そこにいても心はまったく別のところにある
2020年11月、米国で次期大統領の選挙が行われる。
世界の注目が集まっている。人類の歴史、世界の歴史がどう変わるのか。
それは、地球人、誰にも影響する重大事となる。
かつてアメリカの希望の光として、若きケネディが、本命のニクソンと大統領選挙で対峙した…
『聖書』大国アメリカ・・・人類の平和に向けて
メシアのように死のうとした大統領
わが心そこにあらず Oの福音書
そこにいても本心は違うところにあることがある。
-本書は真実を探し求める人に捧げる-
<はじめに>
世界の超大国アメリカで、西暦二千年の世紀末に世界を巻き込む国家的危機が起こるのでないかと、以前から心配していた。
まさか、二十一世紀の新大統領を選ぶのに、司法の判断を仰ぎ国家国民を二分する事態になるとは予測もしなかった。民主主義の最先端国家の象徴としてアメリカ大統領の投票決定が法廷闘争という司法によって左右された。これはアメリカ合衆国の分裂、つまり人類が究極的な政治形態として有史以来勝ち取って築いてきた民主主義の危機、つまり、この世界の滅びの予兆ではないか、と危惧するのは思い過ごしの愚かなことだろうか。
その懸念の予測の根拠を概略説明し、本書をお読み頂いた後は読者の見識に委ねることにしたい。人間誰も明日のことは分からない。そこで将来の人類社会に対する“歴史の裁き”を殺害された歴史上の偉人三人を通して見守ることにしよう。
さて、そのことは全世界に衝撃を与え嗚咽と悲嘆にくれさせたと言っていいほど、希望と未来の輝きでもあった、重要な人物の死に関連して、その時にまでまずさかのぼることにしよう。
一九六三年十一月二二日、アメリカ合衆国の第三十五代大統領、ジョン・F・ケネディが、テキサス州ダラスの白昼パレードの車の中、衆人の前で、狙撃暗殺された。
品位と知性にユーモアを持ち合わせ、不屈の精神を才気と英知で包んだ若き大統領の体は、脳髄を飛び散らせ、若く美しい夫人の胸の中に崩れた。
「オオ、ノー!」阿鼻叫喚が全世界に伝播し壮絶な悲しみが地球を覆った。おりしも日本では日米テレビの同時中継の初めがこのニュースとなって日本人の記憶に刻まれた。
一人の人間のために衝撃と悲嘆の涙が地上に滴り流された。人類史上これほどの強烈な一人の「死」があっただろうか・・・。
ちょうどその三十周年後、一九九三年のその日、十一月二二日、第四十二代アメリカ大統領クリントンは、ホワイト・ハウスの記者会見でケネディ元大統領の暗殺についてこう言明した。「事件は、オズワルドの単独犯行だったとの調査結果に満足している。」
ケネディ大統領の暗殺は、実に多くの疑惑に満ちている。ほんとうに、旧ソ連に亡命希望したオズワルドという不可解な男一人の犯罪なのか。いや、二人の狙撃犯がいる。陰謀であり、旧ソ連、キューバ、反カストロ・グループ、FBI、CIA、マフィア、それらの組織、またはあるメンバーが絡んでいる。そうみる人もいた。
その日以来、謎が謎を生み、暗殺の真実を捜し求めて数々の調査が行われてきた。そして、アメリカのオリバー・ストーン監督はケネディ大統領暗殺事件を描いた「JFK」に続く、一九九五年製作映画「ニクソン」で故ニクソン大統領がケネディ暗殺に係わったとの見方を描出し、遺族らが抗議声明を発表した。
ケネディ暗殺四カ月前、教師か音楽家志望の若者が、ホワイト・ハウスで握手して憧れ政治家を決意した。三十年後、その若者が、ケネディの再来として「オズワルド単独犯説」をホワイト・ハウスの記者会見で表明したのである。
米議会図書館で歴代大統領の書籍文献は多い。この時点で、ケネディ元大統領に関する数は、五百六点。リンカーン元大統領の二千六百十点に次ぐ多さであったという。その後も多くのことが書かれ続け、これからも増えるだろう。
ケネディの暗殺を題材にしたものは、ノンフィクションの学術的なものから、フィクションなどの憶測的なものまで、ほとんどが組織的な陰謀が絡んでいるという考えで書かれている。しかし、ある意味でその内容は似通っており、同じものをまた読まされた、という感じのものが少なくないようだ。
そこで、ここに今まで世界で誰にも書かれなかったと思われる観点より、ケネディの「心」の領域に迫り書き記すものとした。「リンカーンの暗殺」と「メシア、イエス・キリストの死刑」という二つの世界史に残る“なぞ”の多い大陰謀と「ケネディの暗殺」を重ね合わせてみたのである。
すると、そこに共通項や類似点が見え、おのずと「ある犯人像」と「人類史のつまずき」とこれから来るであろう「人類最終戦争-ハルマゲドン」が浮かびあがってくるようである。
ケネディの足跡をたどると、多くの点で奇妙にもメシア、イエス・キリスト的であった。そのクライマックスは、はじめの部分に掲げたように衆人が見守るなかで“罪人”のように殺されたことである。そこに暗殺の危機が予測されていた。ケネディは国家組織の最高権力者として避けることは充分にできたはずである。ところが彼は“リンカーン”製のオープンカーに乗った。
イエス・キリストは罪人としてはりつけになり殺された。彼は神の子の奇跡の力によって避け逃げることは容易であったはず。しかし、メシアは神の言葉『聖書』において死ぬことが預言されておりその“成就”としてあえて死ぬ道を選んだ。彼が予告していた通りに古代エルサレムは滅んだ。西暦七十年春ローマ帝国の軍団によって包囲され約半年のせい惨な死闘の末に古代ユダヤの体制、つまり神殿とともに壊滅させられた。その後、各地の要塞も陥落した。
一方、ジョン・F・ケネディの暗殺からイエス・キリストの同じ時の経過を当てはめると西暦二千年十一月二十二日になる。その時アメリカ国家は前代未聞の選挙投票後も大統領が決まらず司法を巻き込み国家を二分し全世界が注目する状態にあった。
民主国家の先兵となるアメリカで多数決という民主主義の欠陥、コンピューターによる機械集計が信頼できないという訴え、フロリダ州最高裁と連邦最高裁の党派的とされる司法判断の危うさ、現代の人類社会のよりどころの本質を問う“根本的な問題”をつきつけた。ゴア候補は連邦最高裁の敗訴によって「国民の団結と民主主義の強化のために敗北を認める」と宣言した。
それを受けて四十三代大統領となるブッシュ候補は十二月十三日に「私は一党ではなく、国民全体に奉仕するために選ばれた」と勝利宣言した。政治、司法、マスコミ、国民世論など総動員し国家を二分した一カ月以上のとことんまでの争った戦いの傷跡は余りにも深い。ブッシュ新大統領は教会におもむき神に祈ったという。
実際にケネディは大統領に在任中に“核兵器のボタン”を押す直前まで人類の存亡の危機の予習をした。いわゆる旧ソ連との間で“キューバ危機”という人類の最初にして最後の戦争“核戦争”の一歩手前という恐怖を全人類に体感させた。ブッシュ大統領の勝利が確定された三日後の日本で奇しくもケネディ兄弟とキューバ危機を題材にした『サーティーン・デイズ』という映画が封切りとなった。
それは、聖書『ヨハネの黙示録』が預言する地球的規模の「人類最終戦争-ハルマゲドン」に焦点を合わせる見方もある。
ケネディの再来とされたクリントン大統領が最後の最後として解決を求めながらも成功せず、西暦二千年、中東問題は聖地エルサレムをめぐりイスラエルとパレスチナとは血と血で争う“出口の見えない”一層暗い迷路にはまり込んでいた。中東問題は西暦七十年のエルサレム崩壊で国家を無くした民族の悲劇に起因し、イスラエルにハルマゲドンと呼ばれるに相当する古戦場が存在する。その問題をブッシュ大統領が引き継いだ。
二十一世紀の世界はどうなるのか。旧ソ連の崩壊後、米国一強の時代に平和な二十一世紀を現実にみた人もいた。ところが二千一年九月十一日、繁栄の象徴の初頭における世界強国の国家アメリカのニューヨークのツインタワービルにジェット旅客機がテロリストにハイジャックされて突っ込み超高層ビルが崩落した。これは映画だ。テレビをみた人々は自分の目を疑ったが、実況中継だった。
現実の悲劇は、米国の報復としてアフガニスタン、イラク戦争とへ急拡大。イラクの独裁者フセイン大統領が、大量破壊兵器を所有している、その戦争が核兵器がみいだされないままイラクの崩壊で、中東の平和が崩壊したともいわれる。
その中東において、米ロがシリアの主権の正当性をめぐって近隣国も巻き込み紛糾している。
そこは、かつて、ゴルゴダの丘で、人類史上最大の冤罪事件とされるイエス・キリストの暗殺後、三日後に復活したイエスこそ神の子、メシアだと信じた、イエスの弟子たちが「剣をとるものは剣で滅ぶ」と平和を説いてまわった一大聖域のはず。
そこが悲惨な戦場になってそこらから平和を求める難民が波のようになってEU諸国に押し寄せた。
改めて米国大統領が引き継いだ世界の平和の実現。大統領の決定の混迷の事態において、今日のわたしたち人類の存在意義と世界の問題と平和の意味を重大なことと考えてみることにしよう。「小さな世界の努力は大きな世界の力で踏みつぶされることがある」。歴史の教訓として繰り返される悲劇を避ける“あなた自身のこれからの二十一世紀の未来の生き方を読む”ことになるかも知れないからである。
そこに真の平和と安全を求める世界があり、日々アクセクしている方、もしかしたら“あなた自身の命の救いと未来”を読みとるいやしの“良い知らせ-福音”となるかもしれない。ほんとうにアメリカは崩壊し世界が滅ぶのだろうか。人類六千年の歴史を彼ら偉人三人の視点から読んでいただくことでその“気高い高貴な心”を受け取って下されば誠に幸いである。
二千一年一月著者 O.Dallas
本書は、2020年11月の米国大統領選挙に向けて、著者の許諾のもと2001年1月の原案をとりあえず<SDGs近未来小説>として無料公開するものです。
編集者の検閲がないため、表現上の問題、誤字、脱字があるかもしれませんので、よろしくご連絡、ご指導をお願いいたします。
正しい人が正しい権利を享受できる、新しい時代の到来を読者民様の安全安心平和の願いとともにその現実の未来があることを<希望>いたします…。
わが心そこにあらず-Oの福音書1
<はじめに>本書出版の事情1
<プロローグ>5
・<ケネディの人物像>…幼い夢想家5
・<本心を探る>…わが心そこにあらず6
一・ケネディの誕生7
<家族>…なんでも一番になれ7
<わが心そこにあらず>…もっと崇高に8
<聖書>…なぜ人を引きつけるのか9
<家訓>…将来は大統領を9
<第一の死>…使命がある10
<後継者>…最高を目指す11
<第二の死>…死の約束がある12
<勇気ー悪魔の誘惑>…真の勇気とは13
二・大統領15
<神の下僕>…神のご意思を行う15
<見えざる国教ー神の国>…現代版「神の国」16
<若き力>…ソロモンの知恵18
<聖霊と火のバプテスマ>…誰に献身するか19
<新生>…既成のものを受けず20
<正否の基準>…将来ともに正しいか21
<神聖>…お金より清く気高く22
<何をなすか>…人間の自由のために働く23
<神の仕事>…それがわらわれの仕事24
<メシア、死の予告>…わたしはいなくなる25
三・神の眼25
<平和と自由の使者>…地上に平和を人々に自由を25
<ケネディの神殿ー月面>…アメリカの栄華と宇宙からの十二使途27
<宇宙から見るー神の眼>…闇夜に輝く生命の水球28
<極小宇宙DNAから見るー神の眼>…なるものになる神の設計図28
<地球人ー国境なき地球>…違いは見えない30
四・核戦争31
<勝利なき戦い>…核戦争の恐怖31
<ハルマゲドンー人類最終戦争>…アメリカ最期の大統領32
<対決>…核兵器のボタンを押す(悪のみの滅び)34
<核の標的>…永遠の平和に35
<死人の復活>…あってはならない奇跡37
<反対と勇気>…正しい戦いか38
<幸いなる民とは>…自由による壁の崩壊40
<崩壊と勝利>…真の勝者は誰か42
五・暗殺-勝利45
<エルサレムとダラスへの道>…メシアは死ななければならない45
<遺書>…死して多くの真の友を得る46
<偉大な王への罵り>…彼らは知らない、なせるままに47
<刑の確定>…愛と忠節の勝利をえる49
<犠牲>…心ある人は見えないものを理解する50
<符合の暗殺死>…何が背後に働いているのか51
<暗殺事件調査>…真実はどこに53
<現場の見直し>…真実を語る者はどこに56
六・現在と将来57
<ケネディの復活>…それはあったか57
<核の拡散と核兵器使用>…どこかへ消えていく核兵器58
<誰が支配者か>…真の最高の権力者は誰か59
<アメリカの分裂と崩壊>…全世界は一つに向かっているか61
<偽キリストと偽ケネディ>…惑わされない62
<明日は誰にもわからない>…予告された未来64
<エピローグ>…人間の願う理想社会とは65
<あとがき>…わが心の真実67
<参考・引用資料>
サンケイ新聞・日本経済新聞他主要日刊紙
ジョン・F・ケネディ『勇気ある人々』(下島 連 訳)日本外政学会
ローズ・F・ケネディ『わが子ケネディ』(大前 正臣 訳)徳間書店
シオドア・C・ソレンセン『ケネディの道』(大前 正臣 訳)サイマル出版会
シオドア・C・ソレンセン『ケネディの遺産』(山岡 清二 訳)サイマル出版会
ベンジャミン・C・ブラドリー『ケネディとの対話』(大前 正臣 訳)徳間書店
堀田 宗路 『ジョン・F・ケネディの謎』日本文芸社
金子 節也『ケネディ JFK 1917―1963』グロビュー社
土田 宏『ケネディ兄弟の光と影』彩流社
文藝春秋編『JFK暗殺の真実』
落合 信彦『ケネディからの伝言』小学館
桧山 良昭『ケネディを撃った男たち』東京書籍
落合 信彦『決定版 二O三九年の真実』集英社
仲 晃『ケネディはなぜ暗殺されたか』NHKブックス
『聖書(新改訳:注解・索引付)』いのちのことば社
『聖書』日本聖書協会
『聖書』ものみの塔聖書冊子協会
『カラー聖書百科事典』いのちのことば社
『カラー聖書ガイドブック』いのちのことば社
【主】とは『エホバ』または『ヤハウェ』という神の御名
【十字架】とは原始キリスト教以後のものでもともとは一本の杭であるという説がある。
山主 敏子『世界の伝記 リンカーン』ぎょうせい
二反長 半『リンカーン』偕成社
砂田 弘『リンカーン』講談社
立花 隆『宇宙からの帰還』中央公論社
日本放送協会『地球大紀行』
日本放送協会『銀河宇宙オデッセイ』
大林 辰蔵・小野 耕世『SFと宇宙』
ウィリアム・マンチェスター『アメリカ現代史4 1961―1968 栄光と夢』(鈴木 主税 訳)草思社
ジョナサン・バンキン『超陰謀』(小柴ますみ訳)徳間書店
井門 富二夫 編『アメリカの宗教 多民族社会の世界観』弘文堂
ジョナサン・ポーティス チャールズ・F・アレン『ビル・クリントン』(森川 太郎訳)講談社
フラビウス・ヨセフス『ユダヤ戦記』山本書店
ジョー・マクギニス『最後のケネディ』(土田 宏 訳)彩流社
ロバート・D・モロー『ケネディ暗殺ーアメリカに殺されたJFK』(河合 洋一郎 訳)原書房
『大日本百科辞典』小学館
『世界伝記大辞典』ほるぷ出版
『世界大百科辞典』平凡社
『ブリタニカ国際大百科辞典』
『Newton-DNA神の設計図』ニュートン
松井 孝典編者・中京テレビ放送編『最後の選択―文明・人類はどこへいくのか』徳間書店
松井 孝典著『宇宙誌―我々はどこから来たか?我々とは何か?我々はどこへ行くのか?』徳間書店
ドネラ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ヨルゲン・ランダース著『生きるための選択―限界を越えて』(茅 陽一監訳 松橋 隆治、村井 昌子訳)ダイヤモンド社
ドネラ・H・メドウズ、デニス・L・メドウズ、ジャーガン・ラーンダズ、ウィリアム・W・ベアランズ三世著『成長の限界』(大来 佐武郎監訳)ダイヤモンド社
フレッド・ホイル、チャンドラ・ウィックラマシンゲ著『生命はどこからきたか』(大島 泰郎監訳)潮出版社
『驚異の小宇宙・人体 遺伝子DNA』NHK総合テレビ
佐藤 文隆著『科学と幸福』岩波書店
<プロローグ>
<ケネディの人物像>…幼い夢想家
ケネディ元大統領について、彼の下院から上院の側近で、大統領特別顧問としてもケネディの名演説を起草した、シオドア・ソレンセンは、著書『ケネディの道』(一九八七年 サイマル出版会 大前 正臣 訳)の「プロローグ-回想録執筆への意欲」の章で、このように記している。
『・・・しかし私との会話では数回、ホワイト・ハウスを去るとすぐに回想録を書くつもりだと明言した。少なくとも大統領時代のことは書くとのことだった。それが第一巻となるべき性質のものだったろう。』
ケネディは、回想録を書くつもりでいた。とするなら、ケネディ自身が記した日誌や資料などがあって、発表されてもいいはずだ。しかし、ない。なぜだろうか。
