3話 羊から始まるお仕事経験
これから山小屋暮らし。……ということで。
しばらくは、うちの飯も食べられないぞ!ってメルおばさんに凄まれて。
メルおばさんの酒場でご飯をご馳走になっています。
今日はおばさんの旦那さん――ダルおじさんが料理を作ってくれたんだ。
テーブルを二つくっつけて、これからお世話になるナーグお爺さんと、孫のナレン君。
私と、おばさん達の息子と娘のダグ君とリューネちゃんで美味しそうな料理を囲んでる。実はシフィールも空いた椅子にちょこんと座ってたんだけど。皆には見えてないのが残念。きっと私の真似してるんだろうと思う!
茸と野菜のシチューにチーズと干し肉がのったパンに。
フワフワな黄色い卵を焼いた料理。
シチューとか木の椀がすぐ空っぽになって、ダルおじさんが無言でお代わりをついでくれて。
三回も食べちゃったかナ……。
卵は村でもちょっと貴重らしくて、特別だよ?ってメルおばさんが言ってました。
卵かあ、そういや私が住んでいた木の家にも。三階の葉が一杯茂ってる中に鳥が産んでくれたことがあって。
随分苦労して手に入れたなあ……。取るとき、くちばしで突かれて枝から落ちそうになったけど。
手に入れた卵は無事焦げた塊になって苦かったけど……。
この卵焼きは、ほんのり甘さがあって、口の中から無くなるのが惜しかった。
でも卵は貴重って聞いてたからお代わりは頼みません。
メルおばさんの料理も美味しかったけど、おばさんが言うようにシチューも卵の料理もびっくりすぐくらい美味しかったんだ。
またダルおじさんの料理が食べたいです。はい。
ダグ君とリューネちゃんは、私が山小屋に行くってのを知らなくて。
しばらくショゲてました。
そういや、おばさんと最初に仕事の話したとき、二人とも家から逃げるように飛び出しちゃって居なかったね……。
村に居てくれるものと思ってたみたい。
冬になったら帰ってくるよ!って言ったら、ようやく少し元気が戻ったかな?
一緒になって遊んでくれる人がようやく出来たのにって言ってくれたのは、嬉しかったなあ。
せっかくメルとペルと仲良しになってくれたばかりなのに、この二人も一緒に山小屋の羊小屋?に行くし。
そこだけは、もうごめんなさいでした。
ダグ君が一杯喋ってたけど、リューネちゃんはほとんど黙ってて。
そんなにショックだったのかなあって思うと、もうちょっと一緒に居られればよかったかな、って。
でも、だいぶ後からメルおばさんから聞いた話だけど。
ナレン君が山から下りてくると、いっつもこんな感じなんだって。
そういえば、料理を囲んで食べてるときも、何度もリューネちゃんはナレン君を見つめてた気がした。
そのナレン君はやっぱり無口みたいで。
「爺ちゃん噛めないなら肉と卵交換してやっから」って食べてるとき喋ったのはそれっきりだった。
ナーグお爺さんは、硬い物がなかなか噛みきれないみたい。
美味しい食事だったけど、ダグ君とリューネちゃんとはしばらくお別れってことで。
少し寂しい感じで食事は終わりました。
冬とか春の仕事でお金が貰えたら(どれだけ貰えるのか分からないけど……)、二人に私のお金でご馳走してやるんだ。
その時はきっと楽しい食事になってくれる。うん、絶対そうする。
ナレン君と私は、メルおばさんが奢ってくれて。ナーグお爺さんだけお金を渡してるのが見えた。
私のお尻をはたいたせいで、お金が必要になったみたいで。
「ご飯のお金……お尻が小さくてごめんなさい……」ってナーグお爺さんに謝ってたら。
「なんでミフィーナがそこで謝るのさ!悪いのはこのジジイさ!」ってメルおばさんが大笑いしてたな。
「そうさ、減るもんじゃなかろう?」ってナーグお爺さんが言ってたけど、目をつり上げたおばさんに脛を蹴られてた。
メルおばさんとダルおじさんにご飯のお礼を言って。
また冬に戻りますってお別れを。メルおばさんは、前にしてくれたみたいに、そっと抱きしめてくれて。
今度はだいぶこみ上げてくる物があった。
おばさんの抱きしめが心地よくて。そしてしばらく触れられない寂しさが身体の芯を冷たくするから。初めて食べさせて貰ったときのご飯も思い出されるから……。
