272話 天使からの祝福 前篇
司との対話を経て、ようやく停滞していた一歩を踏み出す決意を決めた翡翠は、深緑のフィットスーツに天使の羽と思わせるデザインの白いローブを羽織り、その手には美沙と同じ魔導武装である長棒が握られていた。
涙を拭って先とは打って変わって強い信念をその目に宿し、今もなお戦い続けるゆず達の元に赴こうとしていたのだ。
「……やっぱり行くのか?」
「──はいです。つっちーの家族になるかどうか決めるためにも、ひーちゃんはゆっちゃん達を助けるために唖喰と戦わないといけないから」
そう言いながらも足を震わせる様子を見せていては、司から不安気な眼差しを向けられるのも無理はなかった。
いくら内に秘めていた孤独が癒され始めようとも、唖喰に対する恐怖まで拭えたわけではないのだ。
家族になりたいと言ってくれたことは嬉しく、彼の両親も快諾してくれるのなら、実際迷うことは無いように思える。
だが、その前にまずはこの戦闘を終わらせる必要があった。
翡翠にとってゆず達も大切な存在だからこそ、彼女達と共に戦いたいと思って来たのだ。
いつまでも怖がってるわけにはないことに変わりはないが、今は司に支えられていると確かに実感出来る。
故に彼という芯を得た翡翠が出すのは、ほんの僅かな勇気だけ。
しかし、その勇気がまだ出し切れない自身に、やはり戦闘は無理なのかという不安が頭を過った時……。
「──翡翠」
「?」
「どうしても怖いなら、唖喰は倒さなくてもいいんだぞ」
「でも、唖喰を倒さないとゆっちゃん達の負担が減らないです……」
「あーいや、そうじゃなくてさ」
怯えが残る翡翠に無理をするなと声を掛けた司は、自分の言いたいことが伝わってないことを察すると、頬を人差し指で掻きながら続けて答えた。
「──何も、唖喰を倒すだけが戦いじゃないだろ?」
「え……?」
その言葉を聞いて、翡翠は目を見開いて呆ける。
「怪我人の治療、魔力が残り少ない魔導士に魔力譲渡、防御術式で唖喰の攻撃を防ぐ、ほら、唖喰を倒さなくてもこれだけ出来ればちゃんとゆず達の力になるだろ?」
「……」
何せ、司の言ったことはかつて美沙からも言われたことだったのだ。
自分の家族になりたいと言ったことといい、本当に二人はよく似ているなと妙な感心をする。
そこまで考えて、翡翠はあることに気付いた。
丁度美沙が司と同じことを言ったあの日……それまでどんなに彼女の力になりたいと言っても拒まれていたのに、唐突に戦闘以外でならいいと許可されたことに感じた疑問の正体に……。
──美沙と司はあの日に出会っていたのだと。
不思議とそうとしか思えないと確信している自分の心に、翡翠は何ら違和感はなかった。
むしろ、腑に落ちたことで奥底から嬉しさが溢れて来ていたのだ。
「──わたし、そんなにずっと前から、つっちーにも守られてたんだ……」
「翡翠?」
大好きな二人から救われて、守られていた……こんな奇跡があったのかと、歓喜に心を震わせる。
最後の勇気は……十分に出た。
「つっちー」
「ん?」
そう覚悟を決めた少女は、家族になりたいと言ってくれた姉の好きな人に笑みを向けて……。
「──行ってきますです!」
「……あぁ、無事に帰って来い。約束だ」
「うんっ!」
ゆず達がいる戦場へと転送術式を発動させてワープしていったのだった。
~~~~~
転送を終えた翡翠の視界には、日本支部前の静かな空気とは打って変わって異形の犇めく光景が広がっていた。
ラビイヤー、イーター、シザーピードの三種類だけがミミクリープラントによって、大量に生み出されて行った結果である。
「──っ」
かつての戦いを彷彿と──否、同じ状況に思わず顔を顰める。
しかし、それだけだった。
身が竦む程の恐怖も、心を蝕む憎悪も感じない。
胸に抱く希望がそれらを上回っているのだ。
「シャアアアア!」
「っ!」
やがて一体のラビイヤーが翡翠の姿を見つけて威嚇のような声を上げると、他の唖喰も一斉に彼女を獲物として捉えた。
だが、以前なら怯え竦み上がっていた翡翠はそれらに対して無関心であった。
何故なら、目の前の唖喰の群れに構っていては、この戦闘の元凶であるミミクリープラントを叩けなくなる。
いわば囮を相手にするだけ無駄だと判断したのだ。
ゆず達を助けるためには無駄な消耗は避けるべきであった。
しかし、今翡翠がいる場所では難しい。
故に、少しでも彼女達の元へ近付くために……少女は身体強化術式を全開で発動させてから、地を蹴って素早く駆け出した。
その踏み込みだけで十メートル近くも距離を詰め、翡翠は長棒を構える。
「シャアアアア!!」
「ガルルアアアアッ!」
「やああああっ!!」
二体のラビイヤーが翡翠の頭を噛み砕かんと飛び出すが、翡翠は美沙直伝の棒術で以って、速く鮮やかな薙ぎ払いを繰り出して退ける。
続けて前方から大口を開けて迫り来るイーターには、先の攻撃の勢いを止めずにくるりと身を翻して反転し、振り向き様に逆袈裟を食らわせて塵に変えた。
彼女とて、あの戦いからの一年半以上もの時間を無為に過ごしたわけではない。
自分なりに美沙に近付こうと、唖喰の生態に関する情報には一通り目を通し、体を動かせるようになってからは棒術の鍛錬は欠かさずこなして来た。
足を引っ張っていた唖喰への恐怖を越える想いを得た今、その積み重ねが十全に発揮されているのだ。
「シュアアアア!!」
「てぇいっ!」
左後方からシザーピードがハサミを閉じ、ハンマーのように翡翠へ振り下ろす。
対する少女はダッシュの勢いを乗せた刺突を放つ。
面の攻撃に真っ向から繰り出された点の一撃は……。
──バァァンッ!!
