セルウスショーの責任者
三階はシンプルな部屋だった。所々に商売道具であろう布の他、マリンが使う人形もあるが、丁寧に飾られていて物の多さが気にならない。ファルべが綺麗好きなのだ。そしてベッドがロフト式になっていて、窮屈さも感じない。家が縦に長い設計となっているアルティアルでは、この形式が一般的だった。
ファルべは急いで椅子を二脚、物入れ部屋から引っ張り出してくると、マリンと自分が普段から使っている椅子の隣に置いた。
「マリン殿もここで暮らしているのですか?」
「ああ、この家を建てた時からな。座って楽にしていてくれ。お茶を淹れてくるから」
リッテは目の前に座ったルルをじっと見つめる。彼は仮面越しでも、部屋の中を興味深そうにキョロキョロしていた。しかし改めて見ても厳重な装備だ。夜なんて影に紛れて、すぐには見つけられなさそうだ。ここまで身を隠す同胞を見るのは、宝石狩りが盛んだった数百年前以来だろう。
視線に気付き、仮面がこちらを向いた。首をかしげられてリッテはハッとする。
「……着込みすぎじゃないか?」
『そうかな?』
「この国は、比較的オリクトの民に対して好意的だ。そこまで隠す必要はないぞ」
『そうだね。でもこの格好は、危険か安全かはあんまり、関係ないの。あ、だけどこの部屋では、脱ぐつもり』
含みのある言葉にリッテの赤い全眼はシワを濃くさせる。事情を知っていると分かるアウィンに視線を向けるが、彼はただ目を閉じるだけで何も言わなかった。
「待たせてすまない……大丈夫か?」
お盆を持って戻ったファルべが二言目にそう言うのも無理ない。未だ警戒するリッテと、そんな彼の視線を梅雨ほど気にしないルル。そして彼の警戒する棘に慣れきっているアウィンは、涼しげにしていた。
なんとも言えない、不安定な空気だ。せっかく同胞が集まったというのに、晴れやかな気でいるのは自分だけだろうか。そんな空気を取り払うように、それぞれの目の前にティーカップを置く。
「ミルクは好きに使ってくれ」
ルルは言葉に甘えると中心に置かれたポットを引き寄せ、赤い色をした紅茶に注ぐ。真っ白なミルクが煙のように混ざって、紅茶は可愛らしい桃色になった。
「ルルは、私に用があったらしいけれど」
『うん。オリクトの民と、話がしたかったんだ。世界の王について』
ファルべとリッテは驚いて顔を見合わせる。次の一瞬で、二人の目は疑いと警戒の色をルルへ見せた。対称的に、ルル本人はゆっくりとした動きでフードを脱いだ。耳の鉱石に、ファルべたちの目は今度は驚愕に見開かれる。
だが次いで取り外された仮面の下。少女のように長いまつ毛が上がった時、ピンクと赤の宝石の目は、零れ落ちそうなほど大きくなった。二人とも絶句している。ようやく自由になった虹の目が、どうしたのかとパチクリした。
固まった二人は、油を切らした人形のように歪な動きでアウィンを見る。そんな様子に思わず笑いながらも、彼は頷いて応える。すると、リッテたちが言葉を発するよりも先に、頭の中に静かな音が綴られる。
『この事は内緒。あと僕を、王とは呼ばないで。敬う必要もない。ルルと呼んで』
「だけど」
「……、……」
『ダメ?』
ルルは小首をかしげながら、上目遣いに二人を見る。僅かに潤んで見えるのは気のせいだろうか。ファルべとリッテはその仕草に、喉元まで出かけていた言葉を思わず胃へ落とした。
ため込んだ息を大きく吐き出すファルべと違い、リッテはアウィンを睨む。黙っていた事を根に持っているのだ。しかしアウィンは相変わらずの表情で、優雅に紅茶を嗜んでいる。彼はルルを一人の存在として行動を尊重していた。だからいくら親友であっても、ルルより先に正体を言う事はしない。
ファルべはそんな二人の空気を少しでも宥めようと、なんとか口を開いた。
「貴方が望むなら、今まで通り接するよ」
『ありがとう』