山にはすぐに行かずに寄り道をするみたい。
羊のほうのメル、そしてペルもお世話になるので、一緒に行く。
山は川を渡った後(ここにも橋があった!)、北西に見えてたけど。
ちょっと着いてくって来てくれたダグ君とリューネちゃんと一緒に、そのまま西に。
森の中に二つ小屋があって、そこに寄り道するみたい。
小屋とは別に、雨よけで木を組んだ背の高い羊小屋みたいなのがあった。
羊小屋と違って、土で丸く盛り上げた不思議なものがあって、村で見たどの煙よりもたくさんの煙が空に向かって吐かれてた。
丸いものの前には男の人が一人、腰掛けてる。のこぎりで黒いものを一心に切ってる。男の人の脇には見たことの無い数の薪が積まれてた。
なんだろうって足を止めて見つめていたら。ナーグお爺さんが「炭焼き小屋じゃよ」って教えてくれた。
「アレン、ワシじゃナーグじゃ。炭をもらっていくぞい」ってお爺さんが言ったら、ゆっくりとアレンって呼ばれた人が立ち上がるのが見えた。
こっちを振り向くと、顔とか手とか肌が見えるところが真っ黒になってる。――炭で真っ黒になってるんだね。
「こっちはしばらく山で世話するミフィーナじゃ。こやつの分の背負子を今日は借りるぞい」って言って、二つ並んだ小屋の右側に入っていった。アレンさんは私の方をちらっと見た後、すぐに元いたところに座りに戻った。すぐに私たちが気にならないくらい熱心に作業をしてる。ダグ君とリューネちゃんは、アレンさんがやってることを熱心に見てる。
小屋の奥からナーグお爺さんが呼ぶので、私も小屋の中に入る。
小屋の中は薄暗かったけど、ちょっと目が馴れると、一面炭が積まれてた。
ナーグお爺さんとナレン君は背に背負っていた木枠の道具に――背負子っていうらしい、炭を積み込んでた。
「お前さんも荷物を下ろして、背負子に炭を積むのじゃ」ナーグお爺さんに言われるままにそうする。
このくらいかな?って思って、二人の姿を確認したら、二人ともものすごくたくさん積み込んでる!ナレン君とか身長くらい積んでるんじゃ!
もっと積まなきゃダメかな?って、もうちょっと積んだ。
「馬鹿もん、もっと積まんかい!」って無情なお爺さんの声。背の高い背負子にお爺さんがどんどん積む。
結局お爺さんが積み込んで、てっぺんに私の革のカバンを括り付けたときには、私がちょろっと積んだときと比べものにならない高さに……。
「これ……背負うんですよね?」ちょっと絶望して声が震えてたかもしれない。
「そうじゃ、ちょくちょく山から下りる度に足しとるが、お前さんにも運んでもらわにゃあならん」って言いながらナーグお爺さんは背負子を背負った。
……あんなに重そうなのに持ち上がるんだ……。
ちょっとした後、ナレン君も自分の身長並みの高さの背負子を背負い上げた。
「こんなに積んで。も、持ち上がりますか?」怖々聞きました。はい。
「お前さんは無駄に背が高いからの。このぐらい積まねば、逆にあがらんぞい?カバンもあるしの」とよく分からないことを言う。
持ち上がらないと思うけど……って試しに背負子を背負おうとしたけど、やっぱり持ち上がりませんでした。ううん、少しは持ち上がったかな。
「そんなにまっすぐ立ち上がってどうするかっ」って後ろからナーグお爺さんの声がするけど、必死だし背に積んだ炭で隠れてお爺さんの顔は見えない。
「……一旦下ろしなさい」って言葉に素直に従う。――ドスンって音がしそう。
「ワシとナレンをよく見るのじゃ。ナレン横を向いてあげなさい」汗ばんだ手をさすりながらナレン君を見ると、私に向かって横を向いてくれてた。
「だいぶ斜めじゃろう?真似してみい」と言う。
確かにナレン君はまっすぐ立ってなくて、だいぶ斜めになって立ってた。
うん、真似してみる。
「もっと斜めじゃ。――もっともっと。よーしそこじゃ」って言われた角度で止めてみる。「そのまま立ち上がってみい」って言葉にその通りにする。
さっきまでね、全然上がらなかったのに――立ち上がることすら出来なかったのに。今度は立ち上がれた!
