2話 北の村での出会い
2話目です。スローペースですが、よろしくおねがいします!
ずるずるダラダラしてました。はい。
テッドとイリーナが召喚された日に旅しなさいって言われたけど。
……やっぱり行くぞ!って踏ん切りがつかなくて。
羊のメルとペルと。そしてこのあいだ、来てくれた風の精霊シフィールと過ごしてた。
大きな革袋が台所の棚の下に、置きっ放しになってたから。それに旅に必要そうなものをたくさん詰め込んで準備はしてたんだけど。
……気持ちがね。本ばっかり読んでました。
おじいさんが、また立ち寄ってくれないかなって願ってたりしてたんだけど。
結局あの夜と翌朝からは、もう来てくれなかったんだ。
やっぱり行かなくていいぞって、言われるのを。とても期待してたのかもしれない。
ううん、してた。期待してた。でもようやく、重い重い腰を上げて。
台所のテーブルに持って行くものを広げる。
お鍋。ご飯作るとき重要。
お玉とかお椀とかマグとナイフ。食器です。ナイフは木を削ったりとか、色々に使う。
火口箱。火を熾す道具一式が入ってます。毎朝使ってるもの。中が濡れたりしないよう気を遣う。
鉈。私の背丈ほどもあるような草むらを歩いて行くときとかあるかも。そういうとき刈分けて進んだ方がよさそう。森の中でも枝とか細ければ断ち切っていけるし。
七日分のごはん。こないだ貰った干し肉とパンとウィートの粉とお塩と調味料の袋。それとダラダラしてた間に作ったチーズ。
……これだけでもかなり嵩張る。
そして、本。お気に入りのシリーズものの本の四冊。置いて行こうと何度も悩んだけど、持って行くって気持ちが勝ちました。はい。
おじいさんが来てたら、持って行って良いか確認したんだけど、来なかったし。それに家の中で持って行けるものは持って行って良いって言われたし。
革袋を縛る太い紐を、同じくらいの太さの長い紐に換えて、袋の下の方の革が余ってるとこに穴を開けて。肩から背中の腰付近で固定出来るようにしたんだ。肩に背負うだけより大分楽になった。
メルとペル用に干し草の藁束を背負った革袋に結わえ付けたら、旅立ちの姿は完成。
旅に良さそうな服とか持って無かったから、いつもの格好にマントを羽織るだけ。
はぁ……ってため息がつい出ちゃう。
あんまりため息とかしなかったのに、今のため息は長いなあ。
いつも通りの気持ち良い朝日が、戸窓から差し込んでるのに。旅立つと考えると気が重かったり。
ベッドの藁がずっと使わないと萎びるどころか腐っちゃいそうだから、全部捨てることにした。
干し草のベッドから藁を全部家の外に運び出すのに、二階と一階を何階も往復して。
しばらくは、ツルツルの手すりで滑って一階に降りるのもお預けかなあって思って、何度か滑ったりして。転けたりして。
最後なんて思いたくなかったから、しばらくのお預け。
シフィールはずっとそばに居て、何してるんだろうって感じで……見守ってくれてた。って思いたい。
木の家の戸口から羊小屋の方を見ると、メルとペルがすぐに寄ってきた。
いつもと違う格好だからか珍しいのかな。
二人にいつも通り、水と餌をあげる。
貯め込んだ干し草はどうしよう。もうじき寒くなるからたくさん作っておいたんだけど。暖かくなってきたら、これも腐っちゃうかなあ。迷ったけどやっぱり捨てることにした。一個一個重い。たくさん作ったのに悲しい。
ベッドや羊小屋の干し草を処分してるだけで結構時間が経っちゃった。
早朝の間に出発するつもりだったけどナ。
最後に四階から一階まで見て回る。
四階。おじいさんが出入りしてる部屋。不思議な割れ目はいつも変わらずあった。触れたりしたら全然違う旅立ちになりそうだから、もちろんそんなことはしません。
小さな棚にこの間の儀式で使った不思議な石が六つ、無造作に置いてあった。儀式というと、あの不思議な二人の子どもがひょっこり訪ねてくることもなく。ちょっと残念。男の子はテオドリウスっていう子で、テッドって愛称かな?呼ばれてた。おじいさんが言うには精霊らしい。女の子もそうだったのかな、イリーナっていう声の綺麗な子。儀式で呼ぶくらいだから、もう会えないのかもなあ……。
三階。本がいっぱい。四冊だけ持って行くけど。次にお気に入りな本を手に取って開いてみるとお気に入りのページでした。何度も読み過ぎたところが、自然と開くようになってる。目で文字を追おうとしてやめました。また出発が遅くなる!
