5話 旅立ちの朝
素敵な一日だったけど。すぐに夜になっちゃった。
本は持ってこなかったからナレン君と一緒に読めなかったけど。
久しぶりにメルとペルの二人を抱きしめた!
シフィールも二人のこと覚えてたのかな。メルとペル、いつの間にか聞いていたナレン君も混ぜて、毛皮の仕事のことを話している間に私の頭の上に居たり、メルの上に居たり。
それにメルとペルはもうすっかりお腹が大きくなってたなあ。春になるちょっと前には生まれてくるらしい。
ナーグお爺さんと大事な話をした。
メルとペルをナーグお爺さんに譲るって。
ナーグお爺さんはじっと暖炉の火を見つめていたけど、春になるまでに気が変わったら譲らなくても良いって言ってくれたんだ。
ちょっと前に北の街から来た二人の鎧を着た人との話もした。
夏までに北の街に行かなきゃいけないってのには驚いてたけど……。
街にメルとペルを連れて行くのは無理だと思うって話をしたら、急にお爺さんに譲りたいって言い出した理由も納得してくれたみたい。
仕事に厳しいマーサがずっと任せてるなら毛皮の仕事もちゃんとしてたんだろう?って言ってくれた。
マーサおばさんのところのジャン君はもうちょっと大きくなったらお父さんと一緒に猟に出るだろうし。ミフィーナお前が居てくれたら、そりゃあ助かるだろうって。春から秋まで山小屋で暮らして、冬は辛いだろうけど毛皮の仕事をずっと続けるのも立派だぞっとも。
正直ね、鎧の人と会った晩だけじゃなくて毎晩は――言い過ぎだけど、それは沢山考えた。でも、隊長さんに行くって約束しちゃったんだよ。それに、おじいさん。――あ、ナーグお爺さんじゃなくて木の家の背の高いほうのおじいさんがね、きっと初めてじゃないかな。私に向かって何をしなさいって言ってくれたの。ずっと長く一緒に居たのにあんなの初めてだった。あちこちに行かないと行けないんだ。きっとそうしなきゃいけないんだ。
じっと聞いてたナレン君は私が山羊や羊を連れたり追ったりするのに、口笛がちゃんと出来れば長いこと羊飼いでもやっていけそうなのにって。どの山羊や羊よりも足だけは速いって変なとこ褒めてくれたけどさ。
うう……。確かに口笛はナレン君やナーグお爺さんのように吹けないや。尾根から尾根に移動するときに山羊と羊のみんなを集めるのだけど。口笛はナレン君に頼りきりだったね。
んっと、口笛するとね、フゴーフゴーって変な音が出る……んだよね。
このままじゃきっと冒険者っていうのになっちゃうと思うから必要ないのかもだけど。また会うときにはちゃんと口笛吹けるようになれたら良いなぁ。
ナレン君、私の真似してフゴーフゴーって目をパチパチさせて変な真似までするから、悔しくってしょうがない!
朝起きたら、ナレン君とダイヤモンド見に行ったけど今日は見られなかったや。
やっぱり貴重なものだったんだね。もう一回見られなくて残念。
私が背負子で持ってきた薪じゃ全然足りないくらいの焦げた薪が堆く積まれていて、合図のためだけにこんなにしてくれたんだって気づいてしまった。三回も四回も持ってこなきゃいけないくらいの量を燃やしたんじゃないのかなあ……。こんなに使っちゃって大丈夫ですか?ってナーグお爺さんに聞いたんだけど。大丈夫じゃわいって。ちゃんと合図が送れるようにナレン君がちょっと張り切り過ぎちゃったらしいけど。私が薪を持ってこれるとは思わなかったから、ナレン君の張り切り分はちょうどいい感じになってくれたって。――うん、薪を諦めなくて良かった。
マーサおばさんから貰ったお休みを考えるともう一日ギリギリ居られるけど。山を下りることにしました。
今度は空になった背負子だけだけど、前に山を下りたときはうっすらと窪みに雪が積もってるだけだった。
今日はたっぷり積もってる。無事に下りられるかしらって怖い顔を作って睨んでたら、ナーグお爺さんが不思議なものを持ってきた。
「この板を足に括り付けなさい」って。
村や山小屋に来てからも初めて見る物が多かったけど。この板も初めて見る。
私の無駄にのっぽな背よりは短いけど。ナレン君くらいはあるなあ……。
「このくらい?」足に板を紐でしっかり括り付けたつもり。
「もっと真ん中くらいじゃ。それにもっときつく括るのじゃ」って。
こんな大きな板あったら歩きにくい……。
「滑り出さないようにこの杖でゆっくり進むのじゃ」そう言いながらナーグお爺さんが杖も二本貸してくれた。
「板を使って上手く滑れるなら早く麓までたどり着けるが……練習が必要じゃ」
「ミフィーナは、初めてやることは信じられないくらい鈍くさいからなあ……。ソリを貸したらきっと谷底に飛んで行っちゃうよ!」ナレン君は意地悪。意地悪。シフィールもそれに合わせてクルクルッと回ってて、ちょっと意地悪。二人とも似てる?もしかして。
小屋から変な板が付いたまま出てみるとやっぱり歩きにくい。でもね、雪が積もってるとこだと、足がずぼっと沈み込まなくて驚き!
「雪の上を歩いてる!」振り返ったらナーグお爺さんがニコニコしてた。
「ここ数日晴れて積もった雪の表面が凍っておるからの。その板があれば歩けるぞい。じゃがのお……ゆっくりゆっくり進むのじゃ。それでも滑りだそうとするから横になって歩きなさい」って。
しばらく山小屋の周りで練習した。ものすごく寒いのにものすごく汗をかいた。――お腹も減った。
朝ご飯を食べてから、ナーグお爺さんとナレン君、メルとペルに他の羊と山羊とお別れをしました。
また春に。メルとペル!頑張ってお母さんになってるんだよ。
ちょっと練習したんですよ?ホントに。
ナーグお爺さんとナレン君が朝ご飯の間、ずっと思い出し笑いするくらい酷い格好だったらしいけど?