「よーし、そのまま前にゆっくり進むのじゃ」立ち上がれたのにドキドキしてたけど、言われるままにするしかない。
小屋から出ると、ダグ君とリューネちゃんの驚いた顔が目に入った。
「ミフィーナ、いっぱいつんでるね!」ってダグ君。うん、って答えたいけど。顔が引きつって声が出ないや。
「……すごい苦しそう」ってリューネちゃんが心配してくれる。
「なーに、馴れる馴れる」ってナーグお爺さんの容赦の無い声。
そのまま行こうとするお爺さんとナレン君を慌てて呼び止める。
「ちょっとだけ、お別れさせてください」って。頷いてくれたお爺さんに、ありがとうって短く言って、小さな二人の前にしゃがみ込む。
「短い間だけど、ありがとう。あのね村に入る前とかね。二人がみんなに挨拶してくれて。ホントに助かったの。知らない人しかいなくて、とっても不安だったんだ……」二人に一番感謝したかったことを何とか言えた。「うん」って言いながら二人が。私の炭で真っ黒になった手を取ってくれた。二人の手も真っ黒になってしまった。
「また冬ね」――うん。「やくそくよ?」――うんうん。
ほんとは、二人の可愛らしいほっぺたに手をそえたり、髪に触れてみたかったけど。そこも真っ黒になりそうだったから止めた。でも、今度会ったらやる。とってもそうしたい。
背負子をさっきと同じように担ぎ上げると、まっすぐ前を向いた。お爺さんとナレン君が待ってる。
「今度は二人に私がご馳走するんだから!」そう言って、ゆっくり歩き出した私の後ろから、「ぜったいだよ!」「メルもペルもげんきでねっ!」って元気な声がする。
うん、絶対だよ。
◇
そこからは……順調に。
――な、わけもなく。休み休み行きました。
やっぱり転んでしまった。ちょっと姿勢がまっすぐになると、後ろに重さで一気に持って行かれて派手に転んでしまった。
「ミフィーナ。今、何も無いところで転んだ。道はどんどん悪くなるのに心配……」ナレン君に呆れられてしまった……。
「んっと、私ね、毎日ね。一回は転ぶ癖があるみたいなの。だから平気」
「それ、全然平気じゃ無いよ……」もっと呆れたようなナレン君。シフィールもナレン君の足下に居てこっちを見てるようにも見える。う……二人して責めてるみたいだよう。
目指す山のほうを見上げると、草の緑の絨毯の中に僅かに地面が見えるところがある。あそこを行くのかな、って思うと正直ゾッとする。
「あそこを行くんですか!」って聞くと、ナーグお爺さんが私の目を追って、「ああ、あの道を進むぞい。お前さんが見えとるところは小屋まで半分くらいかの?」と恐ろしいことを言う。
……半分。ずっとずっと先だね。軽く絶望した。聞かなきゃ良かった。
何度か休んで。大変な山道もなんとか転ばずに、歩くことが出来ました。
ここから先は絶対後ろに転ぶんじゃないぞ、転ぶなら必ず前に転ぶんじゃって、山道にさしかかった頃、ナーグお爺さんに心配されました。
でもさっき転んだのは、一日一回のいつものやつだったみたいで。そんなに心配されなくても大丈夫だったみたい。この転ぶ癖は治らないからなぁ。
今、三人とも背負子を下ろして山道にちょうど三つあった岩に腰掛けてる。
革袋の水が美味しい。メルとペルも草を食んでる。
何も荷物を持ってない二人が羨ましい。ホント、そう思う。シフィールも何も持って無いし!