シオドア・ソレンセンは更にこう続けている。『書かれたならば、それはすばらしい本になったことだろう。あのような歴史を築いた米国大統領で、彼ほどに歴史感覚とか、文筆家としての才能、または意欲的な率直さをもった大統領はほとんどいない。大多数の政治家とはケタはずれにちがい、彼は自分自身の行動を客観的に測ることができただけでなく、その行動が現在の有権者と同じく、将来の歴史家によって測られることに深く心をつかっていた。・・中略・・。
それに、彼の伝記を書こうと志す者は、ケネディが単に歴史学徒でなく、歴史著作、伝記著作の厳しい審判者であることを念頭においてはじめねばならない。・・・中略・・・。
驚くには当たらないが、彼は自分のことを書いた記事には、最も厳格な物差しをあてた。大統領になる前、まだいくらかの選択ができたころ、自分の伝記を書く人間についてひどく神経質になった。彼について書かれた本や雑誌記事のほとんどが互いに引き写しをやっており、すでにウソだと証明された同じ神話、誤り、引用文を繰り返していることに気がついた。・・中略・・。
重要な問題の検討については包括的な記録をつくるよう取り決め、保存書類用にと会話のメモを口述したが、その重大決定の多くは文書でなくて口頭で伝えられ、手紙でなく電話で伝えられ、しかも多くの人にでなく一人に伝えられた。書きものとして残した記録、すなわち演説、メッセージ、電報、手紙、覚書のうち、大統領が口述したとか自身で書いた第一稿に基づくものは比較的少ない。
そのうえ彼は、わざとつかまえどころがない態度をとる面があった。内部にいる人の方が外部の人よりうんと多く知ってはいるものの、どの側近でも友人でも家族でも、どんなテーマについても彼の考え方とか、行動全部を知っている人はいなかった。私自身について言えば、上院とホワイト・ハウスで特殊の任務をもった関係上、たくさんのことを少しずつ知ることができたが、どんなことについてでもすべて知っていたわけではない。・・・』
このように書いている。ケネディの真実、本心をとらえていたものは、つまり長年仕えた側近と言われたシオドア・ソレンセンでさえ誰もいない、と断言しているのである。
また、同じく大統領特別補佐官アーサー・メーアー・シュレジンガー・ジュニアも『一千日ホワイト・ハウスにおけるジョン・フィッツジェラルド・ケネディ』(ケネディ 栄光と苦悩の一千日 一九七七年河出書房新社)を著し序文で『アメリカの大統領というものは非常に複雑な職務なので、大統領の持つ問題とか、目的などを完全に知り得るのは、大統領自身しかありえない。・・中略・・ケネディに最も近い官吏、当時司法長官であった人も、彼の兄の死後、ホワイト・ハウスの諸文書を見たとき、かれが前には全く知らなかった種々雑多の大統領の持つ諸問題に驚いたのであった。』と述べている。
さらに、ケネディの実母、ローズ・F・ケネディも回想録『わが子ケネディ』(一九七四年 徳間書店)のなかで、こう記している。
『私が本書を書こうとした理由は、これまでの記録を正したいためである。わが家に関して何百万語の文章が書かれているが、そのほとんど最高のものでも不正確、誤解のキズがあり、最悪のものになるとインチキで、腹立たしいほどのウソがある。しかし、私は長年にわたり、正直なミスから全くのデマにいたるまで全部無視してきた。というのは、気にかければ気が狂いそうになるからである。ウソはあまりにも多く、あまりにも濃く流れていた。』
幼い頃から母親は不可解なものを感じていた。子供は成長すれば、さらに母親には理解しがたいものを持つことは明らかである。その手記を読んで見ると当然、母親もケネディの本心をとらえることはできてはいなかった。
では、ケネディの本心を知ることは不可能だろうか。
<本心を探る>…わが心そこにあらず
実は、本心に近づく一つの方法が可能性としてある、と考えた。
リンカーンとケネディの二人の大統領の最大の共通点は【暗殺】である。
ジョン・F・ケネディについて、実に多くが語られた。今だ暗殺者の正体を求めて議論される。現在、そこから彼の生涯を逆に辿れば、リンカーンのように暗殺されることを、同時に人類史上最大の謀略、メシア、イエス・キリストのように「殺される」ことを予感していたのは明かである。
いや、もしかするとケネディはその道を自ら求めたのではないか。不思議にそのようにさえ見えてくるのである。実際、イエス・キリストを手本にしなければならなかったのである。
イエス・キリストについて言えば、イエス自身が書き記したものは何もない。イエス・キリストに関する書籍の数はキリスト教関連とともに無限大の数量である。しかし、弟子や関係者により記された『四大福音書』が基礎となっている。
イエス・キリストの死期や福音書の記録完成年代も色々の分析があり、一致しない。それで詳しくは関心ある読者自身の調査研究に任せるとしても、許容されるおおざっぱな年代は、次のようである。
○マタイの福音書・・西暦四十~六十年代頃 ○マルコの福音書・・西暦五十~六八年頃
○ルカの福音書・・・西暦五六~六十年頃 ○ヨハネの福音書・・西暦八五~九八年頃
イエス・キリストが処刑されたのが、西暦三十から三三年頃とされ、その伝記、福音書はいずれも死後、最長でみれば二十から六十年以上経過して、記録されている。
なぜ、これほどに経過して書かれる必要があったのか。確かに伝記は死後、何年か経過して書れるものである。しかし、その死自体が、以後に生存する人々の人生に大きく影響する場合がある。イエス・キリストの「死」によって「キリスト教」は完成した。しかし、三日後、復活し弟子のまえで「再び来る」と約束して昇天した。
それは、信じるものだけでなく、関係ないと信じないものの人生をも巻き込んだ。人々を救おうとしたイエス・キリストを殺害した古代ユダヤ人の世界は、イエスの予告通り、その約四十年後、つまり西暦七十年にエルサエルムの町とともに崩壊した。ローマ帝国の軍団により国家を失ったユダヤ人は、ナチス・ドイツのホロコーストを経て悲願の国家再建を約二千年後に再び『約束の地』のうえに果たした。
しかし、一九九五年には同胞によりパレスチナとの和平を進めるラビン首相が暗殺された。今なお『神が与えた約束の地』で悲劇と闘争が繰り返されているのである。
アメリカは、そのイスラエルに肩入れをする。ケネディ大統領の暗殺をイエスの死と対比させるなら、ケネディを暗殺したアメリカ世界は、世紀末と重なり約四十年目を迎えたが、今なお存続している。実際に、イエス・キリストの処刑は西暦三三年が有力であり、西暦七十年に国家を失った古代イスラエルの破滅まで三七年。ケネディの暗殺は一九六三年で三七年後は、ちょうど西暦二千年である。
この偉大な指導者とされたケネディを謀殺した国家の歴史の枠を単純に当てはめてみるなら、アメリカは間もなく崩壊する…?。まさか!? ほんとうにアメリカ人の世界は同じように滅亡するのだろうか。
もし、そうであるとしたら、アメリカの体制の瓦解は、当然に世界の終わりを意味する。それはまた、イエス・キリストの預言、聖書ヨハネの黙示録に記された人類最終戦争ハルマゲドンと重なる。つまり核戦争の現実の恐怖は、九八年五月のインドやパキスタンによる核実験、さらに加えて核兵器をもたねばイラク、フセイン大統領のように侵攻、殺される恐れで核兵器を強化する北朝鮮に、平和であったはずの日本も恐れおののく。核廃絶を唱えるも現実的ではないことをオバマ大統領は二千十六年五月原爆被災地広島の訪問においても明らかにした。平和のためにできること、神の折鶴と慰めの思いを残して去った。
核戦争の恐怖は一層身近で危険なものになった。パキスタンや北朝鮮からイスラム世界への核拡散も懸念され、ケネディとともに記憶される人類史上最大の危機、米国と旧ソ連による核戦争の一歩手前まで行った「キューバ危機」は、やはり人類の破局、ハルマゲドンの予習であったのだろうか・・・。
そのキューバに対して二千十六年、米国に続き日本も融和を取り戻したが…。
一・ケネディの誕生
<家族>…なんでも一番になれ
「全てが見えてきた。」そのように彼が考え始めたのは、いつの頃からだろうか。
彼、どこにでもある名前、ジャック、未来の大統領をそう呼ぶことにしよう。
次男であるジャックは、長兄が戦死した後、自ずとケネディ家を継ぐ責任を負った。ケネディ家は代々政治家の家系であり、父親はある希望をもち、父の望みを叶えることを考えた。
と言うのも、長兄は政治家になり、第一位の座、「アメリカの大統領」になる道を進む責務を負っていた。ケネディ家の繁栄の象徴として父親の強い願いである。
しかし、大統領になって何をするのか。国家や、世界のため労苦したところで、何の益になるのだろうか。その思いをジャックは、父や弟たちに話したことがある。
「分かっているだろう、ジャック。大統領への歩みとともに自ずと、為すべき事と良いものが見えてくるのだ。」と、父親は諭した。
「何はともあれ、まず、大統領になることだ。」と、三男ボブも現実的だ。ジャックは、彼らが、そう答えるだろう、ということが分かっていた。家族全体の願いは、聞くまでもなく、明かであった。
千八百年代中ごろ、アメリカはまだ、未開の大陸として大いなる未来の夢が溢れていた。父方の曾祖父は、アイルランドで、ジャガイモ飢饉や経済的破綻の末、そこを見限って荒れ地を売り払った。一家の将来をアメリカに懸けて、一八四八年ボストンに移民した。
曾祖父の末っ子、ジャックの祖父は、商才に長け政治的手腕もあった。ボストン市の公職や、州議会の議員を務めた。また、母方の祖父もアイルランドの移民の子供で、同様に政界に身をおいていた。
ジャックは一九一七年五月二九日にマサチューセッツ州ブルックラインで生まれた。
父親は、ハーバード大学を卒業すると、金融界に進み、第一次世界大戦後において、商才を発揮し、映画、不動産、酒類販売などの事業で、瞬く間に巨万の富を築いた。
この事業の大成功において、普通ではない、マフィアとの係わりが囁かれる。ここにジョン・F・ケネディ大統領暗殺の伏線ができた、という見方がある。
更に一九二九年の株式市場の大暴落で父親は百万ドル以上の大儲けをしたと言われる。実は、暴落を事前に知って売り抜けた。つまり、世界恐慌のきっかけを目論んだ仲間の一人だとも言われる。
「なんでも一番になれ、二番は負けである。」貧困から這い上がり勝者になるには、まずは金を所有することだ。父親の飽くないまた果てしない金銭の欲望と成功者の生きざまは、子供への人生哲学と激しい諭しとなっていた。成功の陰で、「金のために半生を捧げた守銭奴」とか、「成り上がり者」とか、罵り軽蔑する者が当然いた。
父親の事業の成功とともに、家族生活の裕福さは増し加わる。
キリスト教の始祖、メシアのイエス・キリストは、馬小屋で生まれた。アメリカ十六代大統領リンカーンは丸太小屋で生まれた。第三十五代大統領、ジョン・F・ケネディ、つまり、ジャックは裕福な家庭に生まれ、死ぬまでお金の苦労はしなかった。結局、生涯またそれを追い求める必要もなく、関心もなかった。
九人兄弟の第二子として生まれたジャックら家族は、二流場所から一流を求め、一九二六年、ボストンからニューヨークの豪壮な邸宅に住み移っていった。衣食住や生活に大きな変化が次々と訪れた。
<わが心そこにあらず>…もっと崇高に
お金があり、生活に何の不自由もない。確かに素晴らしい立場である。しかし、ジャックは、食べたり飲んだり楽しんだりする肉的な欲望が満たされて満足に終われない。第一を求めよ。それは求め続けなければならない。いつも、何かを求め、夢想していた。好奇心をもって何かを捜し求め続けた。人生とは何か。自分は何のために存在しているのか。何をしたらいいのか。母親はジャックの子どもの頃を、こう記している。
『・・彼はロマンティックで理想主義者だった。それに対して何よりも強い好みがあった。事実、いささか夢想家ともいえる異常な高い傾向があった。彼の魂の半分が算数の宿題を片づけるとか、床の上のキモノを取り上げるとかの今必要なことに向けられながら、同時にあとの半分ではどこかの何かの夢を追っているのではないかと思った。・・』母親さえケネディの子供時代から何を考えているか分からず、その本心をとらえ難いものと見ていた。ジャックの心はそこになく、どこか遠くにあった。
イエス・キリストについて言えば、幼子の間、わずかに親子の間はこう記されている。
『両親は彼を見て驚き、母は言った。「まあ、あなたはなぜ私たちこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も心配してあなたを捜し回っていたのです。するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」しかし、両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。』(ルカ二:四八-五十)
ジャックは、探求心があり、遠く求める気持ちを読書をし、自分の空白を埋めてくれるものを、本の中に探し求めた。いつも新しい挑戦と競争を求め強い好奇心を示した。
結婚後もジャクリーヌ夫人が、疲れを知らない好奇心を認めたように、生涯それを保った。読書は知識を増やし理解力を高め感性を磨き、更にまたより高度の完全を求め理想を描かせる。絶えず読み続けた。知識を得るため、比較判断力を養うため、洞察力を深めるため、そして巧みな心残る演説をし、人々を動かすため。それだけく多く、しかも速く。それに読んだなかのエッセンスを取りだし書き留め正確に覚え、よいことは引用し実際に活用した。
リンカーンは、早くから話術や物真似に際だった才能を示した。字を覚えると本を読む喜びを知った。昼も夜もむさぼるように本を読んだ。書物を読みだしたら、周囲の人が話しかけても聞こえないくらい熱中した。とりわけ聖書をもっとも愛読した。
ジャックは読んで理解をしようとしても、どうしても、不可解な部分があり、解らない書物がある。
家族は、先祖代々熱心なカトリック教徒である。聖書を用いる。人間の根元に係わる信仰は、生活の基本である。母親は、聖書を通して教えた。
『キリストはなぜ私たちのために十字架を受け入れ、苦しみ、死んでいったのか・・』『神への深い信仰がなぜ必要なのか・・』
『人類愛とは何か・・』などを教えた。
『信仰は神が与えた賜物である。それが地上の私たちの生命を支える。私たちの活動を導き、慰めと安らぎの源になるのだから・・・決して信仰を失わないようにしなければいけない。』と諭した。
母親は、ケネディ家のうち、いつか神学校に入り、宗教家になるのは、三男ボビーだと思っていた。潔癖で正義観が強い。人に優しい。しかし、彼も世俗の政治家となり暗殺された。ジャックについては、探求心が強い。論理的、合理的、理性的である。事柄によっては家族の者より単純には信じ込まない。それだけ扱いが難しい場合があった。そうかといって神を信じないわけではなく、祈りをした。
予備校時代のルームメートは『ジャックが寝る前に、ひざまずいて祈らなかった日はなかった。』と信仰の確かさを証言しており、祈りは一生、暗殺の前日まで続いようだ。
ある夜、父親がホワイト・ハウスを訪ねた。ドアを開けジャックの寝室に入り掛けていた。そして、そのまま帰ったことがある。大統領が自分のベッドの側でひざまずき、神に祈りをしていたのである。
<聖書>…なぜ人を引きつけるのか
ジャックの祈りの習慣については、母親が小さいころから教えてきた結果である。しかし、信じていなければ成長して子どもは止めてしまう。人間に神の導きと保護が必要であることをジャックは大人になっても確かに認め信じていた。
ジャックは天性の読書家である。子供の頃からいろんな本をむさぼり読んだ。当然読書のうち、親の影響もあり古代から今なお生き続ける神の言葉の書、聖書もその対象である。
大洪水を生きたノアと箱船の物語。イスラエルの民を率いて神に導かれモーセ。ダビデとソロモン王。イエス・キリストの記録など、調べれば限りない人間の理解と力を超えた全知全能の神、ヤハ、エホバ、の壮大なロマンや英知は計りがたく興味は尽きない
また聖書のなかで取り分け【伝道者の書】を好んだ。母親もその書が好きだった。
イスラエルの栄華を極めた知恵者、賢王ソロモンが記した人生の書。
『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。』(伝道者の書三:一-二)
一九六三年十一月二十五日、故ジョン・F・ケネディ大統領の国葬の際、伝道者の書三章が朗読されたのである。
聖書はまた、ジャックにとって、自分の好きな「歴史」について記した書でもある。人類の始祖アダムとイブから、天地創造の神エホバと神が選んだ人間とその民との記録である。