皆と別れて、シフィールと二人で山から下り始めました。
横に歩いてたつもりなのに、窪みのとこで勝手に滑り出したり。びっくりして杖を手放して取りに登ったり。
怖いくらい速く滑り出したり。尻もちついたり。
でも雪をガリガリ板で削りながら横に滑った方が早いなあって思ったり。
調子に乗ってたら、勝手にクルッと回ってまっすぐになって、滑って止めるのに必死になったり……。
派手に尻もちついたら背負子の荷物載せるとこが、ボキッと折れたり……。
ああ……借り物なのにどうしよう。アレンさん怒るかなって思ったり。
直そうとしたけど、雪が降り始めて急がなきゃって思って直すの諦めたり。
尻もちつく度にシフィールがなんだか嬉しそうで、意地悪だなあって思ったり。私から風の魔力をご飯にしてるって、おじいさんから聞いたけど。ご飯お預け!ってしたくなるくらい意地悪。
雪のせいで夜までかかるかなあって思ってたのにお昼過ぎには麓にたどり着けた。板のおかげだ。
村に続く雪が除けてある道にたどり着いたときにはほっとしたなあ。道は雪があんまりない代わりに凍ってたりして。板じゃかえって歩きにくかった。
炭焼き小屋に背負子を返しに、恐る恐るアレンさんを訪ねた。アレンさんは壊れた背負子を見たけど、何も言わずに倉庫にしまってくれた。修理は簡単なのかなあ。だと良いな。
アレンさんが教えてくれたからナレン君の合図に気づいて山に登れてダイヤモンドが見られたし。
背負子もまた借りたのに、壊しちゃったし。ちょっと直そうとしたけど、もっと歪んじゃって酷くなったのはシフィールと私だけの秘密……。
申し訳なくて。こういう時どうすれば……。思ったんだけどご飯を奢るってどうかな。感謝とごめんなさいを込めて。今度お誘いしてみよう!
山から下りた夜はメルおばさんの家に泊まらせて貰って、ダグ君とリューネちゃんに山小屋で見たダイヤモンドのお話をした。
二人とも「ぜったいみる!」って言ってたなあ。お腹が減ってたのを忘れるくらい綺麗なんだよって一生懸命話したのに、そこだけ沢山笑われたけど……。
山を登って下りた感じだと、もうちょっと二人が大きくならないと大変そう。二人とも柔らかい雪が沢山積もってたら腰どころか身体全部埋まっちゃいそうで!もうちょっと大きく大きくならないとね。
◇
翌日からはいつもの皮の仕事に戻りました。
ちょっと居なかっただけで、水の冷たさがいつもに増して感じられる。
勘違いじゃなくて、ジャン君とマルリちゃんもとても辛そうにしてる。
私の手、足もだけど、ひび割れている。休憩のときジャン君とマルリちゃんの手を見てみたけど。
特にジャン君の手が酷かった。
皮を洗うときには事前にたくさんの塩を使うから、その時もの凄く手に滲みて三人で顔を見合わせたりする。
マーサおばさんは私たちの手の状態はよく見ていて。酷くなったらしばらく塩を使う仕事をさせなかったりする。
数日お休み貰ったおかげか、私の手足がまだマシだったから皮を洗って塩をすり込むお仕事が急に増えたなあ。
早く春が来て暖かくならないかなあってお願いしながら寝てたら、その日の翌日は結構楽だった気がした。
その翌日もその翌日も楽だった。
「あんた山小屋行ってから手足の皮が強くなったのかね?全然へこたれないから大助かりだけどさ!」ってマーサおばさんが不思議そうに言う。
そうなのかな。私が冷たい水の仕事を沢山やるから、ジャン君もマルリちゃんも早く良くなりますように。
まだまだ寒い日。マーサおばさんの家に仕事に行くと、朝から大騒ぎだった。
マーサおばさんの旦那さん――フリッグさんと、仲間の猟師さんの姿も見える。
仲間の猟師さんも山羊飼いで、ナーグお爺さんとは違って暖かい時期だけ村の山羊を預かって西の山を巡ってるんだって。
家に入るとすごい毛皮の数。それにまだ肉の付いている状態のシカが四頭も。
「血抜きだけはやれたんだが、捌くのは無理だった」って旦那さんが謝りながらも、すごく嬉しそうに言う。
「こりゃ嬉しいけど手間だねえ、だけどこれならメルの所に肉を卸せそうだよ」マーサおばさんも大変だって言う割に嬉しそう。
「大物だろう?この二頭」旦那さんの言葉にマーサおばさんも頷く。
「うーん、大分大きなシカだねえ。ジャンにも手に余る大きさだから、ミフィーナ手分けしてやろう」
「マーサおばさん私やったことないよ?できるかな」
「最初やるからよく見てなさい」
「はいな」返事はしたものの、ちょっと不安。
「あんたはね、最初は鈍くさいけどね。馴れると手際は良いよ。よく見てる。あんたの仕事を見ていると、たぶん真似るのが上手なんだろうね。最初はホントに鈍くさいけどね」
なんか、ついこの間もナレン君に言われた気がするゾウ……鈍くさいのかな?そんなに……。
マーサおばさんは最初にシカの頭に布を載せた。手には大きなシカを相手にするには、心配になるくらいの小さなナイフを握ってる。
「この布は?」
「最初やるときはこの子たちと目が合うとひるんじゃうからね。あたしゃ馴れてるけどあんたは最初はやったがいいね。これから先、ちょっと前まで生きてたのを捌く時はなおさらじゃないかね」
