糸のない人形
リッテは少し疲労の混じる息を吐きながら、手元にある数枚の紙に視線を落としていた。紙は、アヴィダンが商談を持ちかけた人物名のリストだ。しかしさすが芸術の国と言うべきか、載っているリストはほとんどの国民だった。小国で、人数が少ないとしても、買った商品を丁寧に浄化して回るには、とても骨の折れる作業だ。
出だしが遅かったせいもあるが、ルルたちが5枚あるリストのうち3枚を達成させた頃には、もう夕方になっていた。
「ルル様、お体の具合はいかがですか?」
『僕は平気。リッテは、疲れた?』
「お恥ずかしい話ですが……」
ルルは素直に頷いたリッテに、口からふふっと笑った息を吐いた。石が材料となった画材は、不純物が強ければ穢れも強くなる。そのため個体差があるのだ。深く穢れた画材の浄化は、積極的にルルが行った。結構な数を短時間で浄化したのに、ルルにはまったく支障がないみたいだ。フードで隠れた横顔には、疲労の色が少しも見えない。
2人は、近くを通りかかった祭壇広場の中にあるベンチで、少し休憩する事にした。ルルはその間、リッテから貰ったもう1種類の紙を指でたどる。今読んでいるのは、リストではなくアヴィダンについての資料。経歴など、簡単に生涯をまとめたものだ。
彼と接触して、なんだか違和感を覚えた。全てが偽物のような、まるで実体を持たない煙のような感覚。その正体を知りたかった。そうでなければ、アヴィダンと名乗る彼を正しく捌けない。
『アヴィダン家は、元々、商人でありながら、旅人だったんだね』
「ええ、訪れた国で奴隷の売買をしていたようです。昔は許されていましたが、近年では奴隷をよしとする者が減った影響で、国に腰を据えたようです」
ルルの指が気になる単語を触った。紙の中には、アヴィダン家が売買に取り扱った物も記されている。全てではなく、高価で珍しい珍品が抜粋されている。薄青い指が止まったのは、その中の2つ。意識を惹いたのは【長寿の長耳属の目】と【ローズクオーツの目】。これらはずいぶんと、今のルルにとって既視感のある商品だ。
ふと1つの可能性が、一滴の雫のように思考に落ちる。
(……アヴィダンは、ファルベの目が無いのを、判断したんじゃない。元から、知っていた?)
ファルベの様子だと、初対面だったはず。この【ローズクオーツの目】がファルベのものであれば、代々語られた? いや、そんな簡単なものではない。ルルの本能が違うと囁いている。そうだ、そもそもファルベの名は記載されていないし、ローズクオーツの目を持つオリクトの民は他にも居る。それなのに、彼は知っているような口だった。
リッテは黙って考え込むルルに、どうしたのかと首をかしげている。すると近くで、キコキコという奇妙な音が聞こえた。木が擦れるような、少し耳障りだと感じる音。たどった先には、木製の人形。10代程度の子供と大差ない大きさだ。
見覚えがある。そういえば少し前、国を回っていた時にマリンの人形劇の中に居た個体だ。国の壁の向こうに消える太陽の光に糸が反射するのが見えるが、操り手は見当たらない。長距離でも操れるのだろうか。それにしては以前より動きが歪に見えた。彼が操ればまるで人間と見間違うほどなのに
人形は、ぎこちない動きで歩み寄ってくる。ルルは集中しているのか、球体関節が立てるギィギィという音に、珍しく気付いていない。ルルにとって友人と言ってもいい相手の所有物。リッテは何も口にせず、ガーネットの目で追うだけに止めた。
そんな鮮やかな深紅の全眼が、光の反射をとらえた。糸ではない。背中に隠された手の中に一瞬見えたそれは、ナイフ。
「ルル様……!」
「?!」
切先は素早くルルに振り上げられる。それと同時に、リッテは人形を突き飛ばした。ルルはそこでようやく、無機物な存在が目の前に迫っていたのに気付いた。気配には敏感だが、逡巡しているに加えて殺意の無い人形だ。視界からの情報が欠けている彼には、分が悪い。
しかしよく意識すれば、鼻をくすぐる嫌な宝石の匂いがする。
「ご無事ですか!」
『うん、大丈夫。ありがとう。ごめん、気づかなかった』
「いいえ、そのためのお付きですので」
『……マリンの、人形?』