二階。干し草のベッドだけが置いてある。今はもう干し草も無くなって、小さな棚があるだけの部屋。
一階。台所。お鍋や食べ物を革袋に詰め込んだから、ここも物が減って寂しいなあ。
出かける前に背負った革袋を置いて、入り口に立って木に刻んだ傷と合わせてみる。いつも通り身長に全然変化なし。
メルとペルが家の入り口に立った私に気づいて、鳴き声を上げながら寄ってきた。
シフィールは、というと。私が背を確認するために立ってたところに、ひょっこり居る。
……真似してるんだ。自然と楽しい気持ちになってきた。
ありがとう、シフィール。
せっかくなので、シフィールの大きさを刻むように、ナイフで木に印を付けておいた。
私はもうずっと変わらないけど、この子は大きくなるかもしれないし。今は桶くらいの大きさ。傷をつけて残しておこう。……またここに戻ってこられればね。
メルとペルに着いてくるように、二人のお尻を軽く叩くと。いつも日向ぼっこしてた丘に立つ。
木から離れてるから、そよぐ風も感じられる。
あの夜から六日もグズグズしてた。何をダラダラしとるんじゃーっておじいさんが怒ってやって来るのも期待してたけど。
来なかったし。……もうここには来ないかもしれないし。
仕方ないから行くんだ。
◇
おじいさんは、小川沿いに『北』に行けば集落があるといってた。
北ってどっちだっけ。朝日が昇る方が東。右手を朝日の方向に手を伸ばす。
日が沈むんでいく方が西。左手を伸ばして夕日が沈む方向を指す。
北は川の水が流れてくる方向みたい。反対に行ってたらたどり着けないよね……。
小川に沿って歩いて行くと、川に迫るように森が近くなってきた。川が見えなくなると大変だから森には入らない。
草の茂る原っぱと森の境目辺りで不思議なことが起きたんだ。
普段こんなところまでメルとペルを連れて歩かないから、何度も振り返りながらゆっくり歩いてたんだけど。
急にね、メルとペルの姿が消えたの。
慌てて戻ったら、二人ともゆっくり着いてきてて。遠くなっちゃったけど木の家も見えて。
シフィールも足下に居た。ほっとしてまた歩き出したら、またメルとペルが消えて。
ちょっとしたら、じわっと二人とも現れた。
うーん……たぶん、おじいさんが何かしてた名残かなあって。深く考えるのは止めました。
それに、今まで通ってきたところが原っぱじゃなくて、森になってたし。
これ、外からまた戻ってくる時、分からなくなりそう。――そう思うと途端にすごい不安になってきた。周りを見渡すと川にちょうど大きな岩が積み重なってたから、目印に心に刻んでおこうって強く思った。
さらに歩いていると、似たような重なった岩があって、慌ててさっきの岩に戻りました。こんなのが一杯あったら目印にならない……手近の太い木に、ナイフて×印を付けておくことにした。どうかこの木が倒れませんように!
メルとペルは大人しく着いてきてくれてた。家から離れたら着いていくのを嫌がって、戻ろうとしたらどうしようと、ちょっと不安だったんだけど。時折、川岸に生えてる草を食んでるから、歩くのはとてもゆっくりになるけど。無事着いてきてくれて良かったなあ。
シフィールはメルとペルの周りを回ったり、私の足下を回ったり。退屈な感じはしない。
私たちがご飯を食べるのに腰を下ろしてるときも、クルクル回ってる。ほんとにご飯要らないんだねえ。私の魔素ってのを食べるっておじいさんが言ってたけど。私には何にも変化ないし。本当に不思議。他の精霊もそんな感じなのかな。わかんないけど。
夜、火を熾してウィトーのスープとチーズをかじってるときも、何もあげなかったし。パンをシフィールの目の前に持って行っても、何の反応もなかった。私の魔素が無くなったり――どうやったら無くなるかも分からないけど――したら、シフィールも腹ぺこになるのかなあ。
メルとペルが寄り添ってくれたので、ベッドと掛け布がなくてもその夜は寒くなかった。
でもね。朝。木にもたれ掛かって寝てたんだけど、あちこち身体が痛い。起き抜けにまた転んだからそれも痛い。
ベッドはね偉大です。
二日目のお昼過ぎ。ご飯を食べてからしばらく経った頃。見慣れないものが目に入った。川に覆い被さるような木の何か。
ゆっくり近づいてみると、木の板と幹で出来たものだった。
水に濡れずに川を渡れる!
私の頭の中にビカっと。――これが橋なんだ!本で読んだ。
川を渡る橋がとか。城門に向かう橋がとか。そんな記述があったけど、目にするのは初めて。
ということは、人が。誰かがこれを作ったってことだね。
橋の両端は草が生えてない。北よりの東と、南よりの西にその草も生えてない筋は伸びてた。
道がある!
