リベルタへ
ガハハと笑うラピスの声は、世界に響き渡っているのではと思うほどだ。彼は確かめても未だ唖然としているアウィンの背中をバンバンと叩く。その音で我に返ったリッテは、突然の登場に対してわなわなと体を震わせた。
「なぜ貴様が落ちてくるんだっ!」
「はっはっは、狩りをしていたんだ。ほら見てみろ、デカいだろう!」
そう言って掲げるのは、一羽の野鳥。成人男性の半分はある大きさだ。
『それ、どうするの?』
「ん?」
ラピスは頭に響いた見知らぬ淡々とした声に、辺りを見渡した。アウィンの背が高いように、ラピスは190を超える長身。だからアウィンとリッテに挟まれたルルに気付かなかった。鮮やかな青い目が、右往左往してようやくフードを深く被った人物を見つけた。ラピスはキョトンとしたが、それも一瞬でニッと笑う。
「もちろん、食べるぞ。コイツは放っておくとどんどん増えていく種類でな、狩人の獲物なんだ」
とは言っても一つの命。無駄に痛みを与える趣味はない。見事に1発で心臓を捉えていたか、傷は剣が貫いた胸元だけ。
「それでお前さんは」
「口を慎めラピス……!」
「リッテ」
ルルの正体を知っているリッテからすれば、ラピスの態度は許されないのだろう。アウィンは、ルルがただの旅人として見られることを望んでいるのを知っている。いずれ明かすことになるのだろうが、それは本人の意思に任せるべきだ。
『僕はルル』
案の定ルルは名前以外は言わないようで、『貴方は?』と首をかしげる。会話からして名前や立場はわかっているが、ルルは当人の口から聞きたいのだろう。
やがてラピスはじっとルルを見ていたが、「ああ!」と思い出したように頷いた。そしてガッシリとした手を差し出す。
「私はラピスだ。報せに3人で向かうとあったが、それがお前さんか」
『うん。よろしくね、ラピス』
ルルは握手に応えながら大柄な彼を見上げ、ふふっと笑った息をこぼす。アウィンの父親と聞いていたが、随分と想像よりも大胆な性格だ。しかし時々見せるアウィンの強さは父似なのだろう。
ラピスが屈託ない笑顔を浮かべる一方で、アウィンは顔を手で覆って深くため息をついた。
「それで、何のご用で?」
「ん? お前たちを迎えに来たに決まっているだろう」
「そんなことはわかっています。私が訊きたいのは、父上が来る必要性です。私はただ迎えを要請しただけ……父上ではなく、馬車が欲しいのですが」
それともラピスが馬車の代わりか? とリッテが辛辣に付け加える。確かに、彼が自ら足を運ぶ必要はない。元々アルティアルに来る予定ではあったが、もうアウィンたちが発ったのはわかっているはずだったから。やはり、来る意味は特別見当たらない。
しかし2人の態度に、ラピスは何でもないように「ああ、そんなことか」と平然と笑った。
「ずるいじゃないか」
「は?」
「私も旅をしたいのだ」
予想だにしない回答に、アウィンとリッテはもう一度、今度は同時に「は?」と声をあげる。
「まさかそのまま来たのかっ?」
「いや? 馬車は上だ」
リッテとアウィンは「上?」と太陽が見える空を見上げる。その時、小さな崖の上に妙な盛り上がりがあった。その隣に、恐る恐る下の様子を見下ろす人影が逆光で見える。
「ラピス様、ご無事ですかー!?」
落ちてきた少し情けない声は、まだ幼さを残した青年の声。
「ターフェ!」
「え、リッテ様? そこにいらっしゃるんですか!?」
「まさか……あの子まで連れ出してくるだなんて」
驚いたリッテの声に、ターフェと呼ばれた青年も叫んで返す。どうやら予想外の再会はラピスだけではないようで、アウィンは何度目かの呆れたため息を吐く。
ターフェは状況を把握しようと、崖の淵へ恐々身を乗り出した。柔らかな紫色の目が、メガネ越しにリッテたちを見つけたのか、彼は「あっ!」と嬉しそうな声をあげて、更に体を前へ出す。
「ターフェ、それ以上は──」
『崩れる』
「へっ?」
ターフェにとってアウィンの警告よりも頭に直接聞こえた声は、身の危険を忘れさせる驚きを与える。そんなルルの声の直後、4人に少し大きめな砂が雨のようにパラパラと降った。この間、全て5秒にも満たない。だが次の瞬間、ターフェの目線はガクンと重力に従って激しくブレる。
「うわっ!」
崖の先端は脆くなっていたのだろう。細身なターフェの体でも、体重が掛かればあっけなく崩れる。短い悲鳴と空中に放り出されるターフェに、皆息を呑んだ。