ああ、確かに目を見ちゃうとダメかも知れない。メルやペルのこととか思い出しちゃう――でも。
「やりづらくなるなら布は外しちゃって下さい」
「……平気かい?」
「私、肉を食べてますから。この服にもおばさんから貰った毛皮が付いてますから」マーサおばさんはちょっとだけ手を止めて私の目を見てきた。
「そうさね。メルの家でシカの肉が入ったシチューをあんたもあたしもこの間食べたね」マーサおばさんはシカの足の細くなっているところに切り込みを入れる手を休めない。
「メルが調理する肉だって、誰かがこうやって捌いて、肉と皮を別々にしてる。あたし達がこうやって捌く前には誰かが苦労して捕ってきてる」
「何かを食べるって事はこういうことさね。メルもダルだって調理は手は抜かないよ」四本の足に切り込みが全部入った。
太ももからさっき足を一周するように切り込みを入れたところまで割いていってる。足からやるんだね、覚えた。
「二人でやったほうが楽なんだよ。この足を上に持ち上げておくれ、あたしのナイフの入れ方を特によく見ておくれ。反対側の足はあんたにやって貰うよ」
「はいな――内側から、足から始めて、下から上にやるのね」
「そうそう。やっぱよく見てるね。それさえ覚えとけば大体のはやれる。小さいウサギからこんな大きなシカまでね」
真似てみたけど……。マーサおばさんにどうかな?って聞いてみる。
「皮に肉が付きすぎだよ。だけど皮に穴を開けたらあたしが猟師とどんなやり取りしてたか覚えてるだろう?仕入れを安くしてしまう。今までさんざん目にしてきただろう?穴を開けちまうくらいなら肉を残しておくれ。あんたやジャンにマルリが洗う時大変になるだけさ」
大変になりたくないっ!顔にそのまんま出ちゃったのかマーサおばさんが大きく頷く。
「そうさね、あたしたちが上等な仕事をしたら、楽ができるのさ。さあ速く、丁寧に!」
「あれ?今マーサおばさん、何しました?」
「ん?」
「ナイフがすっと簡単に入った」
「ふふ。二人でやった方が楽って言ったけどさ。足や頭を持ち上げたり皮を引っ張る側にもコツがあるのさ。内側から。下から上に。それと同じように大きく膨らんだ太ももも盛り上がってる方へ。二人の息がピッタリだと大分違うね」
「……マーサおばさん、今度は持ち上げる方やりたい」――皮を剥ぐときのおばさんの左手、ナイフを持ってない方が何をしてるのか見たい。何も考えず私は持ち上げてたのに、マーサおばさんのナイフは速いし正確だった。何か秘密がありそう。
「あいよ」ちょっと嬉しそうにマーサおばさんは見せてくれた。
一頭目は大分掛かったけど。二頭目は半分くらいの時間しか掛からなかったと思う。
「さあ、いつもの仕事に戻っておくれ!」
小さめのシカ二頭はマルリちゃんが練習するみたい。その日はジャン君と組んで仕事を終えました。
家に帰ろうとしたら、マーサおばさんに呼び止められて大きな肉の塊をもらった。
「今日は大変だったからね。特別さ!」って。
メルおばさんの所に持ち込んで、焼いて貰うことにした。食べきれない分はシチューに入れて貰う。
皮と肉を分けてるときに、何度も目が合ったシカのことが浮かんだ。
全力で食べます。心を込めて。
山小屋に行って帰ってから、毛皮の仕事を二週間くらいやったんだけど。
手も足もひび割れが酷くならない。むしろちょっとずつ治ってる。冷たい水の仕事は毎日続いてるのに。
私だけじゃなくて、ジャン君もマルリちゃんも、マーサおばさんも。
今年は水の冷たさはいつもと変わらないけど、風はしんどくないし、手も足も楽だねえってマーサおばさんが不思議そうに言ってた。
私も不思議だったんだ。川に入ってるとき風が吹くと川からすぐに飛び出したくなるくらい凍えるのだけど。
それはシフィールにいつもお願いして風を止めて貰ってた。
同時に少し、手足の傷の痛みも楽になってるような感じだった。
シフィールが何かしてくれてるってはっきり分かったのは、私が借りてる家でドジやったときだった。
窓を塞ぐ戸板が外れかけて、強い風でどっかに行ってしまいそうだったから。
メルおばさんから釘と金槌を借りて直そうとしたのね。
台座も借りて、その上に乗ってやれば良かったんだけど。気づいたときにはめんどくさがって借りに行かなかったのが失敗の元。
うんと背伸びして金槌で叩こうとしたら自分の手を金槌で殴っちゃった。
ミフィーナは初めてやることは信じられないくらい鈍くさい。ナレン君の意地悪がナレン君の声で心によぎりました。はい。
台座はやっぱり借りに行ってちゃんと戸板は修理できたんだけど。
親指の爪の色がすっかり変わってしまってた。明日の仕事がちょっと大変そう、早く治りますようにって思ってたら。
シフィールが緑色の光を放ってたんだ。
そうしたらあんなに痛くてジンジンしてたのに、大分楽になった。
大きく腫れてたのが急に萎んだりはしないんだけど、痛みはあんまり感じない。
びっくりしちゃった。
私だけじゃなくて他の三人にも何かしてくれてたんだろうって。
しばらく不思議に思ってたのはシフィールのおかげだったんだって
たぶんちょっとずつ治す力なんだ。
風だけじゃなくて、誰かを癒やせるなんて!
