表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石少年の旅記録(8日更新)  作者: 小枝 唯
【宝石少年と霧の国】
160/217

また、気まぐれで

 体の感覚が戻ってまず、口の中に液体が入ってくる感覚を覚えた。鉄臭く、体が拒絶するのを感じるが、何故か舌は甘さも感じている。

 アパティアはそんな不可思議な感覚に、恐る恐る目を開く。降り注ぐ光のせいで、世界が白く見える。眩しさに目を細めながらも、なんとか瞬きをして視力を取り戻した。


『目が覚めた?』

「!」


 感情の無い、穏やかな声。殺意や嫌悪も感じないのに、何故か恐ろしいと錯覚した。

 声の通り、ルルが少し遠くで立っていた。後ろにはアウィンとオリクトの民の子供も居る。


「こ、こは……? 私は」


 疑問は他者へ投げたものではなく、混乱を落ち着かせるため自分に呟いた言葉だった。

 状況を把握できない。辿った記憶では、確かに腹を貫かれたはず。夢ではない。突然の事だったが、痛みだって鮮明に覚えているんだ。それなのに今は嘘のように痛みがない。あるのは多少の体の重み。

 手で腹を触ってみる。ここには穴が空いていると思ったのに、傷跡すらない。

 一体何が起こったのか。ルルを見ると、その手が赤くなっているのに気付く。その赤を見ただけで、アパティアは口の中の鉄臭さを理解した。


「な、何故私に血を……?」

『まだ、終わってないから』

「え?」

『あんな一瞬で、眠ってしまってはダメ』


 アパティアの顔がさあっと青ざめる。この口に広がる、拒絶を感じながらも甘美に思える血は、世界の王の血。それが傷を治し、絶命から救ったのだ。しかしその理由は慈悲なんかではない。まだ裁きを終えていなかったからという、残酷な理由。

 アパティアが死んでいたら、そのまま手は出せない。しかしあくまで瀕死状態だった。あのままだったら、きっとそのうち眠るように死ぬ。だがそんな楽な死を許していい相手ではない。だからルルは、試しに自分の手をナイフで傷付け、血を与えてみた。以前の国で、治癒力が高いという記録を読んだから。

 血が彼女の口に入って数秒。ぱっくり開いた傷口が、縫われるように塞がっていった。そして死人の色をしていた肌にも血の気が戻り、穏やかな寝顔に変わった。


「も、もう一度私を殺すの?」

『言ったでしょう? そんな楽な最後に、させないと』


 どこまでも淡々とした頭に綴られる言葉が不気味だ。この場で殺す以外、一体どんな制裁が待っているのだろう。今までやる側だった彼女には、到底想像できない。

 ルルは視野を広げさせるように、両手を広げた。


『貴女は、知らないといけない、事がある。だから木に、部屋を作ってもらった』


 促されるように、アパティアは周囲を見渡す。確かに、記憶に残っている緑豊かな地下ではない。そこで彼女は足元の感覚に気付いた。

 足が動かない。体を見下ろし、その光景に短い悲鳴が漏れた。


「な、な、何よこれ!」


 足に何重も根が巻きついているだけではなく、そのうち細い数本が皮膚の下を通っていた。根と体が、完全に一体化している。


『新しくなった木には、栄養が必要なの』


 それも莫大な栄養が必要だ。新たな国宝を守る力を安定させるまでの間、下手をすれば全ての生命から栄養を奪うだろう。だからルルは、代わりを用意した。それがアパティア。もちろん彼女も本来ただの人間だ。一日と持たず枯れる。

