王が王であるべきために
今や薔薇が咲く蔓草をドレスの様にまとった女神像は、塔として使える場所ではなくなっていた。しかしいくつかの部屋は無事で、柱たちの仕事場であった会議室は、座る事ができる。天井がすっかり空模様となったが。
瓦礫が撤去され、速やかに掃除されたその部屋に居るのは、コランはシェーン。シェーンは、ここから見える宴の様子に微笑んでいるコランの横顔を、じーっと見つめる。
「コラン、体調は?」
「ええ、だいぶ体が軽いです」
「ほう、やはりあの秘薬は、それほどお前に効果があるのか」
「そのようです」
その会話は何気ない、他愛のないものだ。しかしコランは隠された意味に気付き、飲みかけたワインを咳き込む。
「な、何故秘薬を飲んだと?!」
「やっぱりか。お前の様子から見て、まさかと思ったが」
「か、鎌をかけた……と」
「お前の考える事なんて分かっているよ。それとも、5年で母を見透かせるようになったとでも思ったのか?」
「──母?」
背後から聞こえた、2人以外の声。それはヴィリロスのもので、コランはビクッと肩を跳ねさせた。勢いよく振り返ると、珍しくキョトンとした彼が居る。
「な、何故ここに?!」
「飲み物はどうかと。しかし、そうか……貴方たちは地区に関わらず親しいと思ったが」
まだ生まれて間もない頃、両親は病死してしまった。まだ足で歩く事さえできない時期だった。誰もが死ぬと思ったその幼子を、シェーンが母代わりとして育てたのだ。オリクトの民と人間の時の流れは大きく違う。だからか、今や彼女の方がコランより歳下に見えるため、驚く者が多い。
彼女は慣れない手つきで、それでも精一杯の愛を注いでくれた。しかし何故かコランは顔を引きつらせる。できれば他人に知ってほしくない。いや、別に知られる事には何の問題も無い、麗しい記憶だ。ただシェーンから話されると、恥ずかしい事まで筒抜けになるから嫌なのだ。
「おや? 言っていたなかったか。可愛らしい子だぞ。母さま母さまと、10の頃まで甘えん坊で──」
「ヴィ、ヴィリロス、食べたい物があるんです! 今から行きましょう」
「焦る必要があるのか?」
「いいからっ」
甘えるのは意外だったが、幼い頃なら当然だろう。そう思うヴィリロスは、本当に何故背を押されるのか分からない様子だった。コランは顔を赤くしながらもシェーンに短く別れを告げ、彼を連れて出ていった。
面白そうに笑いながら見送ったシェーンは、星が瞬く空を見上げる。自由の身はこれほど気持ちのいいものだったのか。改めて世界の大きさを思い知る。
比較的静かなここに、コツコツと誰かの足音が聞こえて来た。コランが帰ったのかと視線を戻せば、やって来たのはルービィ。彼女はシェーンを見るなり、その胸に飛びついた。シェーンは咄嗟に受け止め、顔を覗く。
「どうした? 顔が真っ赤じゃないか」
「……私、ルルに告白してしまったの」
「なんだって? お前、ルル様を慕っていたのか」
一世一代の想いをしたからか、今にも泣いてしまいそうなルービィの頬を、宥めるように撫でる。
驚いたと同時に、シェーンは安堵を覚えていた。ルービィはあまり他人との愛というものに興味を示さなかったのだ。むしろ怯えていると言ってもいい。それは幼い頃の経験がそうさせていた。
まだ6歳の時、彼女には母が居た。シェーンではなく、血の繋がった実母だ。コランが注意するのを無視して散財した挙句、用無しだと言って彼を捨てた母だ。それも幼い彼女の目の前で。
母は夫が居ながら他の男に愛を注いだのだ。別れ際、コランと結婚したのは富と名誉が目的だったと告げた。再婚の貴族はクァイット家より、どちらも上回るから用無しだと。更には、それらが無ければコランのような病弱な男の相手などしないと、言い捨てた。
ルービィはコランとクァイット家に残ると、自ら選んだ。あんな女には着いて行きたくないと、恨みすらしていた。その影響か、言い寄る相手の愛の真意に敏感になり、今まで誰も心触れる事を許さなかった。
「そうか、お前も……」
シェーンの噛み締めるような言い方と表情に、ルービィは余計に恥ずかしさが増した気がした。それでも小さく、モゴモゴと続ける。
