303話 交わらない気持ち
──鈴花が、初めて会った頃から俺のことを好きだって?
告白されたことに対する歓喜よりも、信じられないという気持ちが強かった。
今、キチンと呼吸出来ているのかもすら自覚できない程の衝撃が胸中に渦巻く程に。
だって俺と彼女はもう長い間一緒に過ごしてきたんだ。
一時の気の迷いか、冗談なのではないかと勘繰ってしまう。
だけど、真っ正面から向けられる眼差しに虚実は一切感じられない。
それどころか、俺の返答を待ちわびているかのように瞳を震わせている。
「なん、で……今なんだ?」
動揺してまとまらない思考を必死に動かして、何とか絞り出した返答がそれだった。
それを聞いた鈴花は申し訳ないという面持ちを浮かべる。
「今じゃなきゃ伝えられなかったから……じゃだめ?」
「ダメってことはない、けど……」
「ゆず達の返事に迷ってるのに余計なことしてるのは悪いと思ってるわよ」
「いや、迷ってるのは俺の問題だから鈴花が謝ることはないって……」
告白した後なのに、酷く冷静な鈴花の態度に違和感を懐く。
言動の端に諦念が垣間見えた気がしたからだ。
そもそも、俺達が初めて会ったのは八年以上も前になる。
鈴花はその時からずっと俺に恋をし続けて来たっていうのか?
ずっと近くにいたのに、全くそんな素振りを見せたことがなかった。
ゆず達のことで俺が煮え切らない態度を取るといつも叱ってくれたことも、落ち込んでいる時に傍で支えてくれたことも、全部恋愛感情ありきだとしたら?
その間、一体何度彼女を傷付けて来た?
鈴花は……何度その痛みに耐えて来たんだ?
そう考えるや否や、背筋を引き裂かれると錯覚しそうな程に強烈な悪寒が走る。
知らなかった、なんて言葉で済まして良い事じゃない。
ある意味でゆず達からの告白に対する返事を保留する以上のことを、大事な友達に強いて来たのだから。
だったら……どうしても拭えない疑問がある。
それは……。
「なんで、俺のことを好きなのに、美沙やゆず達と付き合わせようとしたんだ?」
鈴花の好意が本物だと分かった今、一番疑問に感じる部分がそこだった。
誰だって好きな人と結ばれたいと願うはずなのに、そんな自分から望みを捨てるような真似をするなんて正気じゃないとすら思える。
いや、違う。
それは俺も同じだ。
ゆず達からの好意に答えを出せず、待たせ続けることに罪悪感すら覚えて、断った方が良いと考えてたことが何度もあった。
鈴花は俺に対してそれを実行しただけに過ぎないんだ。
現に……。
「アタシじゃ、司の彼女になれないからだよ」
「……」
疑問に対して、鈴花は切なげな眼差しを向けて返した。
返事は……出なかった。
竜胆司にとって橘鈴花は、幼い頃からの友達だから。
彼女を恋愛対象として意識していなかったからこそ、その想いを際限無く傷付けていった。
無知は罪だと、今にも泣きそうな目をしている友達を見てそう思い知らされる。
「それで──告白の返事は?」
「──っ!」
理由は十分だと言わんばかりに、告白の返答を求めて来た。
仮に了承の返事を口にして鈴花と付き合ったらどうなる?
まず、彼女の長年の恋心は間違いなく報われるだろう。
今までしたかったであろう、恋人らしい触れ合いをこれでもかと望むかもしれない。
そして何より、幸せになれるはずだ。
でもそれは、ゆずと、菜々美と、アリエルさんと、ルシェちゃんと、翡翠の気持ちを裏切る行為に等しい。
じゃあ彼女達の誰かを選ぶのか?
