第75話 復讐対象
「何とでも言えよ。あんたの復讐は台無しになった。確かなことはそれだけだ」
"懐柔"は嘲るように述べた。
どこか探るような視線に対し、私は口調を変えずに否定する。
「台無しになっていない。今が最も重要な局面だ」
「言うじゃねぇか。標的が操り人形になってるんだぜ? 気分だって盛り下がるだろう」
「関係ない。どんな状態であれ皇帝は生きている」
私は玉座の皇帝を注視する。
脱力した姿からは、覇気どころか怯えや恐怖も感じられない。
ただそこに存在するというだけだ。
もしこの瞬間に己の命が潰えたとしても、それにすら何の感情も抱かないだろう。
皇帝と近衛騎士は、悪魔憑きの弊害で心が沈んでしまっている。
しかし、それが復讐の失敗に繋がるわけではない。
もしこの時点で皇帝が殺されているとさすがに看過できなかったが、皇帝は紛れもなく生存しているのだ。
憑依した悪魔を引き剥がすことで正気に戻る。
そうなれば、復讐に足るだけの恐怖心を刻み込むことができるだろう。
(しかし、まずは"懐柔"の処理が先だ)
彼女はその能力で人間と悪魔を縛り付ける。
文字通りの操り人形にしてしまうのだ。
"懐柔"は名を支配した上位悪魔である。
ふざけた態度をしているが、能力の格は一級品だった。
戦闘中に悪魔憑きを無効化するのは困難に近い。
やはり"懐柔"を殺害して能力を強制的に解くのが最良の方法だった。
私が解決手段を絞る一方、懐柔の悪魔は少年に目を向ける。
彼女は猫撫で声で問いかけた。
「そっちの坊や。君はどう思う?」
答えを求められた少年は沈黙する。
粘液の兜を被っているので表情は読めない。
一つ言えるのは、彼から感じられる心の動きに葛藤はないということだ。
強靭な精神力が軸となって少年を支えている。
彼は堂々と前に踏み出すと、剣の切っ先を前に向けた。
「俺は、皇帝を殺しに来た。復讐の悪魔ペナンスの力を借りてこの場にいる。たとえ悪魔憑きでも関係なく殺す」
「……いい眼だな。気に入られたのも分かるってもんだ」
懐柔の悪魔はどこか嬉しそうに言う。
揺るぎなき意志の力を目の当たりにして喜んでいるのだ。
心を掴めない人間は、彼女からすれば天敵である。
それと同時に手の届かない眩しい存在なのだ。
ともすれば羨望や好意に近いものを覚えている。
仮に少年が悪魔の力を持たない常人だったとしても、"懐柔"の能力に屈することはないだろう。
それほどまでの逸材であった。
古き強力な悪魔ほど彼の価値を知っている。




