家で酷い扱いを受けてた公爵令嬢だけど、記憶喪失になったから反抗しても良いですよね?
どうやら私は、この国で有名なアンドリー・リアス公爵の娘らしい。
らしいというのは、病院で目を覚ました時に私の使用人に聞いたのだ。階段から落ちて頭を打ったっぽい。そして完全に記憶喪失だ。
退院するその日、私は質素なドレスに着替えて座り、ぼんやりと病院の外を眺めていた。時刻はお昼を過ぎたくらい。噴水広場のそばにある店から漂ってくるのはパンの香り。流れる水にキラキラと反射する太陽の光。子供達が走り回っている。
窓ガラスに映る自分の顔は平凡だった。そばかすがあるのはいただけないが、とても普通。化粧をすればかわいいくらいになるだろうか。
「なるほど、だから厄介者なのですね」
私に味方してくれている使用人に拠れば、私は家の中で酷い扱いを受けているらしい。姉と妹がいるらしく、姉妹との待遇の差が激しいとのことだ。
平凡に産まれたこの顔をブスと罵られ、使用人以下の食事を摂らされることもあるそうだ。
「ん」
窓の外に立派な馬車が見えた。金の手綱が太陽に反射して眩しい。どうやらお迎えらしい。
「はぁ。凄く嫌」
使用人の話を聞けば聞くほど、家に戻りたくない。記憶喪失前の私は、泣いて一日過ごしていたこともあったらしい。
私は眉を寄せた。
「やっぱり普通に嫌。何故私はそんな環境に甘んじているの……?」
記憶喪失前の自分の気持ちがまったくわからない。
「失礼します。ニーシャお嬢様」
入ってきたのは使用人のトゥオ。この国の執事服姿、初老の男性だ。表情は暗い。彼は本当に私を心配してくれているらしい。
「行きましょう。馬車でお連れいたします」
「トゥオ、相談なのですが」
「なんでしょうか」
一緒に廊下を歩きながら、
「私、そんな地獄みたいな家に帰らないと行けないのでしょうか? 嫌で堪らないのですが」
トゥオは目を見開いた。
「お、お嬢様、今なんと」
「はい、家に帰りたくないです」
トゥオは涙を流していた。
「そ、それは本当に?」
「はい。一応、帰ってはみますけど、トゥオの言う通りだったら嫌ですね」
トゥオは目にハンカチを当てた。
「そう、でございますか。……なんども私は申しておりました。あまりにも酷い扱い、お嬢様さえよろしければリアス公爵家からの逃亡をお手伝いしようかと」
「! 本当ですか? 是非お願いします」
「そ、即決してしまって良いのですか?」
「即決しない理由はないでしょう。よろしくお願いします」
「あの、持ちかけておいてこういうことを言うのはおかしいかもしれませんが、公爵家から逃亡するということは貴族ではなくなるということです。お嬢様はそれでも」
「大丈夫です。そもそも貴族ってなんなのか、分かんなくなっちゃってますので」
にっこりと笑って見せると、トゥオはホッとしたように、
「わかりました。準備を致しますので、後一日は耐えてくださいませ」
「わかりました。ありがとう、トゥオ」
こうして私は、短い公爵令嬢生活を楽しむことになった。
リアス公爵家のお屋敷についた私はトゥオに手を引かれ、玄関から中へと入った。絨毯が敷かれたロビーには絵画や飾られている像を拭き掃除しているメイドが数人。
トゥオは顔をしかめる。こほんと咳払い。
「ただいま、戻った」
その言葉にメイド達がこちらを見る。
「お帰りなさい、トゥオさん。それと、ニーシャ……お嬢様」
「大変でしたね。その人のお迎えだなんて」
メイド達がせせら笑う。
「君達、さすがにリアス公爵のお嬢様にそのような態度は」
「トゥオさんは優しいですよね」
「本当に」
メイド達がクスクス笑い始めたので、私は首を傾げた。
「言いたいことあるなら言えばよくないですか?」
メイド達がぽかんとする。
「遠回しに嫌味言ってないで、正直にどうぞ? ね、まずはあなたから」
絵画のそばのメイドが目を瞬かせる。
「へ?」
私はゆっくりとメイドに歩み寄った。
「それで? 何が言いたいんでしょうか?」
「……い、言いたいことなんて」
視線をそらされたので、がっと顔を持って無理矢理目線を合わせる。
「遠慮しないで下さい。ほら、言いたいこと言って良いですよ? そんな怯えた顔しないで下さい。怒ってないですから」
