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2章 瀬戸内の危機

 それから数日、ニュースでは毎日のように瀬戸内海の水位低下の話が繰り返されていた。

 ほとんどは政府が調査中である旨を伝えるだけだったが、次第に有識者をコメンテーターに迎えたり、瀬戸内海に水中カメラを持ち込んだりする局も出始めていた。

 湯子もあれ以来どうにも気になってしまって、授業中もついついそのことを考えてしまっていた。


「湯子~? 最近どしたの、ぼうっとして。さっきの授業中も先生にあてられて焦ってたよ~」

「そうですよ、湯子さん。ここ数日、心ここにあらずというか……」

「え、ああ……そっかな?」


 こうして友達にも心配されてしまう始末だ。

 普段から、家業を手伝ってしっかり者と認知されている湯子だけに、その態度の違いはすぐに周囲の知るところとなった。

「そうだよ。(ふみ)みたいに真面目しか取り柄がないやつなら、どうせ勉強のこと考えてるだけだから心配しないけど」

「そうです。(まり)さんのように本能で生きている人なら、どうせ今日のお弁当のことでも考えているんだろう、で済みますけど」

 湯子のことを心配しながら、お互いに火花を散らす友達を見て、湯子の方が慌ててなだめにかかる。

 風紀委員で成績学年トップの文と、女子ソフトボール部エースで成績赤点の球。

 二人ともいい子なのだが、どうにも性格が真反対すぎて反りが合わない。

 しかし、湯子とは二人とも気が合うらしく、湯子を間に挟んで三人で行動するのが中学校以来の習慣だ。


「ウチは本当に大丈夫だから。体調も悪くないし、悩み事があるわけでもないし。あ、それより早く学食行こうよ。昼休み終わっちゃう」

「そっか? それならいいんだけど」

「何かあったら、すぐに相談してくださいね」


 とりあえずは納得した様子の二人を横目で見つつ、湯子は静かにため息をついた。

 どうやら、金戸が言っていたことは全くのでたらめではないようだ。

 栓が抜けた、なんて無茶苦茶な話を信じるわけではないが、何か尋常ならざることが起こっているのは間違いないのだろう。

 ニュースだけでなく、文や球との会話で話題にのぼることもある。


(もし、この間の話が本当だったとして、あの人は何でウチのところに……)


 考えても、答えは出てくるわけもない。

 いっそのこと、今晩にでもまた訪ねてきてくれれば、事情がわかってスッキリするのでは、とさえ考え始めていた。


「玉野湯子、私の言ったことが事実だとわかったかね?」

「って、何でここにいるんですかー!」


 驚くのも無理はない。

 本来なら、湯子もよく見知った学食のおばちゃんがいるべき場所に、割烹着(かっぽうぎ)姿の金戸が立っていたからだ。


「驚かせたようだな。だが、こちらにも事情があったのだ」

「はぁ……」


 割烹着姿の謎の男の登場に、周囲の生徒もざわつき始めるが、学食のおばちゃん達は何らかの事情を聞いているのか、不審な目を向けつつも特にとがめる様子もなく生徒達を他の列へ誘導している。


「単刀直入に言う。私と一緒に来てほしい。君でなければ駄目なのだ」

「はい!? ちょっとどういう―」


 ことですか、という言葉は続けられなかった。

 理由は単純明快。

 球の右腕からウインドミルで放たれたライズボールが、唸りをあげて金戸のあごを打ちぬいたためだ。


「湯子、下がって! 変態がいる!」

「ナイスです、球さん! 風紀委員実行部隊前へ! 変態を校外へ叩き出しますよ!」


 文の叫びに呼応して、屈強な男子生徒が数名金戸に飛びかかった。

 金戸もどうにか抵抗しようとするが、最初に食らったあごへの一撃で脳震盪(のうしんとう)を起こしかけていて、どうにもうまく動けないらしい。


「こ、こら、よせ! 私は変態ではない!」

「じゃあ、学食関係者でもない人が、わざわざこんな所まで湯子に何の用があったのさ?」


 どこからともなく取り出した2球目のソフトボールを手に投球体勢をとりつつ、球が尋ねた。


「それに、どうやってここまで潜り込んだんです? 島の人たちは見慣れない人にはすぐに気づくはずですし、学食の人達もあなたを疑っていなかったようですし」

 文はシャーペンの芯をカチカチと出しながら、問いかける。

 目が据わっている分、球よりも迫力がある。

 そんな状況に追い詰められながらも、金戸は不敵な笑みを浮かべて答える。


「その質問、まとめて答えよう」


 全員が思わず息を飲んだ。


「私は玉野湯子を手に入れるために、権力を駆使してこの学校に入り込んだのだ! そして、玉野湯子! 私と来い! なに、金なら払ってやるから心配するな。他にも欲しい物があれば―」


『金と権力を持った変態だ!』


 図らずも、その場にいる全員(金戸を除く)の心が一つになった瞬間だった。

 一寸の迷いもなく放たれた球のドロップボールは、学食のカウンターをこえて金戸の股間にクリーンヒット。

 悶絶する金戸を見て、流石に気の毒に思いかけた男子風紀委員達だったが、無言でシャーペンをカチカチやっている文の姿に後押しされる形で金戸をつかむと、職員室へ連行していった。


