311話 後輩と一緒
「さぁさぁルシェアちゃん、どんどん食べてね~」
「あ、ありがとうございます……」
母さんが箸で掴んだ牛肉をルシェちゃんの取り皿へ次々と放り込んでいく。
増えていく肉や野菜に対し、彼女は恐縮しきった様子でまだ少しぎこちない。
とうとうルシェちゃんの存在が両親にバレてしまい、新たな嫁候補に二人は大いに興奮していた。
いつどこでどういう風に知り合い、仲を深めていったのかと矢継ぎ早に飛んで来る質問を躱すのにどれだけ気力を削がれただろうか……。
そしてせっかくだからと夕食に誘い出したものの、ルシェちゃん一度は申し訳ないと断った。
だがあの竜胆夫妻がただで引き下がるはずもなく、熱烈というか非常にしつこく誘い続けたため、結局食卓を共にすることになったのである。
普段は面倒くさがってやらないすき焼きをしているあたり、外国人のルシェちゃんの関心を引こうと必死なのが見て取れた。
そんなことをしなくても、彼女は他の男に目移りしそうにないんだが……。
自分でそう確信している分、何だか余計に恥ずかしくなって来た。
そうして夕食を終え、ルシェちゃんと翡翠は揃って風呂に入って行った。
なお、着替えは当然のように俺の服を渡されていた……いつの間に渡したんだよ……。
「いやぁ~あんな可愛い後輩がいたとは、すっかりハーレム築いているようで安心したぞ」
父さんがやたらにやけた面持ちで意味不明なこと言って来るが、言葉通りにハーレムを選択しただけに何も言い返せなかった。
いつまでも隠せるとは思っていないが、知られた時の反応を思うと恐怖すら感じる。
「……ハーレムって言っても、鈴花は違うし」
「……鈴花ちゃんのことは、まぁ青春時代のほろ苦い思い出になったと割り切るしかないだろ」
「は?」
どうせバレてるだろうと鈴花の件を遠回しに告げると、やっぱり知っていたようだ。
ただ、珍しく大人しい反応に訝しく思ってしまうのは、日頃の行いのせいだろう。
それを抜きにしても、恋愛脳の父さんらしくないとも思った。
「……悠大さんみたいになんで告白を受けなかったとか言わないのかよ?」
「言ったところで意味など無いさ。司が選んで、鈴花ちゃんが受け入れたんならそれでいいじゃないか。母さんだって同じ気持ちだよ」
「……」
たった数分で親にここまで驚かされるなんて思ってもみなかった。
鈴花の告白を断るなんて何を考えてるんだ、くらい言われると予想して身構えていたのに、とんだ肩透かしを食らった気分だ。
恋愛脳だからといって、既に決着の着いた恋にまで首を突っ込むつもりはないってことか。
今まで抱いていた両親に対する偏見を改める必要がありそうだ。
そう感心していると父さんは優しい笑みを浮かべて……。
「まっ、ぶっちゃけ失恋の様相を知れただけでも父さん達のお腹は一杯だがな!」
「人の感動を返せ」
なに良い顔でドクズなセリフを口走ってんだ。
あの出来事をそんな物見遊山的な一言で片付けられると、腹立たしさしか感じなかったのは言うまでもない。
=====
「お風呂お先でしたー!」
「るーちゃんとのお風呂、とっても楽しかったです!」
やがて先に風呂に入っていた二人が戻って来た。
翡翠は自前だが、ルシェちゃんの来ているスウェットは俺の物なので、袖が完全に余っている。
温まったことでほんのりと赤い頬と合わさって、何だか色っぽく見える気が……っていかんいかん!
「それは良かったわ~。じゃ、司。美少女達の出し汁が染み込んだお風呂に入って来なさい」
「なんでわざわざいかがわしい言い回しをするんだよ。それを聞いて喜んで入ったら変態じゃねぇか」
「いかがわしいと認識している時点で意識はしているわけか。ちゃんと健全に育って何よりだ」
「何に安心してんだ。つーか発言の揚げ足を取んなよ」
こっちは平静を保とうと必死なんだから余計な茶々を入れるな!
そんな健全という名の下心は今すぐゴミ箱に捨てたい。
シャワーで済まそう、意地でもシャワーだけで終わらす。
絶っっ対湯船の湯は一滴たりとも使ってやるもんか!
