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89話 満月の夜の唖喰連戦 ⑥

 

 それはいくら時を経ても忘れがたい記憶だった。

 

 鉄の匂いがする赤い液体……血だ。

 

 血の匂いが充満していた。

 

 体も髪も血で真っ赤に染まっていた。

 

 この血はどこから出て来たの? 

 

 辺りを見渡してみるけど、アタシ以外誰も居ない。

 

 ふと、左腕が妙に軽いことに気付いた。

 

 見下ろしてみると、さっきまであったはずのアタシの左腕が……肩から先が無くなっていた。


 アタシの全身を赤く染める血はそこから出ていた。

 

 左腕は?


 そう思って顔を上げると、真っ黒な触手があった。

 

 その中には人の腕があって……。



 それは人の左腕で……。



 今ここにいる人はアタシだけで……。



 今アタシの左腕が無くて……。



 左腕が……黒い触手の中で……骨になって……。




 ト ケ テ キ エ タ。










「はぁ! はぁ!」


 呼吸が早い……ゆっくりに戻したくても出来ない……。

 過呼吸だ、理由なんて目の前にいる。


 グランドローパー。

 アタシに死の恐怖を刻んだ唖喰。


 アタシはアイツに左腕を溶かされて、嬲られて、殺されかけた。


 そいつと同じ姿形をしたアイツが、今目の前にいる。


 頭では戦わなきゃって理解しているはずなのに、体が凍ったかのように動かない。

 脚が……手が……空気に張り付けられたみたいに動かすことが出来ない。


 息が苦しい……過呼吸の所為でロクに酸素が吸えていないせいだ。

 

 なんで!? 

 さっきまで戦えていたのに、どうしてコイツの姿を見ただけで動けなくなるの!!?


 そんな風に焦るけど、理由は考えるまでもなかった。


 アタシのトラウマの元凶であるグランドローパーと遭遇して、恐怖で動けなくなっているんだ。

 

 PTSD……心的外傷後ストレス障害。

 過去に経験したトラウマを彷彿とさせる出来事に直面し、忍耐の限界を超えた過度のストレスによって過呼吸やフラッシュバックを引き起こす精神病の一種だ。


 あの日、グランドローパーに殺されかけて前線を引いて以来、最初は唖喰の名前を聞くだけでも立ち眩みがした。


 それでも司やゆずに助けられながらアタシなりに忍耐力をつけていくことで克服できるようになっていた。


 今日の戦いでそれを終わらせられると思っていたのに、最後の一体がよりによってグランドローパーだなんて思いもしなかった。


 アタシが恐怖で動けないでいるうちに声が聞こえて来た。


「防御術式発動、結界陣、展開」

「――ぇ」


 突然耳に入ってきた声はゆずのものだった。

 ゆずが何を言ったのか分からなくて、掠れた声で聞き返そうとする前にアタシの足元に魔法陣が展開された。


 ゆずがアタシを守るようにしてグランドローパーの前に立ち塞がった。


「……ゆ……ず?」

「……鈴花ちゃんは私が守ります」


 ゆずはそう言ってグランドローパーとの戦闘を開始した。

 先制したのはグランドローパーだ。

 真ん中の球体から生えている赤黒い触手を大量に伸ばしてゆずに向かわせた。


「攻撃術式発動、光剣四連展開」


 対してゆずは光剣を四本展開して精密な操作をして迫ってくる赤黒い触手を次々と斬り落としていく。


 けど、触手はすぐに再生して再びゆずに迫ってくる。

 ゆずはそれを光剣で斬り落とす。


 また触手が再生して迫ってくる。

 また光剣で斬る。


 これじゃジリ貧だ。


 ゆずの戦闘光景を見ている間に呼吸は戻っていた。

 けれど、体は震えたままだ。

 これじゃ援護できない。


 ううん、それどころか今現在足を引っ張っている……。

 

 ……全然ダメだ。

 何が〝足手まといになりに来たわけじゃない〟だ。

 アタシは全然ダメダメなままだ。


 下位クラスの唖喰相手に少し戦えたからって完全に戦えるって勘違いして、結局何も成長していないんだ。


 これは誰がどう見ても足手まとい以外何物でもない。

 