人間がどのように振る舞えば、神がどのようにされるか、神の律法や原則が歴史として連面と刻まれている。人間の正しい「勇気ある人々」の営みがあり、神の教え、歴史の法則が見られる。
しかし、読んで納得できる部分もあるが、不可解な記述があり過ぎた。母に尋ね、親しい枢機卿たちらにも聞くが、答がない。どのように理解したらいいのか。知らなくていいのか。矛盾がある。父親の生き方も聖書の教え、イエス・キリストの教えと異なる行動ではないか・・。
なぜ、神はイスラエルを選び、導いたのか。また、なぜ一番になる必要があるのか。イエス・キリストは、民衆が王としようとする時、山の中に逃げ込んだではないか・・・。
富は貧しい人々に使われなければならない。十分ある。なのに、なぜ父はこれほど金を求め続けるのか。人々にはお金より平安と安息が必要である。
なぜ、イエス・キリストは、人々の病気を治し代金を求めなかったのか。なぜ、天から救いを得られるのに逮捕され、民衆の前で、無惨な死を遂げたのか。
なぜ、どうして・・・、もう数えあげれば切りがない。「そんなことは、知らなくてよい。」と父親も答え、枢機卿たちさえ同意する。理性的で論理的思考を尊重するジャックにとって、承知しがたい生活の矛盾として『聖書、神の教え』が意識のなかで潜在し存続した・・・。
<家訓>…将来は大統領を
父親は、自分の厳格さと、寛大さと、激情的で支配的な資質を示した。また、それらをそっくり受け継いだのが長兄ジョーである。父と長兄を中心に、排他的な一族として、家族兄弟は異常なまでに競争力と団結力を示しあって育てられた。
金ができれば、次は名誉が欲しい。父親は、自分に似た長男に「将来は大統領になる。」夢を託し、公言し始めた。
ジャックは次男で自由の道が開けている。十八歳でプリンストン大学に入学した。が、一年生で黄疸の病気で退学した。回復後はハーバード大学に転入学し政治学を専攻する。
「政治は力である。」権力を得てこそ自分の理想や思いが実現できる。その力を求めて人に負けない志向力が、フットボールで転倒し、背骨にひびが入った。この脊髄の傷が、ジャックの生涯に「死の陰」としてまとわりついたのである。
高校時代から、ジャックは旅行好きだった。大学三年の時、丁度、父親が、時の大統領を選挙で資金支援した。見返りに駐英大使のポストを得て務めていた。そこでパリの大使公邸をもとに、第二次世界大戦の予感を肌で感じ、ロシア、東欧、中近東などを訪ね周った。それら諸国の情勢を取りまとめ、卒業論文の資料収集を兼ねた。それらをロンドンの父、アメリカ大使館に送った。
世界の動向情報を収集し分析する。ジャックは、時の流れ、歴史のなかで、聖書とともに「変わるものと変わらぬ」ものを学んでいた。
兄は政治家になる。自分は、弁護士か、ジャーナリストか、歴史か政治学の教授か、それとも外交官か・・多くの自由と道がある。とりわけ歴史が好きだ。母はボストンや近郊の史跡に子どもらを連れて行き、歴史的事件や出来事を教えてくれた。夢中になった。だから、ジャックは、できれば歴史を読み、書き、それで生きることを希望した。
一九三九年八月二三日、独ソ不可侵条約が締結され、その九月一日、ドイツ軍はポーランドに侵入した。三日、英仏がドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まった。
一九四○年六月十四日、ドイツ軍はパリに入城した。その直後、父親の段取りで、ジャックの卒業論文、イギリスとナチス・ドイツとのミュンヘン協定に関する「ミュンヘンにおける宥和」は、『イギリスはなぜ眠ったか』と題して出版された。アメリカとイギリスで売り出され、両国でベストセラーとなった。
この時、ジャックは、もう一つ別のものを書いていた。なぜ人間が殺し合わねばならないのか。ケネディは出版されないそれに、表題を、こう付けていた。
『神はなぜ眠っているのか』
<第一の死>…使命がある
ジャックは、一九四○年六月にハーバード大学を優等で卒業、スタンフォード大学の大学院に進んだ。翌年四月、アメリカ陸軍に志願した。ところが、学生時代フットボールで受けた背骨の損傷で、入隊は不合格となってしまった。
そこで背骨を鍛えた。今度は海軍を目指し、一九四三年三月、高速魚雷艇の艦長に任命された。
戦争はいつも“狂気の極地”だ。母親は、常識、道徳、そして宗教的信念に反するものと理解し当然嫌った。しかしながら、戦争忌避者としてでなく、自ら志願し行く息子を戦地に送った。
国のために、命を捧げる。リンカーン大統領もそれを讃え、北軍を鼓舞してきた。そして南軍に勝利した。母親は自分の支配を全く超えた出来事と力と状況に挟まれた。戦争は神の教えに違反する。神の御名において行うことは神を汚す。敵国の母親もわが子の生存を祈る。そのような母の思いと祈りを、神がどのように助けるのか。それは神の領域ではない。神の教えに敵対する悪魔サタンの人類に対する嘲弄とお遊びである。
人間に戦争が生み出す息子二人の結果が、喜びと悲しみのうち交差して訪れたのである。
一九四三年八月、南太平洋ソロモン沖、ブラケット海峡の辺で日本の駆逐艦『天霧』が、ジャックの魚雷艇に体当たりした。艦は真二つに裂けた。ジャックは部下らとともにガソリンの焔に覆われた海に放り出されたのだ。
艇の残骸にしがみつく。背骨が痛む。波が負傷者の顔に襲いかかる。残骸から一人離れる。
イエス・キリストは子どものとき殺される危機があった。
『・・見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて行った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。』(マタイニ:十三-十五) 将来ユダヤ人の王となる子が生まれたことを聞いた時の王ヘロデは恐れ、その子どもを殺す命令を出した。このためイエスらはエジプトに避難した。
リンカーンについて言えば、少年の時、毒草を食べた牛の父を飲むとかかる恐ろしい【牛乳病】が地方を襲い、叔父や叔母、そして母を亡くし、無惨な人生の危機を経験した。
「小島がある。そこまで泳ぐのだ」ジャックは部下を励ます。負傷者が流されそうになる。その救命ベルトを口にくわえて、部下の一人の体を引っ張り泳ぎ続ける。凍りつくような暗い海、一時間、二時間・・。小島はまだか。幻想か、幻覚か・・力は抜けていく。感覚がない。波をかき分けながらジャックはふと思った。
『労苦して、それが人に何の益になろう。』
結局、五時間後であった。岸に辿りついたのは・・。生きている。自然に涙がでた・・・。
「艦長!」誰かが声を上げた。ジャックは人数を数えた。一人、二人、三人、四人・・。ああ、全員無事だ。三日後十名全員が救出された。死線をさ迷い助けあった同志の堅い絆が生まれた。
勇気、真の勇気とは何か。命と死が脅かす。ケネディは「人類のすべての道義の基礎である」と将来認識し言明した「勇気」の一つを学んだ。
ジャックは、この英雄的行為が認められ、海軍から勲章を受けた。しかし、この肉体の極限的な酷使の事態が原因で、その後背中の傷が痛み始めた。激痛に耐えきれず入院のうえ椎間板の手術受けた。
そんなある日、二人の神父が神妙な顔つきでケネディ家を訪れた。長兄ジョーは戦場で行方不明になった。おそらく死んだ、と神父は厳かに家族に伝えた。家族は全員悲嘆にくれた。
父は家族を励ました。
「生きることを続けるのだ。生き続けなくちゃいかん。」と家族を強めた。父親にとって最大のショックだ。その死を二重に悲しんだ。ケネディ家は跡継ぎを失い、父の“大統領の夢”はジョーの死とともに消えた・・。
<後継者>…最高を目指す
一九四五年三月、ジャックは、大尉で海軍を退役し、新聞社に勤務した。
四月二五日、サンフランシスコ会談で、国際連合憲章が採択された。
四月三十日、ヒトラーが自殺。五月二日、ベルリンが陥落し、七日にドイツが降伏した。六月二六日、国際連合憲章が採択され、五十二ケ国が署名した。
八月十四日、日本はポツダム宣言を受諾。第二次世界大戦は終結した。
十月二四日、国際連合が成立した。
ジャックは、戦後の新しい時代の国際的な動きを取材し、歴史を肌で感じ知った。その時の流れのなか一九四四年八月、長兄ジョーはドイツ戦線で爆撃機に搭乗し、機とともに爆死を遂げたことが判明し、知らされた。
改めて長兄の死の痛みを家族は感じた。兄弟喧嘩で殴り合ったこともある兄は、この世界のどこにもいない。ケネディ家の後継者は明らかに自分だ。政治家の家系なら、自ずと行くべき道は明らかだ。「最高を目指して努力せよ。」ジャックのなかでケネディ家の家訓と血が湧き立つ。
翌年、長兄の後を継ぎ父親の期待を担って、政治家の道を踏みだした。二十九歳である。曾祖父から政治家の家系の血筋として、家族全員の期待が懸けられた。大統領にならなければならないのだ。
一九四六年、生まれ故郷のボストン、マサチューセッツ州十一選挙区から、連邦下院議員に立候補した。カトリック教区を代表する立場である。後年大統領立候補の時、ケネディの宗教が大変な問題となる。
後援組織を作り、惜しみなく金をつぎ込む。区域を隈なく隅々まで遊説してまわる。大家族の応援を受け、ドアからドアへ、手から手へ。家族のお茶のレセプションで女性を招待し、家族全員が、目まぐるしく渡り歩く。どんなときも、笑顔を送る。
人々はそれに答え、当選を果たした。下院議員就任宣誓は、宗教的信条に優先する、と言明した。アメリカは圧倒的にプロテスタントが多い。上院議員になれば、バチカン市国駐在米国大使の新設に反対すること。加えて宗教の自由を保証された米国憲法修正第一条を支持すると答えた。
国内的には社会福祉の拡大に努めた。一方、外国は、西ヨーロッパを始め世界各地を歴訪し、将来のための見識を高めた。
次は、「上院の階段」を昇る番である。
<第二の死>…死の約束がある
一九五二年四月、連邦上院議員に立候補した。競争相手は大物だ。が勝てる。勝つのだ。
背骨が痛む。松葉杖をついて人前に出ては選挙に負ける。こっそりと松葉杖を車内に隠しこむ。痛みをこらえ歩く。苦痛の顔を笑顔に変える。演壇で背中を真っ直ぐにたてる。ほんとに笑顔なのか。演説の表情を思い浮かべ語り続ける。終わればできるだけ早くホテルのバスに熱い湯を満たし、苦痛の全身を浸す。体を一時間も体を暖めると和らぎ、静かにベッドに入る。
家族の女性陣は、ティーパーティに女性を招き、女性票を多量に集め、当選した。
翌年九月、ケネディは結婚した。プロテスタントで、ケネディが苦手のフランス語が堪能である。富裕階級の才媛である。ケネディの父親も気に入った、大統領になるため、また大統領夫人として、ふさわしい結婚である。
ケネディは、「私には死との約束がある」という自分の好きな詩を新妻に暗唱してもらい、よく聞き入った。
『死は私の手をとり
闇の世に私を導く
私の目を閉じ、私の息を絶やす・・
私には死との約束がある・・
私はその約束を守る』
神は、神の命令に反した最初の人間アダムにこう言明された。罪人となったその子孫、私たちすべてに適用される。
『あなたは、顔緒に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。』(創世記三ー十九)
ソロモン王はこう記した。
『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。』(伝道者の書三ー一、二)
翌一九五四年には、またしても背中の持病が痛み始めた。医術的に手術は二回の必要があった。
ケネディの生涯は、母親も認める通り、病気との闘いであった。九人の子どもなかで一人、二歳のときショウコウ熱を患い、危険な後遺症を免れ回復している。この生命的危機回避を、イエス・キリストの赤子の皆殺しのためエジプトへ逃れ危険避難したことと対照することができるかもしれない。
そうした生死の狭間で病院でのベッドでの生活と、天性の読書欲が重なり、命を支配する神との対話が知識と知恵に洞察が伴った強力な人間に彼を仕上げたのだろう。勿論、それに神への祈りが加わる。
『わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、【主】を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。【主】が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。』(箴言二:一-六)
さて、背骨の最初の手術では、アジソン病、慢性副腎皮質不全を併発した。不治の病である。食欲がなくなり、全身の倦怠感、吐き気、嘔吐、下痢、絶え難い不安感で苦しむ。皮膚が色素沈着で色黒になってくる。男性はさらに性欲が低下する。アジソン病が認められない診断が出てコルチゾンの注射をやめた。
ケネディ自身は大統領選挙出馬において、アジソン病に自分はかかっていない、と言った。しかし、実際にコルチゾンを飲んでおり、顔がよくふくれていた。
手術をするのも、ショックや感染性の抵抗力が心配された。
「自分は四五歳までしか生きられない。」(イエスは三三歳だ…)
「松葉杖にすがって一生を送るよりは、死んだ方がましだ。」
十月、生命の危険を冒して再手術がなされた。また失敗した。ブドウ状球菌に侵され、危篤状態となった。家族が呼びよせられ、臨終の儀式が行われた。
またしても奇跡は起き、命はとりとめた。
しかし、寝たきりで、一九五五年二月、今度は、椎間板の間に継ぎ合わす鉄板を取り除く手術をした後も、危篤に陥った。
臨終の儀式が行われた。家族は祈った。家族全員が懸命に奇跡を祈り続けた。
<勇気ー悪魔の誘惑>…真の勇気とは
祈りは神に聞き届けられるのだろうか。ケネディは、自分の父の生きざまを、神と矛盾したものと認識していた。そして自分もその支配下で生きてきたのに・・。ベッドの上で意識がもうろうとするなか、病魔と闘う・・・。
『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばよる。』と書いてある。
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂きに立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」』
一九五五年二月の手術は危篤状態になったが成功した。しかし、その恐ろしい痛みが続く。闘病生活で体をベットにくくり付けられている。時間がもったいない。その回復期間において、ケネディは伝記を書き上げることにした。かって本を出版した経験がある。
「負けてはならない。」「必ず大統領になるのだ。」生きることの執念である。ケネディの側近たちが、原稿をまとめる。
『勇気ある人々(Profile in Courage)』と題した、選挙民に迎合しない独自の立場を敢えて貫いた幾人かの政治家の記録を、ジャーナリストでもあり、歴史家の資質をもって、ケネディは書き上げていく。
例えば、その第一部で、アメリカ第六代大統領ジョン・クインシー・アダムズを取り上げてこう記している。『彼の導きの星は、久しい以前に彼の父が制定した清教徒政治家の原理であった。「長官は彼自身の欲望に下僕でなく、民衆の下僕でさえなくて、神の下僕である。」』
更に、本の最期の章で、ケネディは自分自身の死をも予測したかのようにこう書き残した。
『われわれは、勇敢な行為によって死んだ人々を軽んじてはならない。本書の主題になっている人々のような、勇気をもって生きた人々の行為を忘れてはならないのだ。
勇気のある人生は、最期の瞬間の勇気ほど劇的な目ざましさはないかも知れない。しかし、それにもかかわらず、そこに荘厳な勝利と悲劇が充分にこめられていることに変わりはない。
人は義務をはたさなければならないのだ。個人的結果がどうであろうともだ。障害、危険、圧力がどうであろうともだ。
そして、これこそあらゆる人間の道義の根底であるからだ。』
『今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべて国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。
『あなたの神である主を拝み、主にだけ使えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。』(マタイ四:一-十一)
勇気ある信念の行動をとれば、ケネディは、それを選挙民はいずれ必ず理解しついてくる。そうでなくても、いずれ高貴なものは自ずと歴史が明らかにしてくれるという確信、法則を、自分のものとして会得した。
一九五六年一月に出版した著作、ベッドの痛みとともに書き上げられた『勇気ある人々』はベストセラーとなった。世界二十数カ国語に翻訳される。翌年一九五七年、伝記部門でピューリッツァ賞を受賞した。
