第77話 真名
私は鉈を大振りで叩き込む。
"懐柔"はゆらりと回避し、そこから鋭い蹴りを返してきた。
私は脇腹で受けながら反撃に移るが、これも躱される。
直後に回し蹴りが側頭部に炸裂した。
骨片と脳漿が弾けるのを見ながら、私はさらに鉈を振るう。
"懐柔"は紙一重で軌道から逃れていった。
重力を無視した挙動で後方へ退避すると、謁見の間の壁に垂直に着地する。
そこから軽やかに床へと降り立った。
(やはり戦い慣れている。真っ向勝負では歯が立たないな)
緩慢な動きにも関わらず攻撃が当たらないのは、懐柔の悪魔が幻惑系統の魔術を使っているからだろう。
些細な視線や動作で私の感覚をずらし、回避しやすい展開に持ち込んでいる。
何もせずとも近接戦闘の技量ではこちらが不利なのだから、そこに幻惑魔術が加わることで、余計に攻撃が空振りし続ける。
懐柔の悪魔は悠然と歩み寄ってきた。
急加速から掌底を放ってくる。
私は割り込ませるように鉈で受け止めた。
衝撃が手元から腕全体へと伝播し、片腕の血肉がまとめて爆発し、粘液の骨格が露出した。
それを嘲笑うかのように"懐柔"は連撃を続ける。
どこかの武術らしき独特の動きで、人体の急所を的確に狙い打つ。
培われた技術の結晶が、悪魔の能力によって劇的に強化されていた。
刹那の間に数千の猛打を受けた私は、砲弾のような勢いで吹き飛ぶ。
城の壁を何枚も粉砕し、浮遊感と共に城の外へと落下した。
大地に身体を打ち付けて勢いよく跳ねながら転がり、城壁にぶつかったところでようやく止まる。
私は軋む身体を酷使して立ち上がると、その状態を確かめる。
"懐柔"の悪魔による格闘攻撃により、全身の至る所が破損していた。
皮膚や筋肉がほとんど弾け飛び、骨も粉々になっている。
粘液の骨格に辛うじて人体の残骸がへばり付いている状態だった。
猛烈な痛みを感じるが、それをただの情報として処理する。
物理的な損壊は私の行動を妨げるものではない。
これだけ満身創痍でも、戦闘能力は平常通りだった。
むしろ"復讐"の能力が作用することで、力は何倍にも増している。
私は空中を蹴って謁見の間へと舞い戻る。
そこでは懐柔の悪魔が余裕じみた顔で待っていた。
すぐそばで戦う少年と悪魔憑きを意にも介さず、彼女は私を煽ってくる。
「もっと力を出せよ。そんなんじゃ呆れちまうぜ。なあ、何か言えよ"殺戮"の旦那……いや"破滅"の方が良かったか。それとも"救済"かい?」