なんて素敵なんだろう。話せればなあ、触れることが出来たらなあ。
まだまだ下手くそな蝋燭の明かりで、本も沢山読めた。
その日は久しぶりに、あの『託す、託す』って沢山の人に言われる夢を見てしまったんだけど。
途中からはシフィールと沢山話して、シフィールに沢山触れて。シフィールが私の頭の上に乗って跳ねてる素敵な夢に変わったの。
起きたら、シフィールにありがとうってワシャワシャした!――触れなかったけどね。
◇
毎日毎日働いて、よく寝て。少しずつお金は増えていった。
シフィールが風も癒やしも助けてくれたおかげで、もっと川の水が冷たくなっても辛くなかった。
ジャン君やマルリちゃんに、マーサおばさんも癒やしてねってお願いもずっとしてた。
おじいさんが、シフィールはお前から魔力を貰ってるって言ってたけど。毎日して貰ってるのに魔力がどういう物か分からなかった。
一つ試したことがあって、村の皆を癒やして!ってお願いしたときはすごく疲れたんだ。お腹の下の方をぐーうっと押さえつけられてるような感じがしたし、お終いにしてってお願いしたあとはずっと気怠い感じが続いた。
仕事中だったから、その後のほうが大変だったかな。マーサおばさんに何度も叱られたから……。
これは大分無茶だったみたい。きっと村全体の風を止めて!とかいうお願いも無茶なんだと思う。
山の方からどどーんって低い音が聞こえるようになって。仕事をしている間だと皆手を止めて山の方を見上げてしまう。
皆が春が近いって。少しずつ暖かくなって雪が崩れているらしい。
川の水は温かくなるどころか、とても冷たいままだったけど。
雪解け水って、冷たさの感じが違うなあ。
雪崩って恐ろしい物らしい。見てみたいなって言ったらマーサおばさんにそれはとんでもない!ってすごく反対された。
ナレン君のお父さんとお母さんは、雪崩に巻き込まれて亡くなっちゃったってのを聞いた。
それを聞いてようやく、見ることがそのまんま危険だってのが良く伝わった。
それのせいかな。寝る前に山が鳴ってるのを聞くと恐ろしくなった。
村や山の麓からすっかり雪が消えて、遠くで山が鳴る音もすっかり聞こえなくなった頃。
羊の毛刈りの話がちらほら聞こえてきた。
山からパンを買うのに下りてきたナーグお爺さんとナレン君から素敵な話があったんだ。
すっかり夕方。今から山小屋に帰るのなら大分遅くなると思う。私の仕事の上がりを待っていてくれたのかも知れない。
「おい、ミフィーナ生まれたぞい!」
「え?!」
仕事を終えて家に帰ろうとしていると、ナーグお爺さんに呼び止められたんだ。
「メルからは、女の子じゃ。ペルからは男の子じゃ。メルもペルも子ども達も元気じゃ!」
「やった!二人とも頑張った!女の子と男の子かあ。可愛いだろうなあ……」
毛皮の仕事が無ければすぐに山に登って会いたい。四人とも元気らしいし、毛刈りの時に会える。我慢我慢。
「うむ、お前さんに似ず可愛い子じゃ。尻の小ささは似ているかもしれ……」
ナーグお爺さんに全部言わせませんでした。私がジッと睨んだからです。
「マーサとメルから何か学んだのかのお。出会ったばかりのお前さんじゃないのお……悲しいのぉ」
全然悲しがっていないのも知っています。
「そうじゃ、名前はどうするかの?今はメルの子、ペルの子と呼んでおるが」
困ったなあ。名前か。考えてなかったや。男の子と女の子っていうと、パッとテッドさんと、イリーナさん。
おじいさんと二人で刻の夜に出会った子達……ってのは浮かんだけども。
「この間話したとおり、お爺さんにメルとペルは譲るので。お爺さん決めて下さい!」
「そうか。それならナレン、お前が決めておくれ」
「え?うーん。分かった」
ちょっと困った感じだけど、ナレン君嬉しそう。私もニッコリしてたかも。
「賭けても良いが……。女の子の方は、ミフィーナになるな」ナーグお爺さんがグフフと笑う。
それは……どうなんだろう。お任せするって言ったけどね。なんだか照れるなあ。
あ、でも。
「ちょっとまって!ナーグお爺さんもナレン君も、山羊や羊を叱るでしょう?それが私の名前でやられるの?!」
「そうじゃ。それは楽しみじゃのぉ」いえいえ、楽しくないです。
「ミフィーナ!そっちに行くな!ホントに忘れんぼで食いしんぼだなあ……って言えるのか。ミフィーナでいい気がしてきた」
「よくない!」
「じゃあ、ちょっと変えて。女の子の方はミフィにするよ。これなら良いかな?」
「うーん……。しょうがないなぁ。お任せするって言ったから、それでいいよう」
メルの娘はミフィになるようです。うーん。ちょっと違うからいいかな……。
「毛刈りでお前さんが来るのを皆で楽しみにしとるぞ」
「はいな。急いで帰らないと!二人とも夕方の山でも馴れてるんだろうけどサ」
「またね。ミフィーナ。そういえば、あの日だけだったよダイヤモンドが見られたのは」
やっぱりそうだったんだ。貴重だったんだなあ。
二人を見送ったんだけどさ。ちょっと遠くなったところからナーグお爺さんが歌を歌い始めて。
私にはちゃんと聞こえちゃった。ナーグお爺さんが歌い始めて、ナレン君があとに続いてる。
「尻の小さなミフィ」「ミフィ」
「食いしん坊なミフィ」「ミフィ!ミフィーナ!」
「毎日迷子のミフィ」「ミフィ――わぁ!」
急いで追いかけたね。ナーグお爺さんとナレン君、あんなに足が速かったんだね。
毛皮の仕事は楽になっていってた。
シフィールに助けて貰ってたのもあったけど。何より川の水の冷たさがどんどん緩んでいった。
倉庫に一杯に積まれてた毛皮が鞣された革に変わって。棚にも蝋燭が沢山。すっかり乾燥した膠も沢山。
丁寧に置かれた毛皮も裏がちゃんと鞣されてる。
少しずつ街に持っていってお金に換えたり、村を訪れた商人さんに売るらしい。
「ミフィーナ、冬の間本当にありがとうね。ジャンとマルリだけじゃこんなに早い時期に終わらなかったさ」
四人で頑張った。どのくらいのお金になるのか分からないけど。沢山売れると良いなあ。
「ジャン、マルリ!明日は休みにするよ!」マーサおばさんの言葉に二人から喜びの声が上がる。
村のうんと小さい子ども達以外は、皆働いてた。その中でもジャン君とマルリちゃんが特に働いてた。
