見知らぬ足音
翌日、さわさわと風に揺れる木の葉の穏やかな音が包む林の中を、切り裂く音が飛んだ。木々の芯に響く鋭い音は、クーゥカラットとルルの刃が噛み合う音だ。
「来い!」
ルルにとって、自ら相手へ向かうのは初めてだ。自分が走る音で生まれる風が邪魔をして、クーゥカラットの動きが読みづらい。
より集中すれば微かに聞こえて判断出来るが、まだルルの集中力は、そこまで研ぎ澄まされていない。
相手の音が聞けないハンデをなんとか補おうと、頭の中で互いの距離感を計算する。自分の剣が相手に届く範囲になった時、素早く腕を下から振り上げた。すると剣が合わさり、金属が激しく鳴く。
「横に隙があるぞ」
「!」
直後、それまでギリギリと音を立てて噛み合っていたクーゥカラットの剣が引かれた。ルルは彼の腕が次の攻撃をする前にと、急いで剣を移動させて横腹を防ぐ。しかし無事に防いだはいいが、体勢が整わず不安定によろけた。
クーゥカラットは一歩後ろへ跳ぶと、ルルの顔へ目掛けて剣先を突き出す。ルルは彼が後ずさったのを、足が砂利を踏んだ音でなんとか判断出来た。ルルは目前に迫った剣から逃れるために、両足を裂く様に大きく開いて地面に伏せる。クーゥカラットのルルを狙った剣は、彼の動きに追い付かず空気を切り裂いた。
「上手いぞ」
ルルは頭上から来るその言葉に油断せず、休む事なく振られる剣を自身の刃で防いだ。
素早く反応出来たはいいが、見上げる姿勢のせいであまり力が入らない。クーゥカラットには手加減しないでくれと頼んだため、力の押し合いはこちらが確実に不利だ。
(クゥがこっちに、攻撃する時……距離を取るしか、ないっ)
やがて真上から来る剣の圧迫感が僅かに消えた。次の攻撃を仕掛けるために、クーゥカラットが刃の噛み合わせを解いたのだ。
それはほんの一瞬だったが、ルルは自分にとっての合図を見逃さずその場から身を引いた。
(動きに迷いが無いな。俺の行動を予想したか)
クーゥカラットの剣は力のあまり、深く地面に突き刺さる。ルルはそれを音で理解して完全な隙だと判断したのか、クーゥカラットへ切っ先を向けて駆け出した。
しかし、すっかり彼の懐へ入ったと思ったその時、クーゥカラットはしゃがんで剣を地面からあっさり引き抜いた。
(あっ)
それに気付いた時には遅く、既にクーゥカラットの剣がルルの剣の芯を捉え、手から弾き飛ばした。
空高くに飛ばされた剣が後ろで落ちる音が、静まりかえった林に目立って聞こえた。ルルは思わず呼吸を止めたまま、目を丸くして呆然とする。
「ルル──」
クーゥカラットが差し伸べた手は、ルルの両手にぎゅっと握りしめられた。こちらを見つめる虹の目は、なんだかいつもよりも濃く、キラキラ眩しく輝いている。
その直後、頭に興奮した声が響いて、クーゥカラットの言葉は遮られた。
『すごいっ』
「お?」
『クゥ、やっぱりすごい。隙だと思ったのに……全然、剣が入らない』
「はははっ楽しいか?」
『うん、とっても』
満足そうに弾んだ声に、クーゥカラットも愉快そうに笑い、ルルの頭にポンと手を置く。
「動きを読んで、先を計算するのが上手かったな。その場で応用に対応するのも良かった。だが、一点だけに集中する事にまだ精一杯だから、もっと全体的に頭が回る様にしていこう。そして、どんな状況でも油断をしない事。ここからは慣らす事が大事だな」
『ん、頑張る』
