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宝石少年の旅記録(8日更新)  作者: 小枝 唯
【宝石少年と旅立ちの国】
12/217

白紙を踊る吟遊詩人

 男は新しい客人に気付くと、一旦手を止めて優雅に腰を折る。そして再び音を奏で始め、ルルは少しの間それに聞き入った。


『クゥ、あの人は何を、しているの? この音、不思議……』

「吟遊詩人だ。多くの国や地域を廻り、自ら手がけた曲を人々に披露する旅人の事を言うんだ」

『たび、びと…………』


 クーゥカラットは、吟遊詩人の側に置いてある楽器ケースにルナーを入れる。男はそれに手を止めた。


「施しをありがとうございます、クーゥカラット殿」


 彼は女人の様な笑みを浮かべ、胸に手を当てると膝を折り、頭を下げた。


「よく、私をその名前だと分かったな」

「ふふ、旅人の勘ですよ。しかし……子供を連れているというのは初耳ですね」


 ルルはそれが自分を指しているのだと分かり、どうすればいいのかと彼らを交互に見やった。クーゥカラットは戸惑うルルの頭を優しく撫でる。


「この子と暮らしてまだ間もなくてな。色々あって、外に出るのも……吟遊詩人に会うのも初めてだ」

「それは光栄です」


 吟遊詩人は淡い微笑みを崩さず、ルルへ手を差し出す。ルルはクーゥカラットに促され、女性に似た手を握り返した。


『はじめまして』

「おや? これは……テレパス、ではないですね」


 男は頭の中で反響する不思議な感覚に、クーゥカラットへ視線を向ける。クーゥカラットはそれに応えてルルの肩に手を置いた。


「実はこの子は口や目が利かないんだ。こちらの声は届くから、通話石で会話をする」

「そういう事ですか。では改めて。私はアウィン。はじめまして」

『僕は、ルル。よろしくアウィン。旅を……しているの?』

「ええ、皆に歌を広めるために」


 ルルはその言葉に、外に出た瞬間に味わった心臓の高鳴りを感じた。痛みにも似るこの感覚に不愉快さは無く、むしろ好奇心の心地好さがある。

 初めて出会ったこの手を離せないほど、彼の考えに興味が湧いていた。旅というのは必然的に、多くの危険を見る事になる。しかしアウィンは、歌を広げたいというだけで、その危険に身を投げたのだ。

 それが不思議で仕方ない。この世界にどんな国があるのかも興味がある。ルルにとっては未知でしかない旅の思い出も知りたかった。


 ルルはアウィンの手を握ったまま、クーゥカラットを見上げる。クーゥカラットはその顔がうずうずと興奮している事に気付き、可笑しそうに笑うと、肩に置いていた手を返事としてポンと叩いた。

 ルルは許可が出ると、早速アウィンの手を両手で包んだ。


『あの、お話し……したい』

「私と?」

『うん、貴方と。旅の話とか、色んな話を。忙しい……かな?』


 遠慮気味に小首をかしげるルルに、アウィンはクスリと笑った。

 だがアウィンは、クーゥカラットが彼を大切にしている事を理解しているらしく、伺うような視線を向ける。それに気付いて無言で頷いたクーゥカラットに軽く会釈し、ルルへ視線を戻した。


「では、立ち話もなんです。どこかに座りましょうか」

『いいの?』

「ええ、もちろん。私が相手で良ければ」

『ありがとう、アウィン』

「ふふふ、どういたしまして。少しお待ちを」


 アウィンはルルの手を離すと、荷物の中から1枚の布を取り出した。それを噴水傍の地面に敷くと、ルルの手を取ってその場にエスコートする。服を汚さないように座らせ、自分もその隣に腰を下ろした。


「さて、どんな話をしましょうか」

『アウィンが、最初に居た国は、どんな所?』

「リベルタという小国です。とても自由で、個性的な人々が居る場所ですよ。ルルはここで?」

『ん……そういえば、分からない。気付いたら、セルウスショーに居て……クゥが、助けてくれたから』

「セルウスショー……そうでしたか。ではやはり、ここで会えたのも何かの縁というものですね。しかしルル、どうして私に気を許しても良いと思ったのですか?」

『どういう事?』

「私が悪い人かもしれませんよ? 美しい貴方を……今すぐ攫ってしまうかも」


 急に声の調子を下げて怪しく笑うアウィンに、ルルは隠した目を瞬かせる。そんな隙を見て、アウィンは彼の細い手首を握って拘束の真似事をした。

 意地悪そうな低い声と掴まれた腕に、ルルは首をかしげながら頭をひねらせた。どうやら彼は恐ろしいものを演じているらしいが、手を振り解こうとは思えない。


『悪い人は、手を優しく……握らないよ』


 思い出すのは、奴隷だった頃の生活。調教師が枷の鎖を掴んで引っ張ったり、鞭を振るうといった乱暴を受ける日々。ルルは直接鞭を当てられた事は無い。しかし切る様な空気は肌で感じていて、何も知らなかった当時は掴めない恐怖を覚えさせられていた。

