81話 竜胆司の恋愛失敗談
「ウバアアアアアアアア!!」
「きゃあああああああああ!?」
「う……」
肝試しが始まり、7番目のペアとして森の中に入った俺と菜々美さんの前に、特殊メイクを施したゾンビが出て来た。
声から体育の岡崎先生(独身)だとわかった。
映画デートの際やペアになった時の本人の言葉通り、菜々美さんはホラー系が大の苦手のようで、今まさに飛び出してきた岡崎ゾンビにビビりまくって、俺に抱き着いてきた。
具体的には懐中電灯を持つ右手とは反対の左腕側に自分の体を預ける形だ。
二の腕が柔らかい感触に挟まれているせいで、岡崎ゾンビよりそっちに意識が傾く。
傍から見れば、普通にカップルっぽい体勢だ。
「ウババワアアアアアア!」
「ひいいいいいいいっ!!?」
それが気に入らないのか、婚活歴五年の岡崎ゾンビはさらに呻き声を上げる。
そして菜々美さんはさらにビビる。
「バババワアアアアアア!」
「いやああああああ!!」
「あの、先導しますから早くいきましょう、菜々美さん」
俺の左腕を離してたまるものかという風にがっちりホールドしている菜々美さんに無駄だと思いつつも声を掛けてから、彼女が転ばないようにゆっくりと歩く。
「……お前ちょっとはビビれよ」
「殺意と食欲がないんで怖がる要素がないです」
「殺意と食欲!?」
俺が全く怖がる素振りを見せないことに痺れを切らした岡崎ゾンビの疑問に、俺は端的に答えた。
一度死の恐怖を知ってからだと全然怖くない。
ましてや相手は特殊メイクをしているだけの顔見知り……怖がる要素が微塵もない。
「菜々美さん、とりあえずゾンビはいなくなりましたよ」
「うぅ、やだぁ……怖いよぉ……」
未だに俺の左腕から離れようとしない菜々美さんはブルブルと震えたまま、安心する様子はなかった。
ゆずと遊園地デートに行った時にホラーアトラクションに入ったけど、お互い全く怖がることがなかっただけに、菜々美さんの反応はある意味新鮮だった。
――ベチョ。
「ヒィッ!?」
「うわぷっ!?」
頬にこんにゃくが当たった菜々美さんは俺の頭を抱きしめるように飛びついてきた。
ああああああああ!
顔、顔に!?
「な、菜々美さん、おちつい――」
「やだやだやだ!」
俺の言葉など耳に入らないようで、菜々美さんはいやいやと必死に俺に泣きつくだけだった。
で、その菜々美さんが体をブンブン動かすもんだから、俺の顔を挟んでいる柔らかいものもふにふにと圧迫してくる。
「菜々美、さん! 落ち着いて下さい!」
「う、うぅ、司くん……」
なんとか菜々美さんの拘束から逃れると、今度は腰が抜けたのか菜々美さんは地面に座り込んでしまった。
「立てそうですか?」
「だ、だめ……足に力が入らない……」
まいったな……。
精神に係わる症状は治癒術式じゃ治せない。
かといってここで立ち止まっていると他のペアの邪魔になる。
「仕方ない……菜々美さん、失礼します」
「え、何――え、えええ!?」
俺の行動に菜々美さんは大いに驚いた。
それもそのはず。
だって俺は彼女をお姫様抱っこで抱き上げたのだから。
「な、え、お、重くない!? 大丈夫!?」
「全然平気です。最近鍛えてますし、何より菜々美さんは軽いんで」
本当に軽い。
これなら身体強化術式を掛けてもらう必要もないな。
「ウソ! 本当は〝重いなぁ、一体どれだけ贅肉蓄えてるんだ?〟って思ってるんでしょ!?」
気が動転しているのか、俺の軽いって言葉が信じられないようだった。
「菜々美さんの体形と体重でそれを言ったら世の中のほとんどの女性が太ってるって言い方になってますよ。本当に平気ですし、なんなら俺に身体強化術式でも掛けますか?」