病床にあっても、政治家ケネディの、政治生命を保ち高めた。大統領へのステップを方向付ける声明でもある。この著作について言えば、代筆者がいた、という噂がたった。ケネディは生涯でもっとも腹をたてた一つである。その反対を証明するため大変な苦労をした。
この伝記の基本姿勢が示すように、選挙民向けの目先の、州や地方の問題だけにとらわれず、全米国的な問題や国際問題に多くの視点を持つ政治姿勢を示すことになった。
一九五六年八月、副大統領候補の指名獲得の運動を行うが破れた。
この時、ほぼ百年前、リンカーンは上院議員に指名された、その日、奴隷制度の問題に触れてこのように演説したのである。
それは、以前において余りにも感動的なため速記者も記録することを忘れた名演説、つまり『失われた演説』として記憶されたものに勝るとも劣らないものとなった。
「分裂して争う家は立っていることができない。」と、国が分裂の危機に向かっていることを予知し、北部と南部の過激派に聖書の言葉をもって警告をし、人々に感動を与えた。
『イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ちゆきません。」』(マタイ十二:二五)
ケネディは、自分は次の六十年大統領選挙に出馬する。それを目標とし明確な視界においての行動をとった。正式出馬声明はしないが、四年後の大統領選挙に勝つことを絶対の意識に置いた。既に実施済みの選挙運動を、一族の総力を挙げて、早い時期から徹底に行う事を始めた。
週末毎に、全国各地に飛んで、遊説した。新聞雑誌にどんどん寄稿した。夫人とともに多くの大衆誌の表紙を飾った。
公式表明はないが、大統領選の立候補は、誰の目にも明かなものとなってきた。
『勇気ある人々』のなかに、なぜリンカーン大統領は含まれなかったのか。余りにも書き古された存在だから省いたのか・・。
一九五九年の始め、『一八四○年以来ゼロで終わる年に大統領になれば、生きてホワイト・ハウスを去ったことがない。』という文書が出回った。
ケネディは、それに怯むことなく勇気をもって自分を未来に委ねた。「私には死との約束がある」のである。ちなみに息子ブッシュ大統領もゼロで終わる年の大統領である。
この時、ケネディは、自分はどのように勇気を示すべきか、『勇気ある人々』とは別に書き上げていた。それは自分自身のためのものである。
『勇気ある人 J・F・K』
二・大統領
<神の下僕>…神のご意思を行う
一九六○年一月、ケネディは大統領候補として、党指名獲得のため立候補を正式に表明したのである。
父親は、必要とあれば一家の全財産を使ってもよい、と断言した。父は単なる守銭奴ではない。それを知っていた。
マフィアとの係わりが噂された有名歌手フランク・シナトラが、ケネディの選挙運動に加担する。それは、シナトラの仲間も加わることながら、ホワイト・ハウスに、闇の支配権を忍び込ませる目論みが動いていた。
四十二歳。若すぎると批判がある。しかし、四十五歳までに死ぬかもしれない。自分には時間がないのだ。時は「今しかない。」と全身で考える。肉体と神に仕える気高い精神がそれを要求する。
ケネディは大統領になるための資格はある。しかし、選ぶのは選挙民である。歴代大統領はアングロサクソン系の白人でプロテスタントであることが伝統としてある。米国では圧倒的にプロテスタントが多い。一九八六年の調査でも、プロテスタントが五九パーセント、カトリックが二七パーセント、ユダヤが二パーセント、その他が四パーセント、無宗教が八パーセントとなっている。
もともと歴史的には、世界各地からあらゆる国から移民が流れ込んできた。このため、キリスト教のほとんどあらゆる宗派が存在する。またアメリカ本土で独自に生まれた教派も沢山ある。まさに世界一宗派が入り組んでいる、と考えられる。政府統計で五万人以上の教団だけでも百は近い。
宗派によって当然、信仰に大きな違いがある。聖書に書いてあることはすべて字義通り真実であるとする立場をファンダメンタリストという。一方、現代科学的知識と矛盾することは神話であるとする立場がある。進化論化か創造論か。
だからアダムの創造、マリアの処女受胎、キリストの復活など、同じキリスト教でも信じる宗派と信じない立場があるのである。そこで教義も信仰も大きく異なってくる。ちなみに現代科学では、人間のDNA解析などで“神の設計図”と呼び、処女受胎や復活も現代のバイオ技術は不可能ではないことを示している。
ある調査では、宗派によって、神を信じたり、イエス・キリストを神の子だと認める信者が五、六十パーセントしかいないという、キリストの原点ともいうべきものがないものもあるという。牧師や教会教職者にして、それを本当に信じているのが三、四十パーセント程度という調査もあり、驚きである。
しかし、ファンダメンタリストの九十九パーセントはそれらを信じている。当然の立場である。
一九八三年の調査では、七十パーセント以上が、神を信じていない大統領候補には、たとえその候補に好感をもち、その政権に賛成であっても投票しない、という。それだけアメリカ人は大統領の宗教感に関心が強い。実際、アメリカでは宗教をもたない人間は、信用されない。だから、信じていなくても人並であるというアクセサリーとして殆どが持ちたがる。(日本では、無宗教を威張るようだが、次元が低いことになる。)
実際一九八四年の、大統領選挙でもレーガンとモンデールとのテレビ討論では、両者は宗教的信条について論争をした。
レーガン元大統領の考えは「神なくしては民主主義は長く存続しないだろうし、存続できない。」というものであった。また後で触れるが人類最終戦争「ハルマゲドン」が自分の在任中に起こることを恐れてきた。
ローマ・カトリックはバチカンを頂点とする超国家的な一大組織である。もし、米国にカトリックの大統領が誕生すればローマ法王から命令を受け、その支配下に入る。
一方、プロテスタンは、精神的には個人の独立、政治的にはヨーロッパから独立を求めてきた立場にある。だから欧州ユダヤ系や黒人に加え、カトリック教徒は受け入れられないのである。
カトリックは、厳密にいうと米国への忠誠心と相容れない要素があるのではないか。カトリックであることが、ケネディの大統領への道の最大の壁となって立ちふさがる。カトリックだと知って、多くの支持者が反対に回った。今までの苦労が水の泡となって消えていく。
ケネディはアメリカ新聞編集者協会の会合でも演説した。「私はカトリック教徒から立候補したのではない。私は公共政策についてカトリック教会の代弁をしない。また、教会のだれもが私の代弁をしていない。」
ヒューストン牧師協会から、カトリックと政治の問題を説明する招待がケネディにきた。
それは、上下議員の時から説明してきたはずだ。言うまでもなく、当然のこと、「政教分離」の原則の適用である。(一七九一年一二年一五日発効:合衆国憲法修正第一条「連邦議会は公認の宗教を定め、あるいは自由に宗教上の礼拝を行うことを禁止することに関する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに人民が平穏に集会する権利および苦痛から救世を求めて政府に対し誓願する権利を侵害する法律を制定してはならない。」(アメリカの宗教 弘文堂)
そこでケネディはこのように言明した。
「私は、法王からも枢機卿からも司教や神父からも、命令を受けることはない。」カトリックの大統領が、バチカンの立場から完全に独立していることを大胆に示し、あらゆる疑念を払拭した。
メシア、イエス・キリストの到来は、当時イスラエルのにおいてモーセの律法を守るユダヤ教と決別することであった。人間は誰もモーセの律法を完全に守れない。守ったのは「完全な人イエス」イエス・キリストの愛の教えが、キリスト教の誕生である。原始キリスト教であり、そこにはプロテスタントもカトリックも、キリストの宗派としては何も存在しない、純粋のキリストの教えの始まりであった。
そこに戻るのだ。ケネディの到来は、プロテスタントやカトリックとも、そしてアメリカに存在するどの宗派とも決別し、世界に存在する「聖書」に基づく愛・希望・未来【ケネディの教え】の始まりである。
<見えざる国教ー神の国>…現代版「神の国」
一九九一年二月二三日、アメリカ大統領ブシュ(四十三代ブッシュ大統領の父)は、湾岸戦争におけるクウェート解放のため地上戦を開始する決定をした。そこで、国民に演説した終わりをこのように閉じた。
「・・祖国アメリカと我々アメリカ国民のために命を懸けているわが軍の兵士のために祈って欲しい。彼ら一人一人に神の祝福と庇護がありますように。そしてアメリカ合衆国に神の加護がありますように。」
前に触れたように、アメリカ国民は先進国では最も宗教的な人々である。ほとんどが宗教を持ち、持っていないことは恥となるような国情である。勿論、持つもたないは自由の国である。そのような国民の代表である連邦議員の九五パーセントが神を信じている。八十パーセントが聖書は、神の言葉であると理解している。
憲法に信教の自由と政教分離を、世界で初めて明記した国家アメリカにおいて、歴代大統領が、「神」を語り、「アメリカ合衆国に神の加護を願い祈り求める。」ことは、過去においても、しばしばあることである。
アメリカの教会の礼拝堂には、大方、星条旗が掲げられている。国家としてのアメリカと宗教が共存しているのだ。政教分離を規定したアメリカにおいて、大統領が神を唱える。「神の加護がある国家」その神は、宗派、教義を超越した、普遍的で概念的な神であり、アメリカ国民を一致団結させる神である。しかし、それはアラーや天照大神ではなく、明らかに聖書にある、天地創造の神、全知全能の神である。
そして国家がその神の意志を実現する「器」となるように願い、それゆえアメリカに神の加護があるように、国民や国家、つまり大統領も自ら祈ってきた。
国の神が聖書に基づく神である以上、アメリカの歴史も聖書の歴史と比較される。
例えば独立革命は、アメリカ人にとって、神に選ばれた民「古代イスラエル人」のなかにイメージされる。つまり旧約聖書の「出エジプト記」にある神の預言者モーゼによりエジプトから、神に選ばれたユダヤの民が奴隷解放されたと同じ意味が認められているようだ。
また、エルサレムがイスラエルの聖地であるように、アメリカの聖地はワシントンである。そして聖人として、イギリスから独立する革命の総指令官ワシントンは、つまり「エジプトからの解放者モーゼ」であり,またモーセの後を受け継ぎ「約束の地ーカナンに導いたヨシュア」に対比し例えられる。ジェファーソンは聖典、つまり「独立宣言」と「憲法」の草案者であり「聖書の筆記者の一人」に例えられる。そしてリンカーンがいる。
リンカーンは激戦の地で演説した。
「この国家を、神の加護により新しく自由の誕生をさせるため、人民の、人民による、人民のための政治を、地上から滅びさせないため固く決心すべきである。」
アメリカを二分した南北の戦争は、政治的対立もさることながら、同じ聖書に基づく奴隷制の是非を懸けた戦いでもあった。人権の問題でもある。リンカーンにとって、アメリカが神の前に悔い改めて再生させられること、それが南北戦争であった。
ある時、牧師が「神が北部の味方をして下さるように。」と言った。
リンカーンは答えた。「いや、神はいつも正しい者の味方だ。だから、私や国民が、神の味方になるように、いつも願い祈っているのです。」
リンカーン記念堂の壁には、二期目の大統領就任演説が刻まれている。リンカーンの苦悩が伝わる。
「・・両者とも同じ聖書を読み、同じ神に祈り、敵に勝つために神の助力を求めている。・・全能の神は神自らの目的をお持ちだ。・・その望みが、奴隷の苦役による富の壊滅か、鞭による血に対して・・血の贖がなされるまでこの戦争が続くなら、・・主のさばきは正しい・・。」同じ神を持つ者がなぜ相手を敵として、自分の命と勝利を、つまり相手の死と敗北を、神に必死で祈り求め会うのか・・・。
これぞ、第一次世界大戦、第二次世界大戦でも繰り広げられた人類の愚かな悲劇でもある。大変な矛盾であり、リンカーンはその頂点に立つ自分の矛盾を罵り、自らの苦悩を言い表しているようだ。
『血による贖と再生』とは、イエス・キリストが死刑の宣告を受け流した贖の血と関係する。リンカーンは実に、この演説の六週間後、暗殺され自分の血を流し捧げ、贖罪を果たしたと言えようか。
古代イスラエルを統一したのは「戦士ダビデ王」である。アメリカ南北の統一のため多くの血を流したリンカーンは、イスラエル統一のために戦いに明け暮れた「ダビデ王」として対比することができるだろうか。
そのダビデについては、神のこのような約束がある。
『あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』(サムエル記二 七:十六)
神はダビデに、彼の王座がとこしえまでも堅く立つ、と約束した。果たしてダビデの家と王国は、本当に「とこしえまで続いた」のか。
実はそれこそダビデの家系である「約束のメシア、イエス・キリスト」に王権は引き継がれているのである。そして今、混乱するかつての聖地エルサレムやシリヤその周辺の地、そして全世界、地球全土に神とキリストの思いは広がる…
『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。』マタイによる福音者はこのようにして書き始められているのである。イエス・キリストがダビデの王権を継ぐ後継者となるのは、マタイによる福音書の系図から明かである。
では、アメリカにおいて、象徴的な「ダビデ」、つまりアブラハム・リンカーンの王権を継ぐものは誰なのか。アメリカのメシアは誰なのか。
<若き力>…ソロモンの知恵
ケネディの反対勢力、元大統領老練トルーマンらは、ケネディの若さを懸念した。政治の経験を積む必要性を求める。ケネディは既に十四年間の政治経験をもっていた。それなら近い過去の大統領ウッドロー・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ハリー・トルーマンらに、大統領になる資格がなかったことを訴えた。さらにこう付け加える。
「四十四歳以下の人間を信頼や指導力が要求される地位から除外するなら、ジェファーソンは独立宣言を書いてはいなかったでしょう。そして、ワシントンは独立戦争において大陸軍を指揮できなかったのです。また、マディソンは合衆国憲法を書けなかったし、クレイは下院の議長になれなかったのです。更に時代を遡ればクリストファー・コロンブスはこのアメリカを発見してはいませんでした。」と歴史家ケネディは得意の分野を並べ立て、若さがアメリカに必要を逆に訴えた。そして最期を結んだ。
「今私は、百年前、エブラハム・リンカーンがまだ大統領になる前、同じように多くの老練な政治家たちの攻撃にさらされたことを思い出します。そこで彼はこのように書きました。『私には嵐がくるのが見えます。嵐の中には「神のみ手」が内在し感じます。神がもし私にその仕事を与えて下さるなら、私はその用意ができています。』と・・・。」
リンカーンは、当時年収三千ドルの地位を欲しくて政治上の主義を売り地方で唯一の目新しい避雷針を豪邸に付けていた大物政治家に対して、『さすが良心がとがめ、天罰を恐れたためか。自分なら今すぐ死んだほうがましだ。』と反論した。
百年前、シカゴ・トリビューン紙の記者は、大統領として立候補した弁護士リンカーンの人物像についてこのように書いた。
『弁護を依頼してくる人がどんなに貧しくても、その人が正しいことを訴えている場合には引き受けた。そればかりか、リンカーン氏は弁護料をとらないで、逆に、時には五ドルか十ドルの札まで渡していた。』
訴訟について言えば、金持ちが僅かなお金を返さない病床の弁護士に対する訴えを持ち込んだ。借りたものを返さない。当然の裁きが必要で十ドルで引き受け手続きをした。一方で、その五ドルを病人の弁護士に与え借金を返すように勧め、円満解決した。“ソロモンの知恵”と言える。
その机の引き出しには、九歳のとき死んだ母が残してくれた聖書が入っていた。聖書を何度繰り返し読んだだろうか。それを実行していく。古代イスラエルにおいて栄華を築いたソロモン王は、神からの知恵をもって人を裁いた。聖書はそれを記している。現実世界は矛盾があり、不合理がある。しかし多くの矛盾、不合理、謎を聖書は解き一方では秘めている。
四年に一度のオリンッピクと、同じ年に大統領選は、お祭のような騒ぎとなる。
七月、ケネディは民主党全国大会で他の候補を寄せ付けず、大統領候補に選出された。ケネディは、副大統領のポストを、次点になった南部出身のベテラン、ジョンソンに与えた。かって、父親はジョンソンを援助し、ジョンソンはケネディを引き立てた。
