄る。険しい顔のまま、試しに何も存在しない無の世界を想像してみた。多くの知識を欲してきた彼にとって、それは地獄よりも恐ろしい事だった。
「ふむ……なんとも人間は嘆かわしいな。今、お前さんが自由を手に入れている事に感謝だな。無事で良かった。宝石狩りに遭った民の中では……いや、想像しない方がいいだろう」
『うん、ありがとう。それで、僕が謝ったのは……そういう事。何にも貴方に、新しい知識を、与えられないから』
「何を言っているんだ、会えた事の方が大きいよ。それにな、私は知らない事が嫌いというわけではないのだよ」
『? どうして?』
「この手で探り出し、知る事チャンスがまだあるからさ。ルルも知らないならば、ゆっくり知っていけばいい。自分の事にしろ、何にしろな。新しい、自分だけの答えを見つけた時の喜びは大きいぞ」
『ジェイドは、本当に知る事が、好きなんだね』
ルルは頭を撫でるジェイドにくすぐったそうにしたが、何か思い出したのか閉じていた目を開き、離れていく彼の手を両手で包んだ。
『ねぇジェイド、僕らの事、どれくらい詳しい?』
「ん? 本に出ている事は全て覚えてはいるが」
『うん、それでいい。《世界の王》って、知ってる?』
「世界の王? すまないな、初めて聞く言葉だ」
『そっか……』
「どこで聞いたんだね?」
『ずっとね……誰かを待っている、夢を見るんだ。そこで会った誰かが、旅に出る日に、僕を、そう呼んだの。神の子、我らの子、世界の王は、繋ぐ者……って』
それを聞いたジェイドはしばらく黙って考え込むと、興味深いと呟きながら立ち上がり、本棚に手を伸ばした。背表紙をなぞって少しの間物色すると、数冊を抜き出して重たそうに両腕で抱える。それは全て、オリクトの民に関する事を記している、数少ない書物だ。
それらをテーブルに広げると、ルルは興味深そうに1冊選んで、ページを開き視力の無い目でじっと見つめた。青い指で紙面を滑らせ、微かにあるへこみを辿っている。どうにかして読み解こうとしているのだ。
「ふむ、彼らの習性や国宝の事は書かれているのだが。王というのは……やはり無いな」
未だに彼らの本当の正体は分かっていないが、この世界に始めて降り立った者たちなのではないかと言われている。ビジュエラの世界に国というものが出来た頃、既に彼らの存在があったのだ。
時折、書物の中で彼らは『神の落とした人』と称される事や『神の子供』とも伝えられていた。
資料の中には他にも、国宝についても詳しく記されていた。国宝は神が土地の生命を保つために散りばめた石。オリクトの民はそんな国宝を守護し、国の繁栄を見守るのだそうだ。これらの理由から、オリクトの民は先程のように神の使いのような存在として認識されている。しかし何故彼らがその役割を背負っているのか、根本的な理由は書かれていない。五大柱は絶滅してしまった彼らの代わりに、国宝の管理を務めている。
『……僕が、旅をしている理由は、2つ、あるんだ。1つは僕が、世界を見たいから。もう1つは……夢の誰かに、国宝を新しくしろって、言われたから』
「国宝を新しくだって?」
『誰かは、国々を保つ国宝の命が、もうすぐで、尽きるって……言ってた。そうなる前に、《世界の王》が、新しい国宝を作って、世界を保てって。あ……すぐって言っても、数年、とかじゃないよ。近いっていうだけで、寿命はまだ……数百は、あるみたい』
ジェイドはそれにホッと胸を撫で下ろす。突然母国が終わると言われれば、誰でも恐怖に呼吸を忘れてしまう。しかし数千の寿命を持つオリクトの民からすれば、確かに数百は短いという感覚だろう。
「しかし、国宝を作るというのは初耳だ。ふぅむ……。国宝、神の石。ルルに託されたその命、まるで、この世に降り立てない神の代理の様だな」
『ん……何で僕なんだろう?』
「君の美しさに惚れたのではないか?」
ルルはそれにキョトンとすると、可笑しそうな息を吐く。
しかし自分をそう呼んだ誰かは、あれから1度も夢に訪れてくれず、結局は自分が何者なのか、何故国宝を作れるのかも分からないままだ。せめて目が見えるようになってくれればと願うのだが、この耳が音を拾い始めた日と似た夜は来ない。
ルルの薄い腹から、くぅっと情けない音が鳴った。いつの間にか窓を叩いていた雨も消えた静かな部屋に、そのか細い音はよく響いた。
ルルとジェイドは顔を見合わせてキョトンとする。
「はっはっはっは! ルル……グリードに来てから腹を満たしていないな?」
笑うジェイドにルルは恥ずかしさから俯きながら、腹を両手で抑える。何故こんな時に限って部屋の中が静かなのだろうか。
『……何でお腹って、鳴るんだろ』
「幸福の証拠だ。どうだ、雨も止んだし、そろそろ食事にしないかね? 美味い店へ行こう」
『いいの?』
「ああ。旅の話を聞かせておくれ。その礼に、国宝がある大図書館に案内しよう」
ルルは立ち上がったジェイドに手を差し伸べられ、窓へ顔を向ける。そして再び彼に向き直ると嬉しそうに頷いた。
暖炉のおかげですっかり乾き、炎の暖かさも持ったマントと仮面を纏うと、扉の前で待つジェイドの元へ向かった。




