61話 2-2組、柏木先生! 中編
教育実習二日目。
あくまで一教育実習生と一学生という体裁で接してきたこともあって、初日は質問タイムの騒がしさが嘘のように平穏な時間が続いていた。
柏木さんと映画を観に行った時の様子を目撃した佃から何か仕掛けてくるかと警戒していたけれど、別にそんなことはなかった。
ちょっと内心怖がりながらも佃に尋ねてみたところ「柏木先生可愛い」という風に、柏木さんに夢中になってて、映画の件は頭から抜け落ちていたようだった。
ただ……佃が今度の土日に〝カッパの王子とつり人Ⅳ〟を観に行くと言っていた。
おかしい。
佃が俺と柏木さんを目撃したのは、まさにその映画を佃が観に行った時のことだったはずだ。
いくら好きだと言っても二回も見るのかなんて思って「ゴールデンウィーク前に観に行っただろ?」って言うと……。
「やだなぁ、ゴールデンウィーク前には観に行ってないよ~」と答えた。
ここで一つ思い出したことがある。
魔導士・魔導少女達には相手の記憶を消去できる記憶処理術式というものがある。
これは唖喰と戦う魔導士の姿を目撃した人や、襲われた人の記憶を消すことで、精神の安定と魔導の秘匿性を維持を目的とした術式だ。
ただ、なんでも消せるわけじゃなくて、消せるのは唖喰や魔導関連の記憶だけだ。
以前ゆずが前任の日常指導係の記憶を消去した際、彼はゆずを魔導少女としてだけでなく、ゆずと過ごした時間そのものを忘れた。
ようはゆずと関連性のある出来事の記憶も消せるわけだ。
何が言いたいのかって言うと、その人が魔導士だっただけでなくその人のことすら忘れるということ。
佃が映画に行ったことを忘れているということは、柏木さんに関する記憶が消されたわけで……。
なんか考えるのが怖くなってきたからこの辺でやめておこう。
「さて、クラスのみんなをもっと知ってもらうために、柏木さんに出欠を取ってもらいましょうか」
「は、はい!」
さっちゃん先生が柏木にそう勧める。
出欠を確認することで、生徒の顔と名前を同時に覚えさせるというわけだ。
昨日は柏木さんは一日中授業風景を観るだけだったしな。
なお後ろからチラチラと視線を感じるせいで、俺は授業に集中しきれなかった。
教壇に立った柏木さんは、ノートに書かれている出席簿に目を通し、出席番号順に名前を呼んでいった。
ちなみに俺の苗字である〝竜胆〟は頭文字が〝り〟で、それより後の頭文字の人がいない。
だから必然的に出席番号順で名前を呼ぶと、このクラスでは一番最後になる。
「三十八番、的場海さん」
「はい」
「三十九番、向井勇仁さん」
「はい」
あ、次だ。
そう思った俺は柏木さんの声に耳を傾ける。
「四十番、竜胆司君」
「はい」
それまでと同じように、名前を呼ばれた後に返事をした。
「「「「「!!!?」」」」」
しかし、何故かゆずと鈴花を除いたクラスメイト達が一斉に俺を凝視し出した。
え?
何かおかしなことがあったか?
わけがわからず戸惑っていると、とある一人が挙手をした。
「すみません、柏木先生」
「えと、石谷さんだったよね、どうしたのかな?」
挙手したのは石谷だった。
一体なんだ?
そんな疑問は石谷の質問で吹き飛ぶことになった。
「なんで司を呼ぶときだけ〝君付け〟なんすか?」
「「「「――あ」」」」
俺とゆず、鈴花に柏木さんの声が揃った。
瞬間、その反応で何かを察した男子達から殺気立った視線を向けられた。
それに怯えつつ、俺は内心絶叫していた。
ああああああああ!
完璧に油断してたああああああ!!
柏木さんには初対面の頃から〝竜胆君〟って呼ばれてたから、なんの違和感もなかった!!
柏木さんはもちろん、ゆずも鈴花も同じようにやばいって表情をしてる。
関係者全滅だった。
そんな俺達の反応を見て、クラス中がざわめきだした。
男子は疑いの視線を、女子は好奇の視線を向けて来た。
男子は分かる。
ただでさえ俺はゆずのことで男子の妬みを買っているのに、柏木さんみたいな美人な人と実は親密な可能性があるならいつ殺されてもおかしくない。
でも女子はどういうことなんですかね?
信じられないっていうより、そうあって欲しいみたいな期待の眼差しはおかしいだろ。
しかも担任のさっちゃん先生まで。
あれか?
教育実習の大学生と実習先の生徒による禁断の関係がお望みなのかな?
柏木さんの好意が俺に向いてるからある意味正解だよ、チクショウ。
「え、ええと、それは……」
「ぐぐ、柏木先生が答えに困るようなやつなのか!?」
「困るっていうか、その……」
柏木さんは突然の事で混乱してて、上手く答えられないでいた。
ここは当事者でもある俺が助け舟を出すしかないな。
「き、昨日放課後に柏木先生に会って――」
「司に聞いてねえ! 俺は柏木先生に聞いてんだよ!!」
助け舟が沈められた!?