そんな彼女を落ち着かせようと、俺に身体強化術式を発動させることを提案してみた。
もしこれで掛けようものなら、暗に自分は重いですと認めることになるというちょっとしたイタズラも込めている。
菜々美さんもそれを察したようで、顔を赤くしたまま、俺にジト目を向ける。
「う、それは……いじわる……」
「はい、菜々美さんを納得させるための俺なりの意地悪です。分かったら諦めて大人しくしていてください」
「し、仕方ないなぁ……えっへへ」
俺の胸に顔を預けてふにゃっと笑みを浮かべる菜々美さんに動悸を感じつつ、とりあえず縁結びの泉までこのままで行くことにした。
「そういえば、俺菜々美さんにこうして運ばれたことがありましたね」
「あ、あったねー、なんだか懐かしい気分だよ」
「あれからまだ二か月しか経ってないなんて、これから先がどうなるか全然予想出来ませんよ」
「ホントだね……あの時はこうして司くんと仲良くなるなんて思ってなかったもん」
「はは、俺もこんな日が来るなんて思ってませんでしたよ」
たった二か月前のことなのに、思い返すだけでもう懐かしさを感じさせるほどの日々を過ごしていると実感させられる。
「……司くんは、思っていなかったかもしれないけど」
「ん?」
「私は……今みたいに司くんが私をお姫様抱っこしてくれる日が来たらいいな……なんて思ってたよ?」
「――!」
菜々美さんがどんな想いでその言葉を言ったのかは、俺でもすぐに伝わった。
分かったからと言って、冷静でいられるはずもなく、顔に熱が集まるのが分かった。
というかよく見ると菜々美さんの顔も真っ赤だ。
「……自分で言って自分で恥ずかしがるなら、言わないでください」
「そ、そんなことないもん! 夢で見たくらい考えてたからね!?」
「こっちにまで飛び火するような墓穴掘らないでください!!」
「はうっ!? ご、ごめんね……?」
本当にこの人は……。
それでも全く嫌な気持ちにならないあたり、菜々美さんと過ごす日常にも大分愛着が湧いてるな。
そんな風に思っていると、両側の茂みがガサガサ揺れ出し……。
「リアジュウシネエエエエエエエ!」
「イチャイチャスンナアアアアアアア!」
「バクハツシロオオオオオオオオオオオオオオ!」
「アババババババババ!!?」
嫉妬に駆られて飛び出した脅かし役に、菜々美さんは恐怖のあまり携帯のマナーモードみたいにブルブル細かく震えだした。
「~~っ、はいはい、俺がしっかり支えてますんで安心してください」
「あ、うん……」
「「「だから少しは驚け!!」」」
そう言われても怖くないんだって。
十数分後、ようやく縁結びの泉に着いた。
今夜は満月なので、泉には複数の噴水でハートの形のように見えていた。
「菜々美さん、立てますか?」
「……降りなきゃダメ?」
「降りて下さい。このまま皆のところに戻ったら何を言われるか分かったもんじゃないので」
「ぶ~、別に私はいいんだけどなぁ……」
菜々美さんは渋々という表情を浮かべながら、しっかりと地に足をつけた。
もう俺の前でも自分の好意を隠さなくなってきたな……まぁそれが好きな人に意識してもらうための一番の方法なんだろうけど。
「さて、縁結びの泉に着きましたけど……菜々美さんから飲んでください」
「……」
菜々美さんが何か期待するような目を俺に向けてくるが、俺はそれを意図的に無視する。
別にこの泉の効能とかを疑ってるわけじゃないけど、自分の気持ちもはっきりしていない俺が飲んでいいのか分からないからだ。
それに……やっぱりゆずのことが心配だ。
そろそろゆず達の番じゃないか?
色屋はちゃんとゆずを守ってくれるだろうか?
