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宝石少年の旅記録(8日更新)  作者: 小枝 唯
【宝石少年と言葉の国】
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新しい物売り

 一つの小さな紙飛行機が、風に乗って空をゆらゆら飛んでいる。不安定に見えるその姿は、今にもすぐ落ちてしまいそうだが、橋を超え、国の門すらも超えた。

 しかしその散歩は、門から続く道を挟んだ林に入って終わった。


 紙飛行機を受け止めたのは、道端の草花を摘んでいる男。緩く編まれた髪が揺れる頭に、紙飛行機の先が当たってパサリと落ちる。何枚も異なる布を器用に縫い付けた重そうな服を着込んだ男は、その感覚に振り返った。

 彼は作業の途中だった。何だと辺りを見渡していた緑の瞳は、足元に落ちた紙飛行機に気付く。


「あぁ、こんな所まで来たか」


 呟かれた声は穏やかだった。そしてその言いようはまるで、この紙飛行機が飛んでいる事に全くの驚きを感じない。そう、当たり前なのだ。この国グリードでは、紙飛行機が頻繁に飛んでいる。グリードで生きる彼も、とっくの昔に成人を過ぎてた今でさえ、時折飛ばす事があるのだ。

 彼はさっそく紙飛行機を解体する。そこには子供の拙い字で、母親に花を渡して喜ばれた嬉しさが書かれていた。男は微笑ましさにつられて笑う。

 この紙飛行機は、誰かへの手紙。しかし特定の人物ではなく、グリードの国民全員へ向けたものだ。知識の国と呼ばれるここでは、風が、言葉が、手紙が相手を選ぶとされている。


「おぉ~い、ジェイド! これから降るぞ!」

「!」


 ジェイドと呼ばれた彼は、門番からの声にハッと顔を上げて空を見る。少し遠くから、ズッシリとした雨雲がゆっくり迫ってきていた。

 ジェイドは両手にした薬草や木ノ実を見て、それを背中にしたリュックに入れた。少量だが仕方がない。雨上がりにはまた違う材料も手に入るため良しとした。


「ああ、今から帰る!」


 知らせてくれた門番に手を挙げて答え、足元を見て全て持ったかと確かめてから林の外へ出た。その時、細長い靴の先が何かをコツンと蹴って、道に転がす。


「ん? これは……」


 思わず目を瞬かせ、しばらくそれを眺めてしまった。落ちていたのは、ひと粒のエメラルド。

 不思議そうに首をかしげながらも、腰を屈ませて指で摘み上げた。まだ太陽が見える空に翳すと、黒に見えるほど濃い緑が、美しく透き通った新緑に変わった。


「ふむ、上質だな。それにしてもこれまた、随分へんぴな落し物だ」


 ジェイドは親指ほどのエメラルドを、上着の深いポケットに入れて門を潜った。


 下に大きな川が流れる橋の上を通ると、道の外側が物売りたちで埋まっている。市場の様なそこには、果物や野菜、花の中に紛れて、本や骨董など変わった物も売っていた。ごく稀にだが、掘り出し物に出会える時もある。


「ようジェイドさん、買ってかないか?」

「あぁ、今日はやめておこう。新しいのが入ったら、またよろしく頼むよ」


 以前寄った事のある本屋の男に、彼は肩を竦めながら頭を振って見せた。あそこに販売している本は、もう昔に読み終えた物ばかりだ。

 通りかかったジェイドに気付いた女亭主が、彼に手を振りながら商品の果物を投げて寄越した。ジェイドは反射的に片手で受け取る。


「今日はもう帰りかい? 持って行きなよ」

「ありがとう。雨が降るそうだからな」

「大事な研究対象が濡れたら大変だもんねぇ。あ、そういえば今日、新しい物売りが来たんだよ。変わった物を売ってるって」

「ほう? 雨の前にでも寄ってみようか」

「良いのがあったら、教えておくれよ」


 ジェイドはこの国では多少名の知れた人物だった。国民は彼を『研究者』『考古学者』『錬金術師』と、様々な役柄で呼ぶ。30代前半という若さで彼は目利きでもあったため、国民の信頼も厚い。


(おや?)


 物売りの列が途切れかけてきた頃、最後尾の販売所は随分と離れた所にあった。賑やかさが減った住宅街の入り口の、建物の影になった場所に。

 小洒落たフードを目深にした亭主の顔は見えないが、先程聞いた新しい物売りだろう。金色の剣を胸で立て掛ける様に抱え、商品に目を落としている。人々へ声掛けをしない所を見ると、物売り自体が初めてなのか、商売下手に思えた。

 ジェイドは広げられた商品を一瞥する。そして、もう視線を外せなくなった。


「やあ」


 亭主はハッと頭を上げる。その時に顔を見れるかとも思ったが、黒と白の仮面で、上半分は伺えなかった。


「失礼、これを売ってるのかね。君が……本当に?」


 亭主は無言で頷く。ジェイドはそれに驚いた声を零しながら、しゃがんで商品を手に取った。

 広げた布の上に並ぶのは、宝石のアクセサリー。ブレスレット、チョーカー、ネックレス、指輪……他にも様々なアクセサリーだ。それも、どれもが上質な物ばかり。とても子供が手に入りそうな品物には見えず、ジェイドは手に入れたルーツに興味を持った。