「……それで、聞きたいというのは?」
『二人が、知っている情報を、聞きたいの。昔の事、覚えてないから』
ルルは過去に奴隷だった事、そしてそれ以前の記憶もなく、自分がオリクトの民であると知ったのは人に買われた時であるのを語った。
それを知ったファルべは驚きのあまり唖然とし、リッテは不愉快そうに顔を歪めた。
「騎士は一体何をしているんだ……? 人間の手に渡らせるなんて」
「リッテ」
「オリクトの民を手にする人間など、皆同じだ。どうせその人間だって──」
「リッテ、それ以上はやめなさい」
リッテも見た目は若くとも、数百とこの世を生きている。奴隷であった時期はないが、それなりに人間に対して敵対する理由はあった。自分や家族には心を開いてくれているが、他の人間にはまだ厳しい目で見ている。
しかし止めるアウィンを切り捨てるようにしたリッテの言葉は、それ以上続かなかった。ルルの虹の目が、氷のような冷たさで見つめていたから。その確かな嫌悪には、他の二人も気付いている。アウィンは慌てたようにルルへ弁解した。
「ルル、友が申し訳ありません。決して彼を非難しているわけでは」
『分かってる。でも、訂正はしてほしい。たとえばリッテ、貴方は人間が、嫌いなようだけど……そんな人間に、足を渡したね?』
リッテはそれにうっと言葉を詰まらせた。ルルは彼の言葉が、自分を思っての事であるのを理解している。だが、だからこそ訂正を求めた。同じように、人間に愛を思うからこそ。
『人間は、愚かな人が多い。だからと言って、貴方はアウィンも、そうだと言われて、いいの? 何も知らない人物に、彼が人間だから……ただそれだけで、彼を判断されて、構わないの?』
彼の答えは、聞かなくとも分かりきっていた。それでも尋ねるのは、今ムキになっているからだ。こう言えば、アウィンが疎まれ、喉を潰された時の記憶がリッテに甦るだろうと、あえて言葉を続けていた。
やがて彼は、ルルの予想通りに記憶を見ているかのように顔を歪め、深く頭を下げた。
「……軽率でした。申し訳ありません」
『いいよ。僕も嫌な事言って、ごめんね。でも、敬語』
「この方が話しやすいのです。ご容赦を」
『じゃあ、ルルと呼んで。この名前、とても大切なの』
リッテはその要求には意外にもあっさり頷いた。二人の様子に、ファルベとアウィンはようやくホッと胸を撫で下ろす。一触即発の雰囲気に、生きた心地がしなかった。しかしそれもつかの間、リッテは顔を厳しくしかめ、独り言のようにボソリと呟く。
「騎士は一体、何をしているんだ」
憤りの混ざる疑問には、ファルベも同意見のようで、難しそうに腕組みをして頷く。
オリクトの民にとって、二対の騎士とは世界の王の後ろに居るべき存在。ルルがたった一人、そして避けるべき人間の環境で育ったというのは、本人が思うより大きな問題だ。
騎士が世界の王を守るのは、生き物が生きようとするのと同じ本能。脳ではなく魂に刻まれた使命から、運命には背けない。そもそもルルは百年も生きていない。本来なら、まだ騎士が世話をしている時期。そう考えると、何か外部が介入している可能性が高かった。
ルルがセルウスショーに居たのも、おそらく偶然ではない。
「セルウスショーか……」
ファルベの呟いた声の中には、疑問の色よりも自分の記憶に問いかけているようなものが強い。
紅茶に落とされた桃色をした片目は、水面に過去を映し出しているようだった。やがてスッと視線が上げられたが、何も言わずに頭を傾げる。喉までやって来た言葉に自信が無いのだ。しかし何かあるなら言えと、リッテからの視線が痛い。
「……実は、私も数十年前、この国に来る前までは奴隷だったんだ。その時、少し気になる話を聞いた事がある」
