1話 旅立ちは唐突に
新規連載です。よろしくおねがいします!
『託す』
そんなことをいろんな人にたくさん言われる。延々と……。
またあの夢だ。何度も見た。何度も繰り返し。
もうお腹いっぱいなくらい、何度も見た夢。
夢を見た分だけお腹も膨れると良いのに……。
何にも出来ないから。じわーっとした焦りで腰の辺りが汗で冷たい。
もう明け方かなあ。早く朝になって欲しい。
一回この夢始まるとなかなか終わんないんだよね……。
何人目かもう数えるのも諦めた頃。
ようやく閉じた目蓋を朝日が白く染めてきた。
さーーーて、起きるゾウ。
元気よく起き上がったつもり。夢はちょっと残念だったけど。
いつも通りの自分の部屋。朝日がとっても気持ちの良い部屋。
よし、変わりなし。
……あの夢みるとどっかに連れて行かれてないかとか不安になってしまう。
朝日を浴びたくて窓を開ける。あんまり勢いよく開けると、ちょっと前みたいに羽目板が外れて下に落ちちゃうので、そーっと……。
下まで落ちてくれると良いけど、枝に引っかかると取るのがめんどいんだよね。
……下に落ちたら落ちたで、はめ込んだ板がバラバラになってることあるけど……。
風があると、もっと気持ち良いのだけどなぁ。
ぶつくさ不満を言っても仕方ないから朝の仕事をしなきゃ。
羊小屋行って。二人の様子を見て。
水汲みに行って。
……あまり気が進まないけどご飯を食べて。
一階に降りるのに、階段脇の手すりに飛び乗る。
ひゅーっと勢いよく滑っていって一階到着。
おじいさんは手すりは手すりとして、手を添えて階段の上り下りしてるけど。
私は降りるときは滑っちゃう。
滑りすぎてつるつるになってるかナ。
だいぶ前だけど、なんでこんなにツルツルになってるのかって、おじいさん不審がってたけど。
私が滑り降りてるのを見て納得したみたい。
台所のある部屋は木の葉や太い枝が濃い影を作ってるから、窓を開けてもそんなに明るくない。
――下は開けなくても良いかぁ。
考え事してたら、また木の根が盛り上がってるとこに躓いた。
「ッ・・・ツゥ……!い、痛い……!」
毎朝のことだけど、布地の靴を通り抜けて痛いなあ。
何でこの癖治らないんだろ。あ、毎朝言ってますね、これ。
気を取り直して家の入り口に。
木の洞を入り口に見立てて削って大きくしたんだろうけど、私が通り抜けるには十分。
おじいさんなら結構身をかがめないと入れないかナ。
洞の脇に昔付けたナイフの傷があって。
ちょっと緊張しながら、まっすぐ立つ。
頭のてっぺんに手のひらをかざして。傷のところと見比べる。
……うーん。ほんのり身長伸びてる気がするけど。
これは、いつもより髪がボサボサだからかなぁ。
残念がるのも日課のようなものです。
諦めて羊小屋に向かう。
あ……先に水を汲んでいったが良いかな。
踵を返して台所から桶を担いで小川に。
家にしてる大きな木から離れると、急に風を感じるようになった。
大きな木。
小川の向こうに点々とある木よりもずっとずっと大きい。
中に人が通れるくらいの階段をずっと上まで作れるくらい太い幹。
張り出した大きな枝に乗せるように小さな小屋が、二階のの部屋と三階の部屋がある。
二階は寝てる部屋だけど、三階は本がいっぱいある部屋。
四階はほんの小さな部屋だけど、唯一扉があって、たまに帰ってきたおじいさんが中で何かしてる。
何度か入って怒られたから、もう入らないけどね。
そうだ。おじいさんに、そろそろお塩をお願いしないと。今度会ったら忘れずに。
調味料やお塩がないと、ただでさえ美味しくないご飯がさらに美味しくなくなってしまう。
木を見上げていると後ろから吹き抜けた風が、さらに髪をボサボサにしてくれる。
縮めた手のひらぶんくらいの幅だけ腰まで伸びている後ろの長い髪を編みながら、小川でのんびり水を汲んでいると、
遠くから羊の鳴く声がかすかに聞こえた。
ゆっくりしすぎたかなあ。催促の声だよね。
「ごめんなさいー。ちょっとまってねえ!」聞こえてるかしら。
桶一杯の水だからかなり重いんだ。
木陰に入るとさっきまであんなに感じてた風がふっとやむ。
木の葉を縫って降り注ぐ木漏れ日が眩しい。
寒い日も暑い日もこの家の中に居れば、凍えたり暑さに溶けなくても済む。
きっとおじいさんが何かしてくれてるんだろうけど――
「お前にはかんけーないことじゃ」
口に出して真似てみたけど。こんな調子できっと相手にされない予感。
「めぇ~……」
うあ、だいぶションボリな鳴き声になってきた。ごめんなさい!