メルとペルはすっかり、ナレン君とお爺さんに懐いちゃったみたい。
シフィールも私とナレン君、ナーグお爺さんの周りを交互に回って、懐いてる……?風にも見える。
休憩が終わって、再び山小屋を目指しました。
西に傾いた日が山に隠れたる頃、「ほれ、見てみ。麓が綺麗じゃぞい?」ってお爺さんに言われたけど。後ろを振り向く余裕なんてありませんでした。無理無理。前を見るしか無い。振り返って転んだら、ぜったい怒るでしょ!?でも、見たかったな……。
日も暮れて随分経った頃。ようやく山小屋に到着。
急に肌寒く感じてきた。汗のせいもあるのかな。
長かった。でも、なんとかやり遂げました。
何度も何度も、もう無理無理って言いたかったけど我慢したし。転ばなかったし。
きっと自分より小さいナレン君が文句も言わずに登ってるのが、支えになったみたい。
辛かったけど、満足!
って思ってたのね。でも、「山から下りる度にやってもらうぞい」って言われるまではね!
すぐに小屋の脇にある炭が一杯詰め込まれた部屋に案内されて。二人を真似て丁寧に炭を積み上げる。
こんなに沢山あるのに、まだ必要なんだって思う。
背負子を下ろした後も、なんかまっすぐ歩けませんでした。ナレン君とお爺さんもちょっと斜めになって歩いてるから、私だけじゃないみたい。
炭を置いた後は、ナーグお爺さんがすぐにメルとペルを、お爺さん達の山羊と羊に会わせに行く。
なんて多いんだろう。囲った柵から見てるけど、何頭いるのかわかんないな……。
柵にある戸を上げて、ナーグお爺さんがメルとペルを促したけど、やっぱりすぐ入ってくれなくて。私が中に入って二人を呼んだら、だいぶ経ってようやく入ってくれた。
「二人とも別嬪さんじゃからの。すぐに人気が出ると思うぞ」ってお爺さんが言ってくれた。
そうかなあ、そうだといいなぁ……。
「ナレン、火と湯。そして晩飯の用意じゃ」って言葉に、ナレン君が小屋に入っていく。私は何をすれば?ってお爺さんに目を向けると。
「お前さんはもうちょっとメルとペルを見てやってくれ」って言ってくれたから、しばらく二人の様子を見守ることが出来たんだ。
ナレン君が私を呼びに来るまで二人を見守ることが出来た。だいぶ不安だったけど、今はメルもペルもお爺さんの羊に混じってる。他の子達と区別が付かなくなったらどうしようって、ちょっと心配したけど。そんなことはありません。ちゃんと分かる。ほら?目とか鼻とか違うし。尻尾も違うし。声も違うし。ね?
「奥で身体を拭いてきなさい」ずいっと差し出された桶に使い古された布が掛かってた。
小屋の中には大きな暖炉があって、ナレン君が大きなチーズを切り出してる。こんな大きなチーズみたことない。
この小屋はメルおばさんの家に部屋の間取りはちょっと似てる。ただ、全部木で出来てるっていう大きな違いがあるけども。
私の住んでた木の家に近いかもしれない。
分厚い木のテーブルの上に、平べったいパン?かな。何個も置いてある。
チーズを見た瞬間お腹がキュるっと鳴いたけど。お爺さんに言われるまま、奥の部屋に入る。奥の部屋にも暖炉があって、黒いはずの炭が真っ赤になってた。暖かい。奥の部屋には干し草のベッドが二つ。大きさは違うかな。ちょっと大きいのと小さいのが二つ。
そして暖炉の前に大きな椅子があった。
暖炉の前の椅子に腰掛けると、お湯の入った桶に布を浸して。顔から拭いていきました。……手と顔を拭っただけで布は真っ黒になった。髪もごわごわになってたけど、何回かしつこく拭ってたらだいぶ指が通るようになってきた。
水が温くなってきたからおしまいにして。桶を返しに行ったら、お爺さんからお湯と水のお代わりを渡されて、髪をもちょっと綺麗にして。今度は身体も綺麗に拭っていく余裕があったかなあ。炭のせいでいつもより真っ黒になってたみたい。――炭焼き小屋のアレンさんとか、毎日大変なんじゃないだろうか……。
桶をお爺さんに渡そうとしたら、暖炉の立てかけた串のチーズを裏返すナレン君と目が合った。