「なんだったの、あれは?」


 おそらくこの中では最大の当事者なのだろうが、湯子にはわけがわからなかった。


「湯子、大丈夫!?」

「気づいてあげられなくてごめんなさい、湯子さん! あんな変態に迫られていたなんて……」


 球と文は、泣き出さんばかりの勢いで湯子を抱きしめている。

 湯子がここ数日おかしかったのは、金戸に迫られていたからだと思っているらしい。

 当たらずとも遠からずという所なのだが、どうもこの場では冷静に話ができる状態でもないようだ。


「えーと、うん、実はそうだったの。でも大丈夫。皆のおかげで無事だったから」


 とりあえずこの場を収めるために金戸を悪役にしつつ、湯子にはこのままでは終わらないだろうな、という予感があった。



 その日の夜、営業を終えた玉の湯のインターホンが鳴らされた。

 父親は入浴中だったので、やや緊張しつつ湯子が出て行くと、そこにはやはり金戸が立っていた。

 先日と同じ格好だが、あごに貼られた大きな絆創膏が痛々しい。

 やや前かがみの姿勢なのは……まだ痛むからだろうか。

 気の毒さもあって、直視できないまま話しかける。


「その、大丈夫でしたか……?」

「ふふふ、心配するな。保険には入っていたからな。勤務中の負傷ということで手当ても出る。むしろ、金銭面では儲かった」


 意外と元気そうなので、湯子としても遠慮の必要はなさそうだと判断した。


「で、結局どういうことなんですか? きちんと説明してください」

「うむ。瀬戸内海の栓が抜けたことについては話した通りだ。そろそろ納得したかね」

「納得とまではいきませんけど……水位が低下してることは事実なのかな、と」


 あの写真もそうだが、連日のニュースを見ていると異変が起こっているという事実は納得せざるを得ない。


「まあ、信じられないのも無理はない。それを信じさせるために、情報規制を解いていたのだが、正直もう限界だった」

「情報規制?」

「そうだ。本来、瀬戸内海の栓が抜けたことは国家レベルの機密事項。だから、水位低下のニュースも詳しいところは報道しないように情報規制をかけていたのだが、君に事態を信じさせるために一時解除していたのだ」


 そう言いながら、メールを打つ金戸。

 早速情報規制を再開させるようだ。


「どうして、そこまでして隠すんです? 瀬戸内海の漁師さん達には他人事じゃないような……」


 特定秘密保護法などもあり、政府への信頼も揺らいでいる昨今だ。

 湯子としては、状況は開示したほうが良いのでは、と単純に思ったのだが―


「甘いな、玉野湯子。世界の海はつながっているのだ。瀬戸内海の水位低下が続けば、影響は世界中に確実に出る。そうなれば、たとえ自然現象だろうと、日本は各国から盛大に非難を浴びることになる。だから、事実を伏せたまま、早急に解決せねばならんのだ」


 言わんとすることはわかる。

 湯子が思っていた以上に事態が切迫していることもわかった。

 しかし、だからこそ余計にわからなくなったこともある。


「そんな政治的危険を冒してまで、ウチに何の用があるんです? ウチはただの高校生なんですよ?」


 心底不思議そうにする湯子に対して、金戸は先日も見せた写真を取り出した。


「この写真から水流の流れを見切ったのは、一部の海洋学者と君だけだ」


 確かに湯子の父親にも見えなかった。

 しかし、それなら一部の海洋学者とやらに頼ればいいのでは、と思ったが、


「その学者達の中には、栓が抜けたなどという非科学的な原因を受け入れられる者はほとんどいなかった。なので、こちらはその度に記憶を消すために色々する羽目になった」


 機密保持のためとはいえ、本当に口には出せないことを色々とやっていそうな口調だった。


「唯一信じてくれた人物は、様々な事情から任務遂行が不可能と判断した。そうなると君しかいなかったのだ」

「いや、待ってくださいよ。だったら、他にも銭湯で働いてる人とか、プールで働いてる人とか、色々いるでしょう? きっと他にも見える人はいますよ」

「いいや、君しかいない。どうも、栓の形、周りの水の流れ、周辺の環境などが、総合的に玉の湯の浴槽と酷似しているようなのだ。もちろん水圧は違うが、総合的に影響しあった結果、そうなってしまっているのだ!」