いや、そもそも色屋がストーカーだったら、意味が……。
「司くん」
「あ、すみません、今晩で修学旅行も終わっちゃうと思うと、なんか寂しく――」
「私じゃなくて、並木ちゃんと一緒に来たかった?」
「――っ、な、なに言ってるんですか!? 俺は……」
「だって、なんだか元気がないから」
「それは、体験講習で疲れてて……」
「ウソ。だって、今の司くんの表情は疲れてないもん……ずっと誰かを心配してる表情をしてるから」
「……」
なんですぐに分かったんだ。
なんて言わない。
簡単だ。
ゆずなら心配いらないと思い込もうとしていただけだからだ。
実際は菜々美さんに見破られるくらい顔に出ているようだけど。
「司くん、もう一か月経つけれど、並木ちゃんへの答えは決まった?」
「……ゆずに好かれているのは純粋に嬉しいです」
「――っ、なら……」
「けど俺自身がゆずに人としての好感は持っていても、異性に対する好意を持っているのかが分からないんです」
俺はゆずに対する気持ちに明確な答えを示せるのか分からない。
好きか嫌いかで言えば好きに偏る。
でもそれが恋愛感情だとはっきり言える自信がない。
「それって、付き合ってから考えると遅いの?」
「……自分の気持ちが分かっていないのに付き合っても、意味が無いですよ」
「司くんの恋愛の価値観ってこと?」
「……はい」
片想いからの交際をして幸せでいられるのは最初の時だけで、時間が経てば自然と気持ちが冷めてしまう。
いくら好きな相手と居ても、相手の好意が自分に向かないとわかってしまえば辛いだけだからだ。
「……何かあったからなの?」
「はは、菜々美さんにはお見通しか……」
女の勘って怖いな。
俺は菜々美さんの家庭の話や彼女の自尊心の低さの理由を教えてもらったことがある。
なら、今度は俺の番かもしれないな。
「中学二年の時です。俺に初めて彼女が出来たんです」
「……ん? え? か、かのじょ?」
菜々美さんはポカンとした。
「彼女です」
「彼女って、つまり、司くんに告白して、付き合った子ってこと!?」
それ以外の彼女という関係があったらこっちが知りたいわ。
「……そうです」
「え、そ、それじゃ、司くんには、彼女がいるの?」
そんな絶望の表情をしないでください。
なんで唖喰と戦ってる時より絶望度が高いんだ。
「正確には元カノです。今はいないですよ」
「そ、そっかぁ! うんうん、それで!?」
一気に希望に満ち溢れるなよ。
感情の起伏が激し過ぎて見てて飽きないな。
「えっと、その子に告白された俺は、当然舞い上がってその場でオーケーの返事をして、付き合うことになりました」
「舞い上がってってことは、司くんはその子のことをなんとも思っていなかったってこと?」
「クラス替えで隣の席になって、話すようになったんですけど……俺はあの子のことを友達くらいの認識でした」
顔立ちで言えば、ゆずや菜々美さんに勝るとも劣らないくらいの美少女だ。
朗らかに笑い、誰とでも分け隔てなく接することの出来る人当たりの良い性格。
品行方正という言葉を体現したような女の子だった。
いつからか、俺と鈴花と彼女の三人は……今の俺とゆず達みたいに仲良くなって過ごしていた。
そしてクラス替えから一月が経った頃……。
『私、つー君のことが、好きです! 付き合ってください!』
絵にかいたような器量と性格の良い女の子に好意を向けられて舞い上がるなというほうが無茶だ。
交際の返事自体はその場で了承したけど、彼女にどうして俺のことを好きになったかの理由を尋ねた。
『だって、つー君は私のことを〝可愛い〟からとかよりも、普通に一人の女の子として接してくれるから……』
この頃はまだ自分のジゴロ癖を自覚していなかった俺は、〝そんな理由で?〟なんて思った。
当然、俺は彼女のことを友達以上として認識していなかった。