いち早く動いたのはラピスだった。彼は剣を両手で持つと、切先を足元へ深く突き立てた。亀裂が走るその足元を、魔法陣が囲う。すると、落ちるターフェの真下にも同じ形の魔法陣が現れた。淡い青色の輝きが増すと、彼の体は空中でふわりと重力に逆らい、ゆっくりと降りてくる。まるで木の葉が空気と踊るように散る様を見ているような速度で、地面に落ちた。しかし急なことで姿勢を保てなかったのか、ターフェはドサリと尻餅をつく。
『大丈夫?』
「あ……は、はい」
ターフェは、頭に聞こえる音が先程の声だと理解した。仮面とフードに隠れて唯一見える動かない唇と差し出された薄青い手。それぞれを見比べたあと、まだこちらへ伸びている手を取って立ち上がる。
「ターフェ、怪我はありませんかっ?」
「アウィン様……! はい、僕は大丈夫です。ラピス様、助けてくださってありがとうございます!」
ターフェは懐っこい笑顔を咲かせ、ぺこりと深く腰を折る。それからルルに視線を向けて「そちらの方は……」と首をかしげた。
『僕はルル。喋れないから、この、通話石で、会話するの。アウィンたちと、しばらく一緒に、旅をしているんだ』
「あぁ、貴方がアウィン様のお手紙にあった方ですね! 自己紹介が遅れて申し訳ありません。僕はターフェと申します。アウィン様とリッテ様の召使をさせていただいてるんです」
『よろしく、ターフェ』
改めて手を握り合って、ルルは彼がまだ自分とそう差のない若さであると理解した。実際21になったばかりで、日々忙しいであろう柱の居る貴族の世話係なんて、優秀でないと務まらないだろう。
「しかしターフェも来るだなんて」
「私は1人でもいいと言ったんだぞ?」
「ラピス様だけでは、寄り道をしすぎると思ったんです」
その予想通り、ラピスは何度も正規の道を外れようとしたが、ターフェがそれを阻止してここまできたという。10代の頃からヴィッツ家に仕えているため、ラピスの考えはお見通しで、扱い方も熟知しているようだ。
まあ、ここに来るのは少し想定外だった。馬車を引く馬を休ませている時、手持ち無沙汰となったラピスの目が、この野鳥を捉えた。昼食は用意しているが、それだと旅にしては少し味気ない。そんなことを言ったから嫌な予感がしたが、ターフェが止める前に、彼は剣を持って飛び出したのだ。
「まあ、結果的に再会できたんだ!」
「そうですけど……。もう、本当に危険なのでやめてくださいね?」
僕の心臓に悪いですと、ターフェは自身の胸に手を置いてため息を吐いた。確かに、予想では残り2日の歩き旅を約束されていたのだから、思わぬ幸運か。
『アウィンのお父さん、面白い人だね』
「ええ、頭が痛くなるほどに」
ふふっと笑うような息を吐くルルに、アウィンは呆れたように笑い返した。本当は家に招待して、ちゃんと紹介をしたかった。だがこの破天荒さだ。どのみち予定調和とはいかなかったかもしれない。
5人は崖上の馬車へ向い、そのままリベルタへ折り返すことになった。ラピスが狩った野鳥は、今晩のご馳走として保管。ターフェが握る手綱を合図に、馬車は出発した。
ルルはラピスが自身の横に立てかけた剣を、仮面越しに見る。
『さっき、ターフェを助けた時、剣を使っていた?』
「ん? ああ、私は魔法を扱う時、剣に乗せるんだ」
「確か、剣でコントロールをするのですよね?」
『いろんな魔法が、あるんだね』
アウィンも時々、剣に魔力を通して扱っていた記憶がある。この方法は、父譲りだったようだ。しかしオリクトの民は魔法を扱えない。人間が作り出した魔力は感じることもできないから残念だ。しかしその方法は、過去の国でルルが習得すべき鉱石のコントロールの仕方。
「お前さんも、剣を使うのか? 随分大事そうに持ってるな」
『うん。ねえラピス、僕もその方法、できるかな?』
「ん? お前さんは魔法を扱えるのか?」
『ううん。僕はオリクトの民なの。だから、使えない。でも、必要なんだ』
「あぁそうです、父上。私からもお願いします。以前の国で、アンブル様にお会いしたのですが、彼女が、ルルの鉱石を操る力は、この剣に乗せるのがいいと仰っていました」
単なる思いつきだったが、アウィンが後押しするとは思っていなかった。ルルには実感がないが、アウィンにとってあの力は自分では身に余る。
「ほう、アンブル殿か! ははは、それは確実だ。いいだろう、暇がある時に教えよう」
『アンブルのこと、知ってるの?』
「もちろんだ。私の恩師の弟子だからな。信用できる」
ルルは驚きながらも、記憶を思い出しながら納得をしていた。彼女は出会ったばかりでアウィンの家名を当てていた。魔女であるというのもあるだろうが、自身の師の教子ならばわかってもおかしくない。
