大乱闘
ルルの姿は一瞬で、何十人もの人間に囲まれる。
「言っておくが、ここに居る全員は過去に私が強い催眠を施した者たちだ」
確かに刃先を向ける彼らからは、明確な殺意を感じなかった。その言葉は事実だろう。つまりは本来、無関係だった存在。被害者でもある相手に、大きな怪我を負わせる事はできない。
ルルは間近に迫った刃を避け、蹴り飛ばす。だが武器を手放した手が拳として襲いかかってきた。跳んで距離を取るが、周囲を囲まれているせいで、真後ろからの攻撃への反応に遅れてしまう。腰に備えたナイフを引き抜いて、なんとか食い止めた。
数十人に囲まれる1人。それは戦闘に疎い者でも、あきらかに理不尽な戦いだ。しかしルルにとって、人数の多さは問題ではない。ノイスに来た当時のように交わす事は難しくないのだ。問題は、その相手。
(この人たち……戦闘に、慣れている。操られていても、動きが違う)
更に、彼らは特別仲間意識が無い。そのため動きに統一感が無く、1人で相手するには分が悪かった。ルルの戦いの腕は小慣れた者よりも上程度。加えて腕力でいけば、同じ歳の少年に負けるほどだ。
噛み合っていたナイフが、圧倒的な力によって押される。しゃがんで避ける事はできたが、すかさず別の場所から刃先が向けられた。気付いた時には相手は懐に。しかし頭を狙った刃は、髪の先に触れる前にピタリと止まった。やがて刃先は震え、手からポロリと地面に落ちる。
ルルは次の攻撃に備えて体制を立て直す。しかしこちらに向いている視線が、全て消えている事に気付いた。全員の動きがその変化に止まっている。
「……?」
動きを止めた手元が、陽の光にチラチラと何か反射していた。正体は蜘蛛の巣ように細く、まるで石のように硬い糸。敵の虚ろな目が糸の元を辿るとそれは、観客席から続いている。その糸の操り主はベリルだった。彼は相手が気付いたと同時に、思い切り引っ張り上げる。すると、がっしりとした体格の敵は、風船の様に軽々と持ち上げられ、地面に放られた。
腕から逃げた人質と対峙していたアダマスは、その事態に目を凝らす。
「何だ?」
流石に人間1人を持ち上げたためか、ベリルは肩で息をしている。だが呼吸が整うより前に強引に息を吐くと、限界まで吸って口を開いた。
「これ以上、この国で卑怯なマネすんじゃねえ!」
その声は喉の痛みを訴えるほどで、コロシアム全体に響き、何度も反響した。周囲はしんと静まる。
声が止んだ頃、その言葉にアダマスはキョトンとし、おかしそうに笑う。
「何が卑怯だ。持っている力を使って何が悪い? 力の無い一般人に何ができる?」
「力が無いだぁ?」
イラついた1人の声が飛んだ。するとそれを引き金にしたように、次々と荒んだ声が上がり始める。力が無いという言葉は、この国の人々にとって大きな侮辱だった。今までアダマスは、ノイスにとって英雄であり強者だった。そのため楯突くことは出来なかったが、もう関係なくない。
「コソコソやってた奴に、俺らが負けるわけねえだろ!」
「王に加勢しろ!」
途端、落ちる様に席から次々と人が雪崩れ込んで来た。座ってキョトンとしていたルルの姿は、あっという間に囲まれてしまう。
彼は一気に迫ってくる無数の足音に、思わず耳をふさぐ仕草をして目をつぶる。音が多すぎて立ち上がれない。
「──ルル」
『ベリル?』
声は雑音ばかりの世界の中、かろうじて聞こえてきた。聞き間違いかと思えるその声へ手を伸ばせば、すぐ掴まれて引き寄せられる。胸元に包まれるその感覚は間違いなくベリルだった。
「よし、怪我ねえな?」
『うん。ありがとう、助けてくれて』
「任せろ。今、お前に手が届く奴はほとんど居ない。今のうちに女神像へ行け」
周りを見ればその通りだった。たった1人を相手していた刺客たちは、国民たちと戦っている。そのせいでこちらに集中して道を塞いでいる人物は、誰ひとりとして居なくなった。
意味を理解して頷くと、ベリルに頭を撫でられる。そして体が離されると、彼は襲いかかって来た刺客を相手しはじめた。
ルルは目を閉じて浅く呼吸する。自分を取り巻いていた全ての音が、少しずつ小さくなっていった。脳裏に浮かぶ様々な人影。その1つ1つを鮮明にさせた所で、姿勢を低くすると勢い良く駆け出した。その体はまるで見えているかの様に、正確に人の隙間を縫って行く。布が僅かに触れる事も無い。
それまで遮る物の無かった目の前に、別の気配が立ちはだかった。そう判断したと同時、パァンと破裂音が響く。ルルが居た地面をえぐっていたのは弾丸だった。発泡した相手は、当たらなかった事に舌打ちをする。しかしルルの表情もあまり浮かばれない。
(拳銃……苦手)
油断さえしなければ当たらないが、飛び道具は犬猿だった。普段は瞬時に相手の気配や距離を計算できるが、飛び道具が相手では時間が必要からだ。特に銃の様な、速い動きの弾は大の苦手だ。集中すればいい話だが、それ以外に意識を向けられなくなるのが悩みどころだ。
相手の手の僅かな動きで、弾の着地点を予想して避け続ける。しかしこれでは一向に前に進めない。突破しようにも近付く手段が無い。