しかし、リベラル派党員、また弟ボブも、反対した。ケネディは、「大統領になるための重要な布石だ。」と押し切った。
九月、自信満々のベテラン相手候補、現職副大統領ニクソンとのテレビ討論が始まる。大勢はニクソン断然有利とみられている。ところが、ケネディの若さと容姿と冷静な知性は、テレビ画面からみなぎり溢れた。
何よりも、ニクソンの攻撃で自分を擁護し主張する状況は、両親と九人の兄弟の大テーブルで会話した家族生活での団らんの語りを基礎としたものである。その話術は、政敵を圧倒し、全国民を魅了した。
ある人々に若きリンカーンを思い出させるのである。家族は、神に祈った。母親は必死に祈った。祈り続ける。
<聖霊と火のバプテスマ>…誰に献身するか
『私は、あなたがたに悔い改めるために、水のバブテスマを授けていますが、私のあとからこられる方は、私よりもさらに力のある方です。わたしはその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。』(マタイ三:十一)
このように、イエス・キリストは、バプテストのヨハネにより紹介を受け、道を整えられ登場した。ヨハネは後に、王ヘロデを非難したため逮捕される。ニ年ほど投獄され、ヘロデの誕生パーティーで、首を切られた。(マタイ十四:一-十二)
ニクソンは、一九六九年一月、大統領に就任するも、二期目の七四年八月、大統領の犯罪ウォーターゲート事件を越し、現職大統領で初めて辞任に追い込まれた。この点でも結果として、ニクソンはバプテストのヨハネの役を演じたのか。
一方、イエス・キリストは死後、ユダヤの五旬節の日に天から弟子たちに聖霊を送り、外国語で弟子たちはイエス・キリストについて語り始めた。(使徒二:一-四十七)
これはケネディの死後、全世界で実に多くの人々がケネディを一つの理想として、多くの人が彼のことを突然、理想として語り始めたことと大変似ている。
さらに、聖霊を受けた弟子たちは、イエス・キリストがユダヤ人の体制の崩壊、つまりエルサレムの町が壊滅することを預言(マタイ二十四:三-二十二)したことを言い広めるものであった。事実、イエス・キリストの死後約四十年経過した西暦七十年、エルサレムはローマ軍により包囲攻撃、百万人以上のユダヤ人が大虐殺され、残るユダヤ人は捕虜や国なき民として世界に散った。これが『火のバプテスマ』とみることはどうか…。
これは、ケネディの死後、アメリカ人の心を戦火に包んだ「ベトナム戦争」に対応するものであろうか。アメリカ史上第三位の戦争、戦死者約五万八千人は、アメリカの崩壊、敗戦であったか。いや、全面的な体制崩壊離散、壊滅を意味していない。また、ケネディの死後、四十年はきたが、まだ壊滅していないからだ。
従って、『火のバプテスマ』を表面的にみれば、これからケネディ自身が経験しなければならない一九六三年の「キューバ危機」における、全面核戦争の恐怖か。米ソの核対決はそのときケネディにより回避された。それは人類に対する【黙示録】の予告編であり、これからアメリカの現実となって、間もなく襲いかかる旧ソ連に対応する「某国との核対決」か。火のバプテスマは近未来の出来事の回避としての力なのだろうか。
ケネディは、人類最終戦争ーハルマゲドンを聖書の預言として認識していたであろう。
アメリカの崩壊、もしそれがおこれば、それはとりもなおさず全世界の終わりを意味することになるだろう。
さて、ケネディは、老練ニクソンによって、その魅力と若さと高貴をテレビ討論で紹介されたはずだが、十一月八日、一般投票は、コンマ一パーセントの僅差の勝利だった。ニクソンは再集計を求めず敗北宣言をした。最終東西冷戦のまっただ中でニクソンは後に「アメリカの国益と冷戦下の世界安定を損なうわけにいかなかった」と語った。ケネディが大勝できなかったのは、やはりケネディの宗教が原因とみられ、ある試算では百万票を失ったとされる。しかし、選挙人団票では、三○三票対二一九票の大差で、父親の願いと長兄ジョーの果たせぬ意志を、見事に達することができたといえるのである。
これらは、家族一家の、長期的な、強力で組織的な努力、そしてジャック自身の独特の風貌と不屈の努力と知的な個性の賜物であろう。
しかし、父親は未だに、あの恥ずかしがり屋で夢想家のジャックが、政治家、まして、大統領になった姿など、信じられないのである。何か見えない力が働いたと見ていた。
<闇の世界>では、アメリカを制覇した歓喜があった・・・。
『こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上られた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」』(マタイ三ー十六、十七)
イエスはこの後、悪魔サタンの三つの誘惑を受けた。
百年前、リンカーンが大統領に当選した。奴隷解放が始まり、南部は生活の基盤を崩されるに違いない、と不信し不安を覚えた。南部は騒ぎ始め、サウス・カロナイラが先ず連邦離脱を宣言した。
ワシントンへ出発する前から、スプリングフィールドのリンカーンの家には、次々と脅迫状が舞い込んだ。嫌がらせの贈り物が届いた。それらは不吉な未来を暗示する。リンカーン自身、青ざめた顔と二つの顔を持つ自分の幻覚を見たという。夫人は、二期当選しても、職務を全うできない、老齢まで生きられない夫の不幸を内心予感した。
<新生>…既成のものを受けず
ケネディについて言えば、激しく人を怒鳴ることもなく、人を引きつける。現実的である、が理想主義者である。若い、しかし老成している。内攻的である、ところが外交的である。情熱的である、一方では冷めている。冷静で辛抱強い、持論に固守する、と思えば柔軟で寛容である。自信家である、しかし独断的でなく謙虚である。こうした相反し矛盾したものを幾つも持っている。その心はどこにあるのか。博学である。見識と学識は高い。分析力や洞察力に富んでいる。思考は多面的で奥が深い。
アメリカ合衆国の心理学者(出典Wikipedia)によれば、アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908年4月1日 - 1970年6月8日)は、人間性心理学の最も重要な生みの親とされている。これは精神病理の理解を目的とする精神分析と、人間と動物を区別しない行動主義心理学の間の、いわゆる「第三の勢力」として、心の健康についての心理学を目指すもので、人間の自己実現を研究し、自己実現理論とは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。また、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。彼は特に人間の欲求の階層(マズローの欲求のピラミッド)を主張した事でよく知られている。
マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(Self-transcendence) の段階である。 自己超越者 (Transcenders) の特徴は
「在ること」 (Being) の世界について、よく知っている
「在ること」 (Being) のレベルにおいて生きている
統合された意識を持つ
落ち着いていて、瞑想的な認知をする
深い洞察を得た経験が、今までにある
他者の不幸に罪悪感を抱く
創造的である
謙虚である
聡明である
多視点的な思考ができる
外見は普通である (Very normal on the outside)
マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。(以上Wikipedia)
ケネディはこの「自己超越」の域に達していたのか。
イエス・キリストについていえば、12歳で行方不明のイエスを探し求める両親が神殿で教師らの真中で高度な論議をしており、自分が父の家にいるのをご存知のはずと、答えたが、誰もそのイエスの心を理解できなかった(ルカ2:41~50)。神の意志を反映する完全な人格としてその行動原理と知識や知恵は『聖書』全体を理解すれば完璧であり、「自己超越」を超えた「神の子」としてのマズロー式にいえば、すべての人間を超えた「7段階にある」、いや宇宙の究極(神)の傍にあったといえる。
一方、人の子、ケネディの人間像を特定化するのも大変難しい。敢えて言うなら、中道を歩む気高い崇高な宗教家といえるかもしれない。
父親は、長男が死んだため、次の順番として、次男ジャックに、大統領になる自分の望みを懸けたのである。強制はしなかった。大統領になるにはもう一つ足りないものがあると感じていた。しかし、長男が生きていたとしても長男は大統領になれる資質ではなかったと見る向きもある。
ジャックは、その個性と不屈の努力で一番になった。ジャックは、父親の望みを、忠実な熱意で叶えた。それは、また多面的な思考のジャック自身の人生の設計でもあった。
ケネディの知性は、政府の人材として、母校のハーバード、またマサチューセッツ工科大から多くの知識人を集めた。
『イエス・キリストは、自分の弟子について、既存のユダヤ教指導者に請い求めることはなかった。』普通の人が弟子となった(使徒4:13)。
ケネディが大統領になった新政権は、前代未聞の四十代の若き超エリート集団となった。ミニストリー・オブ・タレント(才能の内閣)と呼ばれた。
選挙中ケネディは取引をしなかった。
「今年の初め、私はもし大統領になったら大使の任命はあくまで経験第一で選ぶことを公言しました。そうです、献金をしたか、しないかは基準とならないと言ったのです。」
ケネディは自分の父が献金で英国大使になった実績を踏まえて語る。「どうでしょうか、それ以来私の父は、一銭の金も送ってこないのです。」と公言した。
そのように公表し選挙を進めてきたケネディは、だから自分の考え、既存の政権利害を超えて人選をすることができる。このため【才能と人格】を最優先で選ぶことができたのである。年俸四十一万ドルの職を捨て、年俸がその十分の一の国防長官が誕生したのも理解できる。FBIとCIA長官は留任した。南部出身の副大統領が唯一例外である。
最期、司法長官が決まらない。いずれ黒人問題が起こる。その正義に向かえる勇気ある人物は誰か。ジャックは困り果て父親に相談したのである。
「簡単なことではないか。お前のそばに若者がいるではないか。ボビーだよ。お前の役に立つ、必ず。絶対だ。」弟ボブは潔癖症から就任を拒んだ。自分のためにケネディ政権はスタートから非難ごうごうとなるのは明かだ。
ボブは父に就任を拒む電話をした。父親は答えた。
「いいか、ボブ。ジョンはね、本当に信頼できる人間を必要としているんだよ。大統領なんて所詮その周りは、すべて敵だ。判断に迷うとき、心を寄せ、その心の底をさらけ出し、語り相談できる人物がお前以外に誰がいるかね。」法の権力において二人で「ケネディ王国」を守る布石でもある。
弟を司法長官にしたことを身びいきとして、予想通り経験不足や宗教など非難の声が巻き上がった。
「弟が弁護士を開業する前に、司法長官として法律の経験を積ませたいのだが・・」と兄は弁解した。しかし、それは、閣僚でもあるが、公正を願うケネディがそれら批判を受けても結局求めた、自分の分身、事実上「大統領」の分身である。政権下で弟ボブ一人は、兄ジャックの本心をどんな腹心よりも誰よりも知らされ理解でき、且つ助言できる立場に立てる。兄弟は、家訓のなか一致して、公私ともに密接に協力しあい、一体として難局に立ち向かうのだ。不法は許されない。
<闇の世界>は、ボブの司法長官就任のニュースに激怒した・・・。
新政権全体は、そのように兄と弟と、大統領特別顧問として下院議員時代からケネディを支え演説の数々を起草した補佐官シオドア・C・ソレンセンを加え、「三位一体」の大統領を擁した。勿論、その主導権はジョン・F・ケネディが持つ。司法長官を筆頭に若く、知的で、有能で、アメリカの英知を結集してアメリカの未来に新しい期待と夢を与えた。
なぜ大統領になったのか。そこに権力があるからだ。政治は最高の知的ゲームだ。戦争や紛争、外交や駆け引き、破壊と構築、繁栄と平和、自分の持てる知識、企画力、洞察力など全能力と全人格と、組織的に全米の人材と物と金を動かし成し遂げるパワーは、どこにも得られない世界唯一の最高の楽しみや活気や面白さがある。それは、金儲け以上だ。
「政治は、ドルのあとを追い回すのに勝る。」
<正否の基準>…将来ともに正しいか
一九六○年一月、ホワイト・ハウスにむけ旅立つケネディは、地元マサチューセッツ州の州議会の合同本会議で、お別れの演説をすることにした。
「我々がどのような職に就こうとも、その正否を決める判断基準は、次のような四つの簡潔な質問に対する答できまると思います。
第一は、我々は真に勇気ある人間でしょうか、ということです。本当に敵に立ち向かう勇気があったでしょうか。また、自分の同胞のために必要なら自分を犠牲にして立ち上がる勇気があったでしょうか。世間の圧力に屈しない勇気、そのうえ自分の私利私欲にも屈しないという高潔な勇気があったでしょうか。
第ニは、我々は真に判断力ある人間だったでしょうか、という質問です。未来に対しても過去に対しても、また自分の過ちにも他人の過ちに対しても、本当に正しく認識する判断力があったでしょうか。そのとき自分が知らなかったことを知る英知を持っていたでしょうか。そのうえ知らなかったことを謙遜に認めるだけの正直さを持っていたでしょうか。
第三は、我々は真に誠実な人間だったでしょうか、ということです。自分が信じる主義から逸脱しないことです。そうするだけの誠実さを本当に持っていたでしょうか。また、自分の主義をつらぬく人たちを裏切らなかったでしょうか。そうするだけの誠実さをもっていたでしょうか。一度信頼され仕事をまかされ何かをしなければならない立場にあったとき、金銭欲や政治的な野望のため背信しなかったでしょうか。欲望や野望のため本来の道から逸脱したり、逆にしないだけの誠実さを持っていたでしょうか。
最期に、我々は真に献身的な人間だったでしょうか、という質問です。特定の個人やグループのために、名誉を投げだすべきではありません。個人的な恩や義理のために妥協すべきではありません。また個人的な野望や目的のために折れるべきではありません。ただひたすら国益のために、そして民衆の利益のために尽くすことを願い、そうしたでしょうか。
私、このマサチューセッツ生まれのケネディは今後四年間の厳しい大統領の職務の試練に対し、神の御加護によって、私の政権が勇気、判断力、誠実さ、献身、これらの要素によって判断運営され特徴づけられることを願うものであります。
この地上にあっては、神の意志は人間によって実行に移されるものです。それ故に私は大統領としての新しい責任ある重大な旅立ちをするにあったて、皆さんの助力と祈りとを得たいと願うものであります。」
この演説のなかに、ケネディの本心、人間的本質を理解する重要な資質をみることができるだろう。
公正な神のある基準を呈示して、神の助けを求める。それは、著書『勇気ある人々』とともに、共通するものを認めることができるだろう。
勇気をもって<闇の力>との決別であった。
ケネディのバプテマ。それは、言うまでもなく大統領の当選である。
イエスはバプテスマを受けた後、荒野で断食をし、サタン悪魔の三つの誘惑を受けた。
その結果ー
『イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。』(マタイ:四ー十、十一)
<神聖>…お金より清く気高く
『ユダヤ人の過越の祭が近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。
「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」・・・そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。
「あなたがこのようにするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
イエスは彼らに答えて言われた。
「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」そこでユダヤ人たちは言った。
「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。』(ヨハネニ:十三-ニニ)
温和なはずのイエス・キリストが暴力的に振る舞う希有の事例である。イエス・キリストは神の教えを知り、故意に偽善で悪意の人間を徹底して嫌った。この時からほぼ三年後、『聖書』に記された予定の死を遂げた。