……ここで迷う。
このまま川沿いに北に行くか。新しく見つけた道に沿って行くか。道に沿うなら西にいくか東に行くか。
道からちゃんと集落に繋がってれば良いんだけど。
もし違っても、橋が大きな目印になるから、戻ってこれるよね。誰か人が通れば――それはそれで不安で一杯だけど――集落がどこにあるか聞けるかもしれない。でも誰も居ないしなあ。
ずっとここに居ても仕方ないから、橋から東の道を行くことにしたんだ。
道は森の中を緩く曲がってたけど。北の方に向かってるみたい。沈んでいく夕日が左手にあるから、北に進んでるってわかる。
それに川沿いに進んでるときは川にせり出した木や枝を鉈で払いながら進んでいたけど、道沿いに歩くようになってからはそれもやらなくて良くて、とても楽ちん。
二日目の夜も三人で固まって木の根元で寝て。三日目もゆっくり北に進んだ。
道を進むようになってから、困ったことは、メルとペルが食べそうな草がぐっと減ったこと。お腹が減ると二人して悲しい鳴き声を出すから、背中に手を回して干し草を引き抜いて与える。結構食いしん坊だから、このまま生えてる草に頼れないと干し草なくなっちゃうなあ……火を熾すのにも使ってるし。
どこか原っぱがあれば……って少し焦ってた。お昼の食事をしながら、道の周囲を見渡してみても、二人が好みそうな草は無い。木の陰に生えてる太い草くらいしかなくて、ちょっと葉だけ毟ってみたけど、二人とも興味なさそうだった。残念。
お昼からまた北に。残念ながら原っぱには出会えませんでした。橋を渡ってからもだいぶ歩いたなあ。本当に集落ってこっちでよかったんだろうか。間違ってたら戻らないといけないし。もう干し草も少なくなってるし……。
大分減って何度目か結び直しした藁束から、少し引き抜く。西日が残ってる間に火を熾そう。森に少し入ると風もだいぶ楽。けど、今日は風が強いなあ。もちょっと弱くなってくれれば。
……なかなか火がつかない。
風よ止まって!ってお願いしてたら、ふっとシフィールが私の手元まで寄ってきてた。
もうちょっとで、火が熾せるからね。ちょっと待っててネ。
そんな風に頭の中で語りかけてたら、ふっと風が止んだんだ。今だって感じで石を打つ。無事干し草に火がついてくれた。
やったぁ!って手元のシフィールに目を移したら、シフィールが緑色に輝いてる。
じわーっとした輝きにちょっと見とれてたら、輝きは収まってまた風が吹いてきたから慌てる。まだ火が小さいから大きくしないと消えちゃう!
道すがら集めてきた枯れ枝にも火が移ってくれて、ようやく安心。
安心してため息が出てしまう。……でも、なんかさっき光ってたなあ。シフィール何かしてくれた?そう語りかけてみたけど返事はなく、鍋を火にかけ始めたら、忘れてしまった。
日が沈む頃にようやくスープも出来たので、干し肉もあぶって暖めて今夜のご飯にする。
焚き火に追加で投げ込む枝を探して道にでたら、北の方の空に――まだすこし明るさの残る空に――、見慣れないものがあった。
なんだろう。煙?焚き火かなあって思って目を凝らしたら、幾筋もその煙はあった。
人が居るのかもしれない!メルとペルにここに居てって念を送りながら、座らせると北に延びる道を足早に進む。
ちょっとずつ左右の木が減ってきて、急に視界が開けたと思ったら、木の柵に囲まれた小屋が何軒も建ってた。遠くに見えた煙の筋は近寄るともっとたくさん立ち上ってた。
集落だ!ちゃんとたどり着けた!
この集落が目指すところかはわかんないけど。
このまま行こうか。でも、メルとペルはどうしよう。
また迷ったけど、今夜は二人の元に戻って、明日の朝訪ねてみよう。
おじいさん以外と話すのは初めてになるし、やっぱり怖かったんだと思う……。
その夜はマントにくるまって、メルとペルの暖かさを感じながら、眠ることにしました。
◇
うーん……。
ペシペシ。うーん……?
メルかな、ペルかな。ちょっと待って。もうちょっと寝ます。絶対起きるから。もうちょっとだけ。ね?
ペシペシ。ほっぺたを叩かれる感じ。止めてくれない。
ちょっと強く叩かれる。尻尾にしては不思議な感じ。
ハッとして目を開けると。
そこには二つの大きな目がっ!