慌てたように目を逸らされてしまう。うう……。なんだよう。
「髪……銀色みたいだ」ってボソっと呟くのが聞こえた。
「お前さん顔拭っただけで化けるのぉ。もちっと湯をやるから綺麗にしてきなさい」ってお爺さんが言うから、もう十分な気もしたけど。今度は服も脱いで全身さっぱりにしました。久しぶりだったから気持ち良い。
シフィールは全然汚れない。随分ずるい気がする! 二人にも見えてないし。ずっとこのまま黙ったままで良いかしら……。今まで出会った人たち、全員シフィールのこと見えてないんだよね。いつか見える人が現れるかなあ……。見えたら見えたで、どうシフィールのこと紹介しようかな。おじいさん。あ、あの長く一緒に居た魔法使いのね。おじいさんから呼び出されたテッドとイリーナのことも話さないといけないんだろうか。でもね、あの二人のこと秘密っぽいんだよねえ……。
考え込みながら拭っていたから、だいぶ時間が経ってしまったかも。上と下の布を丁寧に巻いて服を着て、使っていた湯に目を落とすとだいぶ濁ってる。こんだけ汚れが取れたってことだよね?綺麗になって良かったかも。
ナーグお爺さんとナレン君の部屋に戻ると、チーズの匂いが。
あ、ダメ、コレ。なんて良い匂い。今までのチーズと全然違うの。
私がチーズに釘付けになったのを見計らったかのように、ナレン君がチーズが刺さった金属の串を差し出す。
「あ!あ、あっ」暖炉に照らされて黄色く溶けたチーズ煌めいてるし、今にもこぼれ落ちそう。慌てて平たいパンで受ける。
パンにどっかりと乗ったチーズと二人を交互に見てたら、「食べてよし!」ってお爺さん。食べます!チーズチーズ!
「あう、ふ、熱い。熱い熱い?チーズ、濃い濃い濃いぃ。あふあふあふ」もう、自分が何言ってるかわからないし。濃いし。熱いし。
「こんなチーズはじめてでふ。……あ、口の中でくっついてう」って言うと、お爺さんもナレン君もニヤってしてる。
すごかった……チーズって輝くんだね。綺麗だね。
◇
私が身体を拭いた部屋は、私とナレン君の部屋だった。
大きめのベッドは私ので、小さめのはナレン君のだった。その夜は倒れ込むように寝ました。
炭を運ぶのも、山を歩くのも初めてだったし。
朝起されると、頭がぼけっとしてたし。……チーズすごかった。また食べたい!
そのまま、口に出しちゃったらしく、またナレン君が呆れ顔をしてたかな?……だって仕方ないでしょ、あのチーズは。
そして、山小屋暮らしの山羊と羊の放牧生活が始まりました。
朝はとても寒い。冬と同じくらいって思ったけど、もっともっと寒くなるんだって。
ナレン君のお父さんとお母さんはだいぶ前に亡くなっちゃったそうで……。お爺さんと二人暮らしなんだって。
ナレン君のお母さんが着ていたという服を貰いました。
靴もあったんだけど、私の足の大きさでは小さくて入らなかった。革で出来た頑丈そうな靴。
今まで着ていた服より毛がモコモコしてて暖かい。マントも分厚い。――大事に使います。お母さんの思い出があるだろうしね。
転んで破きませんように!
最初の頃はナーグお爺さんも着いてきてくれてたけど、しばらくしたら、「もう任せられる」って言って何日かに一回だけくらいの間隔になってきた。ずっとナレン君と一緒。メルとペルもすっかり他の子に馴染んでくれてほっとしたんだ。
朝出かけて、日が沈む前に小屋に戻ってくる。
尾根から尾根を渡って開けた所に草が茂ってる。
急になった斜面にみんなが向かわないように、追い立てていく。
ナレン君より、私の方が随分背が高いから、危なさそうな子には早めに気づけるみたい。
毎日繰り返した。幸い転げ落ちるような子もいなかった。
向かう先もちょっとずつ変えてる。食べた草が全部なくなっちゃわないようにしてるんだって。
毎日同じようなところじゃなくて、全然飽きない。
地面に枝で字の練習も出来てる。
「最初はちゃんと見てないとダメだよ」ってナレン君に注意されたけど。書きながらでも周りに気を配れるようになってきたかも。
