初めての剣
見た目幼かった少年は、名を貰い、14歳になった。クーゥカラットの腹までだったルルの背も、爪先で立てば肩に届くまでには伸びていた。怯えていた外の喧騒にも慣れ、まだ逸れないようクーゥカラットと手を繋ぐ事は変わらないが、商品を見る余裕もある。
そんな彼は市場の中にある雑貨屋で、とある物に興味を惹かれていた。
「何か気になったか?」
ルルは背後からのクーゥカラットの声に商品を見せた。それは皮のシースに収まった小さなナイフ。クーゥカラットは意外そうに目を瞬かせ、少し考えるとナイフを彼の手の平から拾う。
「武器に興味があるのか?」
『うん。クゥが持っている、剣、あるでしょ? あれに触ってから、少し……気になってたの』
「なら、やってみるか?」
『教えてくれるの?』
「ああ。心得はあるからな」
ルルは仮面の下で目を輝かせ、返事の代わりにクーゥカラットの服をぎゅっと握った。クーゥカラットはフードの影になった顔がうずうずしている事に思わず笑い、彼の頭をポンポンと撫でる。
「よし。それじゃあ、武器屋で扱いやすい物を選ぼうか」
2人はナイフを記念として買ってその場をあとにし、武器屋へ向かった。
武器屋で、クーゥカラットはルルを隣に待たせながら商品を値踏みしていく。様々な種類が所狭しと並んで目移りするが、初心者用となると候補は絞られた。
攻撃性が高い物はもちろん戦いに有利ではあるが、初心者には扱いづらい。最悪の場合は武器に振り回され、自らを傷付けてしまうだろう。それに加えてルルは目が見えないというハンデがあるため、それも考慮した物を選ぶ必要がある。
(それなら、余計な重さが無い方がいいな)
それまで一つ一つをじっくり見定めていた目線が止まる。手を伸ばしたのは、クーゥカラットが持っている物よりも一回りほど短い剣だった。持っても無駄な重さもなく、かと言って玩具の様に軽すぎる事もない。
これならば初めて振るう時に体力の消費は比較例少ないだろう。
クーゥカラットは鞘を抜き、試しに空気を切った。鋭い音が鳴り、切れ味も申し分無さそうだ。
「ルル」
「!」
待ち時間が退屈だったのか、側にあった拳銃にそぉっと手を伸ばしていたルルを呼ぶ。
ルルは差し出された持ち手を、手探りで受け取って両手でグッと握った。程良い重さが心の背筋を伸ばしてくれる気がした。
「持ちにくくないか?」
『うん、大丈夫』
「それを相棒にしよう。帰ったら早速訓練だな」
『よろしくね、クゥ』
店をあとにした2人は、木々が生い茂る林の中でも、広く拓けた場所に向かった。
クーゥカラットがその場に荷物を置くと、ルルは彼が自分の剣を持って来ない事に首をかしげる。てっきり、一緒に剣を持って教えてくれると思っていたのだ。
『クゥ、やらないの?』
「ああ、最初はな」
クーゥカラットはルルの頬に手を添えながら、虹の目元を指で掠める。
「お前には目が見えないハンデがある。まずはそれを克服する必要があるんだ」
『そっか……。どうすれば、いいの?』
「盲目だからと言って、マイナスばかりではない。見えない代わりに、お前の宝石の耳は、遠くの小さな音でもよく拾うだろう? それを上手く扱えれば克服は簡単だ。むしろ相手の動きを読んで、先回りする事も出来るようにだってなる。だから、最初はその訓練だ」
クーゥカラットはルルから数歩下がると、目を閉じて頭の中で精霊をイメージする。すると彼の周りに、ポツンポツンと、小さな丸い光がいくつも生み出された。
それらはクーゥカラットの人差し指に操られて飛ぶと、ルルの耳元を素早く掠めた。ルルは突然現れた音に驚いて体を跳ねさせる。
「当たっても大丈夫だ。それには攻撃性は無い。スピードだけに長けた精霊だからな」
『精霊? 殺してしまうの?』
「ああ、大丈夫。精霊と言っても、これには命が無い。動く物を標的にした方がいいだろう。まずはこれを相手にしなさい。剣の振り方を教えるから、鞘から抜いてごらん」
『……クゥとは?』
「俺とは、確実にこれに刃を当てられるようになってからだ。そうじゃないと危ないし、しっかりした相手を出来ないからな」
ルルは期待していただけに少し不服そうだったが、渋々頷いて剣から鞘を取った。
クーゥカラットはルルの背後に回り、剣を握る手を両手で包む。しばらく試すようにゆっくり上下に腕を振りながら、口頭で説明を付け加えていく。
片手を離して指で精霊を操り、目の前に来させるとそれに向けて剣を振った。精霊が刃に触れた時、ルルは硬い物を斬り裂いた感覚を覚えた。
『今……』
「ああ、精霊を斬ったんだ。感覚、分かったか?」
『ん……なんとなく、だけど』
「今はそれでいい。これから手を離すぞ? 全ての音を逃さない様に集中するんだ。聞こえた精霊の動く音を頼りに、剣を振りなさい」
『はい』
クーゥカラットはルルから離れて邪魔にならない程度に距離を取ると、意識を半分精霊に集中させて指で操る。