「そのようです。ですが、あの青年がこのような事をするとは、思えません」
ルルは周囲を改めて見渡す。意図的にここに留まっている生き物の気配は、自分たち以外には無い。鉱石の耳を澄ませても、風の音に不自然な音は混ざっていない。
ルルはぴくりともしない人形を抱える。リッテが危険だと言ったが、きっともう動かないだろう。暗い緑色をした宝石の目玉が1つ飛び出し、砂利の上に転がっているから。糸は元々空中で途切れていて、どこにの繋がっていない。動いていたのは、おそらく目の石によってだろう。
ルルはまだ木の器に嵌っている目玉と、地面に転がる石を回収する。仮面越しに虹の目が、淀んだ色彩をする石をじっと見つめた。
『……予定を、変更しよう』
マリンが住む、ピンクローズへ行こう。嫌な予感がする。リッテの言う通り、マリンがイタズラにこんな事をするはずがない。何か、別の力が働いている。彼が店に居てくれて、話ができる状態であるのを祈りながら、2人は祭壇広場を足早に去った。
ピンクローズは、いつも以上に盛り上がっていた。しかしいい意味ではない。亭主のファルベを逃さないように店前を塞ぐ人集りは、全員憤りを見せている。ファルベはただ、彼らへ首を横に振る事しかできなかった。
「違う、彼じゃない……っ!」
大衆に囲まれる彼を守るいつもの騎士は、近くに居ないみたいだ。民衆は好きにファルベに怒号の槍を向ける。
「あの人形が、俺たちの作品を壊したんだ!」
「何日かかったと思ってるのっ?」
「芸術祭まで、残りもう無いんだぞ!」
「マリンを出せ!」
どうやら、普段マリンが使っている人形が多くの芸術家の作品を壊しているようだ。当人に説明させろという主張に、ファルベは残っている左目を逸らす。彼は帰ってきていない。ジオードにお守りを渡しに行ってから、まだ姿を見せていなかった。
ファルベを押し除けて店や部屋を探し回っても、マリンの姿は無い。彼はやっていない。しかし証拠はなかった。やがて民衆の怒りは、ファルベに向けられ出す。
シャラシャラと綺麗な音が聞こえてきた。それは鉱石の音に近く、音に引き寄せられたファルベは、顔を青ざめる。持ち出されたのは、宝石の糸で丁寧に作られた美しい衣装。芸術祭へ完成間近の、ファルベの作品だ。
「俺たちの作品が壊されたんだ。壊した本人が居ないなら、恋人のお前が償うのが筋だろ」
「そうだな、恨むならマリンを恨めよ」
「そんな……!」
みんなそれに賛成した。ファルベは止める術を持たない。作品を作る者同士、彼らの怒りが分かるからだ。しかしマリンのせいではない。彼はそんな事をしない。だがその主張は、ただの身内だからという言葉で押しつぶされてしまう。
男の手が、宝石の糸で頑丈な服にナイフを突き立てる。
『ダメ』
「!」
たったひと言が、その場に居る全員の頭に強く響いた。衣装を持っていた手が、不自然に震えてナイフと一緒に手放す。頭に目眩を覚えるほどの恐怖を感じて、手元が狂った。
声の主を探し、皆が後ろを向く。人集りを後ろから静かに見ていたルルとリッテの姿があった。
『それは、ダメだ。永遠に後悔する』
少女のような華奢な足を包む、新しい靴の踵がコツンコツンと音を鳴らす。人集りはまるで音に怯えるように、ルルたちに道を開けた。
「ル、ルル、リッテ……。すまない、こんな所を」
「まったく……1人を寄ってたかって。ずいぶんと芸術家殿たちは野蛮だな?」
リッテは鼻を鳴らし、呆れた様子で民衆を見ながら、地面に膝をついていたファルベに手を差し伸べる。リッテにとって、ファルベは同胞。それも同じ、人間の血を飲んだ者同士だ。それだけで、彼が血を捧げた相手が、そんな軽率な真似はしないと信じている。
ルルは地面に捨てられた衣装を拾い、付着した土ぼこりを軽く払う。丁寧にたたみ、立ち上がったファルベに渡す。
『少し、話を聞いた。作品を、壊された人には、同情する。けれど、ファルベの……同士の作品を、壊していいわけでは、ない。それとも貴方は、他人の作品を壊した手で、自分の作品を、作るの?』
仮面越しに目を見つめられた男は、うっと肩を跳ねさせると、自分の行動を思い出すように両手を見つめた。彼は顔を歪め、悔しそうに拳を地面に叩きつける。