もう一戦をと思ったその時、ルルは自分たち以外の足が草を踏んだ音を聞いた。
その音に振り返った彼の視線をクーゥカラットも追うと、1本の大木に背中を預けている観客の存在に気付いた。
「クリスタ、もう来てたのか」
「時間が思ったより空いて、退屈だったからね」
クーゥカラットはクリスタに、とある物の仕入れを頼んでいた。今晩届けに来てくれる約束だったが、仕事が早く片付いたらしい。
『こんにちは、クリスタ』
「ああ、こんにちはルル。剣を教えているのか? 見ていたけど」
「興味があるらしくて、昨日からな」
「へぇ?」
『クリスタも、剣、出来るの?』
「ああ」
「そうだ、せっかくだからどうだ? 見学だけじゃつまらないだろ」
「いいのか? ルル、私もいいかい?」
『もちろん』
ルルはクリスタの飛び入り参加に、彼の実力がどれほどなのかと胸を躍らせながら、遠くに落ちた剣を拾いに走る。
その様子につられてクリスタも口元に楽しげな笑みを浮かべ、常に腰に備えている対のダガーに手を置く。
「随分と剣が気に入ったんだな」
「ああ。昨日から楽しそうだ。だけどクリスタ、子供だと思って油断すると、お前でも痛い目見るぞ?」
「はは、そうみたいだね。そうだ……ルル、一戦交える前に1ついいか?」
『なぁに?』
剣を両手で抱えながらパタパタと駆けて来たルルは首をかしげる。クリスタは先程の試合を見て、彼に1つの可能性を見出していた。
「どれほど体が柔らかいか、見せて欲しいんだ」
ルルは2、3回瞬きから、どうすればいいのか考え込む。
少しして剣を丁寧に地面に置くと、その隣に腰を下ろして足を大きく広げた。ルルの細い足は扇の様に開き、ついでに胸をペターッと地面に付けて見せる。
クーゥカラットは体の柔軟さに「おぉ」とこぼし、クリスタは納得するように頷く。
「攻撃の避け方を見て、柔らかいとは思ったけれど……想像以上だな」
『これ……何か意味、あるの?』
「もちろんさ。今から私とやる時、足も攻撃に使ってごらん」
『足?』
ルルはその格好のまま頭だけを上げてかしげる。クスッと笑ったクリスタの手を借りて立ち上がり、服に付いた土埃を払ってから剣を拾う。
「足の長さを生かせばリーチになるし、もし武器が無い場合でも切り抜けられる。たとえば、相手の剣の中心を足で捉えて動きに隙を作らせ、懐に入る事が出来る。まずは軽くやろうか。ルルは言葉より、実戦しながらの方が上達するだろう」
ルルが頷いたのを合図に、お互いに向かい合って距離を取る。ルルは馴染んできた剣のグリップを両手で握り、ダガーを鞘から抜いたクリスタへ駆け出した。
青かった空がすっかり暗くなった。それでも人々が途絶えない街は、徐々に明かりが灯り始める。
しかし当然だが、林の中にはそんな灯りが無く、頼りになるのは青い月光のみ。そんな薄暗い中は朝から変わらず金属の音が飛び交っていた。
ルルは2人と交互に手合わせを繰り返していた。今の相手はクリスタだ。
クリスタは迷いなく駆ける彼に対し、剣を構えずに地面を蹴って跳ぶと、頭上を越えてそのまま背後に着地する。
ルルはすぐ振り返えろうとしたが、それよりもクリスタの短剣の動きが早く、刃は彼の腹部を狙う。
(間に合わない、なら……)
振り向くのを止め、ルルは腰を捻らせた勢いをそのままに足をクリスタの手元、ダガーへ向けて蹴り上げる。
足の裏から硬い物が弾き飛んだ感覚が響いてきた。
(上手く、いった?)