「ルルに会うと、必ず心臓が落ち着かないの。それに、喜ぶ事をたくさんしたくなるし……不思議と、ちょっと意地悪も言いたくなって」
新しいドレスに身を包むシェーンの胸元に顔を埋める。そして彼女にも聞こえるかどうか危ういほど小さく「たくさん触れたくなるの」と呟いた。そして体を引き、顔を両手で覆った。
「私、こんなにやらしい女だったなんて。汚いかしら」
「はははっ」
「笑うなんてひどいわ」
ルービィは顔から手を外し、頬をムッと膨らませる。シェーンはクツクツと笑いながら、子供のように空気を食べた頬を優しく撫でた。こんな事で悩む彼女を見れるとは思わなかった。母のように接してきたせいか、こうやって悶える姿には愛しさと面白さを覚えてしまう。
「ふふ、すまない。でもな、そんな感情を持つからこそ、心は素敵なんだ。大丈夫、お前は綺麗だよ。ドレスも似合っている」
「……本当?」
羞恥で涙を溜めたルビー色の瞳が、上目遣いになる。シェーンは不安そうなその額に、安心させるように口付けをした。
「ルルは……なんて返すのかしら」
自信なさげでいて、それでも期待を含んだ言葉にハッとする。彼女の成長を感じ、浮かれて大切な事実を忘れていた。しかし伝えようと喉が音を作るよりも早く、別の言葉がルービィを呼んだ。その声は頭の中に直接響くため、自然と意識が向く。
壊れかけた扉から、様子を伺っているのはルルだった。彼の姿を目に収めた途端、ルービィの顔はカァッと熱を帯びて赤くなる。
「る、ルル、あの──」
揺れた小さな声は次の言葉をまともに繋げず、彷徨ってしまう。すると対照的に、た彼はまっすぐ彼女に歩み寄ると、緊張に汗ばむ手を取った。囁くようにそっと身を寄せる。
『今夜が明けたら、僕は、旅に出る。国宝の音が、聞こえるから』
「あ……そう、なのね」
『だから、それよりも前に……話がしたい。君の箱庭で、待ってるね』
僅かに紫の口元が微笑んだように見えた。頷くよりも早く彼は離れ、あっと言う間に部屋から出て行く。
しばらく、ルービィは茫然と立ち尽くしていた。心臓が胸を破りそうなほど強く叩く。驚きのあまり収まりかけていた熱が、再びじわじわ顔に溜まった。
「ど、どうしよう。私、どんな顔をして行けばいいの……!」
やり場の無い感情に慌てふためき、シェーンに振り返る。しかし救いを求めた彼女の鮮やかな色彩に、どこか迷いのようなものが見えた。
「姉様、どうしたの? やっぱり、王様に恋だなんてなんて駄目かしら」
「いや、王は何より美しく、男女問わずに恋する者は居る」
そのほとんどは王の権力や肩書き欲しさという、下心が含まれているのだが。王は彼らの本心を見抜いて、その手を取る事は無かった。しかし彼女のように純粋な気持ちで慕う者は珍しいだろう。
ルービィの瞳に不安が募っていく。なんとか言葉を選ぼうと思ったが、相応しい表現が浮かばずに溜息を吐いた。もういっそ、彼女には全て話してしまった方がいいだろう。王は、王であるがために欠落している物があると。
「なんの問題も、トラブルに巻き込まれる心配も無い。何故なら王は恋を、いや──感情を理解しないからだ」
「…………え?」
長い沈黙の末、ルービィの口からは間の抜けた声がポツリと落ちた。意味が分からない。ルルを見てから王には感情が無いなど、説得力が無いにもほどがある。彼は誰よりも感情豊かで、自分というものに忠実だ。
シェーンもその反応は予想ができていた。彼女は目を伏せ、静かに頷いた。
「正確に言えば、私たちが持つような、心が生む複雑な感情を持たない」
「それは……歴代の王様がっていうだけでしょう? ルルの様な方もいたんじゃないかしら」
「ありえない」
断言する声色は変わらず静かなものだったが、どこか釘を打たれたように感じた。そんなふうに言われてしまえば、発しようとした言葉が口の中で散っていく。
「生き物が心を持つのは、生き、死ぬため。過ちを繰り返しながらも世界をより美しくし、助け合い、生を彩るためにある」
「王は違うと言うの?」
「そうだ。世界の王は穢れた国宝を新しくし、その際に過ちを犯す存在を裁くために存在する。そのため、だけに」