『そもそも……犯人を探して、どうするの? そんな余裕なんて、無いはずだけど』
「ルル様、それ以上は」
芸術は時間も精神も削る。それを壊されたのだから、怒りを感じるのはもっともだ。しかし、だからと言って怒りに身を任せても、時間も作品も戻るわけでもない。ルルにとっては無駄な時間。しかし人と言うのは怒りの感情に飲まれやすい。いまいちその感性を理解できないルルの言葉は、それ以上に煽るものだ。
珍しくリッテが言葉を止めさせ、ルルは不思議そうにする。
「俺らは犯人探しなんてしてない。最初からマリンの仕業だって分かってる」
『動機は?』
「ファルベに最優秀賞を取らせるためだろ?」
『貴方たちは、彼をよく、知っているはず。彼は、そんな卑怯な人?』
彼らの様子を見て、いつもより気が立っているのが分かる。それは作品を壊された怒りもあるだろうが、冷静さが欠けているのは、国石やアヴィダンから買った道具の影響もあるだろう。しかしルルの問いに言葉を詰まらせているのを見ると、これまで穢れの侵食されていた者たちよりも多少話が通じる。芸術家というのは、少なからず他よりも我が強いのだ。
マリンはファルベを心から愛している。それは国民全員が知っている事実。しかし作品に関しては平等だ。普段軽い性格をしているが、芯のある男でもある。そもそもファルベが最も望むのは、最優秀賞という肩書きではなく、衣装そのもの。それを知っているのに、こんな行動に出るだろうか。
「……それに、アイツは人形も自分の子供のように、愛してた」
誰かが小さくそう言ったのを否定する罵声は無かった。そんな愛している人形に、こんな芸術家として泥を塗るような事をさせるだろうか。
『犯人は、別。その証拠に、人形を操っていたのは、糸ではなく宝石だ』
ルルは回収した目と、リッテに抱えて来てもらった人形を見せる。両手足についた糸は、途中で風に揺らいでいる。
人集りが、ひときわざわついた。そういえば作品を襲った人形も、糸が中途半端に途切れていた。しばらくして隣同士のざわつきは消え、全員の視線がルルへ向けられる。そこには、今まであった興奮やぎらつきは無かった。
「なぁあんた、ただの旅人じゃないんだろ? 俺たち協力する」
「ああ。言われた通り犯人探しの余裕はないが、1発殴らないと気が治らないしな」
「それに、マリンが無事かどうかも知りたいわ」
「俺らは何をすればいい?」
ルルは驚いて、仮面下の目をパチクリさせた。まさか目を見せる前の、ただの旅人という立場でこんな信頼を得られるなんて。様々な思考を持つ者たちの考えは面白い。ルルはふふっと笑ったような息を吐き、宣言した。
『犯人を捕まえるのは、僕らがやる。みんなは作品を、少しでも進めて。とても、楽しみにしていたから。それから、アヴィダンから、買い付けた道具と、国石を僕に預けて。みんなには新しい、お守りをあげる。そして明後日、祭壇広場に来て』
もとよりリストにあった全員分のお守りとなる、新たなラピスラズリは作ってある。皆はそれに同意して、ルルから一つ一つお守りを受け取った。そして最後、ファルベに乱暴して悪かったと謝罪して帰っていった。
「2人とも、ありがとう」
『本当の事を、言っただけ』
「けれど、犯人を明後日までに見つけるのは……難しいんじゃ」
『目星はついてる。もう少し知りたいの。だから、ファルベに聞きたい事がある』
「私に?」
『貴方の目を、取った人について。もしかすれば彼は、生きているかもしれない』
ファルベはもう無い右目が痛むのを感じた。まさかと、本能が心臓を掻き鳴らす。恐怖と痛みを抑えるように、右目の眼帯に手を添え、ルルに頷いた。
ご愛読ありがとうございます!
ここで、アヴィダン家に関するものが出てきました。彼の正体はまもなく判明します。
国民たちは、国宝の穢れの影響も受けています。しかし今までよりも、そこまで我を忘れている人は少ないですね。アヴィダンもきっと、これは想定外だったでしょう。
ところでみなさん、熱中症などにはなっていませんか? 作者は汗をかきにくく、体内に熱を溜め込みやすいのでぐったりです。早く……秋……。