「わあっ!」今の自分の声?って驚くと共に、頭の後ろがガツンって木にぶつかって。
「痛い!」これは私の声。
もっかい目を開けると、大きな目は人の顔についてて、ものすごく近くで私を見てる。
ドキドキする。
「生きてた、よかった!」って目の持ち主がそう言う。うん、生きてますよ。……口には出してません。
ちょっと離れてくれた。――男の子だ。この間見たテッドより少し大きい。
じっと見つめてくる。目が大きい、顔が近い。ドキドキする。
「たびびとさんかな?」って声を掛けてくれた。はい、こっちから話せませんでした。
ちょっと考える。
「……旅する人だから旅人。うん、旅人さんです」少し落ち着いてそれだけ言えました。
男の子はたくさん枯れ枝を持っていて、背にも枝がたくさんある。束にしてそれを背負ってるみたい。
茶色の短い髪に、同じように茶色い大きな目。格好はマントを外した私にそっくり。
薄い茶色の布地で胴と足に分かれた服。私と同じように腰のところは、紐で結んでる。
襟の所は私はだいぶ緩い感じだけど、この子のはぴったりしてるかな、そのくらいしか違わない。
「むらで、ねればよかったのに!」そう言ってくれました。昨日の夜には村っぽいのは見かけたけど、ちょっと不安でやめたんです。「初めてだったから、朝になってから行こうと……」
私がそれだけ答えると、男の子は不思議そうな顔してる。
「おとなのじじょうってやつだね!」って納得いったように言う。そうそれ!大人の事情ってやつです!ビビって先送りにしたんです。
「むらにいくの?」ってまた聞いてくれたので、うんと頷く。
「じゃあ、いっしょにいこう!」って手を引っ張る。「う、うん。でもちょっと待って。片付けてから行かないと」ぐいぐい引っ張られるからそれしか言えません、はい。
「じゃあもうちょっと枝をあつめてるから、おわったら道でまっててね」それだけ言うと男の子は森の奥に消えていった
木から身を起こすと、辺りを見回してみる。朝ですね、朝。焚き火はもうすっかり火が消えて、灰から少し煙が上がってるくらい。
メルとペルは……って二人を探し求めると、鳴きながら男の子が走って行った方とは逆からやってきた。
シフィールはちょっと離れて男の子が行った方を気にしてる感じ。
うう、頭が痛い。さっきぶつけたところが、たんこぶになりそう。座ったままさすっていると、シフィールが投げ出した足の間に入ってきた。
抱えられないけど抱えるように手をかざしてると、昨晩みたいにじわーっと光ってる。痛いって言ったから心配してくれてるみたい。ほんとにこの子と話せたら良いのになあ。
立ち上がって灰も踏んで焚き火を片付けると、革袋を背負って残り僅かな干し草の束も括り付ける。
道に出てみると、男の子とは別に、女の子も居た。
「ほんとだ!たびびとさんだ!」女の子から声が上がる。
男の子にそっくりな色の髪に目も大きいけど、茶色の瞳。男の子と同じくらいの背丈だった。
男の子と服は似てるけど、腰から脛の付近まで足の布地が広がってた。おじいさんのローブの裾みたい。
「あ、ひつじだ!」男の子が叫ぶ。メルとペルも見つかっちゃいました。
シフィールは私の足下に居るし、それなりに大きいけど、二人は気づいてないみたい。
メルとペルと同じように見えないんだなあ。新しく登場した女の子をまじまじと見つめていると。
それは始まりました。
「ねぇねぇ、どこからきたの?」「ひつじのなまえは!?」
「あなたはだーれ?なまえはなんていうの?」「ひとりなんだ?」「どこにいくの?」
待って待って。速い!速いよう。
「ここから南の方からきたの。羊はメルとペルって名前。私はミフィーナ。メルとペルの三人で来てます」
なんとか答えました。どこへいくの?には、ちょっと答えられない。私も分かってないから……。
あと、シフィールは見えてないみたいだから、なんとなく四人でって言わずに、三人にしちゃった。
見えない子が、あなたたちのそばに居るよって言うと、更に一杯聞かれそうだったし。
村に向かいながら。メルとペルはちょっと離れて恐る恐る着いてきてた。男の子と女の子とはたくさん話すことが出来た。
薪にするよう枝を拾い集めてたら、私を見つけたこと。昨日のシチューは美味しかったこと。(……何それ羨ましい)
二人は兄妹で、男の子がお兄ちゃんなこと。お母さんは怒らせると怖いこと。悪いことすると時々、家から追い出されて泣き止むまで家に入れてもらえないこと……。
そんな風に話してたら、すぐに村に着いてしまった。
◇
昨日と同じように朝の中でも、家から煙が立ち上ってる。
暗くて夜はよく見えなかったけど、たくさん家がある。
二人に手を引かれながらペルとメルと一緒に村に入ると、起きてきたばかりに見える人たちが、全員こっちを見つめてくる。
「たびびとさんだよー」って男の子と女の子が代わる代わる言ってくれる。じっと見つめてきてた人たちも、それで興味を失ったかのように家に戻ったり、薪割りの作業に戻ったり。
二人にすごく感謝する気持ちが湧いてきた。
だって、これ二人が私を旅人って言ってくれてなかったら、村の入り口で途方にくれてたかもしれない。ううん、絶対ショボくれてた。たくさんの目に見られて、森に引き返してたかも……?