家からほんの少し離れた小屋にペルとメルの二人がいる。
木の幹の陰にあるから薄暗いし、夜はもう二人の瞳がうっすら見えるくらいに暗い。
ただ、壁とかぴっちり板で組まれてなくて、指一本くらいは通る隙間があるから小屋の中は昼間は見通せる。
丸太をくり抜いたくぼみに溜まった昨日の水を手で掻き出しながら、そっと声をかける。
「ごめんねえ、ちょっと考え事してたんだよう」……そう。お昼に読む本を何にしようかとか髪を編みながら考えてたんだよね。
返事はないけど、きょとんとした二人。声が出せるなら「いつものことでしょ?」っとか言ってきそう。
二人が無心に水を飲み出したのを見てから、干し草用のでっかいフォークで二人の食事を用意する。
水も草も重いんだよなあ。
ペルのほうが乳が張ってるように見えたので、ペルから今日のミルクを頂く。
感謝感謝。
くつろいで干し草を食んでいる二人をぼーっと見入ってしまった。
気が進まないけど、私もご飯にしなくちゃ。
台所で真っ先に火だねが残ってるか確認する。
うん、大丈夫。消えてると一から火をおこさないと行けないから大変。
小川で汲んできた水を鍋に移して煮ておく。
昨日作っておいたパンを、ペルのミルクで無理矢理流し込む。
硬いし全然美味しくない……ペルのミルク様!ありがとうって感じ。
お湯が沸いたので、ウィトーを挽いた粉とちょっぴり塩をつまんで混ぜ合わせる。
いつも飲んでるスープだけど、これも美味しくない……。
うーん。ご飯終了!
ああ、悲しい。お昼も夜もおんなじなんだよなあ。余ったミルクでチーズが付くくらい。
けど、お塩の残りが心細いので作って食べたのは何日か前くらい。
木のお椀とお皿を片付けて、三階まで上がる。
二階までは刻んだ階段も緩やかだけど、二階から上は急なんだよね。
皮の匂いと紙の匂い。ほとんどが皮で出来た本だけど、中には紙の本もある。
大きさもまちまちで手のひらに乗るくらいの小さな本から、抱えると鼻の高さまでくるような大きな本まで。
幹をくり抜いた棚に収まらず。床に平積みになってるのも何十冊か。
全部もう数え切れないくらいの回数読んだけど。羊の世話以外は、ほぼこれが唯一の楽しみ。
明かりの蝋燭とか勿体ないから、本を読む時間は日が高いお昼間までだけど。
今日は物語のシリーズの一巻から読むことにした。四冊の続き物。
作者の字なのかか。本を写した人の字かわからないけど。この人の字が格好良くて、だいぶん前にしつこく真似たんだよね。
――最近字を書いてないなあ。
余ってる(――と、信じてる)羊皮紙に真似た字を書き連ねたのもだいぶん前。
もう練習する紙がないんだよね。
おじいさんに欲しいというと。余ってる羊皮紙があるからそれにしなさい。と言われそうで。
三階で探されると、私が練習して使っちゃった紙がたくさん見つかるわけで。
なんとなく怒られそうで、言い出せないんだよね。
階段の手すりを、私のお尻でツルツルにしちゃっても何も言われなかったから、大丈夫な気がするけど……
口に出して怒られたことなんて、数えるくらいしかないんだけど。おじいさんは不機嫌になるとずっと黙ってるから、なおのこと怖い。
書いた字が消せて、何度も書けるような紙があれば良いのに……。ふと、そう思っていたら。あ!小川の小石や小枝の先で地面に刻めば何度でも書けるナ。そうだ、そうしよう!
試したい考えが湧いたから本を片手に急いで階段を駆け下りる。――本を落っことしたら傷が入っちゃうかもなので、本を抱えてるときは手すりを滑らないんだ。
羊小屋に駆け込むと、ペルとメルに声をかける。
「さあ、いくよ~?」
二人がちゃんと付いてきてるのを振り返りながら。小川を見下ろす丘へ。
二人が食べた後、しばらくして土が露出してるとこが何カ所かある。ここで字の練習をするといいかな?