ルルは微かに聞こえたこちらへ来る精霊の音に、剣を見様見真似で構え、試しに思い切り突き出した。すると、切っ尖は見事精霊の中心を捉え、光は空気に散った。剣に触れた相手の体が溶ける感覚は、やはり不思議だ。
「大丈夫か?」
クーゥカラットの声にルルは無言で頷き、空気を深く吐いて口を結ぶと、周りを飛ぶ精霊へ剣を向け直す。
(精霊が動くと……周りと違う、小さな風が出来る。それを聞いて、風の動きに従って……剣を振れば、当たる)
目の前に広がる何も無い空間を見つめ、ルルは剣を握る手に意識を集中させた。
赤色の月が顔を出して間もない頃、まだルルは剣を降ろさなかった。時折、休憩しようとクーゥカラットが提案したのだが、頑なに断ったのだ。
数秒の休みも許さなかったためか、相手の動きによって風がどう変わるかを理解出来るまでに上達した。そして自分がどう動けばいいのか、どう腕を動かせば剣がどこを向くのか、相手のどこに当たるのかを把握出来るようにもなった。
クーゥカラットが言った通り、音で相手の動きを読んで先回りし、避ける事も容易い。
見守りながら精霊を動かすクーゥカラットは、ルルの動きを目を細めて眺める。
(センスがいいな。ルルには剣が合っている)
余計な音を立てないようにと口を閉じながらも、感心して頷いた。彼の動きからして、一般的に見れば騎士に向いていると判断出来るだろう。
今の状態ならば、常人と剣を合わせてもハンデを諸共せずに勝負が出来る。もう少し時間を重ねれば、あっという間に下級の騎士を負かすだろう。
「ラストだ」
「!」
飛び回っていた精霊はいつの間にか1匹になり、ルルはその音に、疲れで散漫になりかけた意識を立て直す。
精霊は正面へ向けて飛んだが、途中で進路を変えてルルの横腹へと回る。ルルはその動きにそれまで切っ先を正面に向けていたが、大きく1歩後ずさった。すると横を狙った精霊はその動きに遅れ、無防備に彼を取り逃がす。
ルルがその隙をついて目の前へ腕を払うと、振るわれた剣の腹に精霊が当たり、光が小さな音を立てて散った。
「上出来だ。百発百中だな」
ルルは手から剣をポロリと落とし、今まで保っていた浅い息を乱した。その場に両膝を落とし、疲労で震える両手を見つめる。
今まで1度も剣を持った事が無いせいか、いくら軽い物でも疲労が大きい。
(……喉、乾いた……っ)
「ルル、お疲れ様。水を飲みなさい」
クーゥカラットの言葉にハッと顔を上げ、ルルは差し出された水筒を縋るように慌てて掴んだ。両手で持ってグイッと仰ぐと、口の中を甘く冷たい水が満たし、喉から全身を潤していく。
飲み切れなかった水が、唇の端から一筋溢れて顎に伝う。
「大丈夫か?」
「……、……」
「ん?」
『つか、れた……』
「はははっそうだろうな、休憩しなかったんだから。けれど本当によく頑張ったな。剣筋が良かったぞ」
『本当?』
「ああ。対象物に刃が確実に当たるようになるのに、実際は1日では時間が足りないからな。さぁ疲れたな。帰って夕飯にしよう。今晩は豪勢にいこうか」
『クゥとは? 早くやりたい。だから……頑張ったのに』
クーゥカラットはルルの頑張った理由に目をパチクリさせると、大きく吹き出してから優しく笑った。
なおも不満そうな顔をするルルと視線を合わせるためにしゃがみ、擦り傷だらけになった両手をそっと握る。
「こんなにボロボロだろ? 今日、これからお前がする事は、明日のためにしっかり休む事だ」
『……約束……した』
「そうだな、だから明日やろう。今日はおしまいだ」
クーゥカラットの言葉が終わったと同時、ルルは手を引かれてふわりと足が地面から浮いたのを感じ、驚いてヒュッと喉を鳴らした。クーゥカラットに軽々抱き上げられたのだ。
成長して体重も増えたが、やはり他の子供に比べるとまだまだ軽い。
『クゥ!』
「よしよし、帰ろう」
『明日……絶対、やる?』
「ああ、約束したからな」
『…………分かった』
ルルは観念したようで、大人しくクーゥカラットの首に腕を回して体から力を抜く。クーゥカラットはまだ小さく細い彼の背中を優しく撫でながら、落とした剣を拾って家路を進んだ。
ルルはしばらく、クーゥカラットが歩く音と彼の鼓動を聴きながら目を閉じる。
(……あったかい)
背中に触れる手の熱にすっかり安心し、いつの間にかルルの目蓋は重く微睡んでいた。何度も転んだ体の痛みもスッと消えていく。
家に着く頃には彼の意識は完全に柔らかな闇の中で、クーゥカラットはそれに気付くとベッドにそっと寝かせた。
「おやすみ、ルル」
クーゥカラットはルルの薄紫の髪に指を通しながら、先程の不満そうな顔を思い出す。
あんなにムスッと頬を膨らませた顔を見たのは初めてだ。普段は大人びているが、年相応の子供らしい一面を見れて良かった。
「これからもっと、楽しいと思える事を見つけような。また明日」
彼が見つけたその先が、最後は幸せに繋がる事をクーゥカラットは祈り、ルルの額に願いの口付けを落とした。