生きて死ぬという抽象的な使命を受けた人間並び、他の生き物と異なり、世界の王には特定の使命を与えられる。シェーンの言った事を遂行するためには、感情というのは邪魔なのだ。感情があれば、裁きに迷う。誰が相手だろうと等しく、罪だけを見極めて世界を渡る必要があるからだ。
王は、この世で何よりも清らかでなければならない国宝を、新しく造る。そのためには、国宝を上回るほどの純粋さが必要だった。彼らは最期の時まで、何にも揺るがされないほど清らかでなければならない。
しかしルービィは引っかかった。確かに、裁きに対する慈悲や躊躇ができてしまう可能性はある。それは分かるが、何故感情までもを取られなければいけないのか。
眉根を寄せた彼女に、シェーンは思考を見透かすように続けた。
「誰かを愛するという感情は、確かにとても美しいものだ。どんなに磨き上げられた宝石よりも。しかし抱くのは、必ずしも清らかな感情だけではないだろう? 心というのは、持つ我々が産んだ言葉でさえ、表現しきれない」
「……、……」
言われて気付く。恋でなくとも、感情というのは嫉妬や妬み、恨みなど綺麗とは言えないものがある。それらに囚われてしまう者が多いだろう。
王は生まれた時から、何よりも純粋な存在だ。そんな彼らが心を持てば、たちまち穢れに飲まれてしまうだろう。そうなってしまえば国宝を造りだせず、世界は崩壊へ向かう。だから神は、感情を持たない存在を生み出したんだ。よく分かった。理由も納得できた。それでも、だとしても──。
「まるで……神様の人形だわ」
そう思わずにはいられなかった。他者が生きるためだけに生まれ、自分のために生きられないだなんて。美を愛した神が産んだと考えるのは、どうにも皮肉でしかなかった。
シェーンはそれに、どこか悲しそうに目を伏せて微笑む。
「そうだな」
「でも、じゃあどうしてルルは?」
「ああ、私も驚いたよ。まさか……命を粗末にするな、なんて言われるなんて」
シェーンがルルに王について伝える際、最後に言葉を濁したのはこの情報だった。伝えるべきなのだろうが、彼には不必要だと思ったのだ。何しろルルは、王にしては幼すぎる。
「要因はおそらく、人間に育てられたから、だろう。買われる前も誰も触れなかったと聞けば、それしか考えられん。そうなるまでの経緯は想像できないが……」
ただでさえ王の事は知られていないのだ。例外すぎて思考が追い付かない。すると、悩んでいたシェーンは思い出したように顔を上げた。
「この事は他言してはならないぞ」
「どうして?」
「王について、我々オリクトの民には守秘義務がある。悪用されかねんからな」
何故そんな大事な事を自分に言ったのか。しかし疑問の霧はすぐ晴れた。ルービィは思わずおかしそうに笑って、シェーンの手にそっと自分のを重ねる。
「私を心配してくださったのね?」
図星だったのか、彼女はギクリと肩を痙攣させる。この恋は生まれて初めての感情だ。だからきっと叶わなかった時に、必要以上に悲しませないよう言ったのだろう。
「ふふふっありがとう。でも安心して。私はルルに、肯定してほしいんじゃないの」
「どういう意味だ?」
「もちろん報われたら……1週間は熱に浮かされて、眠れなくなってしまうわ。でもそうじゃない。私は彼が考えた答えを知りたいの。きっとたくさん悩んでたくさん考えてくれる。だからその答えが聞きたい。たとえ拒絶でも」
そう、ルービィは元から彼から見返りの愛を望む気は無かった。それは恋よりも深く彼を想い、愛しているから。
シェーンは驚いたようだったが、すぐ優しく微笑んだ。そして頷くと、彼女の頬に昔と変わらずにキスをする。
「行ってきます」
優しく繋がれていた手を、どちらともなくそっと離した。
皆さんは、この理由を知ってどう思いましたか? 王は尊敬の目で見られ、誰よりも敬われます。でもそれを受け取る事も理解する事もできない。なんだか意味のない鬼ごっこのようですね。
ルルが以前、気持ち悪さを覚えたのは、本能的に考える事を体が阻止したためです。さあ、ルルはどう返事を返すのでしょう。王である彼は理解できませんが、考える力はあります。
次回もよろしくお願いします!