ペルとメルがじゃれ合ってる。二人はしばらくそっとしててもよさそう。
さて、字の練習だー。この本の字は結構神経質な細い感じ。小石じゃなくて小枝のほうが真似るには良さそう。
一文読んでは、一文地面に書き。消して、読んで。書き。
延々と繰り返した。
ふと気づくと、遠い山の向こうに日がまさに落ちようとしていた。――お昼を食べるのを忘れるほど熱中してたみたい。
二人はどこだろう。――あ、背中に当たるあったかい感触。探すまでもなく二人して、私に寄りかかって寝てた。これにも気づかないなんて……。
身体をひねると、二人が目を覚ました。
「ごめんねえ、全然気づかなかったよ――」と、謝ったところでお腹からキュるると音が聞こえた。
物語の一節の『すべきことがあるから。進み続けるのだ』。宙に同じ文字を描きながら羊小屋に向かった。
◇
昨日は結局、晩ご飯を食べた後、そのまま寝てしまった。
今日は晴れ間も見えるものの、雲が多くすっきりしない天気。
メルからもらったミルクでいつものご飯を食べた後。テーブルに文字を指でなぞりながら一文を書いていく。
どこでも練習できるなあ。
今度は宙にお気に入りの一文を描く。『名誉より愛をとろう。不器用がゆえにそれしかできないのだ』
小川に向かう途中で蹴躓いてしまい。取り落とした桶がものすごい勢いで小川の方へ転がっていった。
「い、痛いっ……ナァ」
雨は降らなさそうだけど、朝露でちょっと湿った草が転んだ顔に張り付いてる。
桶を拾った後、家の方を見上げると、てっぺんの方の四階の部屋に輝きが見えた。
あ、おじいさんが帰宅したんだ。
帰宅といってもおじいさんの寝る部屋とかは、この家にはない。用事がある時――私に生活必需品やここで作れない食糧を届けたり――以外は、普段どこでどうしてるか長いこと一緒にいるのに全くわからない。
どんな魔法なのかわからないけど、四階に直接帰ってくる。
あの白い。何もないところから来てるのかなあ。四階の部屋から繋がる不思議な場所。一回?いや、二回は行ったのかなあ。
恐ろしくておじいさんのローブの端を握りしめたままだったけど。
そう、おじいさんは魔法使いなんだ。何もないところから、火が落ちてしまった暖炉に火をおこしてくれたこともあったし。……まあ、私が火をおこすのに手間取ってるのに見かねて助けてくれたんだろうけどサ。
桶に水を一杯にして、洗い物を済ましていると。
四階から降りてきたおじいさんの姿が戸口にぬっと現れた。
真っ白い長い髭に、とんがり帽子でだいぶ隠れてるけど真っ白い髪。一階はわりと天井高く作られてるけど天井に届きそうな背丈。何も変わらないおじいさんだ。今日の機嫌はどうだろう?顔色を覗ってると、いつもの感情を見せない声が落ちてきた。
「今宵は儀式をやる。早く寝ずに共をすること」
「はい。わかりました」
間髪入れず返事をする。グズグズしてるのを見せると短気が爆発しちゃう人なんだ。
あ~今夜は儀式の日かあ。困ったナ。おじいさんは終わった後だいぶ機嫌が悪くなるから、塩とか調味料を持ってきて欲しいと頼みづらい空気になるんだよね。でも、特に塩が残り少ないからお願いしないと。
「また、夜ですよね?」
「うむ」
一言だけ答えて、私に興味を失ったかのように。背を向けた。
いったん四階の部屋に戻っちゃうと、声をかけづらくなる。
「あ、あの」
「……なんじゃ?」
「お塩がもう少なくて……」
「前に寄ってからそんなに経つか」
「はい。あと出来れば調味料も」
「わかった。夜まで時があるゆえ、取ってこよう。すぐ必要なのか?」
「ううん。あと三日くらいは平気です」眉をつり上げたおじいさんに慌てて答える。
返事もなく、上に登っていく。
気配をたどっていると、ふっと無くなった。また四階から出かけたみたい。
肩だけでなく、口からもふ~っと力が抜けていく。
どんなに長く居ても慣れないなあ。
物語にでてくる優しいお年寄りみたいな感じは全くなく。張り詰めた空気を纏う人。
この木の家の一番てっぺん。四階の部屋はこぢんまりした小部屋だった。
壁にめり込むような感じで、つるっとした表面の板が二つ立ててある。――私のお尻でつるつるにした階段の手すりより触った感じは滑らかやつ。その板に挟まれるようにして不思議な。空気が裂けて黒い割れ目が見える。そんな不思議なものがある。
おじいさんはその割れ目を出入りに使っていた。
私も一度かな?行ったことがある。入った中はほんとに真っ白い空間だった。割れ目は黒かったから真っ暗闇を予想してたのに。
おじいさんに手を引かれて、やがて着いたのは真っ白い塔。周りも真っ白だからどこまで上に伸びているのか見分けがつかなかったけど、はっきりと塔だと思った。
塔の中は、ごちゃごちゃしてたけど。あまり長居出来なかったから。……長居させてもらえなかったからよく覚えてないけど。おじいさんに促されるまま、置いてあるいろんなものに触れていってた。箱が綺麗に光っていってたけど。あれは一体何だったんだろう。何の意味があったんだろうか。前も今もさっぱりわからないなあ。
おじいさんはあの白い不思議な空間を使ってあちこち行き来してるみたい。
まだ戻ってくるまで時間は掛かりそうだから、メルとペルと一緒に過ごして。
本読みながら字の練習しておこう。そうしよう。
『儀式』はとっても長いから、途中でお腹が減らないように、先にご飯もしておきたいし……。
木のすぐそばの丘から戻ってくると、一階の台所のテーブルに塩と調味料の麻袋が二袋ずつ置いてあった。
ウィトーの粉が入った大きな袋も三つ。とても助かる。明日はパンを作り貯めしておかないと!