 だがそれは、彼女がそのままだった場合。今、アパティアの体には世界の王の血が流れている。人間の器に収まるには大きすぎる血が。


『きっと、数百年は持つよ』


 つまり、数百年は栄養になれという事。彼女が望んだ世界の王の血。その作用は、使い用によって残酷を生む。


『搾取される側を、知るといい』


 これが罰。搾取する側であると安心しきり、自然を蔑ろにした彼女への罰だ。嫌った物の命の栄養源となる。殺そうとした物を生かすために生きるのだ。

 アパティアの呼吸が徐々に浅くなる。事の重大さを理解した。もう、死ぬまでここで一人、この土地のために生きて枯れる定め。そんな屈辱は耐えられない。


「許して! 世界の王よ、慈悲をください! 謝るわ、だから」

『謝る?』

「え、ええ、全員へ頭を垂れる!」

『誰に?』

「えっ?」

『貴女の枯らした植物も、水の妖精の母も、貴女が使った者……全員、もう、居ないのに?』


 アパティアは歪な笑顔を引き攣らせる。

 彼女はすでに、赦しを与えてもらう機会を失っているのだ。他の誰でもない、自身の手で。


『さようなら、アパティア』

「待って、嫌、イヤ──」


 ルルはつんざく絶叫に構わず、背中を向ける。アウィンは子供の耳を塞ぎながら、驚いたように彼を見ていた。虹の目はもう幼く、キョトンと首をかしげてきた。

 彼がこんな罰を思い付くなんて想像していなかった。さらに罪を課したあと、何事もなかったようにできるなんて。


『行こう?』

「あ、ええ」


 根を撫でるとゆっくりと扉が開き、三人はそこへ飛び込んだ。消える背中を見つめるアパティアの目から、絶え間なく涙が溢れる。根に落ちるそれすら、今は栄養となった。


~ ** ~ ** ~


 眩しい光に包まれてしばらく。目蓋越しに感じていた痛みが消え、アウィンは恐る恐る目を開いた。反動で白くぼやける視界を擦り、なんとか視力を取り戻す。


「ここは……?」


 立っていたのは、草原を乱雑に狩って出来上がった道。地平線すら見えるほど開けた世界は、数日ぶりに見る。

 そこは外だった。森の、イリュジオンの外だ。一体どうして外なのか、訳がわからず慌てて辺りを見る。そんな彼の手に、華奢な指が絡んだ。


『アウィン、大丈夫?』

「ルル、ご無事で! しかし、何故二人ともここに?」


 一緒に居た子供までいない。まるで追い出されたような──。


『もう僕らは、部外者なんだ』


 そういうルルの声色は、言葉とは裏腹に可笑しそうだった。唖然としたアウィンも、理解したのか小さく笑う。

 確かに、もう国宝を新しくした。だからもう自分たちは必要なくなった。はやく他の国宝を助けに行けという事だろう。素直というか、正直すぎる。アンブルたちへ礼や別れを言いたかった。まあしかし、迷わせない辺りは親切と言えるだろうか。

 ルルは紺色の本を取り出し、白紙のページに何かを書くと、催促するようにアウィンを見る。彼はクスリと微笑むと、ガラスペンを借りて短く言葉を記した。

 満足そうにしたルルは、それを剥がして森の出口に置いた。


『さようなら。また、会える時まで』


 それだけ言って、ルルは待っているアウィンの手を握る。そして最後、二人で森へ大きく手を振り、旅路を歩き出した。


~ ** ~ ** ~


 眩しい輝きが、焼け焦げた大木から放たれる。水辺に避難したアンブルたちはそれを見て、国宝の終わりを理解した。

 光が終わり、騒めく住人たち。不安そうに身を寄せたアガットの肩に、アンブルは優しく手を回す。


「大丈夫だ。坊やたちを信じて待とう」


 そう言いつつ、心臓が胸を破って出てきそうなくらい跳ね続ける。全てが焼け落ちたそこをじっと見つめ、とある変化が起こった。

 黒に、新緑が見えた。それは小さな木の芽。途端に地面を震わせ、それは見上げるほどの大木へ成長する。大木はただ驚いて見上げる住人の中、アンブルへ枝を伸ばした。枝先の蕾が小さく震えてポンと開く。

 白い花の中、まるで海底のような深い青い石があった。それはアズライト。成長を意味する石。新たな国宝だ。


「ああ……あの子たちはやったんだ」


 その瞬間、花が咲き乱れる。それに触発されるように、住人たちは勝利と喜びの叫びを上げた。


「ルルさんたちは?」

「二人は無事なのか……?」


 コーディエとジプスは不安そうに大木に尋ねる。木は枝で頷いた。しかし、それならどうして姿を見せないのか。


「まさか、もう外に返したんじゃないだろうね?」


 肯定した木に、アガットたちは残念そうな声を上げた。アンブルも仕方なさそうに頭を振る。礼も言わせてくれないなんて、せっかちにも程がある。


「……なら、どうして俺は、まだここに?」


 ジプスたちの後ろから、コーパルが前へ出る。治療したとは言え、片腕と右目を失った姿は痛々しい。まだ体力も戻っていないのか、喋る声も少し掠れている。立つのもやっとで、木は慌てたように枝を作ると彼に持たせた。


