第86話 覚醒超越
少年の動きを意識しつつ、私は懐柔の悪魔と攻防を交わす。
懐柔の悪魔は自らに高度な幻惑魔術を施すことで、肉体を非実体の霧に変えていた。
今の彼女は物理的な限界に囚われない超速移動を可能とし、攻撃を素通りできる状態となっている。
それでいて無制限に魔術を行使するのだ。
茨の結界がなければ、とっくにこの城は崩壊しているだろう。
"懐柔"は正真正銘の本気だった。
いや、本気すらも超越した真の姿へと変貌している。
私という敵わない相手を前に覚醒したのだ。
全世界を敵に回せるだけの暴力を存分に振るっている。
ところが、それでも私には遠く及ばない。
私と"懐柔"は共に兼ねる悪魔だ。
過去の名を保持して新たな力を獲得している。
互いに上位悪魔の中でも別格とも言える立ち位置と言えよう。
ただし、兼ねる悪魔の強さとは、名を克服した回数に比例する。
その数だけ能力を獲得しているということだ。
回数によっては鍛練では決して覆らない差が生まれる。
懐柔の悪魔は一度だけ名を克服し、現在の名を支配した上位悪魔である。
他者を懐柔する欲求を気に入り、その心のままに己を掌握したのだ。
故に二度と名の克服はできない。
一方で私は十種類の名を克服した悪魔だ。
それぞれの感情を切り捨てて、己の能力を精鋭化している。
すべてを契約遂行のためだけに費やしてきた。
復讐の名も克服しており、いずれ新たな名を獲得するだろう。
そして克服する。
異端である私は際限なく成長する。
現時点でも"懐柔"とは埋めようのない実力差があった。
限界を超えて覚醒したくらいで追い付くことはできない。
「キッ、キヒッ! 本当に、てめぇはよォ! クソッタレの悪魔もどきだなァッ!」
"懐柔"は甲高い声で絶叫しながら攻撃を連打してくる。
霧の拳と蹴りが光速に迫る勢いで降り注いだ。
私は白い茨に錆びた鎖を巻き付けて盾にする。
衝撃は残らず盾が受け止めて、接触した"懐柔"の手足から力を吸収していった。
そうして暴走する彼女を冷酷に弱らせていく。
これに気付かない彼女ではないはずだが、依然として猛攻の雨は止まらなかった。
やがて霧の身体が解除されるも、懐柔の悪魔は全力攻撃を強行する。
無駄だと分かっているはずなのに彼女は攻撃を加速させていく。
驚くことに、茨と鎖に亀裂が走った。
ほんの僅かな破損だが"懐柔"の力が届いた証拠である。
ただし、代償として彼女の手足が砕け散った。
不可能を可能にした一方で、その反応が返ってきたのである。
鮮血を迸らせながら、懐柔の悪魔は落下した。