それにびっくりしたのが。塩と調味料に加え、ウィトーだけでなく。
干し肉も置いてあったんだ。くぅー!お肉なんていつ振りだろう。大事に食べなきゃね。
薄ーく切って大事に大事に。パンに乗せて食べるのが楽しみ。
お塩もあるしチーズも作っても良いなあ。
明日からの食事がだいぶ潤うことにワクワクしてたらさ。
あっという間に夜になっちゃった。あ、ちゃんとメルとペルが食べる用の草を干してたりもしてたんだよ。
そして……うん、儀式が始まる。
といっても、私はいつも何もすることなく、おじいさんを見守ってるだけ。
なんでいつも一緒に立ち会うことになってるのか、って何度も考えたよね。
おじいさんには聞くことは出来ないんだけど。うん。怖くて聞き出せない。
四階から降りてきたおじいさんの目が促してる。
「はいな」とだけ答えて、私もおじいさんの三歩くらい後ろを着いていく。
三つの月がすっかり満月で、私がいつもペルとメルと一緒に日向ぼっこしてるいつもの丘の上。
ここで『儀式』は行われるんだ。
丘の上はいつもの通り静まりかえってて。背中の方にある木の葉ずれの音だけが私たちの周りで唯一の音かな。
おじいさんが地面にガリガリと音を立てながら杖で模様を彫っていってる。
この時間がとても長いのよね。ものすごく複雑な模様とたくさんの円がゆっくりと刻まれる。
前の儀式のも残ってるかもだけど、だいぶ時間が経ってるから、新しく生えた草で消えてる。
まん丸の月が空の真ん中に三つ綺麗に輝いた頃。ようやく地面の模様を彫るのが終わった。
いつも通り革袋からサラサラとした粉を掘った溝に流し込んでいく。銀色の綺麗な粉。正直言うと触ってみたい。
粉はとても大きな模様と円だし、何袋も使うんだ。
かなり気を遣う作業みたいで、おじいさんの額の汗が月明かりにもはっきりわかるくらい。
汗拭いてあげようとしたこともあったんだよ。
すごく怒られて。もう絶対やんないと思ったよ。
おじいさんの苦労もあって、地面に黒く彫られた溝は今は銀色に輝いてる。
流し終えるとおじいさんは、小さく描いた円の真ん中に。これも革袋から取り出したキラキラ光る石を置いていった。
ん?っといつもと違うことに気づいた。
いつもは四つの小さな円に四つの石を置いていたけど。――今夜は六つだ!
何か違うことになるのかな?って。とても聞きたいけど、大事な段階みたいだからとてもじゃないけど声は掛けられない。
そしておじいさんは、大きな声でもないのによく響く声で。
「『刻』は来たれり」とつぶやいた。
杖を大きな円の真ん中に突き刺した後は、杖の先にはめられた大きな石に向かって力を込めていってる。おじいさんも大分力んでるけど。たくさんの光の筋がおじいさんが広げた両手からほとばしって。杖の先の石に当たって。そこから六つの石に分かれて飛んでいく。葉ずれの音なんか吹き飛んで、すごい音で周りが満たされてる。
やがて六つの小さな円が光の柱になって、夜空を白く輝く塔のように立ち上った。
いつも思うけどすごく綺麗。きっとすごい魔法なんだろうなあ。
惚けて見てたらすごい音と共に、輝く光の柱が無数の光の粒みたいになって消えてしまった。
うーん、何をしてるかさっぱりだけど。いっつもこの後、おじいさんがものすごく不機嫌な顔をしてるから。たぶん儀式は失敗したんだと思う。今年も石と柱が四つから六つに変わったほかは何もいつもと変わらなさそう。
おじいさんもそう思ったのかな。舞い落ちる光の粒の中、やっぱり肩が少しうな垂れてるように見える。
ここでも声は掛けられないので、おじいさんの次の動作を待つ。もうそれしかない……次はきっと大丈夫とか変な励ましも、もっと強い不機嫌を呼ぶだけなんだ。
模様と円から出てた音が鳴り止んで。また夜の静寂な空気が戻りそうなとき。
それは起こった。
杖よりまっすぐ上のほう。なんか空に割れ目がある。割れ目が大きくなっていく。
驚きと。怖さと。何が起きるんだろうという好奇心で割れ目から目が離せない。おじいさんの様子を気にするのなんて吹き飛んじゃった。
目が開けられないくらいに眩しい光で、我慢できずに目をしっかり瞑る。見たいけど目が死んじゃう!何が起きるんだろう。魔法使いが呼び出すんだから、魔法の生き物かな。――本でも見たことあるし。もしかしたら別の魔法使いが出てくるのかもしれない。
目蓋を覆う光がようやく収まって。目蓋を赤くしてたモヤみたいなのも無くなって。
ようやく恐る恐る目を開けることが出来た。どのくらいさっきから時間が経っちゃったんだろう。もしかして、一番良いところを見逃しちゃったんじゃ……そんな私の焦りは大きな円の真ん中、倒れた杖の上に居る二つの影を見つけて、消え去ったんだ。
おじいさんはさっきまで立ち上がってたのに。今は地面に跪くようになってて、真後ろにいる私からも肩越しに二つの影が確認できた。大分小さな。二つの影。ほんの少し大きな影が。私たちにこう語りかけた。
「久しぶりだね。……ヴォイクト。元気そうだ」
喋ったよ!じゃあ魔法の生き物とかじゃなくて魔法使いかな。
怖い気持ちよりワクワクのほうが大きくなってた。
「そうじゃな」と小さなおじいさんの声。すっと立ち上がると二つの方を見上げるようにしてる。
月にかかった雲が、今まで意地悪してごめんね!とばかりに、風で流れていくと。また月明かりが周りを照らし始めた。
あ……小さな子ども?おじいさんと同じようなローブを着てて、とんがり帽子もかぶってる。
月明かりが辺りを白く染め上げてる中でも、一人の子はとても青いローブ。もう一人の子は赤いローブだとわかる。
青いローブの子は男の子みたい。黒い髪をしてて、夜目にも青い瞳だなってわかる目。もう一人の子は女の子。金髪の長い――といっても子どもの背中の真ん中くらいな髪。目の色は緑色をしてた。二人とも小さな子。私の腰くらいの背丈かなあ。
魔法使いが呼び出されたと思ったけど、小さな魔法使いたちだったみたい。この二人はおじいさんとどんな関係なんだろう。何しに来たんだろう。たくさんの疑問が湧き上がったけど。三人とも無言だから、私は同じ疑問が何度も浮かんで。また次の疑問が浮かぶってのを繰り返してた。
「また、やり合うのかな?」男の子が聞いてきた。もちろん、おじいさんに聞いてるんだよね!?私じゃないよね!?