そうした場合、鈴花は長年抱き続けた恋に終止符を打つことが出来るだろう。
だけど……それは今まさに告白してくれた鈴花を傷付けることになる。
唐突に降って沸いた究極の選択に、目の前がまっくらに見える程の焦燥に駆られていく。
──ふざけんな。
真っ先に浮かんだのが怒りだった。
『──これから開かれる祭りの最終日、その日にキミは一人の少女に想いを告げられる。それを断った場合、キミは自らに想いを寄せる人物達に明確な答えを得るだろう。受けた場合は……キミはその少女との未来が約束されるだろう。──他の五人の想いを代償にね』
ファブレッタさんの占い……それはこの状況を指していたんだ。
あぁちくしょう、こんなのすぐに決められるわけないだろ。
絶対に乗せたくなかった天秤が、最悪のバランスで揺れている。
俺にとって、ゆず達はもちろん鈴花だって簡単に切り捨てられる存在じゃない。
なのに、鈴花の想いを断るかゆず達の想いを断るかの二択しかないなんてあんまりだろ。
いいや、現状に不満を抱く前に一番腹立たしいのは自分自身だ。
俺がもっとしっかりしていれば、鈴花の想いをここまで引き摺らせなかったかもしれない。
もしくは、彼女と恋人として日常を過ごすことだってあり得たはずだった。
女の子……いや人として極々当たり前の願いを絶ったのが、よりにもよってその想い人だなんて、あまりに残酷で度し難い所業だ。
袋小路に立ち塞がられて足を竦めて、どう進めばいいのか暗中模索な心境のまま、今この場で鈴花を傷付けないように必死に言葉を紡ごうと口を開く。
「か、考える!」
「え……?」
「今まで友達目線でしか見て来なかったからさ、鈴花のことをどう思っているのかちゃんと考えるから!」
また先延ばしだ。
でも、そんなに時間を掛けるつもりはない。
長くても一週間で出す。
だから……。
「だから、そんな諦めなくても──」
その考えは……。
「──いい加減にしてよっっ!!!!」
「──っ!?」
喉を傷めんばかりな金切り声と共に胸倉を掴んで繰り出された平手打ちによって、粉々に打ち砕かれた。
ヒリヒリと焼けるように痛む頬を押さえながら、恐る恐る鈴花の顔を窺った瞬間、自分の考えが如何に浅ましいものだったのかを実感させられる。
これまでも何度もケンカをして来た。
些細なことから彼女が魔導少女になった時や文化祭の時のように、人生を左右するような内容のものまで色々。
だけど、今の鈴花の表情は……。
──雷を彷彿とさせる激しい怒りを浮かべていた。
「何回も諦めようとしたのに、何回も期待させないでよ!!」
あぁ、まただ。
「友達だからって優しくするにも限度があるでしょ!? そうやって優しくされる度に嬉しくて幸せで仕方がなくて自分が特別なんだって思いたいのに、誰にでも同じことするからすぐに裏切るクセに!!」
また大事な子を傷付けてしまった。
「なんでアンタはいっつもそうなのよ!? 期待させるだけさせて後は知らんぷりとかヘタなナンパ男よりずっっと最低なことするクセに!!」
もう、悲しませたくないって思っていたのに。
「今だってゆず達に答えを出すってカッコつけておきながらまた保留して約束を破るクセに!! ほんっと信じられない!! バカじゃないの!?」
また同じ過ちを繰り返してしまった。
「人の気持ちも知らないでアタシがしたいデートの相談とか軽々しく相談して来る薄情者のクセに!!」
これだから俺は自分が嫌いなんだ。
溜めに溜め切った彼女の不満を受ける度に、自己嫌悪が募っていく。
それを耳を塞いで無視したり、大声を出して遮ったりないのは、せめてもの誠意だ。
そんなの、ただの自己満足でしかないことくらい、分かり切っている。
一頻り怒りを吐き出したことで、鈴花は肩を大きく揺らしながら息を整えていく。
だが、激しい呼吸に紛れて、隠し切れない泣き声が混じり出した。
「なのに……」
顔を上げた鈴花は目から滝のような大粒の涙を流して、歯を食いしばって続ける。
「全然……嫌いになれない……」
そのまま胸元に顔を押し付け、さっきの平手打ちに比べて弱々しい力で肩を殴って来る。
「毎朝顔を見る度にドキドキして、鈴花って呼ばれる度に嬉しくて、一緒に過ごす時間がずっと続いて欲しいって思ったり、告白して来た人と付き合おうかって考えても実行出来ないし、ゆず達と仲良さそうにしてると苛立ってばっかでずっと独り占めしていたくて、キスとかエッチなこととか全部全部取って置くくらい、アタシは司が好きで好きで堪らないんだよ……」