「ここはいどー!水がくめるよ」男の子の声に、我に返る。
石で丸く組まれた大きな穴がある。脇に桶が置いてあって、これで水を汲むのかな。――これが井戸!初めて見ます。ありがとう!
「そして私たちのおうちー!」今度は女の子が手を引いたままの男の子より先に家に入っていく。
村の入り口から近い井戸のそばの家だった。木の柱と薄い茶色の壁の家。
私の家とはやっぱり随分違うなあ……。
足を止めていると、男の子が後ろに回って押し出すように家に入れようとする。
「ちょっと待ってネ。メルとペルにここに居るよう言うから」
メルとペルに座るよう、背中を撫でて座らせると二人が入った家に向かう。メルとペルはこうしておけばしばらくは動かないんだ。
部屋はちょっと暗くてしばらく目が慣れるまでよく分からなかった。
部屋にはたくさんテーブルと椅子が並んでいて、奥に女性が居た。男の子と女の子は私と女性の中間くらいに居る。
私より少し背は小さいかな。背は私の方が大きいけど、横の幅は私の方がとても小さかった。
しばらくじっと私の方を見てたけど。
「女だね」ってようやく喋ってくれた。
「ミフィーナっていうんだよ」って男の子が言ってくれる。
「はい」とだけ答える私。
しばらく見つめられてたけど、すこし安心した素振りが見えた。私もおじいさんに怒られそうで怒られなかったときに、良くするからなんとなく分かった。
「旅人なんて久しぶりだからね。どこから来たんだい?ああ、そこのテーブルに座っておくれ」
女性がそう言うので慌てて座ります。
「えっと。ここから南のほうから来ました」
「一人でかい?」すぐ質問されたから、すぐに「はい」と答える。
「女の一人旅はなおさら珍しいねえ」
そう言われたから、「メルとペル。二人の羊も一緒です」って答える。
「羊?表に居るのかい?」これには頷きます。シフィールは見えてないみたいなので、黙っておくって決めた。
女性もテーブルの向かいの椅子に座ると。私の方をまっすぐ見つめた。
「どこまで旅をする気かい?」少し探るような視線。
「えっと、おじいさんからはどこへとは言われてないです」
首をかしげる女性。
そこからは質問されては答えるってのをたくさん。
村から歩いて三日の木の家に住んでいたこと。ずっと羊と一緒に本を読みながら暮らしていたこと。
ちょっと前に突然おじいさんから旅に出るよう言われたこと。メルとペルは村で預けるか売るなりしなさいと言われたこと。
おじいさんはたまに食糧を置いてくれるくらいで、一人で暮らしていたこと。
「呆れるねえ、そのおじいさんとやら」ちょっと怒ってる感じで、首がすくむ。男の子と女の子も、ひゃっと小さく叫んで家から出て行ってしまった。
「いや、アンタに怒ってるわけじゃないさ。そのおじいさんさ」
「こんな若い娘を放り出しといて」とか呟いてる。
「んで、羊を売るなりして旅を続けるのかい?」
「いえ、預けて……預けていきたいです」
「いつここに戻ってくるのさ?」
「……」
「それにもうじき冬だよ。あんた金は持ってるのかい?ここから一週間くらいさらに川沿いを行くと、確かに街はあるさ。そこまでいけるのかい?」
「……」
寒くなってきてるから冬が近づいてるのは分かってた。お金は持ってない。――家に無かったから。それに本でも見たことあるだけで、お金を実際見たことが無い。街まで一週間。四日ならなんとかご飯は食べられそう。でも、ペルとメルの草が足りない。預けないと無理。
黙り込んだ私を見かねて、おばさん――こう呼んでくれって言われたの――は、こう言ってくれた。
「せめて冬はこの辺りで過ごしちゃどうだい?」ちょっと迷った顔をした後、こうも言ってくれた。
「何か出来そうなら仕事の世話をしてやってもいいさ」
「――仕事ですか?」
「そうさ。仕事しなきゃ飯は食べられない。そういうもんさ」
おばさんは考え込んで、じっとこっちを上から下まで見つめる。
「何が出来そうかねえ……本読んで暮らしてたって言ったけどさ。この村にゃ字なんてどこにもないからねえ。街なら重宝されて仕事はあるとおもうけどさ」
「……ああ、羊飼ってきたなら、羊がらみがいいかね」ちょっと明るそうに言う。
羊のお仕事っていうのもだけど、村に文字が無いってのにびっくりした。確かに家の中には何も書いたものが無い。
「字が無いってホントですか?」勇気を出して聞いてみる。