「どう手に入れたんだね?」


 亭主は首をかしげ、どこか悩ましそうにしている。どうやら言うかどうかを迷う様なルーツなのか、それとも言えない理由があるのだろう。

 ジェイドはその反応に、手の平を見せて静止させた。


「結構。野暮な事を聞いた、すまないね。あぁ、もちろん買うさ。良い物を目の前に、冷やかしなんて趣味ではないよ。これはおいくらかな?」


 半透明で、微かに紫色をしたブレスレットを手に取って見せる。亭主はそれを見つめたあと、仮面が半分を覆う顔でジェイドを見上げた。


『貴方が決めて』


 ジェイドはゆっくりでハッキリした声にハッとし、辺りを見回す。しかしそれは紛れもなく、外からではない頭の中で響く音だった。男女と判断するのに数秒必要な、中性的な声音。どちらかと言えば、少年寄りだろうか。

 彼は亭主に再び顔を向け、まさかと思いながらも小さく尋ねる。


「君の、声か?」

『驚かせて、ごめんなさい。僕、声が出ないの。だから……これで貴方と、話しができるんだよ』


 ジェイドは細い喉元を触れた手の動きに誘われ、視線を彼の胸元に向ける。そこには、赤紫色の宝石が下がっていた。


「随分珍しい物を持っているじゃないか。言わば通話石かね」

『うん。それで……欲しい物、貴方がいくら出すか、決めてほしい』

「しかし、それはどう言う事だね? そんな事をしたら……最悪、タダで持っていかれるだろう。これは良い商品だ」

『ありがとう。でもそれは、仕方ないよ』

「ふむ、変わった商売方だ。何故そうするのか、聞いても?」

『僕はこれに、値段は、付けられない。だから他人に、決めてもらう。もし、タダで持っていくなら、その人の中で、そうしてもいい商品だった……っていうだけ』


 ジェイドはその答えに驚きに聞き入っていたが、少年が不思議そうに首をかしげた時、可笑しそうに笑った。

 物売りは、どれだけ商品を元の値段より高く売るか、試行錯誤しながら売る。自らの生活が掛かっているのだから、それは当然だ。だから、そんな切羽詰まる価格競争の中で、こんな面白い販売者は初めて見た。


「はっはっは! そうか、そうか。面白い事をする。少年の名前を聞きたいが、構わないかね? 私はジェイドという」

『ルル』


 ジェイドはもう一度「そうか」と満足そうに頷きながら、カバンから5万分のルナーと、先程拾ったエメラルドをポケットから出し、彼の手を取って握らせ、商品を受け取る。

 ルルは思った以上の重みに、仮面の下で目を瞬かせた。


『いいの? こんなに。それにこれ、宝石?』

「私が決めた価値さ。エメラルドは、拾い物ですまないがね」

『……ありがとう。大事にするよ』

「こちらこそ」


 ルルは肩掛けカバンの中から小袋を取り出し、そこにルナーを入れた。その時、エメラルドを見つめて首をかしげる。


『これ……落としたかも』

「なんだって?」

『僕は今日、この国に来たんだけど……その時、かも。知っている、香りだから』


 彼はルナーを入れた袋をしまってから、ジェイドへ別の、紺色の小さな袋の中身を見せた。その中には、確かにエメラルドと同じ大きさの宝石が、まるで飴玉のようにジャラジャラと入っている。


「なるほど……そうかもしれんな。しかし、鉱石を集める趣味でもあるのかね?」

『ううん、趣味ではないよ。ただ、必要なだけ』

「ほう?」


 ジェイドが興味深そうにしたその時、色取り取りな煉瓦道にポツリと雨粒が落ちた。ポツポツと不定期に降り出した雨は服に染み、やがて人々が空を見上げる頃には、途切れない大雨になった。

 二人も顔を上げ、ジェイドは頭の上に片手で傘を作り、ルルはのんびりと商品をカバンに入れて立ち上がる。


「ルル、君は旅人だろう?」

『どうして、そう思ったの?』

「今日この国に来たと言っていたじゃないか」

『あ……そっか』

「はっはっは。宿はあるかね? 無いならうちへおいで」

『いいの?』

「ああ、ここで会ったのも何かの縁と言う物。是非、そうしたまえ」


 手を差し伸べられ、ルルはそれを反射的に握った。ジェイドはそれに目をパチクリとさせる。手を繋ぐのではなく、彼へ手招きの意味で手を差し出したのだ。


(まぁいい)


 ジェイドは微笑み、彼の手を振り払う事なく繋いだまま、導く様な形で家路を急いだ。孫が居たらこんな気分か? と心の中で思いながら。

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