「えと、ボクが先に入るのはダメでしたか?」
「違う違う。親が悪ノリしてるだけで、ルシェちゃんは何一つ悪くないよ」
「あ、そうでしたか……。てっきりツカサ先輩はボク達が入った後が嫌なのかなって勘違いしちゃいました」
「まさか。順番を気にするほど神経質じゃないって」
不安気なルシェちゃんを安心させるために返すと、胸を撫で下ろして安堵してくれた。
ひとまずそこで会話を切り上げ、服を脱いでシャワーを浴びる。
熱めの湯で徐々に体が火照っていくのを感じながら、改めて思考を張り巡らせていく。
ルシェちゃんや家族の手前平静を装ったが、正直なところ意識し過ぎたら俺の理性が保つか分からないだけだ。
特に彼女とは一度関係を持った仲だし、菜々美やアリエルさんも俺が求めれば多少恥ずかしがっても拒否はしない気がする。
そう理解しているからこそ、ゆず達を受け入れると決めた今はそういった行為に細心の注意を払わないといけない。
「……ふぅ」
考えている内に髪と体を洗い終えていた。
このまま浴びていてものぼせるだけ、なのでシャワーを止めて浴室を出る。
湯舟に残る誘惑は、不思議と気にならなかった。
=====
「──で? 理由は訊かせてもらえるのか?」
「は、はい……」
風呂から上がって自分の部屋に行くと、早々に頭を抱えたくなる事態が待っていた。
夕食の間に両親からの下世話な提案をなんとかはね退けて、ルシェちゃんは翡翠の部屋で寝ることになったはずだ。
だというのに、彼女は何故か俺の部屋にいた。
ボールを躱したと思ったら壁で跳ね返って背中に食らった気分だ。
これじゃなんのために回避したのか分からない。
まぁおおよその見当はつくが。
「ヒスイちゃんから今日だけ添い寝の権利を譲るって言われまして……」
「誘惑に負けました、と。確かに翡翠と一緒に寝る時もあるけど……」
そんなこったろうと思ったよ。
二日に一回の頻度で希望する添い寝を譲るってことは、やっぱりあの間に俺を独占しているのは理解してたんだな。
俺がどうこうするまでもなく、彼女達の間でそういった譲り合いがあるのはありがたいけどね。
「まぁ、来ちゃったもんは仕方ないし、どうせベッドを譲ってもこっちの布団に来るんだろ?」
「え、どうしてわかったんですか?」
「経験則」
「あぁ……」
たった一言で俺が言わんとする事が伝わったようで、ルシェちゃんは恥ずかし気に苦笑した。
寝る時間にはまだ早い為、俺達は互いの肩が触れる近さでベッドの上で座る。
すぐ隣にいるルシェちゃんから風呂上がり特有の甘い香りが漂う。
翡翠や母さんと同じシャンプーやボディソープを使ってるはずなのに、どうしてこうも違うのだろうか。
加えて再度言及するが、ルシェちゃんが着ているのは俺のスウェットだ。
彼女の体とは比べるまでもなく大きいため、袖は余ってるわ襟から鎖骨が露になってるわで色んな意味で目のやりどころに困る。
実際、身長差も手伝って少し視線を落とせば意外に大きめな胸元がチラチラと見えてるし……。
いかんいかん、さっき自分で耐えるって決めたのにもう揺らぎかけてる。
慌てて視線を逸らして気持ちを抑えていると、隣のルシェちゃんから小さく笑い声が聞こえた。
「……なんで笑ってるんだ?」
「えへへ、ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にしているはずなのに、全く誠意を感じられないばかりか悪戯な笑みを浮かべ出して……。
「──ツカサ先輩のエッチ」
「──ッブ!?」
言外に視線に気付いていたと言われ、思わず吹き出してしまう。
マジかぁ~バレてたのか~……。
動揺を隠せない俺に対し、ルシェちゃんは肩に頭を寄せて続ける。
「ツカサ先輩の目を見てればどこを向いてるかくらい簡単にわかりましたよ?」
「……以後気をつけます」
「別に責めてませんよ。その、ちゃんとボクを意識してくれてるってことですからむしろ嬉しいくらいです」
「違う意味で心臓に悪い事言わないでくれません……?」
こんな可愛いことをいつの間に言うようになったんだ。
由乃か?
アイツが何か吹き込んだのか?
真顔でピースサインを決める後輩を浮かべるも、ルシェちゃんとの会話に思考が傾いていく。
「前にこの部屋に来た時は、色々ありましたね」
「あれを色々で済ませて良いのかはともかく、まぁそうだな」
美沙のことで自暴自棄になった俺を、心と体の両方を使って立ち直らせてくれたしな。
あの夜のことを思い出し、鼓動の音がさらに大きくなった気がする。
本当に、色々あったなぁ……。
「ツカサ先輩」
「ん?」
不意にルシェちゃんに呼ばれた。
なんだろうかと目を合わせると、彼女は頬を赤くしながら視線を右往左往させ、やがてこちらの耳元に顔を寄せ……。
「も、もししたくなったら、言って下さいね? 今日は大丈夫な日ですから……」
「~~っ!」
なんとも魅惑的な発言に、骨にまで達したような衝撃を受ける。
……俺の覚悟を率先して台無しにしようとしないで欲しい。
したいかしたくないかで言えばしたいですよ、えぇ俺だって男ですから!