「読めるもんが居ないし、必要ないからね。なんでも面と向かって言えばいいし。忘れちまうようなヤツには何回も言えばいいしね。書き留める必要なんてないんさ」
「じゃあ……」革袋の底から慌てるように本を出す私。
「おや、立派な本だねえ。羊よりよっぽど高く売れるよ、そいつは」
「!」これを売るなんてとんでもない!って出かかった言葉を飲み込む。
「どうするかい?羊の世話をする仕事をするってなら、アタシがナーグ爺さんにクチを聞いてやるけど」
「……どんなお仕事なんですか?」
「村から大分離れた小屋に寝泊まりして、朝起きたら羊に水をやって、昼から夕方までは羊と爺さんの孫と一緒に山の方を順繰りまわってるんかな。どこまで行ってるかは、アタシも知らないよ」
メルとペルにやってたことと変わらないとこもあるかも……。
出来るかな。出来なかったらどうしよう。
そんな風に悩んでたら、おばさんが。
「冬は羊と一緒に羊小屋に泊まり込むんだが、爺さんと孫で手が足りてるみたいだからね。そんときゃ村に戻ってきてもらって別の仕事をしてもらう。確か毛皮をやってるマーサんとこが冬場は人手が足りないって嘆いてたからね。水が冷たい仕事だけんど、アンタも贅沢は言ってられないはずさ」
よく分からないけど、頷いてみる。
「春になったら、また羊さ。んで暖かくなったら羊の毛刈りが忙しくなる。ナーグ爺さんもてんてこ舞いさ。……この辺までやっちゃどうだい?羊の世話は駄賃は出ないけどさ。飯は世話してくれる。冬の毛皮の仕事や春の毛刈りはちゃんと金がでるよ」
悩んでも仕方ない。こんなに言ってくれるのって、実はとってもありがたいことなんじゃ。そんな気もする。
おじいさんもこの村のことしか言ってくれてなかったし。
あちこち巡れって言われたけど。お金とかもないし。お金が必要とか言ってもくれなかったし。
「はい、そうさせて下さい。お願いします」それだけ絞り出すように言えた。
「そうかい。そうだ、アタシはメルっていうんだ、あとで村に顔合わせに行くとき一緒してやるさ」
「メル!あの子と同じ!」
「そうみたいだねえ。さっき聞いたとき少しびっくりしたね!」
おばさんがニッコリ笑ってくれて、とっても安心したんだ。
◇
おばさんの家でご飯を頂きました。
もうね、夢のような食事だった。
パンは私が作ったのより大きくて柔らかいし。野菜と茸が入ったシチューは美味しいし。
チーズはそんなに変わらないかな。ちょっと涙目になってたら。
「よしてくれよ、今までどんな飯を食ってきたんだい」って不思議な顔をして言うから。革袋からいつも食べてるパンを見せた。メルおばさんは黙って、ちょっと躊躇する素振りを見せたけど。椅子に座った私を後ろからそっと抱きしめてくれた。
ご飯を食べて落ち着いた私に『お金』を見せてくれた。
茶色い銅の粒、銅より綺麗な真鍮の粒、そして銅貨。
これらより価値が高いって言いながら見せてくれたのが、銀の粒に銀貨。
もっと高いのに金の粒や砂金や金貨があるって教えてくれたけど、村にはないってことも。
そして私が食べた食事が、銅の粒一個で食べられること。
三回食べたら銅貨一枚は必要なこと。
何も払えない私だけど、おばさんが今回はオゴリさ、オゴリってわかんないかい?タダで良いってことさって、言ってくれてほっとした。(タダって言うのもわからなくて、お金が本当は必要だけど、出さなくて良いこと!って教えてくれました)
メルとペルは、ナーグ爺さんという人に譲れば銀の粒三つずつで六粒にはなるはずさとも。
売るのは嫌だけど、冬の間考えときなって言われて、素直にそうすることにした。
午後はいつの間にか戻ってきた二人の子達と、おばさんと一緒に村を回ったの。
こんなにたくさんの人に会うのも初めてだったけど。
「旅人だけど、しばらくうちの村で世話すんよ」「小汚い格好だけど顔は良いからって手出すんじゃないよ」とか。
「マーサ、冬はあんたんとこで面倒みてやってくれないかい。アンタんとこのガキだけじゃ手が回らないって言ってただろう」とか。
メルおばさんのちょっと後ろから、頭を下げながら会った人たちに「オネガイシマス!」って何度も言ってました。
全部の家回る頃にはお昼もすっかり過ぎて。おばさんに連れられて少し大きな家に。他の家と違って柵で囲われてる。木の柱で囲まれた壁も、他の家と違って白い。それに木も植えてあって、何の花か分からないけど花もちらほらあった。