やり合うってなんだろう。ってドキドキしてたら、絞り出すような声でおじいさんが答えてくれた。ほっとしちゃった。
「いや。それはない……」
ああ、もうおじいさん。きっと儀式は成功なんでしょう?なんでそんなに暗い感じなんだよう……。あんなに何度も何度も苦労してたんだし。それに二人の雰囲気はそんなに良くなさそう。どうなってしまうんだろうって、またドキドキしてたら男の子の声で救われた。
「それはよかった」
男の子はようやく周りを見渡す余裕ができたのか。しげしげと見渡している。おじいさんの後ろにいるから、あの子からはひょっこり、顔を覗かせてるだろう私の視線とぶつかった。
「あの子は誰だい?紹介はしてくれるのかな?」
うあぁあ。私のことだ!?私が喋れば良いの?名前から言えば良いのかな?とか、ドギマギしてると。ここでもおじいさんが助けてくれた。
「これはミフィーナ。古い縁の者だ」
あう!それだけ!?ちょっと寂しいな。でも、おじいさんと私って和気藹々って感じでもないし。仕方ないかな、って少しションボリしてしまう。
「で、今回の召喚の意図は?」
これまでずっと黙ってた女の子がようやく喋った。すごく綺麗な声……びっくりするくらいな。鈴をたくさん並べて小さく弾いたらこんな声になるのかな?とかと、驚いちゃった。
おじいさんが、私の方を向いて、顎で促す。あ、前に来いってことかな。どれくらい前に行けば良いのか、何も言ってくれてないから。思い切って、おじいさんの右隣に並ぶように進んでみる。
近づくと二人の顔がよく見えるようになった。――とっても綺麗。ううん、素直に言うと可愛い!
おじいさんは顔を女の子の方に戻すと、じっとそのまま見つめてる。
こんな顔見たことないなぁ。とても穏やかで。でも、少し熱を帯びた視線。初めて見るおじいさんの顔だった。
どのくらい見つめ合ってたのかな。ちょっと名残惜しそうな感じで、不意に私の方をおじいさんが見た。
「この娘に――この娘に合う精霊を呼んで欲しい」
おじいさんのこの発言は二人の子にとっても意外だったらしい。あ、もちろん私もね。ちょっと何言ってるのかわからない感じ。
「精霊をね……」女の子は男の子のほうを向いて、頷いていた。
男の子も頷き返してる。二人とも無言。おじいさんも無言。私はとてもじゃないけど何も喋れない!やがて。
「何の意図か分からないけど。呼び出された以上は、それはかなえよう」
え、大丈夫なの?男の子も女の子も不承不承だけど了解って感じになってる。私は全然大丈夫じゃないんだけど?
「ミフィーナといったかな。この子と相性が一番の私たちの子を連れてくれば良いんだね?」
男の子がじっとこっちを見つめてくる。こっちが不安がってるのに気づいてくれたのか、少しだけ笑みを浮かべてくれた。
それで大分勇気が出た。
「あの、何が何だかさっぱり……分かってないんですけど。この小さな子達が、私に何かしてくれるんですか?」
もちろんおじいさんに向けての質問。でも、おじいさんは答えてくれなかった。おじいさんに聞いてるって気づいてないのかなあ。
「小さな子?」女の子が不思議そうに私を見つめてくる。目もとっても綺麗だなあ。見つめられると釘付けになっちゃいそう。
納得したのか。女の子はくるっと回って、おどけるように男の子に声をかける。
「この子にはそう見えてるみたいね!」男の子は何も答えない。
まっすぐ女の子が見つめてくる。やっぱりすごい瞳の光。今度はホントに釘付けになっちゃった。
「あら、本当。とっても可愛く見てくれてるのね。テッドにも見せてあげる!」
いたずらっぽく。そして可愛らしくそう言う。
「……なんとも面妖な。こんなに小さく見えてるのは初めてかもしれないな」テッドと呼ばれた男の子が、少し楽しそうに微笑んだ。
二人のやり取りを見てて、ほんとに和んだんだ。ほっとしたの。なんか少し怖い雰囲気だったし。どうなっちゃうんだろうって心配が大きかった。おじいさんもそうかな?って見上げた先の顔は、とてもそんな感じじゃなかった。
怖っ!……和んだ雰囲気と全然違う。とても暗い思い詰めた顔をおじいさんがしてて、慌てて二人に目を戻しちゃった。
やっぱり、おじいさんと二人は。特に男の子との間には私が入っていけない冷たい壁がある感じだった。だって、女の子にはあんなに優しい目をしてたんだし……。
「私、気に入っちゃったわ。この姿!」クルクル踊りながら女の子が、またいたずらっぽい声で言う。何度も言うけどすごい通る綺麗な声なんだ。
女の子の声にテッドって男の子がやれやれって感じで肩をすくめるのが見えた。
「で、この子向けの精霊を呼ぶよ。君たちの言う『刻』の時間は限られているはずだからね」
無言でおじいさんが頷く仕草が横目に見えた。
「イリーナ、この子を診てあげて」