しかしクリスタの武器は1つではない。ルルが落とした片方は懐に入ってはいたが、いつでも相手に阻止されてもいい囮だ。数秒も置かず、対の短剣が死角になった頭上から降ってきた。
しかしルルは襲う刃から逃げる事をせず、今度は上半身を捻った。勢いは殺さず、冷静に互いの距離を計算しながらダガーの芯へ向けて剣先を突き出し、空高くへ飛ばす。
「そこまで!」
クーゥカラットの声に辺りはしんと静まり、武器が地面に突き刺さる音が大きく響いた。
「ルルの勝ちだ」
「……、…」
「ふぅ、見事だよ。ルル? 大丈夫か?」
ルルは止めていた息を大きく吐き、思わずその場に座り込んだ。クーゥカラットは駆け寄り、ルルの背中を少し強く摩って深呼吸を促す。
昨日から感じたが、どうやらルルは緊張と集中が合わさると、呼吸を浅くしてしまうらしい。最悪、息をする事すら忘れるようだ。
「急に吸わないで、深く息をしなさい」
『……うん……大丈夫。ありがとう、もう、平気』
出来るだけ慎重に立ち上がり、最後に深く息を吐く。クリスタが差し出してくれた水筒を受け取り、カラカラになった喉をゆっくり潤した。
やがて上下していた肩が落ち着き、呼吸もいつも通り静かに戻る。クリスタはその様子に安心すると、バラバラな場所に落ちたダガーを拾った。
「筋が良かったよ、ルル。それに……本当に剣が好きだな。それが伝わってきて、こっちも楽しかった」
『うん、凄く楽しい。でも、クゥもクリスタも、手合わせ……好きでしょ? 剣が合った時に、楽しそうに笑った音、聞こえてた』
「ははは、もうそこまで余裕が出来てきたか」
『もっと上手になって、2人と……本気でやりたい』
「その時までに、私も腕を磨かないとね。次は負けないぞ?」
『うん』
2人の満足そうな声に、ルルも嬉しそうに口角を微かに上げた。
すると、ルルの腹の中の虫が大きく鳴いた。その情けなく訴える音に皆はポカンとして、クーゥカラットとクリスタは可笑しそうに笑い、ルルはグルグルと鳴き続ける腹を少し恥ずかしそうに撫でる。
「それじゃあ、戻って夕飯にするか」
『うん……お腹、空いた……』
「クリスタも食べていくだろ?」
「ああ、寄らせてもらうよ」
ルルはクリスタの受け答えにパッと顔を明るくさせた。3人での夕飯は久し振りで、帰る足取りが喜びに誘われていつもより軽い。
クーゥカラットたちはそんな彼の足が草に捕られないかを見守りながら、少し後ろで肩を並べて歩いた。
「最近はどうだい?」
「あぁ、充分眠ってる筈なんだけどな……。ここまで魔力消費が影響するとは思わなかった。最近は余計に眠くて敵わん」
「魔力消費のせいかな……? まぁ、ハーブティーを試してみてくれ。ついでに、快眠出来る物も持って来たから」
「助かる。ありがとう」
クーゥカラットがクリスタに頼んだのは、頭をスッキリさせる効果があるハーブだった。
2人の会話を耳にしながら、ルルは玄関の前で立ち止まる。クーゥカラットとクリスタが扉を開けない事を不思議に思って顔を見合わせると、彼はクルリと振り返った。
『ねぇ、クリスタ。今日は1人で……来たよね?』
「ん? あぁ、1人だよ。馬も連れて来てない」
「それがどうしたんだ?」
ルルは周囲をキョロキョロ見渡し、少しの間何も言わなかったが、やがて目を閉じて首を横に振った。
『やっぱり、何でもない。動物たちか……風の音かも』
彼はそう言いながら前に向き直り、扉を開けて2人と共に中へ入った。扉が完全に外の世界を遮る直前、再び外へ振り返る。
外はいつも様々な音で出来ている。林の住人が草を踏む音や、鳥たちが木々の合間を縫って飛んで行く音。しかし一瞬だけその中に紛れ、人間の足音によく似たものを、ルルは聞いた気がしたのだ。