ラピスは、ルルが大事そうに抱えている剣をじっと見つめ、怪訝そうに眉根を寄せた。腕で抱えているから剣はほとんどマントに隠れているが、装飾のレッドスピネルが覗いている。
「それにしても……その剣、本当にお前さんのか?」
「?」
「いや、見たことがある形をしていると思ってな」
『……これは、クーゥカラットの、持っていた剣だよ。旅に出る時、貰ったの』
アウィンもクーゥカラットを知っていた。五大柱として接点があったのだ。それならば、必然的に元柱の1人で、父親ならば知っているだろう。だからルルはすぐに彼の名前を言った。しかしそれが余計に疑問だったらしい。
「なぜお前さんが?」
『僕の、育て親だから』
ラピスは心底驚いた顔をして「あの男が子育て?」と呟く。思わずリッテが嗜めるが、ルルはなぜかクスッと笑ったような息を吐いた。ラピスの声色に嫌悪がないからだ。その予想通り、彼は可笑しそうに笑った。
「はははっ驚いた! だが、剣を渡すなんて相当な溺愛ぶりだったんだろうなぁ!」
「剣だけではありませんよ。ね、ルル?」
『うん。仮面も、マントも全部……手作りなの』
ラピスにとって、クーゥカラットは不器用な男だ。そんな彼が手作り? と、またクツクツ笑う。その様子だと、比較的親しい仲だったのかもしれない。彼からは、クリスタ以外の交友関係を聞かなかった。もちろん、アヴァールの五代柱だから、顔は広いのは想像できる。
ひとしきり想像で笑ったあと、ラピスの表情はふっと柔らかくなる。
「想像はつかんな。だが……それが事実であるのは信じられる。世間は知らんが、アイツはいいやつだ。アヴァールにとっても、惜しい男だっただろうな。それにしても……だったらお前さんは、クーゥカラットのその後を知らないんじゃないか? それとも旅に出てから、文通のやりとりはしているのか?」
『死んだことは、知ってる。その日の晩……僕は彼と、過ごしたから。朝、もう彼は、死んでいた。だから僕は、旅に出たんだ』
「なんだって……?」
ラピスの声色は、疑いよりも驚愕がハッキリしていた。そしてリッテも、ガーネットの目を丸くする。ルルはその反応に、尋ねたいことがあった。
『3人はクゥが……彼が死んだのを、知っていたんだよね?』
「ああ」
「……ええ、同じ五大柱として」
「私は旅の途中で。最初は噂程度でしたが、ルルと再会して、それが彼だと知りました」
『じゃあ、リッテ、ラピス……2人は、どうして彼が死んだか、知ってる?』
彼らの視線が僅かな時間交わる。だが2人とも、ほとんど同時に首を横に振った。ルルにとっては意外だった。五大柱を退いたラピスはともかくとして、現役であるリッテまで知らなかったとは。
「確かに、僅かながらですがリベルタとアヴァールには交流がありました。ですが本人の望みでない限り、詳細までは公表しないでしょう」
『そういうもの?』
「ええ」
ルルは口元に緩く握った手を置き、考え込む。思い返すは裁けなかった敵、アダマスの言葉。ノイスの柱の塔で対峙した時、彼は“聞いたぞ”と言って、クーゥカラットの最期を侮辱した。しかし今思えば、あの口ぶりは死んだことだけではなく、襲われた瞬間を知っているかのよう。
あの瞬間を知っている人物はルルだけ。クリスタも死因は知っているが、それが誰なのかはルルも混乱していて言わなかった。だから彼が漏らすことはないだろう。ならば、交流関係のある柱すら知らないことを、なぜ知っていたのか。
「ルル様、如何なさいましたか……?」
考えに耽っていたルルは、様子を伺うようなリッテの声にハッと我に返る。どうやらあの瞬間を思い出していたから、顔が強張っていたようだ。それを話しても問題はないだろうが、無闇に彼の死を深く広める必要はない。話すのなら、その瞬間が来てからだ。ルルは心配そうな3人に、なんでもないと首を横に振って話題に終止符を打った。
お読みいただきありがとうございます。更新遅れて申し訳ありません…!
アダマスはなぜ、クーゥカラットの死を詳しく知っていたのでしょうね……?
一応クーゥカラットが数年前まで現役の柱だったので、ルルと出会う前からリッテと面識があります。それでもクーゥカラットがオリクトの民を知らなかったのは、リッテが積極的に人間と会わなかったからです。一度だけ対面した時、クーゥカラットがリッテにオリクトの民について少し情報を聞いたりしたという裏話があります。そこでリッテは、彼に警戒するのは馬鹿らしいと印象が変わった様です。
ラピスとは彼の屈託のなさに、多少世間話を楽しめる仲でした。
長くなりましたが、次回もゆっくりお待ちいただけると嬉しいです!