はーい、と涼やかな声を上げて、私の方にイリーナと呼ばれた女の子が駆け寄ってくる。
「手を出してね。何も怖がらなくて良いわ。すぐに終わっちゃうの」月の光がとってもイリーナって子の目を輝かせてる。懸命に手を伸ばしてくるから、跪いて目の高さがちょうど合うくらいにする。
「え、あ。……はいな」何が起きるのか聞きたかった私。でも、ぼそぼそとそれしか言えなかった私。
「目を閉じてね」もう、そうするしかない私。
ひんやりした小さな手が、私の手に繋がれた。じっとするしかない。って祈ってました、私。
じっとしてるのに、不意に頭の中に輪っかが。二人の手が繋がれた形のような輪っかが浮かんだ。どんだけ経ったのか自分では分からないけど。イリーナの「はい、おしまい」って声に急いで目を開けた。すぐに大きな緑の瞳が目の前にあって、ドキドキする。
私と手を繋いだまま、イリーナは後ろにいるテッドに聞こえるように。
「火は皆無。水は極小。地に至ってはへこんでる。でも、風がすごいわ。風が極大ね……」
「波形は取れたのかい?」そんなテッドの声に、イリーナが頷く。そして「もう平気よ」って私に言ってくれた。
手を離したイリーナはテッドの所に踊るように戻っていく。
「だいぶ、特徴のある子を連れてきたのね」これはきっとおじいさんに向かって言ってるんだと思う。だって、私なんにもこれに答えられないし……でも、おじいさんも無言だったけどさ。
「じゃあこの子の貌を渡すわね」イリーナがテッドの手を握る。途端にテッドの顔が驚きに変わってた。
「――大きいな。こんなに大きい輪に貌もぴったり合う子なんているかな……」
「テッド、輪全体じゃなくていいわ。一部を切り出せば、他は同じ貌の連続だし」二人が全然分からないことを言う。
そうかって感じでテッドが頷くのが見えた。やがて少し明るい顔になる。
「うん、居た」
よかったね?って感じでイリーナが見つめてくる。ちょっと待って!何もわかってないの。
テッドが後ろに振り向くと、さっと手を上げた。
僅かな動きだけど、おじいさんがテッドの動きを食い入るように。身を乗り出して見入るのが目に入った。
緑色の石が置いてあった円が。再び光の柱になる。また、眩しさに目を瞑ってしまう。
光が収まった後――さっきよりは少し短く感じたけど。目蓋をあけると、石のあったところに『丸いもの』があった。
丸いものはテッドのほうに音もなく進んでいって、テッドの周りを一周巡ってた。
「君の――ミフィーナだっけかな。ミフィーナだけの子だよ。さあ、挨拶だ」丸いのがこっちを向いた。
なぜだろう。初めて目にしたもの。な、はずなんだ。でも、すごく懐かしい感じもした。
緑色の丸いものが、こっちに近づいてくる。怖いなんて気も起きないまま。私は無心で抱きかかえていた。
でも抱きかかえる感触、メルとペルを抱えるような重さはまったくなく、私の腕はすり抜けていた。
思わず、え?って声が出てたみたい。
「触れないよ?」ってイリーナがいたずらっぽく言う。
でも、すぐ腕の中にいるのに?ぼやーっと光るその丸いものは、ちょうど朝に抱える桶くらいの大きさだった。でも、触れない……。
「落ち着いたら、名前を付けてあげて。君だけの。ミフィーナとずっと一緒にいる子だよ……」
テッドが穏やかな声で言う。助けを求めておじいさんを見上げたけど、おじいさんはイリーナだけを見つめていて、私の方には目もくれない。途方に暮れてしまう。
「……わかりました。名前……名前をつけます。それでいいんですね?」テッドにそう答えることしか出来なかった。
メルとペルが来てそれなりに時が経つけど。二人が居なくなってしまったあと――悲しいかな二人の命はずっと続かないし。新しく来るであろう羊たちに付けようと思った名前があった。それでいいかなあ……目の前に居る丸い子を見つめながらそう思っていた。
ううん、この子に合った名前を考えなきゃ。じっと見つめる。見つめ返してるような感覚がある。
私の中で何かがカチっと鳴った気がした。
懐かしい感触。いつかにも感じた気がした感触。
思い出せない。でも、今は名前考えなきゃ。今なら……今ここで付けるなら。
「シフィール……シフィールって名前にします」
緑色の光が腕の中で大きくなった。
あ、今のに反応してくれたのかな。あなたはシフィール。――喜んでくれてると良いけど。
私の考えを読んだかのように、テッドが言ってくれる。
「うん、喜んでるよ。シフィールか。これからは私の代わりに、この子を頼むよ」
イリーナも笑顔でいる。
わたしの!?私がこれからこの子を世話していけばいいのかな。腕の中でクルクルと回っている丸い子。シフィールを見つめていると時間を忘れそうだった。とっても綺麗。こんな綺麗な子もらっちゃっていいのかなあ。本当に?