「い、いや、言いたいことなんて、ない、ですが」
「そうは見えませんねぇ。ほらほら、スッキリしましょう」
額を押し付け、ぐりぐりとする。
「な、ないですっ、お嬢様に言いたいことなんて」
「本当に?」
「はい」
「本当の本当に?」
「はいっ」
そこでようやく私はメイドを解放した。
「なんだ、つまらない。行きましょう、トゥオ。部屋はどこですか?」
トゥオに案内された自室にて、しばらくすると食事の席に来るように、と言い渡された。
丁度お腹が空いてたので喜んでむかったのだが、
「あれ?」
部屋に入った私は首を傾げた。クロスが敷かれた長いテーブルについているのは三人。父、母、妹の三人であり、料理も三つしか用意されていない。テーブルの真ん中で揺らめくキャンドルの炎を見、そこにいる家族達を見回す。一応それっぽく挨拶をしておこう。
「ただいま戻りました。ご心配とご迷惑を」
「心配など、していませんわ」
そう遮ったのはナイフでメインの肉料理を切り分けていたピンク色のドレスの女の子。おそらく、私の妹だろう。
「むしろ、何故戻ってきたのですか? ブス姉様」
退院した家族に対しての第一声ではない。
「お姉様のはそこに用意してありますので、どうぞ?」
妹のそばの床には犬用らしき平皿に細かく切った肉と野菜が載っていた。
酷すぎやしないかと呆然とする。
その扱いを容認するように、父と母はすまして食事を続けていた。この扱いに文句を言わない記憶喪失前の私はどうかしている。
私はこほんと咳をして、無言で妹に歩み寄った。
「! なんですの? さっさと膝をついて」
「横から失礼致しますね。お肉なんてこの私には勿体ないです。あなたがどうぞ?」
私はにっこりと笑って、床の皿を拾い上げ、中身を妹のメインディッシュの皿へ載せて上げた。ドサドサッと。
「……へ?」
「たくさん食べて下さいね」
目を見開く妹、私がにこにこと笑っていると、彼女は勢いよく立ち上がった。
「!」
殺意を感じ、とっさに先程の位置まで戻る。
見ると彼女の瞳の奥にオレンジ色の光が灯っていた。そして、足元には魔法陣が浮かぶ。魔法術の発動スタンバイ状態。放とうとしてるのは炎?
「侮辱しましたわね?」
「あ、ごめんなさい。マナー違反ですよね。すみませんでした。トングをお借りしてくればよかったかしら?」
私の浮わついた態度に、妹の顔が真っ赤になった。
「手加減はしてあげます。黒こげになりなさいっ」
魔法陣が強い光を放ち、妹の手のひらから火球が放たれた。
「黒こげは嫌」
私はそばの壁の絵画を取って、自分の目の前で盾として構えた。高そうではあるけれど、気にしない。後で怒られるなんてことも考えない。だって私はこの家を出ていく身だから。
「は!?」
妹の間抜けな声と、
「なっ、止めないか、クロアっ」
父の叫ぶような怒鳴り声。手加減をするという妹、もといクロアの言葉どおり魔法術の威力は弱く、絵に直撃して中心部分が焦げただけで済んだのだった。
「ク……クロアっ! 国王から譲り受けた絵画になんてことを」
「お、お父様。違いますわ。私ではなく、お姉様が」
「クロア、ダメじゃないですか。魔法術で遊んでいて、絵を焦がしてしまうなんて」
「ブスお姉様のせいでしょう!?」
私は首を傾げる。
「私は炎を手から出したり出来ませんよ? それに絵のこの焦げ具合、炎の魔法術師がやったのは明白です。国王様からの頂き物になんてことを。それに、こうしたお食事の場で魔法術を使うというのは、公爵令嬢としていかがなものでしょう。お父様やお母様の教育の賜物ですね」
「なっ……」
私の煽りにお父様やお母様の顔も赤くなる。
「ああ、恥ずかしい。ここは本当に由緒正しきリアス公爵家なのでしょうか」
そこまで言ったところで、お父様からの怒声が飛んできた。
ー部屋に戻れっ!ー
だそうだ。
私はお腹を空かしながらも自室へ戻り、ベッドに腰をかけた。窓の外には月が出ていた。青みがかった魔法術の光が反射した月。
ガラス窓に私の顔が映り込む。
「ごめんなさい。あなたの人生、私がもらうことになるかもしれないわ。でも……今まで辛かったとしたら、あなたも喜んでくれる?」
私は、微笑みながら、ガラスの向こう側のニーシャの頬に手を伸ばした。