冷たい水にも文句も言わず、二人があんなに頑張るものだから、私も負けないようにしてたんだよ。
「よし、ミフィーナ。メルんとこで晩ご飯にしよう」
「あれ?マーサおばさんのとこの晩ご飯は平気なんです?」
「明日休みにするから、あたしも今夜からゆっくりさせてもらう!」
「はいな!」――やった、みんなでご飯だ。
メルおばさん、マーサさん一家がみんなして入ってきたから驚いたみたい。
明日休みだって言うから納得してたけど。
机二つをくっつけて、二つの家族で晩ご飯。
お代は、メルおばさんにもマーサおばさんにも沢山お世話になったので、私のオゴリです。
くう。オゴリってやってみたかったんだよ。
ご飯が終わって、ジャン君とマルリちゃんがダグ君とリューネちゃんの積み木遊びに付き合ってた。
「あんた、ジャンとマルリ連れて先に帰っておくれ」
フリッグさんのお前はどうするんだ?って視線に。
「あたしゃミフィーナとメルと三人でもうちょっと飲むよ」
「さあ、子ども達。そろそろ寝る時間だ。あんまり遅く起きてると子鬼に連れて行かれるぞ!」
ちょっと怖い声色で子ども達を脅す。リューネちゃん割と本気で怖がってる。
もうちょっと遊びたいダグ君の手を引っ張って二人の部屋に大人しく入っていった。
「あたしもこんな髪だったらねえ」椅子に座った私の後ろからメルおばさんが髪を梳いてくれた。
「銀色で日に透かすと緑がかってるって珍しい髪だね。村に現れた日にゃ、髪に変な枝とかぶっ刺さってて変な子だねえと思ったけどさ」マーサおばさんの感想にうんと頷く気配のメルおばさん。メルおばさんも同じこと言ってたなあ。変な子……。
「マーサもねえその昔は村で一番の器量よしで一番髪が綺麗だったね」
「なんだい、今はそうじゃないみたいな」編み物をする手を止めてマーサおばさんが苦情を入れる。
三人で少しだけお酒を飲んだ後。代わる代わる髪を梳いたり結ったりして過ごしてた。
「村一番の器量よしが誰とくっつくか噂の的になってたね」
メルおばさんの話では、十三年前くらいに村の外れで子鬼に連れ去られそうなマーサおばさんを、フリッグさんが弓の一撃で救ってくれたらしい。そこから割とすぐ結婚したんだって。フリッグさんカッコイイ……!でも、子鬼って何だろうな。
「あんたはよく似た者同士くっついちゃったよね」マーサおばさんがメルさんに話を振る。
何だ俺の話かって、洗い物をしてたダルおじさんが顔を出す。
「幼馴染みでずっと一緒にいたからね。あの人しか考えられなかったよ」と、引っ込んでな!って感じで睨んだ後、ダルおじさんが居なくなってからメルおばさんがそう言う。シフィールはダルおじさんをちょっと追いかけて行っちゃった。
「子鬼ってなに?さっきフリッグさんも言ってた」
「冒険者の連中はゴブリンって呼んでるけどね。家の山羊を盗んだりする嫌な連中さ」
「可愛い感じ?」私の問いに二人ともとんでもない!って肩をすくめる。名前はちょっと可愛らしいのになあ……。
「つい十年前と五年前にも領主様の命令で冒険者がね。子鬼だけじゃなくて色んな危険な生き物を街や村の周りから追い払うことをやってくれてて。もうこの辺じゃ見なくなったねえ」
「周りにはいないけど油断は禁物さね」
メルおばさんの髪を結いながら、じっと考える。
五年とか十年ならほんのちょっと前だなあ……。
マーサおばさんが編み物から目を上げて、メルおばさんの髪に目をやると。驚きの顔をしてお腹を抱えて笑い出した。
「……鏡がないのが残念だよ、メルあんたこの世のお終いみたいな髪になってるよ!」
あ、これ……ダメ?
考え事してたのもダメだったかも。
マーサおばさんの激しい笑いに驚いたのか、ダルおじさんが奥から出てきた。
「おいメル……お前……百年の恋も冷めるような髪になってんぞ……」絞り出すように、酷いことを言う。
「ちょっと櫛を貸しなさい!メルが憐れすぎて。傑作だよ。ミフィーナはホント初めてやることは鈍くさいねえ」
うーん、練習しなきゃ。
買わねば…………櫛。
髪を梳いたり結ったりするのは、私の失敗でもうお終いな雰囲気になって。
あとはゆっくりお酒を飲もうってことになった。
ダルおじさんは適当に追い払われました。ごめんね、おじさん……。
「何の話してたっけか。ああ……村にアデュっていうおっさんが居るだろう?あの男が村の守りも仕事でやってる」
「酔っ払ってるだけのおじさんだと思ってた……」私の感想に二人とも笑う。
「いつも剣を帯びているだろう?それに家には鎧だってあるんだよ」マーサおばさんが、ちょっぴりだけ庇うように言う。
「じゃあ冒険者って村の皆の役にも立ってるのね?」
それになれるなら、とても良いなあ。守ることより村に何もない事の方がずっと大事な気がするけど。
「村にもたまに来るから相手はするんだが。話してみると良い人も多いんだけどねえ……。でも金と酒に汚いというか、とにかく堅気じゃないね」
「村を離れて冒険者なんてならなきゃ良いんだよ」メルおばさんの言葉に、すぐマーサおばさんが乗っかる。それには私は答えずに、お酒の入ったマグを温めるような素振りだけしてた。
「冬になったばっかりの時、街から隊長さん来てたじゃないか。そこであんたが村を離れるって聞いて、村の若い子らは内心ほっとしてるだろうよ」
「ライバルが減るからねぇ」
メルおばさんとマーサおばさんは、村の若い子。ナンに、ティーレ、ファノの三人の気立てがどうのとか仕事ぶりはどうのとか、色々話してる。三人が誰とくっつきそうかとかの予想とかも。
冬の間村に居たけど。三人とほとんど話せなかったなあ。
「ファノがさ、お休みないの?って来てたじゃない。髪の毛伸びすぎてるから切ってあげようかって」マーサおばさんがちょっと怖そうに言う。
「そんなことあったのかい。確かにあの子は器用だけど。切られてたらかなりバッサリいかれてるよ、それ」メルおばさんも空恐ろしい顔してる。
「うんうん、怖い怖い」
朝起きたらマーサおばさんの家に行って、仕事してメルおばさんの家でご飯を食べる毎日。川に洗い物をしに三人が来ることもあったけど、挨拶くらいで終わってたや。忙しかった!
