柱の塔
濡れた布が、微かに埃が見える木肌の上を滑って、本来の清楚さをテーブルが取り戻す。ルルには見えはしないが、拭いた場所がツルツルになった感覚は楽しめていた。
ルルは1人留守番をしながら、部屋の掃除を自主的に行なっているのだ。彼にとってはこれも退屈を紛らわす遊びの様なもの。もし喉が音を出すのならば、陽気な鼻歌でも歌っていただろう。
やがて掃除も終わり、何もしない時間が訪れた。自分の呼吸と壁掛け時計の音が子守唄の様に響き、少し眠くなってくる。
(クゥ、早く帰って、来ないかな……)
独り言ちながら、綺麗に拭いたテーブルの上に腕を枕にして頭を預けた。
ああ、このままでは本当に眠ってしまう。けれど心は全く眠くないため、意識を闇には沈めたくなかった。だって、もったいないじゃないか。
(見えるって、どんな感じなんだろう)
やる事が無くなって考えるのは、いつもそんな事だった。試しに、テーブルの中心に置いた籠に手を伸ばす。薄い皮を纏った真っ赤なプルーナという果実が指先に当たり、片手サイズのそれを手繰り寄せた。多少歪だが、丸い形は手の平によくフィットする。
ルルはプルーナの特徴を手先だけを頼りに、頭へ刻む。しばらくクルクルと回し、籠の隣にある皿を引き寄せて真ん中に置いた。
(一個だけだと……描くの、簡単すぎる)
彼は目を閉ざし、ぎゅっと手を握って拳を作った。心音に耳を済ませ、呼吸のリズムを合わせる。徐々に息が浅くなった頃、握った手の中に熱が篭るのを感じた。同時、拳を開くとテーブルにコツンコツンと何かがこぼれ落ちる。
何も無かった手の平から落ちてきたのは、種類の問わない小粒の宝石だった。
(前より、沢山作れた)
ルルは満足そうにそれを広い、プルーナの周りに飾る。それからペンを持ち、紙に描き始めた。
オリクトの民は文字通り、自分の手から宝石を生み出す事が出来る。純度は僅かに落ちるが、商人に見せればそれなりの値段は付けられる宝石だ。今はコントロールが出来ないが、訓練をすれば自在に望んだ宝石を生み出せるそうだ。
過去、彼らはこの力を使って人間と交易など、それなりに良い交流をしていたらしいが、人間の欲深さに浸食されてしまったという。
手が止まると、紙面には立体的なプルーナと宝石が現れた。その出来栄えは、初めてクーゥカラットを描いた頃よりも精巧だが、作者の顔はあまり嬉しそうではない。
(……つまらないや)
滅多にしない溜息を吐いてから、再びプルーナに手を伸ばして今度は齧った。薄い皮がパリッと砕かれ、中から蜜が溢れ出す。果肉から逃げた蜜は手の平を滑り落ちて腕を伝い、ルルはそれを咄嗟に舌で掬いとった。
(あ……お行儀、悪い)
誰も見てはいないが恥ずかしそうに、少し慌てて手拭きで口元を拭った。
その時、チクリとした小さな痛みを頭の奥で感じ、ルルはハッとして背筋を伸ばした。その直後、予想していた声が脳内に響く。
--ルル、家に居るかい?