「村長さんとこだ。まあ気の良い爺さんだから、大丈夫だって」
バンバン背中を叩いてくる。だいぶメルおばさんも私と一緒に居るのが慣れてきたみたいだけど、この背中叩くの痛いです。
怒ると怖いかもしれない。着いてきてるおばさんの子どもたちがそう言ってたのを思い出す。
「村長!メルだ。入るよ」返事も待たずにおばさんが家の扉から中に入っていく。
戸窓は全部上げられてて、大分明るい部屋。右手奥には階段もあって、二階もあるみたい。
その二階から、おじいさんに、少し似た男の人が下りてきた。
私に気づいて、下りる足がゆっくりになった気がする。
「騒がしいとおもったらメルか。――それにそこのお前さんはさっきからメルに連れられて挨拶回りしとった子じゃの」
「騒がしかないだろう、いつも通りさ」っておばさんが応じる。
「ミフィーナって言います。今朝村についたばかりです。……あ、あちこち巡るつもりだけど――で、ですが。人が居るところはここが初めてです」
なんとかここまで言えた。
「女の一人旅は辛かろうて。なんならここに住んでしまえばよいものを。村の若者も大歓迎じゃろう」
「ああ、それもアリだねえ。おおアリだよ」おばさんが、それだ!って感じに言う。
「……えっと、先のことは分からないんですが、知らないことが多すぎて――知らないことしかなくて。しばらく居させて下さい!」言えました。おばさんもちょっと村長さんのこの村に住めばいいってのに乗り気になってるから、二人には見えてないシフィールだけ見つめながら、ようやくそれだけ言えました。
村で一番偉い人かあ。この人がダメって言ったら、ダメなんだろうなあ……ってドキドキする。
「メルおばさんの眼鏡に適ったなら、ワシからは言うことは無いな」ニッと笑ってくれて、すごく安心。たぶん私も今日一番の笑顔になってたかも。
「外から来たもんもウチで一回は飯は食うからね。それなりに人は見てきたつもりさ」って言った後に、
「ミフィーナ。アタシはちょっと村長と話していくから、アンタはダグと、リューネと一緒に家に戻っておきな」
「はいな!」って答えて、二人の子とメルおばさんの家に戻る。
帰り道で男の子のダグと女の子のリューネから、「ミフィーナもここにすむんだね」って言われて頷きながら。
なんかすごい早さで色々決まったなあって、戸惑いながら……。
おばさんの家の前でメルとペル、そして子ども達と二人で喋っていると。何人か声を掛けてくれる村の人が居た。
おばさんは居ないけど、なんとか頑張って自分のことを話す。
おじいさん、おばあさんが多かったけど。若い女性が三人一緒にやってきたときも、ちゃんと話せてたと思う。三人はなんか華やかな感じがして眩しかったけど……。
メルとペルにおばさんの子達がすっかり馴れて仲良しになった頃。
メルおばさんが足早に戻ってきた。もうすぐ日が沈みそう。
「早く飯を作んなきゃね。まったく村長ったら話が長いんだから……」って家にその勢いで駆け込もうとしたときに、メルとペルと一緒に見上げる私に気づくと、おばさんの足が止まった。じっと顔付近を見られている。
「そうだ、ミフィーナ、アンタも来な!」その剣幕に頷いて着いていく。「油断してたよー、全く」とか呟くのが聞こえる。
テーブルと椅子が置いてあるところは、ダグ達が言うには、ご飯を食べに来る人が座るとこみたい。その奥に部屋が三つあって、そのうち一つに入るよう促された。
箪笥の中をメルおばさんが引っかき回しながら、やがて。
「あった、こいつを胸に巻きな」
有無を言わず差し出してくる。長いひょろっとした布。
「村長んところから戻ってくる時にさ、アンタのこと話してるガキどもがいてさ――おっぱい小さいとか言ってたもんだからさ!」
「え?」
「アタシより背が高いし。女にしちゃ背が高いから、襟のとこが緩くて大分広がるって気づくの遅れたんさ」
「普通に立ってるときゃいいけど、しゃがんでたりしたら丸見えじゃないかい」
「え……」
急いで巻きました。恥ずかしい……。
◇
朝から夜まであっという間に過ぎた昨日。
おばさんの所に泊めて貰いました。藁のベッドがとっても嬉しい。子ども達二人と同じ部屋。
はしゃぎながらだったから、寝るの大分遅くなるかなあって思ってたけど。