髪の毛切ってくれるなら嬉しいなあって思ったんだけど。短くなってもほっといたらすぐ伸びるし……。
お酒で大分フラフラしながら、家に帰りました。
その日はシフィールにお休みって言えたか自信が無いなあ……。
◇
明日は毛刈りだぞーってメルおばさんに言われて。楽しみだった。
山小屋に行けるからね。
街から来たっていう商人のおじさんが村に来ていて。一緒に山に登るらしい。
他にも毛刈りを手伝う村の男性も一緒に山を登って、村の女性は担いで下りた羊の毛を糸にするので大変みたい。
ナーグお爺さんとナレン君にお土産でパンを沢山買って。アレンさんの炭焼き小屋でまた沢山薪を背負子に積んだ。
ほんのちょっぴり雪が残っているところもあったけど。山小屋まで行くのも三回目!大分背負子にも馴れました。
楽しみだったから、苦にならなかったってのもある。強い風が吹き抜ける所はシフィールに助けて貰ったのもある。
山小屋に着くと。
真っ先に羊と山羊が居る小屋に。
メルとペルは元気だった。良かった!二人とも頑張った。
どの子がメルとペルの子ども達だろう。生まれた子が八頭も居て、会ったことがないから分からなかったんだ。
「この子とこの子だよ」ナレン君が教えてくれた。
目がクルクルしてて、抱き上げても大人しくて。とっても良い子達だった。
「この子がミフィ?」私が聞くとナレン君が頷いた。ナレン君何か言おうとしたけど、私がこの間ナーグお爺さんとナレン君にからかわれて追いかけたのを思い出して、ジト目でいると黙った。うん、それでいいよ。
「ペルの子にはなんて名前を付けたの?」って聞くと。「迷ったけど父さんの名前にしたよ」って聞いて。今度は私が黙る番。それならメルの子もお母さんの名前にしても良かったんじゃない?って言うのを飲み込んだ。
ミフィと遊んでたら、ご飯に呼ばれて。ナーグお爺さんにチーズとミルクを皆振る舞われて、毛刈りの作業。
私はやってことなかったから、羊たちが逃げないように押さえる役。
ナレン君と組んでメルを押さえてたんだけど。
押さえてたんだけど。
みるみる毛が無くなってほっそりしていくのがさ。おかしくておかしくて笑いっぱなしだった。
「ホントは毎年刈ってあげないと羊も重くなっていって大変なんだから」って少しナレン君に叱られた。
そうだったんだね。メルとペルが木の家に居た頃も一回もやってあげなかった。
山小屋でメルとペルをすぐに見分けることが出来たのも、正直二人がまるまるっとしてたせいもある。
メルとペルだけじゃなく、二人の前に居た沢山の子達も全部。
おじいさん何も教えてくれなかったからなあ……。知ってても手伝ってくれなかったと思う。
すっかり細くなって頼りなさそうになったメルとペル。二人からはたくさん毛が採れた。これからどんどん暖かくなるから今の時期にやるんだねえ。冬は二人とも暖かかったと思うけど。暑い日は……どうだったんだろう。ごめんなさい。
「ミフィーナ、元気なら他の毛も積んで村に運び込んでおくれ。登りは何も積まなくて良いから急いで戻るのじゃ」ナーグお爺さんがそう言う。
「村のどこに行けば!」「マーサのところじゃ」間髪入れずナーグお爺さん。
背負子に積み込んだ後送り出された。こんなに沢山の人が山小屋に登ったのは刈った毛を運ぶ仕事をするためなんだね。
羊を押さえるだけで、お金が貰えるって楽ちんだなあって思ってたのに甘かったです。
山を急いで下りる。登るときは沢山居たのに。今下りてるのは私だけ。
マーサおばさんの家に行くと、沢山女性が集まっていた。
「今から何をするの?」私が聞くとマーサおばさんが。
「毛を洗う前に選別する。毛が固まってることが多いからね――ってこりゃずいぶんと固まりが多いねえ」
ほとんどがメルとペルの毛だ。私がずっと刈らなかったから……。ちょっと黙ってることにした。
興味深く見ていると、山から毛をどっさり持ってきた人が、サボってないで早く行くぞって目で促す。
いつの間にか追いつかれてたんだね。
今度は二人で山へ。
山小屋に着くと、ナレン君とナーグお爺さんが、最初登ったときに一緒だった商人さんと話をしてた。
「これは銀三粒と銅二粒」商人さんが羊の首に輪をかけていくところだった。輪には数字が書かれた札が下がっていた。
「合計を計算するから待っておくれ」って商人さん言ってたけど。ナレン君は首を傾げてる。
「ねえ、おじさん。言ってるのと首に掛かってる札の数字が違わない?」思い切ったようにナレン君が言う。
商人さん、ギョッとしてナレン君とナーグお爺さんを見てる。
「四頭違ってた」って言うと焦った感じで手元の紙を見比べてる。
商人さんは大分困っている感じがしたけど、ナレン君の目も真剣だ。
「ナレン、お前も運び出しを手伝ってやれ」ってナーグお爺さん。「爺ちゃん、でも」って言うナレン君を押しとどめて小屋の外に出す。
計算が終わったらしい商人さんがナーグお爺さんにお金を数えて渡してた。
ナーグお爺さんが渡されたお金から銀の粒を二つ、商人さんに返す。
「来年もよろしくじゃ。二週間後に街に連れて行くでの」ってお爺さんが言うと、商人さん心底ほっとしている顔だった。
「ミフィーナ、次の運び出しはこの人と一緒に山を下りておくれ」
商人さんの仕事はもうお終いらしい。
ナーグお爺さん達はチーズを作って村の人たちに売ってるだけじゃなくて。羊や山羊をこうして街の人に売る仕事もしてたんだね。ようやく商人さんが何をしに来たのか分かった。
それにしても、ナレン君!
