第74話 皇帝
扉の先は謁見の間だった。
赤い絨毯の敷かれたその先には、玉座に座る皇帝が待っている。
灰色の髭を蓄えた初老の男だ。
恰幅の良い体躯はそれなりに鍛え上げられていた。
若き頃は戦士だったらしく、現在も鍛練を欠かしていないのだろう。
皇帝の周りには近衛騎士がいた。
白銀の鎧に身を包み、魔術的な力の付与された剣と盾を携えている。
私は絨毯の半ばほどまで歩を進めて発言する。
「皇帝だな」
「うう、む。そうだわしが皇帝だともそうだ」
皇帝は歯切れの悪い調子で回答する。
どこか呆けたような表情で目は虚ろだ。
私達を前にした現在、何の感情も抱いていない様子だった。
まるで現実を正しく認識できていないかのようだ。
心の通っていない人形と言い換えてもいい。
近衛騎士達も同様の状態に陥っていた。
異変に気付いた少年は、声を落として私に尋ねる。
「何か様子がおかしくないか」
「悪魔憑きだ。皇帝は心身を乗っ取られている」
皇帝や近衛騎士は紛れもなく人間だが、その魂に悪魔の気配がへばり付いていた。
心を支配されて意識が曖昧となっている。
本人達は夢でも見ているかのような気分だろう。
この状態を悪魔憑きと呼ぶのだ。
しかし、それなら憑依した悪魔の意識が表層上に出ているはずだった。
ここまで反応が薄いのはおかしい。
私は感知能力の強度を上げて室内を精査した。
そしてすぐさま真相に辿り着くと、壁の端に潜む気配を指差す。
「お前か」
「よく分かったな。上手く擬態したつもりだったんだが」
「滲む悪意は誤魔化せない」
私が指摘した途端、笑い声と共に指を差した箇所の空間が歪む。
そこから黒い衣服に身を包む女が現れた。
愉快そうにする彼女は上位悪魔だ。
私は皇帝と近衛騎士を一瞥してから指摘する。
「味方の悪魔も傀儡にしたようだな」
「そうさ。好き勝手に暴れようとするもんでな。仲良く協力できるように整えてやったんだ」
悪魔は両手を広げて楽しそうに説明する。
こちらの神経を逆撫ですることを意識した口ぶりだった。
少年は殺意を高めながら私に確認する。
「ペナンス、あいつは知り合いか」
「彼女は懐柔の悪魔だ。人間だけでなく、悪魔をも操るほどの技量を持っている」
「そんなに褒めるなよ。もしかして口説くつもりかい?」
懐柔の悪魔は、皮肉を込めた笑みを見せながら言う。
彼女は皇帝のもとまで歩み寄ると、肩を組みながら前置きした。
「先に言っておくが、エルフの国の侵略は皇帝の判断だ。あたしは関係ないから誤解すんなよ」
「知っている。その辺りは契約前に調べた。侵略戦争のきっかけに悪魔は関わっていない」
私が毅然と返すと、懐柔の悪魔は鼻を鳴らした。