 そんなことを考えていると、戦況が変化した。


 ゆずの防御を崩せないと判断したグランドローパーの真ん中の球体から、光すら飲み込むように真っ黒な触手が出て来た。


「ヒィ……ッ!?」


 それを見たアタシは強烈な眩暈に襲われた……吐き気もするし、左腕は何の怪我もしていないのにズキズキと痛む気がする。

 だってあれは……アタシの左腕を溶かしたものだから……。


 そうしている間にも戦いは動く。


 グランドローパーは黒い触手を横に振るってゆずを殴り飛ばそうとしたけど、ゆずは大きく跳躍してそれを躱した。


 ゆずは地上から五メートル以上の高さから術式を発動させた。


「攻撃術式発動、光重槍展開、発射」


 ゆずの右手に大きな光の槍が握られる。


 それを回避した黒い触手に向けて放つと、重光槍は黒い触手をあっさりと貫いて、地面に文字通り釘付けにした。


 グランドローパーは黒い触手をゆずにぶつけようともがくけど、触手はしっかりと固定されていてビクともしなかった。


 触手を串刺しにした重光槍はゆずが解除するか、流される魔力が途切れるかしない限り消える心配はないから、あの触手は封じたのも同然だ。


 自分の武器を封じられたことに驚いたのかグランドローパーは赤黒い触手は大きく震えていた。


 そんな明らかな隙をゆずが見逃すわけが無く、次の術式を発動させていた。


「攻撃術式発動、光弾十連展開、発射」


 ゆずが放った光弾は全弾グランドローパーに直撃して、大きなダメージを与えたみたいだ。

 

 グランドローパーも赤黒い触手を伸ばしてゆずに反撃しようとするけど、その度にゆずは光剣を発生させて切り落としていく。


 戦況はゆずが優勢だ。

 アタシはゆずが発動させた結界の中でその戦いを眺めていた。


「……あれが〝天光の大魔導士〟か」


 思わずそう呟いてしまう。

 世界で最も優れていると言われている五人の魔導士の中で、序列第一位のゆずの魔力量は無限にあるわけじゃないのにまるで底が見えない。

 

 ううん、その底の見えない魔力量をさらに節制して使っているから、普通の魔導士なら取らないような長期戦を戦い続けられているんだ。


 その長期戦を続けるコツだってゆずが五年も戦い続けてきた経験から裏打ちされた確かなもので……。


 アタシがひっそりと鍛えていた分なんてゆずの半年に届くかもわからない……。


「……天才の力を見せつけられた秀才の気持ちってこんななのかな」


 天才だって努力をしないわけじゃないけど、同じ努力から得る経験の吸収量が桁違いなんだ。

 同じ速度で走る電気自動車でも蓄えられる電気容量次第で走れる距離が変わるのと一緒。

 

 特に司と関わるようになってから、特攻癖も無くなって堅実な戦い方をするようになったから弱点らしい弱点は無い。


「――あれ?」


 ふと目の前で広がっている光景に違和感を覚えた。


 グランドローパーの触手に掴まらないように立ち回るゆず。


 ゆずを捕まえるために触手をあちこちに伸ばすグランドローパー。


 未だ重光槍で固定されたままの()()()()()()()


「!! ゆず!!」

「!? くあぁ!!?」


 ゆずが殴り飛ばされた……グランドローパーの黒い触手に。


 違和感の正体はまさにその黒い触手だった。


 グランドローパーは固定されていた黒い触手の半ばを自切して再生し、再び使えるようにしたことでゆずに不意打ちを食らわせたんだ。


 けどその不意打ちは違和感に気付いたアタシがゆずに声を掛けたことで完全に決まらなかった。


 完全には。


「がふっ、はぁ……はぁ……」


 黒い触手に殴り飛ばされたゆずはすぐに起き上がれないでいた。

 あの一瞬じゃ防御術式の発動に間に合わなかったから、魔導装束に魔力を流すことで防御力を上げたけど、殴り飛ばされた衝撃は殺せても地面に叩きつけられた衝撃までは殺せなかった。