 最後はややヤケクソ気味だったが、金戸もこの結論に至るまでに様々な葛藤をしてきたらしい。

 湯子も完全に納得したわけではないが、迫力におされて思わずうなずいてしまっていた。


「そして、政府で何度も検討会が行われ、最終的に玉野湯子に瀬戸内海の栓をはめ直す作業を依頼するという線で落ち着いたのだ」

「ちょっと待ったーっ!」


 流石にそこは勢い任せに、はい、そうですか、とは言えない。


「ウチはただの高校生ですから。ちょっと水の流れが見えてるからって、そんなの無理です! 他にも必要な技術はあるでしょう?」

「その点については心配するな。それぞれの技術のエキスパートを集める予定になっている」


 予定、という言い方にますます不安を募らせつつ、やはり湯子は首を縦に振らない。


「だとしても、これって絶対危ないですよね。海の底ですし。期待してもらって申し訳ないんですけど……」


 人の好い湯子としては、頼られれば助けてあげたくもなるが、流石に規模が大きすぎる。

 自分にとって全くなじみがない危険な作業、しかも、特定秘密に触れるようなことを一介の女子高生が簡単に引き受けられるはずがない。

 そして口には出さないけれど、やはり胡散臭いのだ。

 この話も、それを話す金戸も。


「もちろん、タダでとは言わない。この銭湯の維持費を今後一切政府が負担するというのはどうだ?」

「えっ」


 湯子は反射的に身を乗り出していた。

 金にがめつい性格ではないが、銭湯を残せるとなれば話は変わってくる。


「さらに、今回のミッションが万が一失敗に終わっても、一切の責任は君にはない。政府としても他に手段が見つからずに、苦肉の策なのだ。責任は他国に情報をリークして処分保留になっている某大臣にでも押しつけることに決まっている」


 さらりととんでもないことを言いながら、契約書を湯子に見せつける金戸。

 そこには確かに、責任は一切負わなくてよいこと、玉の湯の運営資金を今後国が支払うこと、身を守るための最新装備を用意することが明記されていた。

 かといって、ただの高校生がそれで割り切れるものではない。

 迷いを見せる湯子に、金戸は次第に苛立ち始めていた。


「ええい、後は何が不満だ! 金か! 金ならお前にも個人的に報酬が支払われるぞ! ちなみに、私にも仲介料が入る予定だ! だから私の金のためにも、さあ!」

「無茶言わないでください! たしかにこの銭湯は大事だけど、ウチはただの高校生ですよ! そう簡単に受けられるわけ……」

「そんな悠長なことを言っている場合か! 最悪あと一ヶ月で瀬戸内が吹っ飛ぶというのに!」

「はい?」


 とんでもないことが聞こえた気がした。


「瀬戸内が、吹っ飛ぶ?」


 きょとんとする湯子に対して、金戸は半ば呆れ顔で答える。


「そうだ。他の国から非難されることなんて、この国の政治では日常茶飯事だ。痛手ではあるが、それだけなら他に良い手がないか考える。たとえ無茶でも素人の君に賭けるしかないのは、そういう理由だ」


 いいか、と前置きしてから金戸は続ける。


「現在、栓が抜けた穴に膨大な量の海水が流れこんでいる。この穴は人智を超えているとしか言い様がなく、流入はいつまでも止まらないし、マントル部分に触れたら即座に起こるはずの水蒸気爆発も起こっていない。しかし、常識では考えられないほど少しずつではあるが、水蒸気は穴の内部に蓄積されていることが確認されている。遅くてもあと一ヶ月後には―逆流して強烈な噴射を起こすと見られている」


 唐突に始まった大災害規模のピンチに、思わず湯子は顔を青ざめさせた。


「この噴射がどの程度の規模になるかは正直、想像がつかない。海底火山の噴火ともまた違う。そうだな……コーラにメントスを入れた時のメントスガイザーを災害規模にしたと考えてもらえるとわかりやすいか。発生した海底からの水圧が水鉄砲のように直撃して割れる島もあるだろうし、津波に巻き込まれる島もあるだろう。噴射の方向如何によっては、四国が丸ごと吹き飛ぶ可能性まである」


 湯子の想像をはるかに超えた大惨事だった。

 しかも、この大惨事を止めるために一番有効なのが、銭湯の娘である自分が栓をはめ直すことだという。

 デビュー仕立てのお笑い芸人のコントでも、ここまで突拍子のないものはないだろう。


「と、現状はこのような状態だ。私としても自分で出来るのなら、無茶でも何でもやり遂げて大量の金を巻き上げたい! しかし、君でなければ出来ない仕事なのだ。だから、せめて仲介料だけは手に入れたい! ついでに、君は銭湯が守れて、瀬戸内の人は自分の土地が守られる。受ける気になったか?」


 湯子としては逃げ道を全てふさがれた状態だった。

 正直言って怖いし、どうして自分がという気持ちはある。

 しかし、断ることによるリスクは大きく、受けることによるメリットも大きい。

 受けたってリスクはあるが、受けなくてもリスクがあるなら、メリットがある方がいい。


「はあ……わかりました。ウチができることはやってみますよ」

「よし、そう言ってくれると信じていたぞ。では、こちらはすぐに準備を始めておく。協力が必要な時は―」


 金戸が携帯を操作すると、湯子の携帯から着信音が流れた。


「君の携帯電話に連絡するようにしよう。君からも何かあれば、連絡するように。では」


 どうやら政府には湯子の携帯番号まで筒抜けらしい。

 仕事を請けたことを少し後悔しながら、湯子は立ち去っていく金戸を見送った。

 角を曲がった先で、見知らぬ人には凶暴なことで有名な近所の犬の吠える声と、金戸の悲鳴にちょっとスッキリしてから湯子は家へと入っていった。

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