鈴花の言葉が、叩き付ける拳が、鋭利な刃物になって突き刺さって来る。
ずっと一途な好意に気付かなかった至らなさを責めていく。
「でも、アタシは司に女の子として見てもらってない……ねぇ、アタシの方がずっと一緒に居たのに、アタシの方がずっと前から好きだったのに、ゆず達とアタシは何が違うの? なんで? なんで……」
何も言えなかった。
泣いている鈴花に泣いて欲しくなくて、何か言わなきゃいけないのに、言葉が全く浮かんで来なくて……。
「鈴花は、何も悪くない。俺がしっかりしてれば……」
自分を責める言葉しか出てこない。
「っ、自虐すんなバカぁっ! アタシだってもっと早くこうしておけば……」
それでも鈴花は泣き止まないまま……。
「──美沙は死なずに済んだかも知れないのに」
「──っ!!」
心臓を潰すような鋭い痛みが胸に走る。
美沙との喧嘩別れの原因は自分にあると思っている言葉に、尚の事俺から言うことなんてなくなってしまった。
あれは元々二人が口論している際に、美沙が鈴花に平手打ちをした瞬間を目撃したことが発端だ。
なんでそうなっていたのかを全く知らなかったことを、今になって疑問に思うが美沙の言い分を思い返せば理解するのは難しくない。
──俺が自分の気持ちをハッキリさせなかったから。
結局行きつくのはそこだ。
煮え切らない態度が美沙を不安にさせて、鈴花をこうやって苦しめて……。
これが美沙の死や翡翠が抱えていた罪の意識を知る前だったら、折れていたと思える程に芯が曲がり切れそうになる。
だけど、ここでまた折れたらあの時のルシェちゃんの勇気や翡翠を幸せにする覚悟も無くなってしまう。
歯を食いしばって無理矢理にでも平静を保つように努める。
でも、鈴花は違った。
彼女は俺の胸元に預けていた頭を離して改めて顔を合わせる。
その瞳には依然として涙が流れ続けていて、鈴花が何度拭っても止まる気配が無い。
「もう司を好きで居続けるのに疲れたよ……好きなのにおかしいけどさ……でも、こんな辛くて苦しいの、ずっと耐えられないんだよ……だから、さっさと断ってよバカぁっ……!」
「断るって、そんなの──」
「っ、アタシが! 何年アンタのことだけ見て来たと思ってんの!? 今まで友達目線でしか見てなかったって、そういうことでしょ!!」
「──っ!」
人の気持ちを決めつけた物言いだが、その言葉に図星でしかないのは確かだった。
ずっと近くに居て、俺の気持ちを察していたからこそ鈴花は今まで告白をしなかったんだ。
そして同時に告白の理由をようやく察する。
──これは、俺の背中を押すためなんだと
自惚れだと思わなかった。
橘鈴花という女の子は、友達のために命懸けの戦いにだって飛び出せるやつだ。
彼女は、ゆず達の……友達の幸せのために俺に発破をかけていた。
フラれるためにずっと秘めていた気持ちを告白してまで。
なんだよ……それじゃ、仮に今告白を受け入れたって鈴花は認めないってことじゃねぇか。
一体、それだけの行動を起こすのにどれだけの勇気を振り絞ったのか計り知れない。
ここまでされて、いつまで迷っているつもりなんだよ俺は……っ!!
自分の馬鹿さ加減に何度呆れて来たか分からないけど、これが最上だと断言出来る。
動揺で渇いた喉を唾を飲み込んで潤せ、告白の返事をするために口を開く。
「鈴花……ゴメン。俺は、ゆず達を、選ぶ……!」
「──っ、っ、もっと、はやくいえ、ばか……」
苦渋の決断の末に紡いだ言葉は、今まで返した断りの返事の中で一番の重みを感じた。
涙が零れそうになるのを堪えて、目が痛い。
でもここで俺まで泣くわけにはいかないんだ。
時間を置けばそれだけ後悔が募る。
だから、足早に鈴花から背を向けて一歩踏み出す。
「──あのさ、鈴花」
だけど、もう一歩出る前に、ずっと傍に居てくれた友達に呼び掛ける。
一瞬『ゴメン』と口に出そうになったが、それを言ったところで彼女の心を余計に傷付けるだけだ。
だから、俺は……。
「──ありがとう」
「──っ」
誰よりも友達想いで、誰よりも親しんだ大事な子に感謝の言葉を贈る。
返事を聞く前に、俺は逸る気持ちのまま一気に駆け出した。
ゆず達の元へ……。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は11月18日に更新します。
面白いと思って頂けたら、下記より感想&評価をどーぞ!




