クリームソーダの海
まだ小さな子供だった頃。祖父に連れられて隣町のデパートに行った。その日、両親や祖母は別用だったのか、珍しく私と祖父の二人きりだった。
歩き疲れてぐずり始めた私を、祖父は最上階のレストランに連れていった。何でも頼んでいいと言われたので、私はクリームソーダを頼んだ。当時私はクリームソーダが大好きで、機会があるごとに、あちこちの店でクリームソーダを飲んでいた。しかし、その時のクリームソーダは、それまでに飲んだものとはまるで違う、見たこともない別格の一品だった。
それは定番の緑ではなく、透き通った青色をしたクリームソーダだった。グラスいっぱいに満たされた青は、上が淡い水色で、少し下がるとくっきりした水色になり、下に向かうほど段々と色が濃くなっていた。一番下は、向こうが見えないほどの深い藍色だった。幾重にも重なった青のあちらこちらで光の粒が瞬いていた。覗き込むと、小さな魚たちが、水晶のような鱗をきらめかせながら優雅に泳いでいた。魚たちは場所によって種類が異なるらしく、様々な色と形をしていた。水面近くでは、色鮮やかな小さな魚たちが、ちかちか点滅しながら滑るように遊んでいた。中ほどでは、銀に光る群れが回るように移動し、側では大きな白い魚がゆったりとひれを動かしていた。一番深い藍色の底では、赤い大きなカニが悠々とグラスの海底を歩いていた。
どういうわけか、その美しい海中世界は確かに生きていた。もったいなくていつまでも口をつけずに眺めていると、次第にジュースが白く濁ってきた。水面に突き出た氷山のようなアイスクリームが、時間の経過により溶けだしたのだった。「早く飲みなさい」と祖父が促すので、しぶしぶ口をつけた。海のような青いソーダは、甘く、抜けるように爽やかな味がした。海の青と空の青を一気に吸い込んで、体全体が澄んだ青に染まる。そんな心地がした。最後の一滴を吸い上げた時、いつか見た夕日の沈みゆく茜の海を思い出し、胸が切なく締め付けられた。いつまでも浸っていたい、甘い切なさだった。
あの時のクリームソーダは、記憶に強く焼き付いたまま、今でも消えることがない。また飲みたくて、大人になってからあのデパートを訪れてみたこともある。だが、最上階にレストランはなかった。昔よりずっと狭く感じるフロアには、自動販売機とベンチがおざなりに置かれ、人影はまばらで閑散としていた。昔見た光景はどこにも存在しなかった。
だが、そもそも最初から全てが存在しなかったのかもしれない。母は隣町のデパートには元々レストランなどなかったと言うし、父は祖父は子供の面倒なんてみない人だったと証言した。祖母も、祖父と幼い私を二人きりにしたことはないと父に同意した。確かに、子供時代に祖父と二人きりになった記憶は、後にも先にもあの時だけだ。思い返すと会話もろくにした覚えがない。子供心にも祖父は近寄りがたい、距離のある人だった。
そんな祖父が亡くなってから、もう数年が経つ。祖父に関しては成長後も交流した記憶があまりなく、どんな人だったのか未だによくわからない。祖父を思い出す時、一番に浮かぶのは、背筋を延ばした後ろ姿だ。庭にいる時も、書斎の時も、祖父はいつもこちらに背中を向けていた。凛と伸ばされた痩せた背中だった。そこには、他人を拒絶する頑固さと孤独を貫く厳しさが、常に重石のように表れていた。祖父は家族や子供であっても踏み込む隙を与えなかった。一人で世界を完結させている。それが祖父の意思によるものなのか、そうとしか生きられなかったのかはわからない。いずれにしても、祖父は孤高の人だった。
やはり全てが幻だったのだろうか。思い返すたびに、あの日の記憶は不確かになり、現実性を失っていく。あの日、祖父と二人でデパートに行ったことも、あの不思議なクリームソーダも、何もかもが最初から存在しなかったのではないか。子供が作り出した空想の産物、単なる妄想。私は存在しない思い出を、ずっと大切に抱え続けてきたのではないだろうか。考えれば考えるほど記憶は遠のいていく。
ただ、私は今でもたまにあの時の夢を見る。夢の中のクリームソーダは、グラスの中に海を湛え、仄かに光を帯びて揺らめいている。子供の私は息を詰め、魚たちの遊戯に見入っている。私の正面には祖父が座っている。祖父はこちらを見てはいるが、一言も発することはない。凛と背を伸ばし無言で座っている。ただ、仰ぎ見れば、その口元には柔らかな微笑が浮かんでいる。いつか確かに見た微笑だ。夢の中で、私は祖父に微笑み返す。