でも彼女と付き合って、もっと知っていけばきっと好きになれるとも思っていた。
当然、当時クラスどころか学年で人気者だった彼女の彼氏となった俺に対して色んなやっかみがあった。
『つー君は本当に魔法少女が好きなんだね』
俺の魔法少女オタクの趣味にも引くことなく、むしろノリノリで付き合ってくれた彼女とは良好な恋人関係を築けていた。
『ねえ、つー君は、私のこと、好き?』
『え、どうして急に?』
『だって、一度もつー君から好きだって聞いたことないもん』
『そ、それって、なんか男の方から言うの恥ずかしいし……』
『じゃあ、恥ずかしくなくなるまで待ってあげる』
『……ありがと』
時折、彼女からそんな風に自分のことが好きなのか尋ねられる時があった。
その度に彼女に対する気持ちを確かめていた。
一緒に居て楽しい。
ふと彼女の声が聴きたい時がある。
ちゃんと彼女に惹かれていたんだ。
そうして付き合って半年が経った頃。
俺が現在の恋愛価値観を持つに至った出来事が起きた。
それは、先生に頼まれた用事を済ませて、玄関の前で待っているであろう彼女の元へ向かっていた時だった。
玄関先で彼女が誰かと口論をしていた。
珍しいと思って、半年も付き合っていたのに、俺は彼女が誰かと口論する姿を見たことがなかった。
そんな数少ない彼女の怒りを見せる相手が誰かと気になって見たら……。
彼女が口論していた相手は鈴花で、丁度彼女が鈴花に平手打ちを食らわせた。
その瞬間、俺は二人の間に立ち塞がった。
鈴花を庇うようにして。
二人が口論をしていた理由を知らない俺は、彼女にどうして鈴花を殴ったのか声を荒げて問い詰めた。
明らかな動揺を見せる彼女は、ゆっくりと理由を話した。
『だって、つー君は私の彼氏なのに、すずちゃんはそんなことお構いなしみたいな顔して仲良くしてて、つー君が取られちゃうんじゃないかって思って、これ以上私のつー君に近づかないでって……』
『だからって、なにも殴ることないだろ!?』
『――っ、つ、つー君もつー君だよ! 私と付き合ってもすずちゃんと遊んだりするし、どうしてすずちゃんを庇うの!? つー君は私の彼氏でしょ!? だったら私の味方で――』
鈴花の次は俺との口論になった。
彼女は彼氏である俺が自分を責めるのに納得がいかなかったようで、俺に反論した。
鈴花に謝らないことに怒り心頭だった俺は、決定的な言葉を言い放った。
『勝手に怒って鈴花を殴るような奴は彼女でもなんでもねえよ! 大体元から好きでもなんでもなかったんだ!!』
『――ぇ』
『――あ、いや、今のは……』
友達が殴られたことでカッとなって湧いてきた怒りの感情に任せて、俺は彼女との過ごした時間を、彼女の気持ちを、好きになりかけていた自分の気持ちも、何もかもを否定してしまった。
愕然とした表情の彼女を見て、自分の失言に気付くも、既に手遅れだった。
『……変だと思ってたよ。つー君はいつまで経ってもデートに誘ってくれないし、キスもしないし、私のことを好きって言ってくれなくて、私が彼女なのにすずちゃんと仲良くしてるし……』
『いや、美沙、今のは、ちが――』
『全部、全部、私の一方的な片想いだったんだ……私なんて、何とも思ってなかったんだ……!』
『美沙!』
そのまま彼女は走り去り、その瞬間、俺と彼女――舞川美沙との関係は破局した。
「あの時、俺は本来なら彼女の言う通り、恋人の味方をするべきだったかもしれません。でも美沙への気持ちが固まってなかった俺に、鈴花を庇わない選択はありませんでした」
「……」
「それからは、美沙とは一切話さなくなりました。こっちが謝ろうと電話しても着否されるぐらいの避けられっぷりでしたし、高校も別になりました。今じゃ何をしてるのかとか全く知りません」