 受け身を取ることも出来なかったから、肺の空気が全て吐き出されてしまった所為だ。


 そんなゆずの姿を見て好機と捉えたのか、グランドローパーは赤黒い触手を伸ばしてゆずの四肢を締め付けだした。


 駄目だ、その触手に掴まれたら……。


「あああああああ、ぐううううう!!!」


 ゆずの表情が苦痛に歪んだ。

 当たり前だ、いくら魔導装束に魔力を流して防御効果を発動させていても、あの触手で触れられたら焼き印を押されるみたいに熱いからだ。


 そんなゆずの悲鳴を聞いてもなお、アタシはゆずに声を掛けることしか出来ない。


「いやあ! ゆず! ゆずぅっ!!」

「ああああああああああ!!!!」


 けどアタシの根拠のない声援なんて意味も無く、ゆずは悲鳴を上げ続ける。


 グランドローパーが黒い触手で獲物をすぐに溶かさない理由は、アイツが獲物をじわじわと溶かして吸収するのが好みだからそうだ。


 アタシの時もゆずの時も、やることは変わらない……。


 そして、アタシの声を聞いたからなのか、グランドローパーがゆずを拘束している触手以外の全てをアタシの方にまで伸ばして来た。


「――ひっ!? いやあ!!」


 なんて情けない声を出すんだと叱責する自分もいたけど、今はトラウマを刺激されたことで去勢を張ることすらできないアタシは、みっともない声を出して目を閉じた。


 ……。


 ……。


 何も起きない?


 どうしてなのか疑問に思って目を開けてみると……。


「ひぃっ!?」


 依然夥しい量の触手が視界を埋め尽くしていた。

 それなのに体に痛みも熱もない。

 その原因は……。


「……ゆずの結界?」


 アタシを守っているのは、グランドローパーに怯えて動けないアタシを守るためにゆずが施した防御術式による結界だった。


 けどこの結界を維持するにはゆず本人が解除するか、流される魔力が途絶えるかで……。


「――あ」


 そこまで考えてアタシは一つの答えに辿り着いた。


 今現在、グランドローパーに拘束されているゆずが、自身の防御以外にもアタシを守っている結界にも魔力を流し続けているからだ。


 その事実に気付いたアタシはたまらず胸の内を曝け出した。


「もういいよ、ゆず!! アタシのことは放って置いて自分のことに集中して!! このままじゃ二人共死んじゃうよ!!!」


 この声がゆずに聞こえたのかどうかは目の前の触手の波で見えない。

 それでもアタシはこの気持ちを打ち明けることを止めない。


「ゆずの足手まといにならないって決めてたのに、グランドローパーが出たくらいでこんなみっともない姿を晒して……アタシは……ゆずに助けてもらう資格なんて……」


 涙が止まらなかった。

 情けない姿しか見せていない自分に嫌気が差してきた。

 今この場でアタシの命を代償にしてゆずが助かるならなんだってしてやりたい。


「だから! 早くこの結界を解いて――」



「い……や……です」



「――え?」

「嫌……だと言ったんです……私が……守ると決めた……から」


 ゆずが精いっぱい絞り出している声はアタシの耳にすっと入ってくる。

 でもどうしてゆずがそういうのか分からなくて……。


「すずかちゃんが、死んでしまったら……司君が、悲しんでしまいま、す……」

「!」


 アタシは自分の命を投げ打ってゆずを助けようとした。

 でもそうしてしまえば司に〝ちゃんと帰ってこい〟って言葉を蔑ろにしようとしていたことに気付かされた。


「それに……すず……か……ちゃんなら、大丈夫……だって、信じて、います……から」

「……なに……それ……」


 ゆずが一体何を根拠にアタシなら大丈夫だなんて言うのか全く意味がわからなかった。


「たくさん……訓練を、したじゃない……ですか、魔導武装や……固有術式だって、使えるように……頑張ったんですよね?」

「……」


 ゆずは今までアタシの訓練に付き合ってくれていた。

 アタシの教導係だからとか、魔導少女の先輩だからとかじゃない。


 橘鈴花の友人として接してくれていたゆずの言葉は、アタシの中の恐怖の闇を確実に晴らしていった。

 

「そうしてきたのは……今、ここで……命を投げ捨てるような……事をする、ためじゃ……ない、ですよね?」

「……うん」

「鈴花ちゃんが……ここにいる理由は……自分のためだけじゃ、ない……でしょう?」

「……そうだよ」


 そうだ。

 アタシは……足手まといになりたくないからじゃない。

 ゆずと隣合って戦うためじゃない。

 ましてや……世界を守るためでもない。


 アタシは……。


「アタシの……友達を助けるためだから!!! 攻撃術式発動、爆光弾展開、発射!」

 

 ゆずの言葉に奮い立たされたアタシの心情を体現するかのように閃光が結界を覆っていたグランドローパーの触手を吹き飛ばした。


 今ゆずを助けるためならアタシの中のトラウマなんて知ったことじゃない。

 アタシの中で張りつめていた糸が切れたような気がして、腕が、手が、指が、足が、膝が、腰が、さっきまで動かせなかった体が嘘のように軽くなってる。


「怖いからって、友達を見捨てるほど落ちぶれたつもりはないんだから!!」


  

7時にもう1話更新します。

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