でも今、翡翠や両親が家にいるから誘いに乗るわけにはいかない。
湧き上がる欲を塞き止めるべく深呼吸を繰り返し、お仕置きのためにルシェちゃんの額にデコピンをかます。
「いたっ」
「さっき人をエッチだとか言った口からなんてことを言うんだ。聞き方を変えればそっちが期待してるようにしか聞こえないぞ」
「ふえぇ!?」
全くそんな風には思っていないが、敢えて告げるとルシェちゃんはリンゴのように顔を赤くして目を丸くした。
不謹慎だが可愛いと思ってしまったのは仕方がない。
「ちちち、違いますから! 男の人の我慢は良くないって聞いたので、ツカサ先輩は大丈夫かなって思っただけなので……」
「誰だよそんな人を性欲の権化みたいに言ったのは」
「アリエル様が──」
「あぁもうあの人は~~……」
今度はテヘペロフェイスの悪戯好きお嬢様が浮かんで来て頭を抱える。
そういやあの人もよく言ってたなそんなこと!
どいつもこいつも純真なルシェちゃんを穢さないで欲しい。
「ルシェちゃん。アリエルさんの言ったことは忘れてくれ」
「え、でも──」
「いいから! 頼むからそのままの君でいてくれ!!」
「は、はい……」
何故か顔を赤らめたまま、顔を俯かせたルシェちゃんは頷いた。
なんかさらっと口走った気がするが、後でアリエルさんにどう説教したものか考える今では気にしていられない。
「気持ちは嬉しいけど、まだ学生の内であまりそういったことはしたくない」
「……ツカサ先輩って、ご両親の性格に反して貞操観念が若干古臭いですよね」
「ちょっと言い方が引っ掛かるけど無責任でいるよりずっとマシだと主張したい。じゃなくて、責任は取るって決めてるし決して嫌なわけじゃないけど、ちゃんと皆を支えられるだけの甲斐性がないってこと」
どう言われようがここだけは曲げられないと言うと、ルシェちゃんはキョトンと呆けた。
「あの、お金でしたらボク達五人で一生分に届くでしょうし、何よりアリエル様が出し惜しみしないと思うんですけど……」
「男の意地! せめてものプライドを汲んでくれ! 俺だってそのことは十分解ってる上で言ってるんだから!」
何一つ間違ってないだけにそう言い張るしかない。
アリエルさんなら十中八九、六人で暮らすための住居とか建て兼ねないぞ。
それを差し引いてもなお、ゆずを初めとした魔導少女達の財力は俺が一生働いても届かない額を誇っている。
だけど、それとこれとは別だ。
「その、ゆずの答えだってまだ決まってないし、あの時みたいに流されるのは避けたいんだ。ちゃんと、自分の意志で、向き合いたい……」
途切れ途切れだし、結局のところちっぽけなプライドを優先した物言いだった。
美沙や鈴花からの想いを経て、ようやく掴めそうな手を軽率な行動で離す真似だけはしたくないだけ。
つまらないと切り捨てられようが、決して曲げられない意地でもある。
「……」
その気持ちを伝えたルシェちゃんは、一笑に伏すでもなく、失望した様子もなく、ただ静かに聞き入れてくれた。
その証拠と言うべきだろうか、彼女はゆっくりと右手を俺の頭に乗せて撫で始めた。
柔らかい掌の感触が伝わって、無性にこそばい。
「ルシェちゃん?」
「ツカサ先輩って本当に『男の子』ですね」
「……」
馬鹿にしているわけじゃないのは解った。
純粋に俺の意志を尊重してくれているのが言葉の端から伝わったからだ。
なおも手の動きを止めないまま、ルシェちゃんは続ける。
「だから、大好きなんですよ」
「……サンキュ」
どうにも恥ずかしさが勝って、少しぶっきらぼうに返してしまう。
けれども彼女は不快に思うどころか笑みを輝かせるだけだった。
照れ隠しだってバレてら……。
改めて、ルシェちゃんと目を合わせる。
青空のように澄んだ瞳は飽きる事のない美しさを魅せていて、自然と顔が寄せられていく。
この行動の先が何なのかは彼女も分かっているのだろう、特に抵抗されることもなく、互いの唇が合わさった。
ただ触れるだけの軽いキスを何度も繰り返す。
一回じゃ足りない、きっと百回でも足りない。
互いが互いを求めて止まず、少しでも気を緩めてしまえば先の行為すら行き着きそうだ。
惜しい気持ちが隠し切れそうにない。
実際、ルシェちゃんの瞳はせがむように潤いを帯びている。
頭の中を様々な甘言が駆け巡っていくが、ガラス細工を落とさないようにそっと彼女から顔を離す。
「ん、ふぅ……」
なんとも心を擽る甘い吐息が鼓膜を通して脳髄に響かせて来た。
それでも誘惑に負けることなく、数秒だけ目を閉じて昂る気持ちを押し込める。
「今日はここまで、な?」
「……いじわる」
「──ふ」
さっきまで重ねていた唇を突き出して、彼女がジト目で不満を露にする。
男性恐怖症を抱えているとはとても思えないその言動に、堪らず吹き出して笑ってしまう。
自分の気持ちをハッキリと自覚したとあって、驚く程積極的になったものだ。
そんな自らの変わりようを他人事のように感じつつ、同じベッドでルシェちゃんと寝入るのだった……。
次回は1月13日に更新します!
追記→ちょっと厳しいです……13日中に更新出来るようにしますが、遅くなりそうです……申し訳ございません。