鈴花との交遊もばったり途絶えたと本人から聞いた。
「美沙への気持ちをもっとはっきりさせておけば、彼女を傷付けることもなかったと後悔した俺は、自分の気持ちを判断するまでは誰の告白も受けないと決めたんです」
別れるにしても、もっと彼女の心情を気遣った言い方をすればよかったのに、自分の気持ちが固まっていないばかりに、彼女の想いを傷付けた。
これが俺の犯した間違いだ。
そうして話を一通り聞き終えた菜々美さんは、真剣な面持ちを崩さないまま、続けて聞いてきた。
「司くんの過去の失敗はよく分かったよ……司君が恋愛に臆病なところもそれが原因なんだね」
「臆病……まぁ、はい。そうです」
「じゃあ、並木ちゃんを心配する理由はなに?」
菜々美さんの目は、聞き出すまで絶対に避かないという意思が見えた。
……もうここまで来たら、菜々美さんにもゆずのストーカーことを話そう。
俺は観念して、菜々美さんにゆずのストーカーの話、ペア決めの時の作戦を打ち明けた。
ゆずにストーカーがいることに驚いた菜々美さんだったが、ペア決めの話をし終えると、顔を俯かせた。
「えっと、菜々美s――」
やっぱり傷付けたかと不安になって菜々美さんに声を掛けたが、彼女の名前を言い切る前に、遮られた。
話しかけようとした菜々美さん本人からの平手打ちで以って。
彼女の細い手から受けたビンタは、俺の左頬に真っ赤な紅葉を作った。
じんじんと熱を放っている頬の痛みに俺は茫然とするしかなかった。
「……司くんは、並木ちゃんが危ない目に遭うかもしれないっていうのに、ペアを組めなかったら私が悲しむからってストーカーのことを黙っていたの?」
右手を振り吹いた姿勢のまま、菜々美さんが怒気を孕んだ声でそう訊ねた。
「――はい」
「……に、……ぃ」
「え?」
「何それ、バカなんじゃない!!?」
初めてみる菜々美さんの怒る姿に、唖然としている内に、彼女はどんどん捲し立てる。
「私が悲しむからって何!? そりゃ確かに司くんとペアになれて嬉しかったよ!? でも、そんな事情があるのなら、どうして言ってくれなかったの!?」
「っ、それは、さっきから言ってるように菜々美さんを傷付けたくなくて――」
「価値観の話からずぅぅっっっと思っていたけれど、私達のこと傷付けたくないっていうそれは、完全に君のエゴだよ!」
「――エゴ?」
俺が、菜々美さん達の心情を気遣うのがエゴだっていうのか?
「そう、エゴだよ。全く気にしない人よりマシだけど、気にし過ぎるのも毒だって気付かないの!? 私達は常に司くんに気遣ってもらわないといけないガラス細工じゃないし、か弱くもない! 君から見れば私達ってそんなに頼りなく見えるの!?」
「そん、なことは……」
強く否定できない。
心臓を鷲掴みにされたみたいに胸の奥が締め付けられる感覚に、俺は顔を俯かせた。
菜々美さんの言う通り、俺は彼女達を傷付けたくない一心で色々考えて行動してきた。
けれどそんな風にどっちも傷付けないようにしていく中で、ゆずと菜々美さんのどちらを優先するか迷ってしまった。
そんな迷いを抱えた理由を菜々美さんから指摘されて、俺は口では魔導士だから大丈夫だの、好意を寄せられているのに明確な答えを見出だせない等と言っておきながら、無意識に二人を特別扱いし過ぎていたと、突き付けられた。
つまり、俺は二人の心の傷を付けたくない自己的な面に目を向けてばかりで、二人の心の強さに全く目を向けていなかったということに他ならなかった。
「……」
傷付けたくないなんて思っておきながら、自分が気付いていない内に二人を傷付けたていたかもしれないと自覚すると、足元が崩れたような感覚がした。
「私が知ってる司くんは、相手の顔色を窺うような人じゃないよ」
「え?」
菜々美さんから発せられた言葉に反応して、顔を上げる。