「さて、こちらの対価は受け取っているし。そろそろ時間かな」
テッドがおじいさんに向けてそう言ってるのにハッとなった。たくさん聞きたいことあるのに、二人とも帰ろうとしてる!
「ああ……」おじいさんはイリーナへの視線を名残惜しそうに外すと、テッドにそう答えた。
「六柱とは……無理するわね……」イリーナは最初に現れたときのように物憂げな表情をしてた。
「ヴォイクト、元気でね……」イリーナが重ねて言った言葉に、おじいさんが僅かに震えるのが見えた。
「刻も終わりだ。……ミフィーナ元気でね。シフィールは良い子だよ」テッドが励ましてくれた。
二人に対してお礼を言うべきかなって考えていると。二人が光の粒に包まれるのが見えた。
割れ目が一瞬見えたと思う。小さな二人は私に向ける笑顔のまま、光の粒と一緒に消えてしまった。
――何も言えなかった。ションボリとした気分になってしまう。
急に現れ。また急に去って行った二人。また夜の静けさが丘を包むようになってて。葉ずれの音だけがまた聞こえる。
ううん。私の胸の音も自分自身で聞こえる。ほんと、ドキドキしてる。
おじいさんは何も言わない。ただ――二人が消えた場所を食い入るように見つめてるだけ。
たくさん聞きたいことがある。
この子はもらっていいの?おじいさんじゃなくて、私がもらって良いの?
今夜の儀式は成功したの?そもそも何の目的で何度も繰り返してきたの?
あの二人は誰なの?おじいさんとどんな関係があるの?
なんだかテッドとおじいさんは雰囲気悪そうだったけど。なんでなの?
この子。……シフィールはどうお世話すれば良いの?
ご飯はなに?普通に寝るのかな?
どうして目の前に居るのに触れないの?
どうすれば、機嫌を損なわず聞き出せるかな。
ううん。機嫌を悪くされても聞かなきゃいけないこともある。
そんな風に悩んでいると。おじいさんの声が落ちてきた。
「儀式は成功した」
あ、やっぱり成功なのね。よかった。たぶん私も明るい顔になってたに違いない。
期待を込めておじいさんを見ると、物憂げな。そして疲れた顔がそこにあった。
全然嬉しそうじゃないナ……。
「お前は旅に出ねばならん。この精霊と共に。あちこちを巡る――」
え、ちょっと待ってください。質問追加です。
私は何で旅にでるんですか?どこに行けばいいんですか?
あの二人に関係することですか?
おじいさんは来てくれ……まさか一人旅ですか!?
……泣きそうになってきた。
「儀式で疲れた。明日の朝改めて話す」
言葉が足りないよう……。でも、本当に疲れて見えたので無理は言えないナ……。
とぼとぼと家に戻っていくおじいさんを見送った後。
私も三階のベッドに潜ることにした。
今日あったことがグルグルと頭を巡って。おじいさんから言われたことも巡って。
シフィールが大人しく干し草のベッドの脇にじっとしてるのを見つめたりしてたら。
やっぱり簡単に寝ることなんてできなかった。
◇
いつもは明け方には目が覚めるのに。大分遅くなってしまったみたい。
昨日より明るい光が窓の板の隙間から差し込んでる。
うう。頭が痛い。
シフィールの姿を求めると。気を失うように寝てしまう前と同じように、ベッドの端っこに居たままだった。
寝るまでにちょっと分かったことがある。
私が心の中で、シフィールって呼びかけると。この子反応するんだ。
声に出さなくても呼んだのが分かるみたい。
大分驚いたし。大分嬉しい。うん――嬉しかったんだ。
ちょっと過ごしただけだけど、愛おしい感じがする。
――おじいさんに渡さなきゃいけなかったら、ものすごくションボリしそう。私。
私の気持ちのバタバタ具合とは関係なく、メルとペルのお世話はしなきゃいけないね。
のびをしたあと、ベッドから起き出すと。シフィールが何も言わなくても着いてくる。
ああ、可愛いなあ、もう!
