思いを形に
まだひと気の無い道を、ルルとアウィンはピンクローズへ向けて歩いていた。ルルは早起きだ。時間を数字で読めないから、朝特有の空気の変化と、鳥の声で起床する。そんなルルを胸に抱きしめるように寝ていたアウィンも、必然的に目が覚めた。
しかしルルの足取りは、アルティアルに訪れた頃から少しも変わらないように思える。ここ数日、ずっと緊迫感の中で動き回っていたというのに。それも、昨日はたくさんの鉱石を作っただけでなく、国宝も新しくした。
さすがに昨晩は疲れもあっただろうが、ひと晩寝たら、何事も無かったかのようだ。アウィンはまだ、若干疲労に引きずられている。永く生きる彼らと人間の差なのだろうか。
『用事って、なんだろうね』
「ええ。しかし、少し早く来すぎたかもしれませんね」
アウィンは胸元にしまった懐中時計に視線を落とす。壁に囲まれたアルティアルに朝日が訪れて、まだ数時間と経っていない。普段ならば、ピンクローズも開いていないだろう。するとルルは確かめるように、仮面越しで遠くを見つめた。
この時間、しかも芸術祭への仕上げ時期。外に出ているのはルルとアウィン。そしてもう1人、遠くに気配があった。
『足音、するよ。たぶん、ファルベが待ってる』
「なぜファルベ殿だと思うのです?」
ここまででは、流石に気配を感じられても、それが誰のものなのかまでは分からない。それでも判断できたのは、足音の伝わり方だ。
一箇所に留まりながらも、まるでその場で足踏みでもしているかのように鳴っている。そわそわしているのだと分かる足音を鳴らすのは、ファルベである可能性が高い。それに、気配と音の距離を測っても、ピンクローズがある付近だ。
『早く、行ってあげよ』
ルルは足音のそわそわにつられたのか、少し楽しそうにアウィンの手を引っ張った。
小走りに向かうと、肉眼でピンクローズが見えてきた。すると店の入り口に人影があった。どこか落ち着きのない様子のその影は、ルルの予想通りファルべのもの。石畳を踏んだ時の鉱石の音で、ファルべも2人に気付いたのか視線が合った。
「おはよう2人とも」
『おはよう、ファルべ』
「おはようございます。ずいぶんと待たせてしまったようで」
「あぁ、いや。こっちから誘っておいて、寝坊なんてするわけにはいかないから」
そうしたら、思ったよりも早く起きてしまった。ファルべはそう言って、少し恥ずかしそうにはにかむ。
2階ではなく、ほの暗い店内に案内された。昨日の疲れが出たのか、住居スペースでは、マリンがまだ寝ているのだ。
2人をテーブルに用意した椅子に腰を下させ、ファルベは「少し待っていてくれ」と、商品が重なった壁に覆われた奥へと入る。言葉の通り、数十秒という短さでテーブルに帰ってきた。薄桃色の手には、宝石で装飾された小綺麗な小箱。ファルベはそれを、2人に見えるように置いた。ルルの鉱石の耳が、中から綺麗な石の音をそれぞれ2つ拾った。じっと見つめる虹の目でそれを察したのか、ファルベは微笑んで頷き、焦らす事をせず蓋を開ける。
中で静かに煌めいているのは、2つの腕飾り。頑丈な宝石の糸で編んだレースに、所々丸く研磨された宝石が装飾されていた。レースの幅が短いものと長いもの、2種類がある。
「美しいですね。ファルべ殿の作品で?」
「ああ、昨日の夜に作ったんだ。2人にと」
ルルとアウィンは、予想外の事にお互いの顔を見合ってキョトンとした。ファルべに手を出して欲しいと言われるまま、彼らは片手で器を作る。アウィンには、レースの幅が短く上品なもの。ルルには幅が長く、少し派手なデザインをしたものを、それぞれ渡す。
シャラシャラと流れる綺麗な音。手触りも良く、丈夫でいて軽い。ほの暗いここで、僅かな光を集めて星のように煌めいている。思わず手元で見惚れたあと、アウィンは我に返ったのかハッとして慌て出す。
「い、頂けません、こんな素晴らしいものを……!」
「2人のために作ったんだ。貰ってくれないと、むしろ困るよ」
そう言われると、アウィンはうっと押し黙った。ファルべは無下にしたくないという思いで、彼が無理には返さないと分かっていたようだ。少しファルべにしてはイタズラ気に笑う。しかしすぐ、優しい微笑みを浮かべた。
「もうすぐ出て行ってしまうんだろう? だから何か……言葉だけじゃなくて、他の方法で、形に残るものを渡したかったんだ」