「私達が落ち込んでいたら一生懸命に励まして、悩んでいたら気に掛けてくれて、後のことなんて二の次でずっとずっとどうすれば私達の助けになるのかを考えられる人なんだよ」
それは、菜々美さんが今まで見て来た竜胆司という人間の人物像だ。
そういえば、ゆずと友達になってない時にも鈴花に似たようなことを言われたと思い出して、あの時と同じようなことで悩んでいたと自覚して思わず失笑する。
「これまでもこれからも何度だって傷付くことがあると思う。でも踏まれた稲がたくましく育つみたいに、何度も傷ついても諦めないから強くなっていけるんだよ」
「……」
「誰も傷付かない恋なんて絶対にない。そんな風に私が傷付くからなんて理由で並木ちゃんの危険と引き換えに手に入れたチャンスなんて、全然これぽっちも嬉しくない」
そう告げる菜々美さんの目には確かな葛藤があった。
そんな葛藤を振り切ろうと彼女はさらに続ける。
「司くんは恋愛を理屈で認識しすぎ。もっと感情の部分を信用して」
「理屈って……俺自身が相手に気持ちをはっきりと示せないと……」
「それが理屈だって言ってるの! 最初から両想いなのが恋愛における正解なんて誰が決めたの? そりゃそっちのほうが理想的だし、幸せだと思うけど、それだけが恋愛だっていうなら世界人口の七割が恋愛をしていないってことになるでしょ!!」
何を基準にした七割だ、無茶苦茶だな……。
でも一笑する気になれないのは、彼女が真剣に俺と向き合ってくれているからかもしれない。
「色々言って来たけれど、私が言いたいのは一つだけ!
不戦勝なんてご免です!!」
そう堂々と言い張る菜々美さんの表情は、いつの間にか怒りから、かつてないほど惚れ惚れとするような毅然としたものになっていた。
争奪対象に宣戦布告とか普通の恋愛じゃ絶対に聞かないような言葉に、俺の心は確かに動かされた。
後のことなんて二の次……途方もない未来じゃなくて、今だけを見る。
ああ、確かにそうだ。
初めて唖喰と魔導少女の戦いを見た時も魔導銃を使うって決めた時も、いつだって後のことをは考えす、その場の気持ちばっか優先してきた。
うじうじと悩んでいたことで出来ていた頭の中のモヤが晴れ渡るように散っていった。
今の俺が一番優先したいこと……そんなの決まってる。
「心配掛けてすみませんでした……菜々美さん。ゴールまで早く行きましょう」
「……今すぐじゃなくていいの?」
「人が変装したり用意した脅かし方でビビる人を一人で歩かせるほど薄情じゃないです。それに菜々美さんをゴールまで連れて行ったらちゃんと行きますよ」
俺がそう言うと菜々美さんはニコリと笑った。
「そっか、じゃあ早くあの子のところに行ってあげるためにもうかうかしてられないね」
「はい、それでお願いがあります」
「何かな?」
「また、抱えますんで、ゴールまで俺に身体強化術式を掛けてくれませんか?」
「あ、確かにそっちのほうが手っ取り早いね」
菜々美さんは頭に電球を浮かべそうなほど感心した様子だった。
予想と違った反応に俺はちょっとポカンとした。
「……嫌がらないんですね」
「流石に二回目だとそこまで動揺しないよ……それに、初めから嫌じゃないもん」
「――ぅ、じ、じゃあ行きますよ!」
「きゃっ!? ちょっと、いきなりは駄目だよ!?」
「すみません、お説教は諸々終わってからでお願いします!」
再び菜々美さんをお姫様抱っこで抱えた俺は、後半のコースを仕掛け役が反応する間もなく駆け出して行った。
ハーレム作品で元カノがいた主人公とか……。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次回更新は7月21日です。
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