言ってる数字と書いてる数字が違うって言ってた。
これって、私と一緒に本を読んで字を覚えたから?
山から下りてるときは嬉しくって一回目より随分早く下りることが出来た気がした。
だって、一緒に本を読んだのが役に立ったって素敵じゃない!
私はナレン君と一緒に読める時間が楽しかったのに、それが役に立ってくれただなんて。
また村に届けて、最後に山を下りるときは私だけになってた。もちろんシフィールも居るけど。二人には見えてない。
ナーグお爺さんに呼び止められて。
「メルとペルの分じゃ。とてもよい子達じゃ。生まれてきた子も良い子に育つ。ありがとうのぉ」って銀の粒を八つ渡してくれた。そして今日の給金の銅貨四枚。
こんなに……。って銀の粒を見つめていると。
「さっそく子羊に恵まれたからの。その子達の分も入っておる」って。
「お爺さんとナレン君なら安心です!」心の底からそう言えた。
「ナレンも字を少し字を覚えてくれたようじゃしな。お前さんのおかげじゃ。面子を潰さぬよう最初に言った額を渡してやったが。来年からはナレンを気にしてごまかしたりせんじゃろ」
やっぱりごまかして、バレて焦ってたんだ。ちょっと小声になったナーグお爺さんに頷く。
「お前さん毛皮の仕事が落ち着いたら何か仕事やっとるんか?」ってナーグお爺さんの問いに首を振る。
「じゃあ山小屋でしばらく居るとよいじゃろう。メルとペルとも久しぶりじゃしの」
ナーグお爺さんのお誘いが嬉しかった。
「じゃあ、もう一回山下りて、本を取ってくるね!」そうそう、ナレン君に本を読んであげたい。
「今から下りて登ってくるんか!お前さん存外逞しいのぉ」ちょっと呆れたようなナーグお爺さん。
家に本を取りに行って、メルおばさんの家でパンを買って。しばらく山小屋に居ますって伝えた。
山小屋に着いたときはすっかり夜だったけど。
一週間山小屋に居た。
毎晩ナレン君と本を読んだ。ナレン君は字が読めるのが役に立ったって分かると、一緒に本を読むのも真剣だった。
数字だけじゃなくて、色んな言葉も覚えてく。
春になって再開した放牧にもついていった。
メルとペルの子、ミフィとエルク――ナレン君のお父さんの名前ね。新しい二人ともすぐに仲良くなれた。
山小屋で飲むミルクが美味しい。村で飲んだのとちょっと違う。
西の山で放牧されてる村の山羊の乳とは、食べている草が違うから味も違う!ってナレン君が教えてくれた。
育ちもこっちの方が良いから、たまに育ちの悪い村の山羊を預かることもあるんだって。
シフィールはナレン君に特に懐いている気がする。ナレン君には見えないから、ナレン君何もできないけど……。ナレン君が喋っているとき特にジッとして聞いてるように見えるから、不思議な感じなんだ。
私が買って持って上がったパンが無くなると。二人の蓄えが減っていくだけだから、そろそろ山を下りることにした。
「街に行く気持ちは変わらんか……」ナーグお爺さんに黙って頷いた。
ナレン君がメルとペルと子ども達を連れてきてくれた。
「お前さんが村を出るとき、ちょうど山を下りておるとは限らん。わしらとはお別れかもしれんて」
「ミフィーナ……元気でね。ほらミフィ、ちゃんとお別れしろ。メルとペルみたいに」
「お爺さん、ナレン君ホントありがとう……」すっかり細くなっちゃったメルとペルをワシャワシャする手を止めて言う。
「ナレン君、数字覚えたの役に立ったね!一緒に本読めたのも楽しかった。ずっと一人で読んでたから……。字もきっと他でも色んなところで役立つよ!」
「そうかな……。うん、そうだね」ナレン君の瞳に強い光があった気がした。
ずっとずっと後から思い出すとね。最後の一言は余計だったのかも知れない。
でもね、この時はホントにそう思えたんだ。
◇
毛皮の仕事はジャン君とマルリちゃんで間に合うようになったので、マーサおばさんの家に行っても今日は仕事ないぞーって言われることが多かった。蝋燭をやる日はまだ下手くそなので、お給金関係なく手伝わせて貰った。
村の周りの畑に植えてあるウィートがどんどん大きくなってる。
村から東がウィートの畑。そこから更に東にまだ何も植えて無くて、何が植えられるんだろうって思ったらお芋だった。
畑をやってる村の人に明日は手伝ってくれって言われて、ウィートを踏み踏みするのとかザルツっていう芋を植えたりとか。
お給金はでないけど、ご飯は出して貰えてほんのり節約。
知ってる。
山小屋から下りてきたときに旅立っても良かったんだって。
気持ちの踏ん切りがつかなくてグズグズ、モジモジしてたと思う。
でも、そんなグズグズしてた私の生活も、急に終わりが来てしまった。
村にね、街に行くっていう馬車が寄って、メルおばさんが丁度良いから乗っけて貰ったらって。
馬車は商人さんの持ち物で、商人さんはとても人の良さそうな感じだった。
この村のうんと東にまた別の村があって。そこから普段は直接北に行って街に行ってたそうだけど。
丁度この間話しにあった、危険な獣や怪物を一斉に退治する冒険者達の活動が盛んになったそうで。
東の村から北への街道が少し危険になっているらしい。
はぐれた獣が街道付近にも出るかも知れないってことで、この村まで寄り道して川沿いの道を抜けることにしたんだって。
商人さんは身を守るために冒険者を一人雇っていて、セイルって男の人。
髪の毛はちょっと赤みを帯びた茶色で、薄茶色の色の目した背の大きな人だった。
剣と革で出来た鎧を身につけてる。声は……まだ話したこと無いからわからないなぁ。
約七日かかる街への旅が、馬車だと四日半で済むって言われて、もう乗るしか無いって思えてきた。
「私も乗せて貰うことは出来ますか?」頑張って聞いてみた。
「うーん、娘っ子一人くらいならなんとかなるかも知れないが、ご覧の通り荷物で満載でねえ」
私が残念そうな顔になったからか、少し慌てて。
「この村で物が売れれば馬車の空きに余裕が出来るから、もうちょっと待っててごらん」そう言ってくれたんだ。
商人さんの物が売れますように!