まあ、私が字の練習している間は、ナレン君がいつもより注意して見回してくれてるのかも知れないな……
行く先々の山からの眺めが綺麗で。朝と昼、夕方全部違って見える。それに、ぼーっとしてられる。覚えている本の一節を地面で練習することも出来るし。メルおばさんにこの仕事を案内されて良かったなあ。
ご飯も食べさせて貰えるし。小屋にはベッドもあるし。
お昼はナレン君が焼いてくれたパンとチーズ。
そして夜は暖炉でトロトロにしたあのチーズ。毎日チーズ!素敵。
朝はパンとみんなから貰ったミルク。山羊のミルクも貰って飲んでみたけど、羊のより少し薄い味がした。羊の方が好きかな。メルとペルで馴れているせいかもしれないけど。
パンもね。毎日ナレン君が焼くのも大変だろうからって、やってみたけど。
「こりゃダメだな」って二人に言われちゃって……。焦げたし。こねるのも甘いみたいで。二回やらせてくれたけど、三回目はウィートの無駄じゃわい!って言われて、ご飯はナレン君担当のままでした、はい……。
夜は寝る部屋でナレン君と本を読んだり。
椅子に座って暖炉の灯りで眠くなるまで私が本を読む。
本を持っていることと、字が読めて、書けるんですって言ったらナレン君驚いてたよ。
村では村長くらいしかそんな人いないかもって。村長さん字書けるんだね。今度山を下りたら聞いてみようと思う。
最初は私が読むだけだったけど。
ナレン君にも字が見えるようにくっついて読んであげるようにしたんだ。
モジモジしてて寄ってくれなかったけど、お爺さん起きるでしょ?私も大きな声出せないのって、しつこくしてたら諦めてくれたみたい。
繰り返しそうしてると、この字は「木」「数字?」?って私が読む前に気づけるようになって。ちょっとずつだけどナレン君も字が分かるようになってきたみたい。
いつか読めるといいねって私が言うと、「でも役に立たないよ」って悲しいことを言うの。
確かにこの村や羊や山羊と暮らす生活には、必要そうにないかも。
寂しいから、何か役立つことないかなって、放牧してるときも考えるようにしてるんだ。
そして寒い夜。いつも通り本を二人で本を暖炉の前の椅子に座って読んでた。
その日は風がすごくて、隙間風で私の読む声が。すぐ隣にいるナレン君にも聞こえなくなるくらい。
何度か聞こえなくて。聞き直されて、困ってたんだ。
なかなか読み進まない。もうちょっとで好きなシーンなんだよう。寝る前にはそこまで進みたいようって。
(……風が止めば良いのにな)って強く思っちゃったのは覚えてる。
そしたらね、シフィールが強く緑色に光ったんだ。何度か目にした光。でも山小屋に来てからはそんなことは起きなかった。
……しばらくしたら風がすっかり止んじゃった。
急に読むのを止めた私を不思議そうにナレン君が見つめてる。「ミフィーナ、眠い?」って言われたけど。ううん、眠いんじゃない。シフィールを見てるんだけど、これは言えない。
ちょっと待ってねって言って、シフィールをじっと見つめる。光はじわーっと消えて、いつも通りのシフィール。
でも、あんなに強く吹いていた風が急に止むってある?って疑問がどうしても消えなかった。
『私の止んだら良いのに』から、風は止まってる気がする。
(シフィール?)反応がある。寄ってくる。
(なにかした?)答えは無い。話せないのがもどかしいなあ、もう。
ふっと閃いた。
(シフィール?風を吹かせて。お願い!)
しばらくしてまた緑の光。
そしてまた、隙間風がすごくなってきた。そして小屋が震えるくらいの強い風に戻ってる。
うん。これ私のせいだ。
シフィールは私のお願いを聞いてくれてる。――もう、そう思うしかなかった。風が吹いたり、止んだり。
本を読むのにこんな強い風は邪魔だったから、もう一回お願いした。
またシフィールの光と共に、風が弱まって。そして風を感じられなくなった。
光るくらいしかシフィールには変化はない。でも、もう私の声に、お願いに反応してるとしか思えない。
これがシフィールの力。風の精霊の力なんだ。魔法みたい……。うん、もう魔法じゃないの、これ?
