消えた少女の末路
暗い中、外からの光があった。部屋の扉が、誰かによって開かれる。そこに居たのは、コランとヴィリロスだった。彼らは室内の惨状に目を瞠り、血の香りに鼻を手で抑える。
「一体何をやっているんだ!」
コランの口調は珍しく荒んでいる。アダマスは思ってもなかった参入に、顔を歪めて舌打ちをした。
部屋の汚染のせいか、今まで頼りにしてきた加護による光が消える。しかしその残り香で、ヴィリロスの視界に映った者が居た。震えているのは、片足を切り落とされた少女。恐ろしさに敵味方の区別もつかず、こちらにも怯えた顔を向けていた。
彼女には見覚えがあった。思い出すのは、比較的新しく出た捜索願いの届け出。まだ世間に出される前の、行方不明になった生娘だ。
少女は逃げようと這うが、体中に絡んだ鎖が邪魔をしている。床に溜まった血のせいで、肘をすべらせた。その音にアダマスは我に帰り、逃れようとした線の細い背中を容赦なく踏みつける。激痛の呻き声は、喉に溜まっていた血のせいか鈍い咳き込みに消えた。
赤が飛び散った足に、鋭い痛みが走った。反射的に退かして見れば、蜘蛛の糸の様なワイヤーが生き物の様にうねっている。ワイヤーは主人であるベリルの手元へ戻っていった。
「アダマス、足元に居るのは、3日前に新しく行方不明となった少女では?」
部屋の暗さによって、コランの背後に居たヴィリロスに彼は気付かなかったようだ。面倒臭そうに顔を顰めたが、その口角はすぐに引き上がる。
「その通り。我が血肉となってもらっていたのだよ! 知っているか? 生娘の血肉は、不老不死の助けになるという伝承を」
彼はこの5年、選んだ生娘に洗脳を施し、夜な夜な地下牢まで来させて監禁。そして時が経てば、この拷問部屋で捌いていたのだ。
ルルは彼の言葉に納得していた。これまで感じていたブラックダイヤだけではない、人でありながら人にはない力の源を。汚れなき生娘の体は神に愛される。そのため、少女たちの血肉によって手に入れたとされる様々な力は、伝承として古から語り継がれていた。今その歴史は禁忌とされている。
彼も人を超えたのだ。この、最も冒涜的なやり方で。
『鉱石病を、流行らせたのも、貴方だね』
「そうだ。オリクトの民の血肉を手に入れるためだ。お前が大人しくしてさえいれば、国民が鉱石病に苦しむ必要は無かった。悪足掻きしおって……材料は、大人しく人間を着飾る道具となればいいのだ」
ここまで見られてしまえば、取り繕う必要も無くなったのだろう。本来ならば美しいと称されるアダマスの顔は、醜悪さに笑顔を歪めている。これまで作られていた優男の様な表情とは、まるで人格が違った。
「貴様っ」
「ヴィリロス、この者たちを捕らえろ!」
言葉に応えるように、首を飾るブラックダイヤモンドが黒く瞬く。同時、ヴィリロスの脳は、奥で痛みにも錯覚する耳鳴りを響かせた。だが襲ってきたのはそれだけで、それらは衣服の中で揺れる『お守り』のぬくもりによって消える。
ヴィリロスはアダマスへ歩み寄った。彼はすっかり洗脳に掛けられたと思っているらしい。そんな淡い期待に浮かぶ顔を、静かに見下ろした。
「今までそうやって、私を洗脳していたのか」
瞬間、アダマスの漆黒の瞳はこぼれ落ちそうなほどまで見開かれ、飛ぶ様に退くと距離を取った。
『彼にはもう、力は通じないよ』
「また貴様の仕業か! 材料ごときで邪魔をしおって、ただでは済まさん……! だが時間は充分稼ぎ終えている。血は満ちた。泣いて喚いてももう遅い!」
苦し紛れなはずの言葉は、何故かそうは聞こえない。国全体へ響きそうなほどの声が止んだ時、ルルは国石に妙な香りが混ざるのを嗅ぎ取った。それは以前鼻腔をくすぐった、血と国石が混ざり合う香り。
本能的な行動だった。彼はそばに居たベリルとルービィの国石を、引ったくるように攫って捨てる。
『みんな、国石を捨てて』
「えっ?」
戸惑いに遅れたコランの国石を、ヴィリロスが自分の物と共に投げ捨てる。
「無駄だ!」
扉が乱暴に開かれる。侵入して来たのは、残りの五大柱と彼のの従者たち。全員の目はどことなく虚ろで、操られているのは分かった。
各々手に持つ武器で5人に襲いかかった。刃を合わせていがみ合う中、ルルは1つの視線が妙な動きをしたのを感じた。それはアダマスのもの。捉えているのは自分ではない。それは、ベリルの隣に向いている。
『ルービィ!』
「娘を捕まえろ!」
命令と共に、薄青い色をした手が伸ばされる。しかしそれによって敵への意識が疎かになった。隙を見た拳が、ルルの頭を床へ叩き伏せる。
「ルル……っ!」
駆け寄ろうとした彼女を、主人の声にいち早く動いた2人の従者が拘束した。全員が、相手にしている敵を無視して彼らへ刃を向ける。
「動くな!」
怒声にも似たアダマスの声で、部屋が静まり返った。腕の中でルービィが逃げ出そうと身じろいでいるが、びくともしない。
アダマスは、痛みに耐えながら起き上がるルルを見下ろし、勝ち誇るような笑みを見せる。
「旅人、名を、ルルと言ったな。コロシアムに来い。ただし貴様1人でだ。それまで娘には手を出さないと約束しよう」
今更信用する気はないが、おそらく本当に手を出す気は無いだろう。アダマスは今までの事を含めてルルに対し、憎悪を膨らませている。だからこそ、ただ殺すだけでは気が済まないのだ。
『分かった。コロシアムへの道を、案内して』
しかしだからと言って、必要以上に動いて刺激してはいけない。ここは従うのが聡明だ。
従者がルルを挟む形で、部屋から連れ出される。扉から出る時、悔しげな視線を背後から感じた。その中でも強い視線を向けるコランが握った拳から、一雫の血が滴る。
『……大丈夫。誰も、死なせないから』
自分を理由に、誰かが死ぬ事は絶対に許さない。皆へそう囁き、ルルは拷問部屋をあとにした。
連れて来られたのは、コロシアム内に設けられた選手控え室。室内にはルル1人だけ。扉がゆっくり開かれた瞬間、大勢の気配と声が手招きしてきた。
戦場へ足を踏み入れると、興奮に溺れた歓声が湧き上がる。入場を出迎えたのはアダマスだけではなく、何百という席を埋めた国民たちだった。