お昼過ぎにメルおばさんの家に呼ばれて、そこには商人さんとセイルっていう冒険者の人が一緒に居て、ご飯を食べてた。
マーサおばさんも居て、商人さんの座っているテーブルには私たちが冬に作った毛皮や革が積まれてた。
「物も売れたんだが、村で毛皮も仕入れちゃってね。毛皮の値段はお前さんを街まで乗っけてくれたら値引いても良いって話が決まってね」
「じゃあ!」
「売れた物の代わりに毛皮が乗ることになったから狭いのは変わらないが、街まで乗っけてあげるよ」って。
「あんたでかいからねえ、邪魔にならないよう小さく座ってなよ」って少し酷いマーサおばさん。
ありがとうマーサおばさん!それに四人で頑張った毛皮とかが売れたのが嬉しかった。
「よろしくな、セイルだ」
「ミフィーナです、よろしくお願いします」セイルさん低いけどしっかりした声だった。
商人さんも、セイルさんもやっぱりシフィールは見えなかった。
もうちょっと暖かくなるくらいまでグズグズしてたかも知れない。
ひょっとしたら暑くなる夏の手前までグズグズしてたかも。
メルおばさんに呼び出されて、今まで稼いだお金を見せた。
そうしたら銅貨が多すぎるから銀の粒と真鍮の粒、銅の粒とか運びやすいお金に交換した方が良いって言われて。メルおばさんの出来る範囲で交換して貰った。
村長さんの家に挨拶しに行ったとき、メルおばさんが強引な感じで村長さんのお金から粒に交換して貰ったんだ。
銅貨で一杯になった袋が一つじゃ足りなかったから二つにしたたんだけど。一つは粒を入れた袋。もう一つは銅貨の袋になって、随分軽くなった。
私が不思議そうにしてたら、全く損してないから安心おし!ってメルおばさん。
村長さんに借りてた家を返す前に掃除してたら、村の人たちが話を聞きつけて寄ってくれた。
畑の仕事をしている人たちが多くて、あんまりお手伝いとかできなかったんだけど。
もっと長く居たら色んな人たちと仕事出来ただろうか。
鋳掛けもやってる人が、私の鍋も修理してくれたり、ホント有り難かった。
ジャン君とマルリちゃんも訪ねてきてくれて、二人で作ったっていう大きな皮の袋を貰ったんだ。
大事にします。ありがとう。
家の掃除が終わって、メルおばさんの家に泊まることに。
ご飯は沢山食べた。今までお世話になった分大事に食べた。
ダルおじさんとメルおばさんの料理をマーサおばさんとお話しながら食べて飲んで。
ダグ君とリューネちゃんの部屋で寝たんだけど。ずっと起きてるって二人とも言ってたのに。
やっぱりコトンと寝ちゃって。いよいよ明日なんだって、興奮しちゃってなかなか寝られない私とシフィールだけになっちゃったかなあ。
緊張してたんだけど、いつの間にか寝ることが出来た。
「街で辛かったら、また戻ってきます」
出発の朝、別れを告げておいでって言ってくれた商人さんに甘えて、村の外れで送ってくれる村の人たちと居たんだ。
ダグ君とリューネちゃんが泣き止むのを待って、そう言ったと覚えてる。
私たちの周りの畑が、踏んだウィートが一旦ぺちゃんこになったのに、もうすっかり元気になってむくっとまっすぐ伸びようとしてる。
そんな畑に囲まれた道の真ん中。風に乗ってメルおばさんの叱る声が飛んできた。
「絶対諦めるんじゃないよ。戻ってくる?ふざけたこと言ってんじゃないよ」
私も驚いたけど、さっきまで泣いてたダグ君とリューネちゃんも随分驚いたように見えた。
迷った感じで、私から離れてメルおばさんの後ろに下がって、私を見て。メルおばさんを見てってのを交互に繰り返してる。
しんどかったらもどっておいで、って言ってくれたのに。今まで何度もそっと抱いてくれたメルおばさん。
メルおばさんどうしたんだろう。マーサおばさんを見上げると、ちょっとひるんだ顔をした。
でも、すぐに厳しい顔をしてじっと見つめ返してきた。
ちょっと迷ってる顔をしてる。どうして?って思ってたら上から声が降ってきた。
「行くって言ってたのに。毎日毎日仕事して、何かやってる感じを出そうったってごまかされないよ。そろそろ尻を蹴り上げて出発させようって思ってたところさ」って。
何でだろう。この間の夜までは行くの辞めなよ。本当に辛かったら戻っておいでって言ってくれたんだけどなあ……。
メルおばさんの後ろにはダグ君とリューネちゃん。
マーサおばさんの後ろにはジャン君とマルリちゃん。
そして村の他の皆が私を見てる。
メルおばさんもマーサおばさんもね。たぶん私の方を見てない。
おかしいな、まっすぐ私を見てるのに。
変なことを言うようだけど。気持ちが私に向かってない?――やっぱりそうなんだ。二人とも自分達の子ども達に向いてる。
ダグ君もリューネちゃんも見てる。ジャン君もマルリちゃんも見てる。
かっこ悪いところは見せられないね。
出発するときから泣き言を言ってちゃいけないよね。
行かない方が良い。このまま住んじゃっても良いって言ってくれたのに。
それでも行くって言ったのは私だよね。
メルおばさんも、マーサおばさんも、やっぱりお母さんなんだなあ。
ちょっと。ううんダイブ羨ましいぞ。ダグ君にリューネちゃん。ジャン君にマルリちゃん。
震えないでね。私の声。ここはシャンとしてなきゃダメだぞ私の声。
「行って……きます!」