あまり思い出したくはない記憶。振り返れば、取られた右目の器が痛みを越した熱を帯びる。それでも、少しでもルルにとって助けとなるならば、話すべきだ。そうやって鼓舞するように、ファルベは深く呼吸をする。
「もう二十年以上は前だが、セルウスショーの責任者が変わったんだ」
セルウスショーは、奴隷市場がある国では有名な奴隷ショー。高品質な奴隷をアヴァール国に集め、開催される。だから各国の奴隷市場で名前が出るのは珍しくない。しかし、ファルベの記憶はその話を脳の奥に刻んでいた。それは、責任者の正体が耳を疑う存在だったから。
「……責任者は、オリクトの民だと」
奴隷制度は人間が独自に作ったものであり、他種族は狩られる側だ。調教師も奴隷商人も人間である事がほとんど。ましてやオリクトの民は、宝石狩りと名が付けられるほどの獲物対象だ。
「その時は聞き間違いかと思っていたが、そうじゃないかもしれない。もし同族が絡んでいれば、同じオリクトの民である世界の王に手を出すのは……簡単じゃないけれど、不可能ではない」
「そんな馬鹿な事をする同胞がいると? 理由はなんだ?」
「…………恨んでいるんじゃないか?」
「なに?」
「……私は奴隷だった時、こんな世界を産んで、わざわざ人間の目に留まりやすいような種族を作り出した神を恨んだ事がある」
気まずそうに視線を逸らすファルベに、リッテはぐっと言葉を飲み込んだ。不条理な地獄を味わった彼には、確かに世界を恨む権利がある。
「すまないルル……こんな事を、本人の前で」
『ううん。僕のために、思い出してくれて、ありがとう。それにいい情報を、貰えたよ』
奴隷だった頃、ルルには聴覚がなかった。そんな彼にとっては少なくても、たとえ不確かでも有力な情報だ。辛い時期を思い出してまで語ってくれた情報を、無駄にはしない。
下の階に繋がる階段から、トントントンと足音が聞こえて来た。音につられるように、ルルは外していた仮面を付け直す。その後すぐ、店番をしていたマリンが顔を見せた。
「やあみんな、談笑中失礼するよ。そろそろ足元が暗くなるから、お開きにした方がいいかなと思うんだけど、どうかな?」
すっかり存在を忘れていた時計を見れば、もう夕刻だ。夜の道は鉱石のおかげで明るいとは言え、土地勘のない者は太陽が恋しくなるだろう。
太陽が出ている今のうちにと、三人はマリンとファルベに見送られた。すると、家路を踏んだルルの背中に続いたアウィンが立ち止まる。
「ルル、先に帰っていてくれますか? 少々リッテと話がしたくて。夜までには戻ります」
『分かった。ご飯簡単に、作っておくね』
「ありがとうございます。またあとで」
手を振ったルルに小さく振り返し、アウィンは急足に宿へ帰るリッテの後ろを追った。彼は気づいているようだが、アウィンに何も言わない。太陽が半分以上隠れた頃、宿として借りている家にたどり着いた。そこで、リッテはようやく振り返る。
「どうして追って来る」
「お前がらしくない事をするからです」
「……」
「話をしましょう。昔のように、紅茶を飲みながら」
二人は長く共に居る。仕事も私生活でも、自然に隣にいた。だからこそ、お互いに考えている事はいやでも分かる。リッテは少し眉根を下げて微笑むアウィンに負けたのか、ため息をつくと、肩を並べてドアをくぐった。
ご愛読ありがとうございます。更新遅れて申し訳ありません……!
ちょっとずつ、世界の王に関する事が出てきます。ルルが人間社会にいるというのは、下手をすれば世界にとって破壊をもたらすもの。クーゥカラットが買ったから、たまたま良いように行っただけです。
あと一つ、疑問が出ます。セルウスショーの責任者が本当にオリクトの民なら、どうしてその上に立っていたはずのクーゥカラットはオリクトの民を知らなかったのでしょうか?
さて上の問題はまだまだ先です。今は、アウィンが友のおかしな様子に気付いたようです。次回をお楽しみに!