逡巡していたルルの足裏が、最初に撃ち込まれた弾丸を踏んだ。不意打ちに足元のバランスが少しだけ崩れた。それは今充分な隙で、悠々と彼の頭を銃口が捉える。破裂音が短い悲鳴の様に上がった。
「っ!」
ルルは無駄だと思いながらもナイフを翳す。だが、刃に触れた衝撃も、頭部を貫いた痛みも無かった。
崩れたバランスを整えて地面を踏んだ足元に、カラカラと何かが転がって来た。それは、先程まで相手が所持していた拳銃。持ち主は手を押さえて膝を落としている。ルルは何があったのか、理解できずに虹の目をパチクリとさせた。
一瞬の出来事を、もう1度思い出してみる。発砲音は間違いじゃない。しかしよく思い返してみれば、音は前方ではなく、後方から鳴っていた。直後、2人分の足音と共にフルーツの様な甘い香りがふわりと漂う。それだけで酔いそうになる、アルコールの香りだ。
「アンタには借りがあるんだ。今、ここで死なれたら、夢見が悪い」
「ルルさん、大丈夫ですか?!」
『バッカス、トパズ?』
彼らはルルを挟むようにして、こちらに面倒臭そうなに顔を歪める敵と対峙した。バッカスは撃ち落とした彼の拳銃を拾い、品定めするとそれを容赦なく向ける。トパズはレイピアの切っ先を向けた。
「殺さねえよ、操られてるんだろ? ただし、無傷は諦めろ」
「わたしたちに任せて行ってください」
『……ありがとう、2人とも』
もう前を塞ぐ者はいない。すっかり拓けた砂上を、女神像の足元を目指して駆け抜けた。
~ ** ~ ** ~
武器が噛み合う音は、観客席まで広がっていた。襲って来た相手をその場で迎え撃つコランの背中に、ヴィリロスが背を合わせる。彼は相手の攻撃を自身の刃で受け応えながら囁いた。
「コラン、空を見ろ」
「空?」
無数に作り出した氷の刃を周囲へ放ちながら、従って目線だけを上へ向ける。戦闘に夢中で気付かなかったが、薄暗くなっていた。しかしまだ時刻は、まだ1日の半分にもならないはずだ。
太陽を見る。見開かれた赤味のあるピンクの瞳に映った太陽は、半分身体を月と解け合わせていた。皆既日食が始まったのだ。ヴィリロスは続ける。
「そうだ。もうすぐで、牢の扉が開く。貴方はシェーンの元へ」
「しかし、この人数を1人でなんて……っ」
「少しは、私に罪滅ぼしをさせてくれ」
コランはシールドを張りながら、その刃が弾かれる音に紛れる小さな声にポカンとする。なんだか子供が拗ねる様な声音だ。冷静沈着な彼のこんな声が聞けるなんて、思っていなかった。
「ありがとうヴィリロス。少し時間を稼ぎます。その間に態勢を整えてください」
コランは懐から、コインを3枚取り出して指に挟む。それを向かって来る数人の足元へ、勢い良く弾き飛ばした。その瞬間、彼らの視力を光が奪う。
思わず膝をついて崩れた様子を見送り、ヴィリロスへ頷くと、女神像へ走った。
地上から這うように成長し続ける蔓が覆う階段を走り上がり、僅かに地面から浮遊している牢に駆け寄った。
「シェーン、ご無事ですか!」
「コラン!」
「こちらに背中を」
両手首を後ろで拘束する硬い布を、護身用のダガーで切り裂く。きつく締め付けられていたのか、真っ白な肌に浮かぶアザが赤黒く痛々しい。彼女はそんな事に構わず、牢越しに身を乗り出す様にコランに顔を寄せた。
「あの子が……! この牢では、力を使えないんだ」
『もうすぐで、太陽と月が、1つになる』
「!」
焦る脳内を遮った静かな声に、2人は階段を振り返る。なおも襲いかかる敵を掻い潜ったせいか、冷静な声とは裏腹に、彼は少し息を荒くさせていた。
ルルの目は光すら視界を通さないが、確実に皆既日食が近付いている事を、誰よりも早く気付いていた。それは空気、熱、空を行く鳥たちの行動などの、僅かな変化。やがて森に居た動物たちが騒ぎはじめる。
『コランは時が来たら、シェーンと、安全な場所に。ルービィは僕に任せて』
シェーンの瞳を彩る、白に混ざる鮮やかな色が揺れた。どこか不安そうなその視線に気付いたルルは、彼女へ安心させるように虹の瞳を優しく細める。
『はじめまして、シェーン。挨拶はまた、あとでさせてね。そのために貴女は、ボロボロの体の、治療を。コラン、逃げる時は、国民たちも避難させて』
「……分かりました。お気を付けて」
ルルはその場を任せ、女神像の胸元を覆う茎のカーテンへ飛び移った。
茎は中から突き出た様な鉱石に絡み付き、女神像の足元から全体を侵食していた。さらに、アダマスとルービィが居るであろう胸元は完全に包まれて音を吸収しているせいか、中の状況を把握できない。ルルはナイフで蔓を切る。しかし薔薇の茎は比較的細いが硬く交わり、中々道を拓いてくれなかった。しかも切ったそばから、新しい茎が邪魔をする。キリがない。
『ルービィ、聞こえる? お願い、僕の声を聞いて』
このままでは、彼女が危ない。もちろんそこら辺の少年少女より強いだろう。しかし、アダマスには勝てないのだ。まだ、彼に絶対的な力を与えている物があるのだから。ルルはとにかく、言葉が届いている事を願いながら繰り返し囁いた。