こいつ普段の質疑応答の経験から俺の回答を信じないつもりだな……。
毎度石谷達に質問攻めに遭って答えをはぐらかしてる俺にも原因はあるけど。
ともかく、今回は俺の意見を聞き入れないつもりのようだ。
「石谷に賛同するわけじゃないですけど、実際竜胆君とどんな関係なんですか?」
「ふえぇ!? ど、どんな関係って、その……」
委員長の質問に柏木さんは大きく狼狽した。
その反応になにかを感じ取った委員長はさらに追究をする。
「そのただならぬ反応……どうやら浅からぬ関係のようね……!」
「そ、そんなんじゃ……」
「では彼とどんな関係なのか、すぐに答えられるはずですよね?」
「う、うぅ~……」
自分の反応が答えになっていることに気付いていない柏木さんは両手で顔を覆った。
この人嘘でも俺の事を何とも思ってないって言いたくないとか、どんだけ俺の事が好きなんだよ。
そんな頑固な一途っぷりを見せられて俺はどうしろっていうんだ……。
というかさっきからゆずさんがもの凄いガン見してくるんですけど。
柏木さんの答えが気になるの?
それを知ってどうするんだろう……聞きたいけど聞きたくない。
「さ、さぁ、柏木さん……さっさとゲロッちゃいましょうよ!」
さっちゃん先生が女性が口端から垂れ流しちゃいけないものがだらだらと出ていた。
おいこら担任。
この騒動に乗っからずに止めろよ。
「アタシ知ってるよ?」
万事休すか……と思った時に、鈴花が挙手をしながらそう言った。
「え? 橘さん? 知っているとは?」
「柏木先生ってゆずの家の近所に住んでて、昨日アタシと司は放課後にゆずの家に遊びに行ったんだけど、その時にたまたま出会って、ちょっと仲良くなったの!」
「……本当? 並木さん?」
委員長が鈴花の答えの信憑性をゆずに訊ねた。
ゆずは少し思い出すような素振りを見せたあと……。
「はい、そのとおりです」
あっけらかんと答えた。
「なるほど~」
「そういうことですか……」
ゆずの答えはすぐに受け入れられ、柏木さんと俺の追究は止んだ。
確かに柏木さんはオリアム・マギ日本支部の居住区に住んでいる(家族には工藤さんと二人でルームシェアをしていると説明しているらしい)し、昨日も日本支部で柏木さんに会ったのも事実だ。
全くの嘘でもないから、ちゃんと受け入れられてよかった。
なんて安心していると……。
「てか橘の言葉通りなら司が並木さんの部屋に行ったってことだよな?」
「――あ」
石谷が余計なポイントを突いてきた。
次の瞬間、柏木さんに向いていた矛先が俺に切り替わったのは言うまでもない。
時間は経って放課後前のホームルーム。
さっちゃんから柏木さんが俺達にプレゼントがあると伝えられた。
「これから三週間を過ごす皆に、これを渡しておこうって思ったの」
そう言って柏木さんは大き目の籠を取り出した。
中にはなにやら赤いリボンで口を結ばれた包袋が入っていた。
「柏木先生、これは……?」
教壇に一番近い男子がそう尋ねると、柏木さんはにこりと微笑んだ。
それで何人か顔を赤らめたが、気付いていないのか口を開いて包袋の中身を答えた。
「この中にはみんなの為に焼いたクッキーが入ってるの。みんなの口に合うかは分からないけど、良かったら食べてね」
ああ、なるほどと、俺は思った。
昨日帰り間際に居住区の廊下に香ばしい香りがしたと思ったら、柏木さんが部屋でクッキーを焼いていたのか。
「「「「「おっっしゃああああああああ!!」」」」」
柏木さんの手作りクッキーを貰えるとあって、男子達は色めきたった。
そりゃ美人な人の手作りと聞いて喜ばない男はいないだろう。
いたとしたらそいつは宇宙人だ。
柏木さんが席を回って各生徒の机にクッキーの入った包袋を置いていき、放課後前のホームルームは終了した。
早速袋を開けて一口食べる人、鞄に大事にしまう人、それぞれの好きな方法で食べるようだ。
俺達も特に用事はないため、教室で食べることにした。
早速包袋の開け口を括っている青いリボンを解き、中身のクッキーを一口頬張る。
「おぉ~、美味いな!」
ビターなココア風味の味わいが口の中に広がった。
「昨日食べた市販のクッキーより美味しく感じますね」
「手作りって真心が込められているから、その分美味しくなってるんじゃない?」
「それ以前に柏木先生のお菓子作りのスキルが高いのが前提だろ」
「これがラノベだったら実は料理下手だったかもだけど、見た目通りの女子力の持ち主で良かった~」
そんなふうに柏木さん特製クッキーに舌鼓を打っていると、鈴花に左肩を叩かれた。
「なんだ?」
「司の分のクッキーを一口貰えないかなーって思って」
「自分のがあるだろ?」
「え~、そうだけどさ、なんか他の人が食べてるのって美味しそうに見えない?」
「まぁ、見えるっちゃ見えるけど……」
「だよねだよね? アタシのも一枚あげるし、交換ならいいでしょ?」
「……一個だけならな」
「やっり~」
鈴花といつものやりとりをして、互いのクッキーを交換する。
交換したクッキーを口に入れる。
「お、こっちはバター風味だ」
「司のはビタ―風味なのね……苦っ」
「いや美味いだろビター風味……」
「う~、アタシの袋の中のビター風味全部食べて~」
「はぁ? まぁくれるっていうならいいけど……」
鈴花は俺に自分の分の包袋を向けた。
俺はその中身を見て……ある違和感に気付いた。
「……あれ? 鈴花の袋の中にチョコ色のクッキーが無いぞ?」
「え? あ、ホントだ……」
「あ、私の分にもチョコ色のクッキーがありませんね」
「え?」
俺も自分の分の袋を見てみるが、俺の方はゆず達とは逆にチョコ色のビタ―クッキーだけだった。
ちょっと教室を見渡してみるが、クッキーを食べている人の手には、鈴花達と同じ色のクッキーしかなかった。
つまり、俺のクッキーだけ違う仕様になっている。
どういうことだ?