「お前はどうやら、部外者じゃないみたいだよ」


 木にはきっと、全てバレている。自然に人間が隠し事なんてできないのだ。


「でも、俺は……」


 自分は直接手を汚さないまでも、様々な悪事に加担している。それなのに会いたかった人の元でぬくぬくと生活するには、なんとも甘すぎる気がするのだ。

 後ろめたさに下がった顔を上げさせるように、アンブルの手が頬を撫でる。


「罪は、一緒に償おう。お前を諦めて、一人にした私にだって罪はあるんだ」

「ああ──母さん」


 コーパルは昔よりも皺のある優しいその手に、まだ残っている自分の手を重ねて頷いた。


 コーディエとジプス、アガットの背中を、木が遠慮気味にツンツンと突いた。振り返った先にある低木が、ガサガサと音を立てる。動物かと思って見れば、見知らぬ子供がひょこっと顔を見せた。淡い紫の肌は、ルルを思い出させる。


「もしかして、オリクトの民の子供?」

「まあ、どうしてイリュジオンに?」


 子供は木に連れられて三人の前に歩いてきた。少し怯えているのか、木の蔓をぎゅっと抱きしめている。どう見ても懐いているのが分かる。


「まさか、今までずっと匿っていたのか?」


 疑わしそうなコーディエの言葉に、木は大きく枝を縦に振って見せた。国宝の在処を言わない理由がこれだったなんて、誰が予想できるだろう。

 今までは国宝の力で、食事をせず子供は生きられた。しかし新しくなった今、解放された子供を木だけでは育てられない。植物以外の育て方を木は知らないから。

 ジプスとアガットの手首に、何かを主張するように蔓が巻きつく。しかし言いたい事が分からず、二人は顔を見させて首をかしげた。


「お前たちに、親になってほしいんじゃないか?」


 背後からのアンブルの言葉に、木は花を咲かせて肯定を示す。

 アガットとジプスは、お互い愛していれども子を作れなかった。呪いが影響する恐れが強いからだ。それに、呪いを解いたとしても、産めるかどうか分からない。そしてこの子も、このままでは寂しく死ぬ。

 二人はしばらく互いに丸くなった目を見合うと、どちらともなく頷く。子供としゃがんで視線を合わせると、手を差し伸べた。


「はじめまして。僕らと一緒に、生きてくれませんか?」

「朝起きて、ご飯を食べて、一緒に遊んで。きっと楽しいですわ。そうだわ、お花も一緒に育てましょう?」


 今まで木しか隣に居なかった子供には、その言葉の意味が分からない。それでも、影に隠れようとしたのを止めたのは、二人の心が伝わったからだろう。子供は恐る恐る近付くと、小さな手と大きな手を取る。そしてその暖かさに、嬉しそうに笑った。


 死者は、奇跡的に出なかった。しかしイリュジオンの半分は炎の被害を負っている。これを一からまた再構築するとなると、数年はかかるだろう。

 森の母としては、本来ならすぐにでも取り掛かれと下すべきだ。それでも、アンブルの口はそれを言わない。


「みんな、今日までよく頑張ってくれた。本当にありがとう。今日はたくさん食べて、ゆっくり休んでくれ」


 英気を充分に養ってから、国を再構築したってバチは無い。

 風に吹かれ、どこからか紙切れが飛んできた。丁寧に畳まれたそれを開くと、見知った二つの文字。ルルとアウィンの書き置きだ。木に預けたのだろう。


─気まぐれで、また、会えますように─

─お互い新しい道を、お達者で─


「ふふふ、ああ……別れ言葉なんて、必要ないね。また来た時、その時はまた、森の母として歓迎しよう」


 アンブルは遠い森の出口を見つめ、二人の旅人を見送った。

イリュジオン、これにて完結でございます。約一年、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます!

休み休みですみません……!


さて、イリュジオンはいかがでしたか? 本当は探索に数話設けていたのですが、ストーリーの流れでバッサリと切りました。そこが無念です。

アパティアの裁きはどうでしたか? 彼女は今後、一生あそこから出られません。やがて楽な死を望むでしょう。ルルの裁き方は、そう言った方法です。

復興には長い月日が必要でしょうが、彼らはきっと大丈夫。子供も幸せに育ちます。彼らの様子、また番外編で書くのもいいですね。

ルルたちの別れ、実はどの国でもあっさり書くように意識しています。別れは一瞬でもありますし、その余韻が好みなのです。


次の舞台は芸術が盛んな国。また個性豊かなキャラが登場します!

予告通り、一ヶ月のお休みをいただきます。

次回更新は7/31です。それまでゆっくり、お待ちください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