ケネディは既成の政治家を追い出し、高給を捨て尽くす若いエリートを集め、ホワイト・ハウスを「神聖」なものとした。そして大統領当選後、ほぼ三年目に死ぬことになる。
一九六○年一月十九日、大統領就任式前日、ワシントン始まって以来の最悪の猛吹雪となった。ケネディの母親はその中を徒歩で半マイル先の教会のミサに出た。そこへ偶然、次期大統領、息子ジャックがミサに現れることを知った。母は遠くわが子を見る。母が命じたわけでなく息子の自発的な意志である。
大統領の職務を完全に果たすため、自分の力と知識と心を神に捧げ、一方不完全な人間として未熟さと不安を全能の神に表明し、神に恵みと知恵と力と公正を乞うために来たのだと母は理解した。
母親は雪の中を歩き疲れていた。スカーフ姿で大統領と写真をとられたくないと思い、宿舎までコッソリ、車で送ってもらおうと考えた。それで護衛の警察官の一人に頼んだ。彼は頷いた。迎えの車をひっそりと待つ。人々は帰っていく。
いつまでも雪は激しく降り続く。いくら待てども車は来なかった・・・。
<何をなすか>…人間の自由のために働く
翌日、一九六○年一月二十日、ワシントンは底冷えのする晴天である。前夜の雪は軍隊三千人が出動し除雪された。全国各地から人が集まりごったがえした。
新しく改装された連邦議事堂の東側に設置された演壇の上にあがる。正午。アール・ウォーレン最高裁長官が持つ【聖書】の上に、ケネディは左手をのせた。
実のところ、その聖書は、ケネディの希望で、母親の実家フィッツジェラルド家の代々伝えられたものが使用されたのである。母親は、この日を生涯で最も誇らしい最良の日だと感激し涙を流した。
聖書。人は、この不可解な書に、完全な理解もないまま、また、そのことの多くを為せない不完全な罪のままに、なぜ手を置いて誓うのか。
就任演説は聖書の引用句集も考慮した。「最高のものでなくてはいけないからね。」と父親が随分気に掛けていた演説の最終稿は、ケネディ自身三十回も書き直し、どうにか前日にできた。十五分ほどの短いものだ。そこには、聖書からの引用文は落とした。
三年後、この日奇しくも宣誓したウォーレン最高裁長官のもとにケネディの暗殺調査委員会が編成され、大統領ケネディの暗殺調査が開始されることになるのである。
ケネディは宣誓の文句を長官の後に続いて復唱する。
「私、ジョン・フィッジェラルド・ケネディは・・」と長官。
「私、ジョン・フィッジェラルド・ケネディは・・」とケネディ。
「アメリカ大統領としての職務を忠実に遂行することを誓います。・・」と長官。
「アメリカ大統領としての職務を忠実に遂行することを誓います。・・」とケネディ。
四十三歳という史上最年少で、遂に大統領就任の壇上に立つ。その人生が脳裏をよぎる。
『日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。』栄光を極めたソロモン王の心が伝播する。
ジャックは、長兄の亡き後、父親の希望とケネディ家の家名のもと「偉大な大統領」になる務めを請け負った。しかし、大統領になって何をするのか。国家や、世界のため労苦したところで、何の益になるのだろうか。その思いをジャックは、父や弟たちに話したことがある。イエス・キリストはローマ帝国に立ち向かうユダヤの王になることを求められ山に逃げ込んだ。(ヨハネ6:15、18:36、使徒1:6)
「分かっているだろう、ジャック。大統領への歩みとともに自ずと、為すべき事と良いものが見えてくるのだ。」と、父親は諭した。「何はともあれ、まず大統領になることだ。」
今、全世界が注目する就任式の壇上から全米の国民に訴える。
「Let the word go forth from this time and place,-今このとき、この場所から、わが友に対しても敵に対しても同様に次の言葉を伝えたいと思います。“たいまつは今世紀に生まれた新しい世代のアメリカ国民に引き継がれた”・・・」若い新政権の誕生を雄々しく力強く告げる。そして、協力を求める。
「・・建国以来、アメリカ国民は各世代ごとに祖国に対する忠誠をその行動で示すことを要請されてきました。その要請に応えて若いアメリカ人たちの墓標は、この全世界をとり巻いています。今またトランペットがわれわれを呼んででいます。武器は必要としてもそれは武器をとれの呼びかけでなく、抗争の真っ只中にあろうとも戦闘への呼びかけでもありません。それは行く年、来る年、『望みの中に喜び、患難の中に耐える』長い夜明けの戦いなのですー独裁、病、貧困そして戦争など全人類の共通の敵に対する戦いです。その戦いのための重荷を背負えとの呼びかけなのです。・・』
「・・And so my fellow Americans:ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country. -ですから、わが同胞のアメリカ人たちよ、国があなた方のために何をしてくれるかを問うのではなく、あなた方自身が国のために何を成し得るかを是非問うてください。」
「わが世界の同胞よ、アメリカがあなた方に何をするかではなく、共に人間の自由のために何ができるかを心に問うてください。・・」
『イエスは自分を信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」。』(ヨハネ8:31,32)
<神の仕事>…それがわらわれの仕事
ケネディは、かって『イギリスはなぜ眠ったか』の論文を書いた。そして今、『神はなぜ眠ったか』とのケネディ自身の問いかけに、こう答えねばならないのである。
『【神】が、あなたのために何を成し得るかを問うのではなく、あなたが【神】のために何を成し得るかを問うてください。』
『そこで、イエスは彼らを呼びよせて、言われた。「あなたがたも知っている通り、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたい思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
人の子が来たのが、仕えられるためでなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」』(マタイ20:25-28)
イエス・キリストは自分の死を目前にしてこのように弟子に教えた。
老詩人、老枢機卿、老前大統領、多くの著名人や権力者を背後に、ケネディは、全米に、いや全世界に向け、誰が自分の心を思い知るだろうか、と声を高める。
『いと高きところに、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』(ルカ2:14)イエス・キリストが誕生したとき、天の軍勢が現れて、賛美して唱った。
『ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」』(マルコ1:14-15)
政教分離。それは、カトリックとの教理の別離である。しかし、プロテスタントになることでもない。また、全米にある何十何百の違う宗派に属することでもない。それら融和の源、究極の原点として人類世界に受け継がれた、リンカーンも愛し信じた神の言葉【聖書】を、真理としてひたすら求めることではないか。母親方の聖書を触れた手を今胸元に置く。
所詮、人間は神の存在から逃げられない。ケネディが、二度の死の極限から、捜し求め見えた頂点は【ソロモンの栄華】である。
かつて古代イスラエルにおいて、神の知恵を持つ賢者ソロモンは、神の名において民を治め、平和と繁栄の極みの栄華を築いた。
ソロモンは自ら書き記し、ヘブライ語(旧約)聖書に組み込まれた伝道者の記録がある。
『空の空。伝道者は言う。すべては空。伝道者は知恵のある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。・・中略・・・
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。』(伝道者の書12:8~14)
ケネディは、真の神ならどうするか、神のためにどうするか、考えてきた。
そこで、就任演説の最期をこう結んだ。「here on earth God's work must truly be our own.-この地上では、神の仕事は、まさしく、我々自身の仕事でなくてはならないのです。」
父親の目にも光るものがあった。最高の演説だ。ジャックの後ろで父親が糸を引いている。父親は陰の実力者を目指している。噂が飛び交った。しかし、あの恥ずかしがり屋が成長し完全に独立したのだ。間違いなく、真の大統領になった・・・。
政教分離の宣言をしながら、自分たちが、「神の代理の立場」であることを明言した。キリスト教国家アメリカにおいて政教分離はありえない。言い換えれば、真の神の存在を認め意識する。神の掌から逃げられない。これがこそ、ケネディの人格であり、本質であり、「神の国」アメリカの実体であるといえるだろうか…。
<メシア、死の予告>…わたしはいなくなる
税制改革、公民権、老人医療制度など、寛大で公正な神の精神を具現したはずの自信の法案は、議会の権力闘争のなかで、頓挫してしまうことになる。
大統領であることは、あらゆることの覚悟が必要である。その極点は、暗殺だ。アメリカの大統領は、一八六五年四月リンカーン大統領以来、一八八一年三月ガーフィールド、一九○一年九月マッキンレーと暗殺の歴史がある。
次は自分の番だ。大統領はいつもその覚悟は必要である。大統領への脅迫の手紙は、全世界から毎週数十通は舞い込んでくる。ケネディは時折、その中の一通を抜き出し読んだ。
大統領として何を行うにしろ、必ず反対する者がいる。イエス・キリストもリンカーンも反対に会った。反対者のいない政策はありえない。
ケネディは覚悟していた。「死とのランデブー」という詩を愛した。「来年の今ごろは、誰が大統領になっているか、誰にも分からない。」と側近たちに、ある時期からその思いをよく話し始めた。
イエス・キリストも弟子に自分の死を、ある時期から予告し始めた。
『その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみ受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。』(マタイ16:21)
『しかし神は彼に言われた。「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。』(ルカ12:20-21) 貪欲に貯め込んだ金持ちに対するイエス・キリストの例え話である。
ケネディは、父親のおかげで、生まれた時から金で苦労することはなかった。しかし、その幸運と引換となるような、大変な不幸と巡り会った。それは、大きくは二度の死である。戦争時の海中での死闘、脊椎手術での二回に亘る死線の彷徨である。
自分は既に死んだ人間だ、という認識がある。脊髄の持病は続く。四十五才までしか生きられない。それは若くして死んでいった人々への思いと、死への覚悟を、いつも忘れさらせることなく脳髄を人類の歴史の記録に刻むように刺激する。
死は、暗殺でなく、体の内部脊髄からくるかも知れない。病魔に負けた。それは『勇気』を標榜する大統領には、余りにも不釣合な結果ではないか・・・。悪魔に殺されてこそ勝利する、イエスのように…。
三・神の眼
<平和と自由の使者>…地上に平和を人々に自由を
一九六一年三月一日、ケネディは、アメリカ青年平和部隊を設立した。平和部隊はボランティアであり、中南米、アジア、アフリカで、教育や農業や生活水準などの向上改善のために奉仕することになる。同月十四日、特別教書で、中南米開発援助十ケ年計画「進歩のための同盟」を提案した。
『その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。・・どんな家に入っても、まず、「この家に平安があるように。」と言いなさい。・・その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。・・・・そして、その町の病人を直し、彼らに、「神の国が、あなたがたに近づいた。」と言いいなさい。』(ルカ11:19)
イエス・キリストは弟子七十人をこのように指示し伝道に遣わした。
一九六一年四月十二日、ソ連(現ロシア)のガガーリン少佐の乗る宇宙船が人類初の地球を一周した。初めて広大な宇宙に飛んだ人間は、『天には神はいなかった。あたりを一所懸命ぐるぐる見回してみたが、やはり神は見あたらなかった。』と言明した。
『地球は青かった。』ガガーリンが最初に述べた感想の青さは、我々も今では写真や映像などで知っているつもりだ。しかしその美しい青さ加減は、実際に宇宙に出て見なければ絶対分からないというのが、以後の宇宙飛行士の感動であり共通的言い分である。ところが、そんな賛辞よりも、神の存在を否定する無神論者ガガーリン、共産国家のせせら笑いの宣伝活動に対して、アメリカをはじめ、キリスト教国家や、神を認める人々にとって大きな衝撃と屈辱を与えた。
しかし、神を冒涜した故かとみる向きもあるが、最初の宇宙飛行士は、その後事故死にあい、それを言わしめた国家は、三十年後に消滅することを誰が予見しえただろうか。それは事故であり、政治の限界であろう。
アメリカの上空をソ連宇宙船が飛ぶ。安全保障の驚異であり、ケネディが打ち立てるニューフロンティア精神を崩壊させるものだ。
その三日後、十五日、B二十六爆撃機八機がキューバのハバナ郊外の空軍基地等を急襲爆撃した。十七日未明、千四百人の亡命キューバ人がキューバのピッグス湾に上陸侵攻した。
アメリカは、ケネディの大統領就任の半月前、キューバと国交断絶をしていた。十八日、ソ連首相は、アメリカに対してキューバ政府を援助して武力侵攻を撃退すると通告してきた。
『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。』(マタイ26:52)イエス・キリストは、最期の夜、ユダが裏切り連れてきた兵士を切りつけた弟子に、諌めた。
キューバ人ゲリラの育成は、前大統領政権の計画である。ケネディは「成功という子どもには千人の父親が名乗り出るけれども、失敗は孤児である。」と、アメリカ政府の関与の責任を自ら負った。
キューバ国民が侵入者を支持しない限り、アメリカ軍は投入しないと、中央情報局と統合参謀本部の要望を拒否した。上陸部隊は見捨てられたのである。ピッグス湾侵攻は前ニクソン副大統領の思い入れがあった。CIAやキューバ人の反カストロ派はケネディに悪意を抱いた。この結果が二年余、ケネディの暗殺となって報復されたとの見方もある。
一八六一年四月十二日、南軍が北軍サムター要塞を襲撃し、アメリカ合衆国を二分する四年間の南北戦争が始まった。四月十五日、平和を願ってきたがリンカーンは閣議で義勇兵を募集する布告を行う。親類同士が敵味方に分かれ、憎み合うことになる場合も多かった。今日現代の紛争でも、ケネディの死後ベトナムへのアメリカ介入、カンボジア、旧ユーゴスラビア、ルワンダ、ウクライナ、シリア、南北朝鮮など、親しかった人間の憎しみのと悲しみの連鎖の構図は続くのである。
アメリカは戦争は望まない。地上に平和を。人々に自由を。これがケネディの外交政策の基盤である。
一九六一年五月五日、アメリカは初めて有人ロケットの打ち上げに成功した。『フリーダム・セヴン』と名付けられた宇宙カプセルは、十五分間、宇宙にいた。ケネディは人類二番目の宇宙飛行士に勲章を送った。
米国は宇宙開発でソ連に大変出遅れている。「我々が彼らに追いつける分野がないものか。」ケネディは科学者に意見を求めた。ソ連より先に月に到達する意見があった。膨大な費用のことが気にかかっていた。
ケネディは、「役に立つ、この地上での競争を考える。」ことを求めた。ところが結局、月に行く以外の魅惑的な目標はなさそうだ。
<ケネディの神殿ー月面>…アメリカの栄華と宇宙からの十二使途
一九六一年五月ニ十五日、ケネディは、議会で計画を発表し、六十年代末までに人間を月に着陸させる宇宙開発計画という国家の大プロジェクトをスタートさせた。
「私がやって来たのは、自由の協議を推進するためである。・・」
「この国は、六十年代が終わる前に、人間を月に着陸させ、無事地球に帰還させるという目標の達成に取り組むべきである。」議会は圧倒的な多数でそれを承認した。
今後五年にわたり、七十億から九十億の大きな追加予算を求めた。人類は初めて、地球外の天体から「自分自身」のこの地球を見つめるのだ。そして、宇宙飛行士自らが、『神が存在する。』ことを語らせるのだ。
『わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。【主】はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読みとられるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現される。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。
今、心を留めなさい。【主】は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。』(歴代誌一 28:9-10)
イスラエルを統一した戦士、王ダビデは、自分の子ソロモンに対して、主エホバの神殿をつくる計画の開始を命じた。このため、膨大な量の金や銀や鉄や銅などが捧げられた。そして七年の歳月をかけ流血という戦争の経験がない聖なる清い手のダビデの子ソロモンによって「ソロモンの神殿」がエルサレムに完成する。
それは古代イスラエルの栄光であり、神殿の建設と神の御前に一致した「神の民」の繁栄の現れであった。
この栄光の神殿も、後に神から離反した民イスラエルの裁きとして、バビロンに破壊されエルサレムの町とともに荒廃にさらされるのである。これが世界史に残る「バビロン捕囚」である。
ケネディの月における「神殿計画」演説から八年後、一九六九年七月二十日、皮肉にも政敵ニクソン政権下で、見事な完成を見た。アメリカ宇宙船アポロ十一号は、完全なコンピューターシステム管理と、狂いなき地球と月の自転と公転と引力など【神の摂理】の導きにより、二人の飛行士を予定の月面に運んだ。「静の海」へ軟着陸した。『Eagle has landed !(鷹は舞い降りた)』全世界の人々がテレビ放映のもと、その栄光に驚異と賛美を捧げ見入った。
我々が見上げる月の上に今も、こう記した金属板と星条旗が残されている。『ここに惑星地球より来た者たちが、西暦一九六九年七月、初めて月面に足跡を印した。我々はすべての人類を代表して平和のためにやってきた。』
人類の月に対するこの記念は、ケネディが建設を計画した天の【神殿】である、と見ることができる。
そして後で述べるが、宇宙飛行士たちの多くが、正に神に近づく【祭司】の役回りを演じるのである。神の存在を語りその栄光と力を讃える。この点を考えれば、ケネディはダビデであり、ニクソンがその子ソロモンといえる。 ソロモンは晩年を神から離れ名を汚した。同じようにニクソンも、アポロ十一号の宇宙飛行士を迎えに出たとき、神を冒涜する発言をしたとして問題となる。さらには猜疑心からウォーターゲート事件を起こし大統領を辞任する羽目に陥る。
途中故障で十三号は月着陸を断念したが、アポロ十一号から十七号まで、六回の月着陸がなされた。ベトナム戦争の泥沼にはまり、総額二五○億ドルの開発費は「月旅行より社会保証の優先を」という国民の要求が、その計画を中止させた。都合、十二人が月面に降り立った。
十二人とは、イエス・キリストの使徒の人数十二人と一致する。
<宇宙から見るー神の眼>…闇夜に輝く生命の水球
夜空の星を見上げる。満天の星空を見渡し感動する。
「この美しさはなぜ存在するのか。」
「宇宙の果てはどうなっているのだろうか。」「あの星に人間のような生命体が存在するのか。」人類は自分自身の存在意義を求めて探索は終わりがない。
「なぜ今、自分はこの惑星に存在するのか。」星を見上げると誰でも、疑問を抱き、哲学者のように人生と自分の存在を探求する。
ある宇宙飛行士は、ジェミニで地球軌道を飛び、アポロで月軌道を飛び、月面探査を経験する。
月に向かう時、その眺めは格別なものとなる。月へ向かう軌道に乗り、地球から離れていく。やがて、視界一杯の地球が球体となる。全体としての輪郭が見えてくる。世界が一目でみえるのだ。全人類が自分の視野の中に入る。それは正に『神の眼』となる。
コペルニクスが一五四三年『天体の回転について』書き表した。その事実の書をローマ法王は一六一六年に禁書とした。一六○○年ジョルダーノ・ブルーノは地球は宇宙の中心ではないとの信念を捨てず、宗教裁判で死刑の判決のもとローマ市内の広場で火あぶりの刑に処せられた。
一六三三年ガリレオ・ガリレイは「それでも地球は動いている。」と宗教裁判の後で語ったとか。その真実は、あなたが自分は不動のものとして立っている「その足元が動いている」という説がある。それから約三五六年後、一九八九年バチカンはガリレイの復権を公式に認めた。真実、宇宙的真理は必ず勝利する。イエスが天から下り死後復活し昇天し、再びくると約束したのが、真実、真理とするならば、キリストの無実の罪での死は、ガリレイの幽閉の苦難は耐えやすいものであった。
地球が周りその上で時間が流れて行く。その様が手にとるように見える。地球の回転は一周二四時間である。赤道は一周四万キロメートルで、毎秒四六○メートルの速度である。ジェット機の二倍のスピードで回っている。太陽の光を受け夜が明けようとする地域。日没となる地域。それが同時に見える。眼前で地球が回転し時間が流れて行く。人間でありながら目だけ【神の眼】を持つ。異常な体験をしているのである。
そして、地球からだんだんに離れるに従って、真っ暗闇の中に浮かび輝く地球はその分ますます美しくなる。雲と海を持つ惑星。その光景や色は見た者だけが知っている。他人にはとても分からない。説明できない。地球上では誰も見る事が絶対できない情景だ。美しい。その美しさは生涯にわたって忘れることができない。
アポロ宇宙船で三日の月探検をした飛行士は月面から見える地球をどのように見たのか。
ちょうど我々が月をみるように、地球が暗黒の中天高く見える。色彩を有して美しく、そこに生命の存在を認めるから暖かみを感じ、生きた物体として見える。しかし、大宇宙にポッカリと孤独にさ迷うように存在する、その様は弱々しさ、脆さを感じるようになる。心が揺り動かされ底知れなく感動し涙さえ出てくる。宇宙の暗黒の中の小さな青い最も高価な宝石。“地球よりも重い人命”を現在七十億以上も抱えて存在する水の球体、それが地球なのだ・・・。
『神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。』(ヨブ記二六:七)何千年もの以前、宇宙飛行士が見た様『神の眼』をもって聖書は簡潔に明らかにしていたのだ。なぜか…。
<極小宇宙DNAから見るー神の眼>…なるものになる神の設計図
宇宙を飛ぶ飛行士の命の思いはどんなだろうか。宝石のような地球の美しさは、広大な暗黒の空で、そこだけにDNAの設計図による個々の生命体があり、生けるものの古里のような懐かしみの美しさなのだろうか。小さな宇宙船で自分がここに生きている。もう一方の遥か彼方に宇宙船として地球号:美球が浮かんでいる。それ以外は生命の欠片は微塵もない暗黒の無の世界。船外で宇宙服を脱げば血肉の体が沸騰する底知れない恐怖の闇。生命あるものの共感性が遥か彼方を見えないもので結びつける。心が狂うように震え喜び求め合う感動の美しき故郷の地球。
それは、また、宇宙飛行士が等しく感じた宇宙のなかでなぜ人間がそこに生きているのか、という素朴な疑問。自分と人類の実在の疑問と実在性は、これこそ神の恩寵だということが何の説明もなしに実感できるのだという。
人類の月到達と時を同じく一九六九年、アメリカで初めて、大腸菌から一種のDNA(デオキシリボ核酸)を分離することに成功した。地球上の多様な生物を造り出しているのは、生物の設計図ともいうべきDNAである。現代科学は二十世紀末にほぼ自らの人間の生命図の解読を終えた。そのA,T,G,Cの四文字に表徴される働きの解明も急ピッチで進めている。DNAによって、人間をはじめとして、総て地球上の生物はコピーされて次代にその生命をデジタルに引き継いできた。
進化論はありえない。猿は猿を生む。人間は人間を生む。遺伝子機能をリセットできるiPS細胞と命名される技法によって日本人の研究成果がノーベル賞を受け人類社会が色めきたった。
人間のDNAは、一つの細胞で一メートルの長さがあり、そのなかに人体に関するあらゆる情報が含まれている。その情報量は、六百ページの書物千冊に相当するとも言われる。それだけで、まさに小宇宙だ。それが大宇宙の空間において共感共鳴し合うのか。不可思議な論理の世界がブラックホールのような謎と闇を創り出す。
宇宙飛行士アーウィンは、聖書の創世記、地球誕生の四十六億年前の岩石を月から持ち帰った。それは『ジェネシス・ロック』と呼ばれている。宇宙の一隅、月で、神が手に届くそこに臨在していることを実感したという石。地球に帰還して回心し、伝道者になった。
『天は、【主】の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。』(詩編115:16)
アポロ十一号が月探検を終えて地球に返ってきた。ハワイ沖の空母ホーネットまで宇宙飛行士をニクソン大統領はにこやかに出迎えた。ニクソンはその業績に用意してきた最大の賛辞を送った。
「諸君のなしとげたことは天地創造以来この世でおきた最も偉大なことだ」。
これはとんでもない発言となった。神に創造された人間が、フル装備の機器や機材をもって、最も近い天体に行って帰ってきた程度のことだ。それが地球が出来て以来どうして最大の偉業なのか。
信仰深いアメリカ人にとって、二千年前に、銀河系宇宙の何千億の恒星のなかで太陽系に、その惑星の一つ地球に、神の子イエス・キリストがおりてきて、人類を癒し教えた。この事実のほうがもっと重要なことだ。
ニクソンの発言は神を冒涜したと非難の渦を巻き起こした。人間が宇宙服に身をかため、無生物の月に降り立ったことが人類の歴史にどれほどの意義があるのか。どれだけ人類に利益をもたらしたというのだろうか。反論が高まった。
ヒューストンでアポロ宇宙船との通信を担当し、月の高原を探検した飛行士は、ニクソンの言動を踏まえてこう認識した。
月を自分の足で歩いてきた人間として、月を人間が歩いたのも偉大かもしれない。しかし、神の子、イエスがこの地上を歩いたほうが、人類にとってはるかに意味があるということが、宇宙に飛び立ちよく理解できた。
彼は、教会に通っていたが、神は信じていなかった。イエスが神の子であるなどとは思ってもいなかった。どんな問題でも人間は、人間の英知、技術で解決ができる。それが彼の信仰だった。人間に神など必要はない。それは根本的な間違いだ。宇宙から帰還して多くの富や名声を得た。しかし、空しかった。家庭は崩壊しかかっており、いやいや聖書研究会にいった。ところが、二千年も以前に書かれたことばが、自分の心をこれほど動かすとは思ってもみなかった。人間は神になりえない。
『あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。』(詩編139:16)
ダビデ王は母親のお腹の中の受精時において自分が神の書(今日遺伝子DNA)に記され神に認識されていたことを認めていた。
今、人類はその書を自らの手で、人類の永遠の命の道を探り操作する…。それは「神の領域」と自ら知りつつも、あるいは「神はいない」と、科学者らの脳は踏み込んでいく…。それは物理学者が核エネルギーを人類平和の兵器として開発した結果、元に戻せない悔恨の苦悩のなかに「世界政府の実現」に奔走しつつも達成できない人類の最大の悲劇と重なることになることを懸念する見方もある…。
それは「なるものなる神のみぞ知る世界」である。
<地球人ー国境なき地球>…違いは見えない
我々も宇宙飛行士となって大空彼方に飛び立ってみよう。今日、お金さえ払い体力があれば米国やロシアなどで宇宙へ運び出してくれる時代である。
眼下に地球を見る。いま現実に、このどこかで人間と人間が、領土問題や人種や宗教やイデオロギーの違いのために血を流し、殺し合っている。それを正当化し剣幕立てて論争しあって生きている。それを見えない高度から眺めてみると、どのように感じ考えるだろうか。
愚かしい。愚鈍で馬鹿げている。天に上って自分のしていることを見てご覧。神のように他人を許したくなるに違いない。ほんとに信じられないくらい彼らが悲しい存在だと思えてくる。いや、自分の存在がほんとうに無意味に見えてくる。実際、利害を離れて遠くにいると声をたてて笑い出したくなるほどだ。
眼下に地球を見たとき、ほんとにそんな思いになるのだろうか。地球にいる人間は、結局、地球の表面にへばりついている、例えればゴキブリだ。それが増えすぎた。動きだせば相手にぶつかる。平面的にしかものが見えていない。邪魔になる。平面的に見ているかぎり、平面的などうでもいいような、ちょっとした違いがやたらに目につく。
もともと地球上をあっちこっち飛んでいけば違うのが当然である。気候が違う。その結果、産物が違う。自ずと着るものが違う。食べるものも違う。着るもの、食べるものが違えば、話すこともすることも違ってくる。風土、文化、考え方、生活様式など、多くのものがどんどん違ってくる。
人類何千年の歴史をもってすれば、どこにいっても、違いばかりに目につくのは当然である。しかし、その違いを、高い天ー宇宙船から見ると、全く目に入らない。ミクロの違いなのだ。
『それでイエスは彼らに言われた。「あなたがた来たのは下からであり、わたしが来たのは上からです。あなたがたはこの世のものであり、わたしはこの世のものではありません」』(ヨハネ8:23)。
イエス・キリストは、イエスが行こうとしていることを尋ねたユダヤ人にこのように答た。
宇宙飛行士の視点はどのようなものか。宇宙からは、細かなものは見えない。地球の本質が見えるのだ。つまり、人間が気にしているような表面的な小さな違いはみえず、神の創造のままが見える。その代表的なものが国境である。地球儀にはあるが、地球にはない。そのために人間が殺し合うなど、宇宙から見たらバカげているのだ。相違は人間の行動であり考え方である。宇宙から見た物体の本質は同一である。
また宗教や文化の違いなど宇宙からは見えない。更に地球上に住んでいる人間についても空から見える範囲では、同じホモ・サピエンスである。人間が勝手に細かく分類し種族、民族の違いを明らかにしているに過ぎない。結局、人間の対立、抗争というには、考えや行動の違いを表したものである。人間がわざわざ創り出しているに過ぎない。宇宙から見た同じものの間には争いはないはずだ。人間に神の眼、つまり同じだという認識が足りないから争いが起こるのだ。
長期の宇宙体験は、宇宙飛行士の人生を変える。事実、宇宙の特異な霊気に触れて、また、暗黒の闇に浮かび輝く『青い水球』に感動し、複数の飛行士は『地球は偶然の産物でなく、偉大な神、創造主からの賜物である。』と直感したという。
現代科学は、太陽と地球の奇跡的バランスが人類を生みだしたことを証明している。太陽の大きさとそこからの距離が、今より少しでも違えば地球に生命は存在しえない。
人間の体は一つの宇宙のようなもので、宇宙の法則と人間の体の中に共感共鳴して働く法則は同じものだと実測し、さらに予測する学者もいる。
三度宇宙を飛んだ飛行士は、人間の存在をこのように認識した。
実際、宇宙から見たら人間の創造物は殆ど見えないくらいで、僅かな小さい存在だ。見えるものは大自然の、海、山、河、森、砂漠、など、天地創造のままの自然だけだ。人間は地球全体からみれば自分たちが考えるほど大した存在ではない。また地球も、宇宙では銀河系の片隅の太陽系の一惑星で大した存在ではないのだ。
『主は地をおおう天蓋(大空)の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げ住まわれる。』(イザヤ40:22)
終わりのことを初めから告げる神、その預言を行う者、イザヤは、西暦前八世紀頃、まるで宇宙飛行士のように語っている。
そればかりか、将来起こることの多くの予告、とりわけメシア救世主、イエス・キリストの生涯について成就した数多くの出来事を記していた。
イエス・キリストの誕生の家系、処女から生まれる、その前に道が整えられ、人々の病気を癒し、ある人々に退けられ、有罪とされ、処刑されることなど。一世紀イエス・キリストに起こることを八百年も前に、明らかにしていたのである。この事実をどうとらえるべきか。
このため、イザヤ書は「第五福音書」とも呼ばれている。
イザヤは加えて、最終部でこう記している。
『見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思いだされず、心に上ることもない。』(イザヤ65:17)
これらのことはいったい何を意味し預言するのだろうか。
ケネディは教会や科学者が教えてくれない「神の領域」を忙しい職務の合間に「わが心」に取り込んだ…。神だけが知る「わが心」の奥底を開いて祈った。