しかしファルべの声は、ほんの少し申し訳なさを感じた。それは彼が元旅人だからだろう。危険を伴う旅路で、荷物というのは命綱。最低限で、必要なものを持つのが当たり前。そこにお土産なんてものは不要でしかない。
腕飾りには、旅の無事の願いを込めた。それこそ、糸1本1本に。それでもこれはファルべの自己満足にすぎない。
空気に触れている片方の目が、罪悪感に彷徨う。そんな視界に、薄青い手が腕飾りと一緒に差し出された。返すのか。そう思った直後、頭に言葉が並ぶ。
『着けてほしい』
「えっ? あ、あぁ」
腕を酷使しても取れないよう、細かな金具を2、3個掛け合わせる必要がある。そもそもルルは、通話石以外のアクセサリーを付けた事がないから、分からなかったのだ。
『これ、水に触れても、平気?』
「うん、水に強い石だから」
『そう』
ルルは手首に巻かれた新鮮な重みに、どこか満足気だった。
『旅に出る時、剣と宝石と、カバンだけだった』
ルルは目が見えない。そんな彼にとって、嗜好品はただの気配の塊でしかなかった。だから人との交流を好み、本にするのだ。しかしルルがこの腕飾りを外す事は無いだろう。これは、ファルべの思い自体だから。
ルルはアウィンとファルべに飾りを見せながら『似合う?』と尋ねる。アウィンはクスクス笑って頷くと、自分のを手首に巻いた。
「ああ、ぴったりです」
「職業柄、触れたら、大体サイズが分かるんだ。あ、無意識だから、考えて測ってるわけじゃないよ」
「ふふ、ええ。ありがとうございます。これは……有り難く頂きます。旅の中で、心の支えになってくれるでしょう」
ファルべは嬉しそうに手首を飾る煌めきを触る2人に、ホッとしたように微笑んだ。この国の危機を救ってくれた2人には、もっと盛大な礼をしたい。本当だったらするべきなのだろう。しかしそれこそ必要ない。彼らにとっては、充分国のみんなの気持ちが伝わっているから。
2人にとって、アルティアルは旅のほんの一瞬の出来事にすぎない。それは儚くあっけない。しかしそれでいいのだ。それが旅人には必要なのだ。
用意した紅茶を飲み終え、ルルたちは椅子から立ち上がる。ファルべは見送りに腰を上げた。いつの間にかそれぞれの旅の話になって永遠に話題が出そうだが、そろそろお開きにしなければ。全員、芸術祭に向けた予定がある。そのために朝に予定を組み込んだのを、忘れてはいけない。
「それじゃあ、また」
「ええ、お互い励みましょう」
『楽しみにしてる』
明るくなった道を歩く2人を見送ったファルべは、改めて気合いを入れるように「よし!」と姿勢を正した。
リッテが泊まる宿に向かうアウィンと別れ、ルルはしばらく目的地を決めずに歩いていた。もちろんアルナイトの待つ工房へ向かうのだが、少し国を見て回りたかったのだ。
目的を決めずにと言ったが、足は不思議とルルを導くように迷いなく進んでいく。無意識に、辿っている音があった。平たい鉱石の地面から聞こえるものよも小さく、それでも聞き慣れない綺麗な音。いざなわれてたどり着いたのは、瓦礫が広がる国の壁。ここはまだ真新しい記憶、昨日ジオードを救った場所だ。
(どの声だろう。とても、小さい)
それでも鉱石の耳がハッキリ拾うのは、きっと聞いた事のない新鮮なものだからだろう。
ルルは大きく崩れた壁の一部を足場にし、音の根源を探した。まるでルルを呼ぶように鳴く石は、大きな瓦礫の間に挟まっていた。それは見知らぬ、灰色の鉱石。まるで星屑を中に閉じ込めたようにキラキラしている。
壁とは違う性質を持つ石だ。壁が崩れる時に巻き込まれて落ちたせいで、端のほうが崩れている。触ってみると、知っている感覚がした。
(なんだっけ……たしか、ここに来て、初めて知った)
アルナイトに教えてもらった。そうだ、これは絵の具となる鉱石の手触りにそっくりだ。アルナイトへのお土産にすれば、喜ぶだろうか。ルルはそれをカバンに入れ、工房へ向かった。
お久しぶりの更新となって申し訳ありません!小説が中々に不調でして……。
ルルが荷物を少なくしているのは、他者からの助けが必要になるからです。そうすれば必然的に人々と交流し、思い出が増えます。ファルベからの贈り物は、その思い出の一部です。
次回はアルナイトたちの工房へ。