 今のルルにとってはまだ、人の善悪を確かめるのが自分に触れる手の優しさだけだ。しかしそれだけでも、彼の本性を見抜くのは充分だろうと思えた。

 アウィンは灰色が混ざる青の細い目を丸くしたあと、優しく弧に緩めてルルの手をそっと包んだ。


「1枚上手でしたね」

『ねぇ、聞いてもいい?』

「どうぞ」

『アウィンはどうして、旅をしているの? 1人での旅って、危険でしょ?』

「その通りです。私が国を離れる事を、快く送り出してくれない者もいました」

『それなのに……どうして?』

「ふふ、いい事を教えましょうルル。この世界は……()()なのですよ」


 アウィンはフード越しに耳元へ顔を近付け、楽しそうにそう囁いた。


『白紙?』


 この世界には地図というものが無い。遠い昔は存在したらしいが、今は消され、もう互いにどんな国があるのか、どんな種族が生きるのか、分からなくなっていた。

 もちろん皆、そんな世界に興味はあるが、あるだけで、誰も本気で見に行こうとはしない。隣の国ですら情報が無いなんて事も珍しくないのだから。未知の世界へ興味だけで踏み込み、死んだだなんて馬鹿らしくて不名誉な事だった。


「けれど私は、昔から歌が大好きなのです。そして幼い頃、母国以外の存在を知った時……居ても立っても居られなかった。だから私は、吟遊詩人になる事を選んだのです。もちろん安全は良いですが、それに勝るものも…確かにありますから」

『うん、そうだね。とっても素敵。僕、その考え好きだよ』

「ありがとうルル。そう思ってくれるのなら、きっと貴方も触れるでしょう。どんな国を巡ったか……知りたいですか?」

『教えてくれる?』

「ええ、よろこんで」


 それから数時間、彼らの話は顔を見せた太陽が真上に登る頃まで続いた。



 クーゥカラットはどこか悩ましそうに、壁に背中を付けて体重を預けながら、少し遠くで彼らを見守っていた。

 相手の表情が見えないせいか、ルルは感情を顔に表す事が少ない。しかし長く共に過ごせば微かな違いは分かるようになるものだ。少なくとも今、アウィンと会話しているルルはとても楽しんでいる。


(いい事だ。そう分かってはいるんだがな)


 やはりルルは世界に興味を持った。それは彼の世界が広がる良い機会であり、今日吟遊詩人に出会ったのは運が味方してくれただろう。外へ連れて来た甲斐がある。

 しかしそう思うと同時に、罪悪感に苛まれていた。ルルが世界を見たいと言った時、それを心から受け入れる事が出来ない自分がいるのだ。

 彼の幸せを望んで作られたこの家族という関係に、いつの間にか自分が依存している。


「……大人気ないな、本当に」


 嘲笑が混ざる笑みを浮かべながらも、ふとルルの未来に想いを馳せる。


(俺が死んだら、ルルはどうなってしまうんだ?)


 クーゥカラットがそんな事を考えているとはつゆ知らず、ルルは噴水の向こう側に居る彼へ振り返る。もう長い時間彼が隣に居ないため、様子が気になったのだ。

 アウィンはルルの視線を辿り、それを察して立ち上がる。今度はこちらを向いたルルの手を再び取って優しく立たせた。


「そろそろ御開きにしましょうか。せっかく初めての外なのですから、もっといろんな場所を見たいでしょう? 話をしていると、1日は短いですからね」

『アウィンはこれから、どうするの?』

「宿は取ってあるので、一晩したらここを発ちます」

『そっか、もう……行っちゃうんだね』


 少し残念そうに言って俯くルルに、アウィンは女人の様に微笑むと、跪いて彼の指先に口付けをする。


「またいつか、会いましょう。その時にまたお互いを語らいましょう、ルル?」

『うん……そうだね。また会おう、アウィン。今日は、沢山聞けて、楽しかった。ありがとう』

「私もですよ。今度は紅茶でも片手にしながら語りましょうね」


 ルルはアウィンに導かれ、クーゥカラットの元へ行くと名残惜しそうに手を離す。


「これからは?」

「ええ、もう旅の計画を立てているので」

「そうか。最後に尋ねたい。アウィン、貴方は──」

「私はただの吟遊詩人ですよ、クーゥカラット殿」


 言葉を遮って自分の薄い唇に指を当てる彼に、クーゥカラットは目を瞬かせたがフッと笑った。


「そうだな、今日は感謝する。旅路には気をつけろよ」

「ありがとうございます。それでは」


 アウィンは荷物を入れたトランクケースと楽器ケースを手にし、クーゥカラットへ腰を折り、ルルへは柔らかく手を振る。そして人々が忙しなく行き交う中へ、杖をつきながら消えて行った。


「楽しかったか? ルル」

『うん、とっても』

「そうか、良かった。これから、もう少し街を周ろうか」


 クーゥカラットはルルの手を取り、出来るだけ人が少ない通りを選んで散策を始めた。

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