『うん、クリスタ。お留守番してる。どうしたの?』
--少し出掛けないか? 楽しい事の準備をしよう。
『楽しい事?』
--ああ。詳しくは外に出て、直接会って話そう。
愉快そうなクリスタの声を最後に、テレパスは途絶えた。
ルルは彼の様子にどこへ行くのか、何の準備をするのかと楽しそうに想像しながらマントを羽織る。仮面を着けてから目深にフードをかぶり、玄関へ行くと外から馬が駆ける音が聞こえて来た。
その音はやがて家の前で止まり、ルルはそっと扉を開ける。冬の鋭い冷気が、それまで暖かい部屋に居た肌を突いた。
「ルル」
クリスタの呼ぶ声が聞こえたと同時、彼の馬がルルの頬に頭を擦り付けてきた。ルルはそれに応えて優しく頭を撫でる。
「まずは乗ってくれ」
差し伸べられた彼の手を、まだ理由も知らないまま取ると引き上げられる。跨ったルルは落ちないようにクリスタの腰に腕を回した。
クリスタの掛け声を合図に、馬は林の外へ走り出した。
『どうしたの?』
「実はな、今日はクーゥカラットの誕生日なんだよ」
『そうなの? 初めて知った』
「ああ。今は落ち着いていても暗殺の事もあったし、最近はお互いに仕事漬けだったのもあったからね。今までだってするとしても、テレパスで簡単に祝いの言葉を伝えるくらいだった。でも……ちょうど休みを取れたから思い付いたんだ。ルルと一緒に盛大に祝えればってね。だから、プレゼントを選んでほしいんだよ」
『そうだったんだ。でも、どうして今まで……教えて、くれなかったの? 僕も、お祝いしたかった……』
「あはは……歳を重ねると、少し照れくさくてね。お互いにいい大人だしな」
『クリスタも?』
「そ、そりゃあね。まぁでも、今まで直接祝わなかった分、今回のサプライズは驚くぞ。たまには、アイツの驚きながら喜ぶ顔も見たいからな」
ルルはそう言ったクリスタの弾んだ声に、彼の後ろ姿を見上げて頬を緩める。
きっと今実際に、友の驚いて戸惑う顔を想像しているのだろう。普段冷静なクリスタの楽しそうな顔を見れないのが残念だ。
『クリスタは、クゥが大好きだね』
クリスタはルルの言葉に肩を小さく跳ねさせた。親友である相手をどう思っているのかは自分が1番分かっているが、それを改めて客観的に言われると小っ恥ずかしい。
「そ、それは友人として当然で……。あ~、今のはクーゥカラットには内緒だからな? 私が恥ずかしくなってくる」
『ん、分かってるよ。でも、終わったあとに……言おうかな』
「おいおい、勘弁してくれよルル?」
笑ってチラリと目だけで振り返ると、ルルも可笑しそうに「ふふっ」と息を零している。
『冗談だよ。でも僕、クリスタの誕生日も、お祝いしたいな』
「はは、照れくさいけど嬉しいな。私はクーゥカラットと逆で、暖かい時期なんだ」
『じゃあ、もう過ぎてる……』
「来年楽しみにするよ」
『うん、そうだね。あれ? でもそれ……サプライズって、言うのかな』
「はははっ確かにな」
それからしばらく、馬の走る音を体で受け止めていたルルは、どこからか、キィンと小さな甲高い音を聞いた。しかしその音は外からではなく頭の奥で聞こえ、まるで体が引き寄せられる様な音だった。
ふわりと宝石の香りが彼の鼻をくすぐる。それは仄かなものではなく、とても強い香りだ。
『待って』
クリスタはルルの声に慌てて馬の手綱を引き、足を止めさせた。馬車も通る道の中央だったため、クリスタはルルに振り返りながらも馬を道端まで誘導する。
「どうした? 何か忘れたかい?」
『ううん……何か、ある?』
「え?」
『近くに、宝石が。ただの宝石じゃ、なくて……何か、特別な』
クリスタはその言葉に自然と視線を向けた場所があった。それは五大柱であるが故に、仕事場として訪れる建物だった。
その窓が1つも無い建物はまるで、ツノの様に天に伸びて雲すらも突き抜けている。空から見下ろしても国の中心としてよく目立った。
「……ある。目の前に建物があるのが分かるか? 柱の塔と皆が呼ぶんだ」
『うん、そこの下から』
「ルルが言った通り、宝石がある。それも特別なね。せっかくだ、行こうか」
『入れるの?』
「ああ、一緒なら平気だ。でもクーゥカラットも居るから、バレないようにな」
『ん、ありがとう』
塔の側に用意されている馬小屋に馬を待たせ、2人は周囲にバレないよう、気を付けながら中へ足を踏み入れた。