やがて鈴花が何かに気付いたようで、俺にある質問をしてきた。
「……そういえば司ってビターチョコとかブラックコーヒーとか、そういう苦みのあるのが好きなんだったよね?」
「あ、ああ、そうだけど……」
「……なるほど」
何がなるほどなんですかゆずさん?
いや、今は俺だけクッキーの種類が違う理由を考えることが優先だ。
「で、それがどうした?」
「アンタの好きな味について、柏木さんにいつ教えたか覚えてる?」
「俺の好みを柏木さんに? 確か前に二人で喫茶店に――あ」
「うっわぁ、絶対それだよ……」
「?」
俺が記憶を掘り起こす途中で原因に辿り着き、俺は唖然と、鈴花は呆れたような反応をした。
ゆずはなんのことか全く察しがついていないようで、きょとんとしていた。
俺だけクッキーの味が違う理由……前にゆずとの距離の取り方を柏木さんに相談したとき、常連となった<魔法の憩い場>で、いつも頼んでいるメニューの詳細を話したことがあった。
その時に俺の好みの味を教えたら、柏木さんはスマホに何か打ち込んだんだけど……。
「あの時に俺の好みの味をメモして、このタイミングで披露したってことか……!」
無駄に高い恋愛戦略にかなりドキドキした。
顔に熱が集まってきた……。
「……つまり柏木さんは司君の好みの味を知っていて、それに合わせるために司君のクッキーだけが違う味になっているということですか……そうですか……ふぅ~ん……」
遅れて答えに辿り着いたゆずがジト目を俺の手にある包袋に向け、機嫌の悪さを隠さずにそう告げた。
無自覚に俺に好意を向けるゆずさんは、柏木さんに出し抜かれたことが大層お気に召さないらしい。
あ、一気に身体が冷えた。
これ早くなんとかしないと修羅場が起きる。
「そ、それより、どうやってたった一袋しかないビター風味をピンポイントで司に渡せたの?」
「……そうですね、一見包袋に何か区別が付くように細工されているようには思えませんが、きっと柏木さんにだけ分かる何かがあるのでしょう」
鈴花が咄嗟に話題を逸らしたことで、ゆずさんの不満がちょっとマシになった。
サンキュー。
「それだけど、さっきみんなのクッキーを見た時に解ったぞ」
「え、マジで?」
「答えは……これだ」
「これは……包袋の開け口を括っていたリボンですか?」
そう、ゆずの言う通り俺が二人に見せたのは包袋の開け口に巻かれていた青いリボンだ。
「あ! 司のリボンだけ青い!」
「そうだ。鈴花達と他の人達のは赤いリボンなのに、俺だけリボンの色が青なんだよ。これならあまり目に入らないし、見わけも付く」
「ちょっと待って、柏木さんかなり本気じゃない!?」
「クッキー一つに懸ける情熱が私にも伝わりました……」
柏木さんのあまりの熱意に俺達三人は戦慄した。
俺がいるだけで教育実習先を羽根牧高校に選んだり、謎の強運で俺のいる2-2組に来たり、こうやってたった一人のために別種類のクッキーを焼いて来たり……。
あの人俺のこと好き過ぎだろ。
愛が重い。
一男子高校生には重すぎるよ。
何とも言えない気持ちを抱えたまま、教育実習二日目は幕を閉じた。
ゆず「なんだかイライラします……」
ここまで読んでくださってありがとうございます!
次回更新は明日です。
面白いと思って頂けたらいつでも感想&評価をどうぞ!