おじいさんが、私の住んでいた木の家にきっと魔法をかけてたと思うんだ。
だって、木の枝が張ってないところは、ほんと風がわずか。木から離れるとすぐに風を強く感じる。
それにとても似てる。
「ミフィーナ?」って呼ばれた声に我に返る。あ、ごめんなさい、ナレン君ほったらかしだ。
ちょっともう、本を読むとかそういう話じゃなくなっちゃって。
「うん、ごめんなさい、やっぱり眠いみたい……」って。この子に対して初めて嘘を言いました。
おじいさんに、すごく怒られて以来ずっと嘘なんて言わなかったのにナ……。
その日は初めて使えた魔法のようなものへの興奮と。
ナレン君に嘘を言ってからの心のざわめきで全く寝られなかったのを、よく覚えてる。
◇
シフィールは何にも変わらなかった。
風を強くしたり、止めたりしたから。もし居なくなっちゃったりしたらどうしようって心配だったんだけど。
全然変わらず。
今も私のそばに居る。
ナレン君やナーグお爺さん、それに羊や山羊と山を巡っている時も色々試すようになったかな。
麓から強い風が吹き上げてくる日は、ちょっと風を止めてみたり。
どのくらい広い範囲が止まるのか見てみたり。――思ったより広かった……見える範囲の草が止んだ風でまっすぐ立って見えた。
風が強い夜は、あの夜のように風を止めて本を読んだり。
ナレン君が朝、暖炉に火を熾すとき、強い隙間風が邪魔だったら止めてみたり。
なんだか風を止めてばかりだけど、逆に風があった方が良い使い方がまだ無くて、ね。
そんな風に便利に使っても。シフィールは文句も言わず、私のお願いを全部聞いてくれた。
おじいさんに聞いたことを何度も思い出した。
私の中の風の魔素がシフィールに与えられてるって。でもね。何度もお願いを聞いて貰ったのに、私にも何の変化も感じられない。
シフィール以外にも変化はあったんだ。
これは嬉しいこと!メルとペル。二人ともだけど、赤ちゃんがやがて生まれるらしい。
「別嬪さんじゃしのお」ってナーグお爺さんも嬉しそうに言う。
毛刈りの頃には生まれるらしい。その頃は、一旦冬になって、私が山から下りて。そして戻ってくる頃!
ちょうど二人が赤ちゃんを産む時期に戻ってこられる。楽しみが増えた!二人の子どもだよ、絶対可愛いよ?
山はそしてどんどん寒くなっていってた。
冬が間違いなく近づいてる。
とても天気が良い朝なんて私が最初着てた服じゃ、凍えてしまうくらいに。――ナレン君のお母さんに感謝。
だってモコモコで暖かい。私のほうが背が大きいみたいで、手も足も少し短いけども。
薪も炭もどんどん減ってる。薪は炭が赤くなりだす前までしか使ってないけど、それでも何本も必要だし。
炭は黒い煙も出ないし長く燃えてくれてるけど、一日にお爺さんの居る部屋と私たちの部屋でかなり使う。
ナレン君が薪から出る煙に顔をしかめてるとき、シフィールにお願いしちゃった。
煙を部屋の入り口から追い出すように風を流してみようって。ちょっと上手くいかなくて暖炉の火を消す勢いだったけど。
初めて風を吹かせる方でシフィールの力が使えた。すごく便利にしちゃってるけど、良いのかな……
何も言わないからって、便利にしすぎてるんじゃないかなって。
ナレン君にもナーグお爺さんにも見えてないからって使いすぎじゃないかなって。
でも、シフィールはなにも言わないし、どっかに消えちゃうこともなかったんだ。
自分の気分でシフィールの力を使ったりなんかしないけど。困ったときは感謝しながら使うようにしてる、たぶん……。
風が強い!止んで欲しい!ってのは私の気分じゃないの?って思うこともあるけども。
初めて行く尾根を越えて、まだ草が沢山生えている場所に着いたとき。ナーグお爺さんがこう言った。
「ここが尾根が最後じゃの。来週か、遅くとも再来週には雪が降り始めよる。――冬じゃな」って。
ナレン君は何も言わず、私の方を見てくる。そうだね、冬になったら村に一回帰るんだった。山を下りなきゃいけない。メルおばさんとの約束だった。
今じゃ三十二人の羊と、十六人の山羊。みんなと仲良しになれたんだ。ナーグお爺さんとナレン君から聞いた名前も知ってる。どれがどの子なのかすっかり分かる。素直な子も怒りん坊な子も分かる。
メルとペル以外にもお腹に赤ちゃんが居る子達も何人もいる。
――急に寂しい気分になってきた。
ナーグお爺さんから、冬が近いって言われた夜。
いつも通り寝るまで二人で本を読んだ。四冊持ってきた本の最後の一冊。
山から下りるまでに読み切りたいんだよね。春には戻ってくるけど、その時は一からまた二人で読みたい。
ナレン君も読める字が増えてきた。数字はもうはっきり区別がついて。
「ミフィーナ、今の6じゃない?4って読んだけど……」って私の読み間違いを指摘できるほどに。あ、うん。6と4は似てるの。ほんとよ?