メルとペルにシフィールを引き合わせたんだけど。メルとペルはシフィールが居るのが分かってなかったみたい。
これは残念。
三人で。私も入れたら四人でのんびり出来たら、これまでと違う日になりそうなのに。
小屋での世話が終わって。私のご飯。
そういえば、干し肉もあるんだった。
でも、気に悩むことが一杯あって、せっかくの干し肉だけど。とても食べる気になれなかった。
いつもと同じパンとウィトーを溶いた塩味のスープだけ。そしてメルからもらったミルク。
いつもより遅い朝ご飯を食べ終わった頃。四階から降りてくる音に気づいた。
いつもに増して緊張する。
戸口を狭そうにくぐったおじいさんが姿を現した。
――いつも通りの感情があまり出ない感じ。怒ってはいないみたい。
そこだけはほっとする。
「昨夜も言ったが。旅の支度をお前はせねばならん」
開口一番がこれ。
昨日の出来事をまず、おじいさんから話してくれないかな?って少しは。ううん、だいぶん期待してた。
その希望は儚く散っちゃったけど。
私だけ座ってるのも居心地が悪かったので、椅子から立ち上がると。なけなしの勇気を振り絞った。
「どこに行けば良いんですか。それにどうして……」
「目的地は特にはない。あちこちを巡ることになる。――お前はこの木と、ほんの僅かな周りしか知らん」
「……」
ええ、そうです。この辺しか知りません。でも、それがどういう……?
「昨夜お前のために呼び出した精霊。あれは、お前と共に成長する。この辺りだけで暮らすのでは成長は見込めぬ」
うう。滅茶苦茶だ。もう怒られても構わない。
「昨夜の二人はおじいさんの知り合いですか?」長い無言。諦めない。
「儀式は何のためにやってたんですか?私にこの子。シフィールを用意するため?」無言だけど、頷いてくれた。
「じゃあ、この子は私が貰っていいんですか?おじいさんのじゃなく?」「ああ」とだけ答えてくれた。
儀式と二人のことは話してくれなさそう。じゃあ――
「シフィールには何も食べさせてないんですけど。何か用意してあげたいけど。分からないです……」
「精霊はお前から魔素。風の魔素を供給されておる。特段なにか食べ物を用意する必要は無い」
あ、それは良いこと。魔素とかよくわかんないけど。
「魔素をあげるにはどうすればいいんですか?」
「お前が存在するだけでよい。この精霊。シフィールか。シフィールはお前だけに共鳴している。他の魔術師が様々な手段で魔素を送り込むような真似はせずとも維持できる」
一杯分からないことが増えた気がするけど、とりあえずシフィールがシフィールで居るためには、難しいことは要らないみたい。それに、やっぱりおじいさんは、魔法っぽい話なら一杯喋ってくれる。
「シフィールはどう休息、休ませればいいんですか?」
これにはちょっと考える顔。
「やがて対話が可能になれば、おのずとそれは分かるじゃろう」
また、驚きの新事実。シフィールとお話ができるようになる!?
「シフィールと話が出来るんですか!?」
「お前達が成長すれば可能になる。精霊との対話じゃが、昨晩はお前も、テオドリウスと会話しておっただろう?」
テオドリウス?テッドのことかな?
「あの男の子のテッドのことですか?」
男の子って言葉にちょっと変な顔をおじいさんがしたけど。頷いた。
「あれも精霊だ。普通の精霊ではないが。歴とした精霊だ。あの者ほどではなくとも。お前の精霊が育てばいずれ話せるようになる」
テッドは精霊だったんだ!それにシフィールとも話せる!それは単純に嬉しい。それに楽しみなことだった。
楽しみなことは出来たけど。まだ聞かないといけないことがある。
「ここの周りしか知らないのは、ホントです。それで旅は、私一人でしなきゃいけないんですか?おじいさんも……」
これにはおじいさんが、すぐ無言で首を横に振るのを見て、絶望。
……一人。シフィールもいるけど。あ、メルとペルは!?
「二人の羊はどうすればいいですか?おじいさんが面倒見てくれるんですか?」
また、考え込む感じ。
「連れて行って良い。この家の北。小川沿いに北へ行くと、集落がある。小さな村だが羊の放牧も生業にしておる者がおると記憶しておる。その者に預けるなり、譲るなりするとよかろう」
おじいさんは面倒見てくれないのは、かなり衝撃だけど。連れて行けるなら、その羊を放牧している人とお話すれば、メルとペルはなんとかなるんだろうか。また不安が大きくなった。
私ね。おじいさん以外の人と話したことない……。
旅。
三階の本。何度も何度も読んだ本の登場人物達は、たくさん旅をしてた。
ちょっと憧れたことはあったけど、自分もやるように言われるとは。それもこんな急に!
「本ではたくさんの旅を読んできました。でも、何をしたら。何を準備すれば……」
「ここにあるものは持てる限り持って行って良い。……旅が順調であればお前はここに戻ることはない」
今ね。おじいさんの言葉がどんだけ強い衝撃だったか。
ここに戻らなくて良いってことは。もう、おじいさんと会うことはないって言ってる。
ここを追い出されるようなことなんだろうか。そんなに仲が良い自分とおじいさんって感じではなかったけど。
もう会わないってそんな……。
絞り出すように、聞いてみた。
「私とシフィールが旅に出て。あちこち巡って成長することは。おじいさんのためになることです、か?」
首を縦に振り無言で頷いてた。「様々なものが満ちれば、わしから会いに行く」
それはほんとに救いだったんだ。優しいおじいさんではないと思うけど、繋がっていられる。
――行くしかないのか。
「いつ出発すればいいですか?」
おじいさんは、少しだけ表情を緩めた――そんな気がした。
「わしは長く待った――なるべく早くだ」
今夜もちゃんと寝られるかな。
すぐ不安がいっぱい落ちてきた。