急にコトンって二人とも寝ちゃって、いつもと変わらない感じの寝付きだったかも。
今起きたけど、身体が痛くないのが木の家に居た頃には、こんなに良いものだと思わなかった。
夜も朝もご飯をご馳走になって、感謝。シフィールもこれを食べられたらきっと喜びそうなのにな。
いつも食べてたご飯にはもう戻れないくらいに美味しい。
パンが焦げてなくて柔らかいの。シチューの塩味と野菜の甘みが堪らないの。
ご飯を頂いたお返しにメルおばさんを手伝おうと、二人の子どもと一緒に水汲みや枝拾いはしてみた。
ちょっとは役に立ってると良いけど……。
二人が枝を拾っていくペースが速くて大分負けてましたけど。
お昼過ぎには、ついに。
しばらくお世話になるナーグさんが。山小屋から下りてくるそうで、待ってました。
あと、別の街に仕入れで行っていたメルおばさんの旦那さんとも会えました。
かなり無口で大きな人。髭がちょっと怖い感じだったけど、目がくるっとしてて、ちょっと可愛い。
「あんま喋らないけど、この人の料理はおいしいぞ?」ってメルおばさん。
食べてみたいナ。メルさんのお料理も大好きなんだけどね。
村は二十軒家が建ってて、一つは空き家みたいだけど大体人が住んでた。
五十人くらいの村。ちっこい村さ、って言うけど、私には多すぎる人。
まだね名前も知らない人も何人もいるの。
全員に会いたいなあって思ってたけど、狩人してる人とかたまにしか村に戻らないらしい。
ナーグさんと同じように山小屋に普段いるって、ナンっていう子が言ってた。
昨日の晩に三人で訪ねてくれた若い女の子。
「ミフィーナは男の子みたいな格好してるから、もちょっとお洒落しないと」って言葉も頂きました。
そんなに変な格好かなあ。……確かに村の男性とあんまり変わらないけどさ。
ナンの顔を見つめながら、なんだろう、唇かなあ。他の村の女性とも特に違って見える。ナンって子も他の若い二人の子も。赤い綺麗な唇をしてる。
色々他にも言われたけど、持って無い服の話ばかりだったから。お金に余裕出来たらいつかって答えてました。
メルおばさんが、二人組の見慣れない人(いえ、全員まだ見慣れないんですけど)に駆け寄って、なんかこっちの方見てる。
手招きするもんだから、ナンに別れを告げて、メルおばさんの方に走っていく。
小さい子と、大人にしては小さく見えるお爺さん。
「ミフィーナだよ。ナーグ爺さん。こっちの子は孫の、ナレンだ」
「ミフィーナです、はじめまして」
上から下まで見られてる感。
「ナーグじゃ。羊を連れてるんだって?」
「はい。あ、二人とも連れてきますね!」
おばさんの家に急いで戻る。ナーグさんは背は小さいけど、顔はおじいさん――魔法使いのおじいさんに少し似てるかなあ。でも。ここの村のおじいさんは、どこかしらみんな似てるように見えるけど……。
メルとペルを連れて戻ると、すぐにナーグさんは二人の前でしゃがみ込んで品定めしてるようだった。
「思ったより良い子達じゃ。お前さんが大分貧相じゃから、羊も期待できんかったが。そんなことはないのお」
貧相……。
「それに、お前さん自体、人も羊も変わらぬよう接しておるな。ワシもそうじゃが、そんなヤツに悪いのはおらんのお!」
カカカッて笑うナーグさんに、「よく言うよ」ってメルおばさんがヤレヤレと言う。
「山羊と羊を混ぜて放牧しとるが、まあこの子らもじきに馴染むじゃろ」
預かってくれるみたい。ほっとした。
ナレン君は、ちょっと恥ずかしそうにモジモジしてる。私もモジモジしたい。
ナレン君はダグ君よりちょっと背が高くて、くすんだ金髪と褐色の目をしてる。まだ声は聞いてないな。――無口な子なのかもしれない。
「じゃあ、メルのやつが飯奢ってくれるというからの。そいつを食べてから山に行くぞい」
んっと、それじゃあ。私も行って良いのかな?言葉に困って、メルおばさん見ると、うんうんと頷いてる。
「この爺さんはお喋りなときと、黙るときで両極端なのさ。ミフィーナも、もちろん行って良いってさ」
「さっき言ったじゃろう?」ってナーグさんが言う。いいえ、言ってません……。
「言ってないよ。まったく」――メルさんありがと。
「にしても」
私の横に立つナーグさん。
「ケツが小さいのお」パーンって私のお尻をはたく。
「ナーグ!オゴリはなし!」お昼過ぎに、村中にメルおばさんの声が響き渡りました……。