四・核戦争
<勝利なき戦い>…核戦争の恐怖
一九六一年五月十一日、ケネディは、前政権の引継として南ベトナムに四百人の特殊部隊を派遣し、北ベトナムに対してゲリラ作戦を行う決定をした。
自由主義を守るのだ。ベトナムを守れば、タイやラオスやカンボジアなども、共産ゲリラに勝てるはずだ。
『罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。』(ヨハネ第一:3-8)
ケネディは、ヨーロッパを訪問し、フランス大統領やソ連首相との会談では、友好関係を樹立した。
一九六一年八月十三日から、東ドイツが、東西ベルリンの境界線を完全分断する。二十五マイルのコンクリート・ブロックの塀を立て始めたのである。
『神は、一人の人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。』(使徒十七:二六)使徒パウロはアテネの人々にこう説明した。
ケネディは、西ベルリンを放棄する意志がないことを言明した。人間の境界は神が定めるゆえ、人間がきめた、それはいずれ消え去るだろう。一九八九年十一月、ベルリンの壁は自由に絶えきれず崩壊したのである。
黒人の平等を盛り込んだ「公民権法案」は議会で行き詰まっていた。司法長官の弟ロバートとともに、反対派勢力と闘った。
人種差別は遺憾だと言いながら識者のなかでも、公共の場でも事実上、差別をしている。世界における米国の大きな汚点だ。いよいよ南部では公民権運動は、一部暴徒と化していた。
黒人は、アメリカにおいて、象徴的な「死人」だ。息を与え、人間として正常の生活基盤と機能を与えられなければならない。
『マルタはイエスに向かって言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります」イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります」(ヨハネ11一21-23)』。
九月二十四日、ケネディは、国連で、三段階完全軍縮を提案した。一方で時代は逆に恐怖感が広まる。十月三十日、ソ連は五十メガトンの核実験に成功した。
人類最終戦争『ハルマゲドン』は近づいたのか・・・。
一九六一年十二月十一日、米空母から四十機のヘリコプターがサイゴンに到着した。これら攻撃ヘリによって、南ベトナム軍は、翌年夏に向けて、初めて軍事的に有利に立った。これら援助によるベトナムの状況と結果を、国防長官は統計で表そうとした。
アメリカは本当に勝っているのか。別の報告では、このままいくと大規模な不毛の戦いが拡大する可能性を警告しているのだ。
一九六一年十二月十九日、ケネディの父親が脳出血で倒れた。しゃべることが不自由となった。
翌年一九六二年の主な出来事を見ると次のようなものである。
二月三日、キューバに対して全面禁輸を命令した。
二月八日、南ベトナムに軍事援助司令部設置を発表。
二月二十日、アメリカ初の人間衛星の打ち上げに成功した。地球を三周した飛行士はアメリカの宇宙支配をソ連から取り戻しのだ。全米で大歓迎を受けた。ケネディはホワイトに飛行士を招き勲章を自分の手から授けた。月に向けた計画は進む。
四月十一日、USスチールなどの鉄鋼値上げを「公共の利益」に反すると非難し、各社は値上げを撤回した。
四月二十四日、三年ぶりに大気圏内核実験の再会を命令。
七月四日、フィラデルフィアで「大西洋パートナーシップ」の演説。
九月三十日、ミシシッピ州オクスフォードで黒人学生の州立大学入学をめぐって暴動。
そして、世界の危機的状況は深く密かに進展していたのである・・・。
<ハルマゲドンー人類最終戦争>…アメリカ最期の大統領
一九六二年十月二十日、ケネディは、風邪を理由に予定の遊説先シカゴから急きょワシントンに帰還した。二十二日月曜、いよいよ極秘で検討してきたことを国民に明らかにする時がきたのだ。
全米に向けて午後七時、テレビとラジオを通して、宣言する。
「今晩は、国民のみなさん。前に約束したように、わが政府はキューバ島におけるソ連の軍備増強をきわめて厳重に監視してきました。・・」ケネディはいつものように冷静沈着である。
このとき既に、十三日間にも及び秘密のうちキューバのソ連が建設するミサイル基地の対応策が六つの選択肢において検討されてきた。その結果の発表である。
アメリカの『裏庭』ともいえるキューバに核ミサイル基地が内々に設営されているのだ。スパイ飛行機U2機の航空写真が決定的な証拠をとらえた。
なぜだ。暴挙だ。何が欲しいのだ。何のためにソ連はこのような愚挙にでたのか。ソ連首相の単なる誤算か。それともアメリカにキューバを攻撃させ、西ベルリンを襲う口実のためか。疑心暗鬼の世界がとてつもなく広がる・・。
ソ連製の長距離ミサイルやその他攻撃兵器がキューバに密かに搬入されている。それに対する奇襲攻撃案を検討する。だが完璧な空爆が可能だろうか。ミサイルの核反撃を招くかもしれない。奇襲が何倍にもなって返ってくるかもしれない。それでは海上封鎖か。
封鎖にも欠点がある。しかし、情勢を見極め相手に応じた慎重な次の対応が可能である。ケネディは強硬派、軍部の意見を引き延ばし、ソ連に再考する時間を与える封鎖案を採用したのだ。
ソ連首相とは軍縮を推進するはずであった。このため、ソ連とキューバ政府に対して、一切の攻撃兵器をキューバから撤去することを求めた。「キューバからのミサイル攻撃は、ソ連のアメリカに対する攻撃とみなし、全面報復行う」と全国民に決意を明らかにした。それは、米ソ二大強国が戦う「第三次世界大戦」は地球滅亡の人類最終戦争である。
テレビの中の大統領を全米の多くの国民が食い入るように見入る。一言も聞き漏らすまいとする。静寂がある。しかし、あるところ、いや、多くの場所、家庭で、恐怖に震え泣きだしものがいた。ケネディ得意のジョークなのか。大統領の演説は淡々としている・・・。
世界のアメリカ全軍に、待機命令が下った。全世界が驚愕し震撼とする。NATOや西側諸国の指導者に相当以前に連絡されている。地球全体が核戦争の恐怖におののき奮え始めた。
『剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。』ケネディは、イエス・キリストのその言葉をソ連とキューバに送り付けた。果たしてこの真理が通用する国なのだろうか。しかし一方で、自分の剣をかざす、この矛盾。
その背後でパウロはこうせまる。『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それはこう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる」・・・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい』(ローマ12:19)。
この時の善とは何だろうか。全ての人と平和を保つために、パウロは自分で復讐することを止め神に任せることを勧めた。真のクリスチャンならそれに従うべきである。神の下僕なら、そうすべきである。
アメリカの殆どキリスト教徒と言われながら全国民が、この道を真実選ぶだろうか。ソ連の攻撃になされるまま、座して全国民が死を待ち、神のみ名を叫び呼ぶのか。それはありえないことだ。世界大戦を経験し、日本には終戦を早めるという大義名文を掲げ原子爆弾を二発投下した。
ケネディも、かってイエス・キリストの使徒ヨハネが見た幻を、現実に垣間見る。
『また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。』(ヨハネの黙示録19:11)
それは、ベトナムでの自由の戦いである。ゲリラ戦に過ぎないはずである。ところが、今、自分の大統領就任時おいて、人類の最終戦争となるハルマゲドン、神の復讐の日、【万物の支配者である神の大いなる日の戦い】が始まろうとしているのか。(ヨハネの黙示録16:16)
「・・不必要に、全世界にわたる核戦争の危険をおかすつもりはない。そのような戦争では勝利の果実も口中で灰と変わるだろう。・・」ケネディは自重するが。
ケネディは、来るべきものが来るかも知れない、と恐れおののく。神の教えに反して世界強国が動く・・・。
神への反逆ゆえに、『また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。』(ヨハネの黙示録19:19)
イエス・キリストと天の軍勢が地上の王らと戦うのである。
その地上の王の最高指揮者の一人として、今、自分がいる。その後は、誰も記憶する人々が存在しない世界。自分が【最期の大統領】として死ぬことになるのか。
『あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。』(マタイ6:6)
イエス・キリストは祈りの仕方と場所についてこのように教えた。
ケネディは何度も一人になった・・・。
<対決>…核兵器のボタンを押す(悪のみの滅び)
十月二十三日火曜、国連安保理事会で米ソが激しく対立した。ソ連軍の休暇が取り消される。ワルシャワ条約加盟国も警戒体制に入った。
二十四日水曜、アメリカ海軍の、航空母艦、巡洋艦、潜水艦など、百八十隻が集結し、キューバ洋上を固める。海上封鎖を開始した。キューバ上陸二十万の上陸部隊が控える。ソ連との全面戦争のために、水爆を搭載した千五百機のB五二爆撃機が出撃に備える。百基以上の大陸間弾道弾他ミサイルを発射準備に置く。
大西洋上を、二十五隻のソ連貨物船団が相変わらず、カリブの静けさへ向けて航行を続ける。約六隻のソ連潜水艦が船団に合流する。
U2型機の補完偵察では、地上では突貫工事が進行している写真が確認される。封鎖も失敗策か。・・全面対決に迫る。
世界は終わりだ!! ちまたでは、刹那的な快楽に走る風潮が現れる。どうせ死ぬのだから。持っていても仕方がない。好きにやろう。思い残しがないように。
アメリカとソ連の間で、緊迫したメッセージが飛び交う。そこへローマ教皇が調停役としてかって出る。国連事務総長が調停を呼びかける。キューバのソ連ミサイルと、トルコの米ミサイルの相互撤去と不侵攻の調停が進む・・。ソ連船団は航行を停止するのか・・。
ソ連は船団を止めるのか。それとも全面核戦争か。それは人類最終戦争ーハルマゲドンの始まりか。アメリカ全軍のレーダと諜報機関が全神経を集中しソ連の動向を追う。全人類の生と死を懸けた政策の検討が、ホワイト・ハウスとクレムリンで続き、全世界が経緯を見守る。
『大統領はみなの見てる前で、手をあげ、口に手を当てた。拳を握ったり、開いたりした。顔はやつれ、目は苦悩に灰色のように見えた。』と司法長官の弟ボブはこの緊迫状況を記した。
ケネディは会議の休息の一時を、一人大統領執務室にこもる。背骨が痛む。疲れきった体を縦に窓辺に立ち、頭を垂れ目を閉じる。
『全知全能の神よ! 天にあるもの地にあるもの、すべての命を養い支配される、栄光の神。真実の神よ。
あなたは眠り、今この時も、人類の愚かさを黙って見ておられるのですか。太陽の光輝、月の明かりは、あなたの栄光です。それを認め告げ賛美する人類を、あなたを認めぬ者ゆえに、すべてこの地から拭われるのですか。
どうか、目を覚まして下さい。命を人類が喜ぶように偉大な力を示して下さい。もし、この戦争があなたのご意志なら、邪悪な人間だけを滅ぼして下さい。地上では善意の人々だけが生き残る永遠に戦争のない、あなたの王国が到来しますように。そのためにまず私から裁いてください。私を最期の大統領に・・・』自己超越をしたはずのケネディは絶叫し絶句し嗚咽した。
なぜ神は眠ったのか・・。ケネディの祈りが天に向かう。全世界が固唾を飲んで見守るなか、ソ連船団が進む。
『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』(ダビデの賛歌 詩編8:3-4)
二十五日木曜午前八時、封鎖ラインを最初のソ連の輸送船を発見。タンカーで石油だけだと申告。(空爆だ! 戦闘開始だ!)
「待て、見逃すのだ」と大統領。「まだモスクワから指令を受けていないかもしれない。」
午前十時三十二分、二十隻のソ連船が海上で停止した。 六隻、・・加えて十二隻が向きを変えた。
二十六日金曜午前七時、レバノン船籍のソ連チャーター船。貨物船を停泊させる。検問を求める。始まる。荷物はトラックの部品だ。通過を許可する。
キューバでは相変わらず急いでミサイル発射の工事準備が進んでいる。あと数時間で完了する。神に祈る。迫り来るソ連船団だ。海軍は迎撃することを大統領に望んだ。ケネディは冷徹にそれを押さえる。
水面下で米ソの諜報機関が動き続ける。午後六時、ソ連首相よりキューバのソ連ミサイルの存在を認め、撤去の条件が示された。
二十七日土曜、ソ連よりトルコにあるNATOのミサイル基地撤去の要求が持ち出された。アメリカの安全のために他国を犠牲にすることは名誉においてできない。
そこへとんでもないニュースが飛び込んできた。U2機一機が撃墜された。キューバ上空で撃墜されたとの情報。ああ、なんと!! 神よ。ケネディの顔は青ざめた。
キューバのミサイル基地が稼働始めた。ソ連の攻撃が始まる。危機感が高まる。いよいよミサイルが飛んでくる。さらに問題が突発する。別のU2機がアラスカから計器の故障でソ連領を侵犯したという。悪い事が度重なる。八方塞がり。絶対絶命。ソ連はどうでるのか。最悪の事態に対処する。空爆に続く攻撃の段取りを確認する。
ネブラスカ州オハマの戦略空軍司令部のミサイル・サイロの蓋は開けられた。
<核の標的>…永遠の平和に
『わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答になりません。夜も、私は黙っていられません。』(詩編22:1-2)
ダビデの賛歌。処刑されたときのイエス・キリストの神への信頼の叫びとなった。
核兵器が飛び交う。ヒロシマ・ナガサキの阿鼻叫喚、その何十倍、何百倍・・焦熱と惨烈が「青い地球」を真っ赤な星に変える。
実際、大規模な核戦争が起これば地球上でどの程度の影響があるのか。一九八八年五月、国際連合の専門家グループが「米ソの核戦争」によってもたらされる世界の影響を分析し「核戦争の気候、その他の地球的規模での影響に関する研究」と題する報告書を発表した。それは米ソをはじめ、日本、中国、豪州など十一カ国の学者らによって纏められたもので、「もし米ソ両国が核攻撃をしあって、周辺諸国を巻き込むとしたら」との大ざっぱな仮定のもと、大規模な核戦争での気象面や食糧生産、生体系への影響を考慮している。
煙が地球全体を覆い、太陽光線が遮られ、地球温度が摂氏十五度ないし三十度低下し、降雨量が激減する可能性を予測する。その結果は、小麦やトウモロコシや大豆あるいは稲作など基本的食糧生産に大きな打撃と被害を与え、一年間は食糧生産は回復不能であり、十億ないし四十億の人間が餓死するという。勿論、自然や生態システムの破壊だけでなく経済や社会のシステムも壊滅的であり、人類社会が再起できるかどうかは予測困難としている。これ以前にアメリカのカール・セーガン博士らの「核の冬」としての環境破壊報告もある。
「神のかたちに創造された人間」が、神の力である核を誤用している。今だ経験のない核戦争の恐怖を招く。人類滅亡の危機一髪。一触即発の窮地。地球最大の危機。地球最期の回避を!
『【主】よ。立ち上がって下さい。人間が勝ち誇らないないために。国々が御前で、さばかれるために。【主】よ。彼らに恐れを起こさせてください。おのれが、ただ、人間にすぎないことを、国々に思い知らせてください。』(詩編9:19-20 ダビデの賛歌)
ケネディ大統領は、最新のソ連提案を受諾することを前提に、アメリカの要求回答を世界に発表した。世界の終わりは、五分と五分だ!!
国防長官は大きく呟いた。
「あと何回ぐらい日没がを見られるのか」
ある高官は家族と落ち合う場所を考えた。
<本投稿システム文字数の関連で
、四・核戦争
<勝利なき戦い>…核戦争の恐怖
から、(頭書:タイトルの(続編その2))掲載予定です。…途中で失礼します。
********************以下 その2へ*************************
本書は、ケネディ以後の米国の歴史として、その後の、大統領の内なる心を追っていくことを試みる。
しかし、人間の心の中、本心は誰にも読み解くことはできない。
…そこにいても心は違うところにある…「わが心そこにあらず」…心は神のみぞ知る…
読者におかれて、建国上クリスチャンの思いで英国から独立した現代版「神の国」とされるアメリカにおいて、本当の神の心はどこにあるのか、自ら真実を求めて、ご自分の倒れることのない新しい未来を築かれるよう期待いたします…