「ええっ!」って指さす所に顔を寄せると。「だから近いよ!」って離れられたり。だって見えないじゃない?
二人はゆっくり本を読んでる。私は何度も読んできた本だけど。私もナレン君も見たことない物。見たことない世界が本の中には一杯なんだ。
そういうのが本で登場するたびに。「これってナンダロウね?」って。
そこからは、これじゃないか、こうじゃないか?って二人が知ってるものを言い合うもんだから、読み進めるのはどうしても遅くなっちゃう。でも、それが楽しくて。きっと外れてる想像かもしれないけど。そうやって想像することそのものが楽しくて。
今まで一人でずっと本を読んできたけど、二人だとこんな喜びがあるとか知らなくて。
頑張って冬になるまでに少しでも進めようって夜更かしして。二人とも寝過ごして怒られるのも。大事な時間だった証だと思うんだ。
『その輝きはダイヤモンドのようだ。強くそして儚さも兼ね備えた瞳の光だった』
今夜も二人の「コウジャナイカ?」が始まるわけです。
そう、ダイヤモンドってなに?って。
たぶんものすごく綺麗なんだろう。だって、物語の主人公が強く想ってる女性の瞳のことを言ってるから。
そんな綺麗な物見たことある?って、私がナレン君に聞く。
「うーん……」って悩むから私も考え始める。
「ほら、小川のさ。水の表面にキラキラって光が輝き続けることあるじゃない?あれってダイヤモンドじゃないかな」ふふ、我ながら、これだって思うのが思いついた。あんなキラキラした瞳なら主人公もウットリしそうだし。
「小川の光かあ。うん、あれはすごく綺麗だねえ」ナレン君も納得しそうだったけど。まだ考えてる。
「ああ、ミフィーナ。もっと綺麗なのあるよ!」ってナレン君が。――負けず嫌いね、この子って思いながらナレン君の思いつきを楽しみにする。
「真冬にね、ここでとっても寒い日に。すごくキラキラなんだよ」って。
「そんなに綺麗なの?小川より?」「負けないよ!ホントに綺麗なんだ」すぐに輝くような笑顔で言う。
「見たいなあ……でも、真冬だったら……私、村にいるから。見られないなあ」うん、そうなんだよ。
「そっかあ……」ナレン君もとても残念そう。うー、見たい。見たいゾウ。
長いこと悩んでたから、そろそろ今夜の本はおしまいにしようって声を掛けようとしたら。
ナレン君がパッと顔を輝かせた。
「真冬に一日。ここに来れない?」「うーん……分からないけど一日くらいなら、お願いしてみようかなあ」まだ、冬の仕事がどんなのかさっぱり分かってないのに、なんとかしたい気分で一杯。
「何度か見たけど、だいたい前の日の感じで分かるんだ。山小屋で薪を一杯燃やせば、煙が麓でも見えると思うから……」
「煙で合図にするのね!」
「うん。今までも何度かそうやって村に合図してたし。今も出来るよきっと。薪を沢山使うから、爺ちゃんにちゃんと許してもらわないといけないけど」
「じゃあ、私が今度は薪も持っていけばいいのよね?」って提案する。
「良い考えだよ。それなら爺ちゃんも許してくれそう!」
「はいな!担いでいきます」頷きながら、もうその気になってる。薪は炭より重いけど。頑張れる、きっと。
ナレン君が見せてくれるっていう、輝きが楽しみ。
小川の輝きもとても綺麗なんだけど。もっとすごいのかな。
二人が夜更かしした夜が明けて。起き出した朝。
一面にうっすらと白い雪が地面を覆ってた。
初めての雪。私が山を下りる冬がもう間近に迫ってた。