「シャ……!?」
車一台を容易にスクラップに出来るハサミを難なく爆ぜさせるように貫通した。
自らの武器の消失に、シザーピードは驚愕の声を上げる。
「せやぁっ!」
「ジャ──……」
その隙を逃さず、翡翠は突き出した長棒をそのまま振り下ろして、シザーピードの頭部を叩き潰す。
当然、無防備に直撃した敵が耐えられるはずもなく、その体は塵となって消え去った。
「シャアアアアアアア!!」
「グルルルルァッ!」
「──っふ!」
前方を覆うように十数体の唖喰が飛び掛かるが、翡翠は長棒を前方で風車のように回転させながら跳躍して、肉迫する敵を弾いて包囲網を突破する。
走り幅跳びのような放物線を描いて跳ぶ彼女の着地先に、別の唖喰が先回りしていた。
そのまま着地すれば格好の餌食だろう。
しかし……。
「攻撃術式発動、爆光弾七連展開!!」
翡翠は自身の動線へバスケットボールより大きな光弾、七つを先置きで展開した。
空中で跳躍の石突を水平に構え、展開した光の球に接近すると……。
「はぁっ!」
ビリヤードの要領でそれらを前方に弾き飛ばした。
「「「──っ!!?」」」
分散した七つの光弾は、次々と地面で待ち伏せしていた唖喰の群れを閃光に包んで行き、翡翠が安全に着地出来る隙間を作り出して行く。
そして着地をした後、再び少女は愚直に駆け出す。
後方から唖喰達が追って来るが、翡翠はそれらに一切目も暮れずひたすら前だけ突き進む。
そんな彼女に唖喰達は追い付けずに距離だけ離されて行った。
仮にこの場にいる唖喰がミミクリープラントに生み出された劣化体ではなく、本来の個体であれば追い付くなり後方から遠距離攻撃を浴びせることも出来ただろう。
そのことを把握しているからこそ、翡翠は一直線に走り続けているのだ。
留まることなく足を進める翡翠は、ゆず達を助けつつミミクリープラントを倒す算段を思考していた。
敵は基本的に地中に潜んでいるせいで、探査術式を使っても生み出した唖喰の生体反応もあって居場所を割り出せない。
「無いなら……作ればいい!」
言うは易く行うは難し……聞けば誰もがそう思うであろう強引な解決策を口にする翡翠は、一心に熟考する。
(魔力は血液型と同じように、個人で質量や容量が大きく異なる……唖喰だって、姿形が全部おんなじじゃない……その分け方を意識するんだ……!)
高低差はどうしようもない……だが、個体の識別化を意識するしかないと結論付けた途端、その想いに応えるかのように一つの術式が瞬く間に構築されていく。
やがてその術式が完成すると同時に、翡翠は妨害を回避するために跳躍してからそれを詠唱する。
「──固有術式発動! ミカエル・アンパイア!!」
探査術式と同様、彼女の瞼の裏にソナーのようなレーダーが映り出す。
翡翠を中心に半径一キロの広範囲を真上から俯瞰するかの如く表示され、そこには戦場に存在する唖喰や魔導士達の生体反応が点で表されていた。
しかし、そのレーダーには探査術式とは明らかな差異があった。
「ゆっちゃん達は無事……敵はやっぱり三種類だけ……」
そう、彼女は個体を識別して認識しているのだ。
固有術式〝ミカエル・アンパイア〟。
探査術式では実現出来ていない個々の生体反応の識別化を可能としただけの効果だが、たったそれだけでこの戦局を覆せる絶大なものであった。
生み出した唖喰の生体反応に紛れて、そこに身を潜めるミミクリープラントの最大の強みを潰せるのだから。
弱点の一つとして、翡翠の記憶にない生体反応は識別出来ない点がある。
しかし、彼女はミミクリープラントの存在を資料などで知識として把握しているだけで、実物を見たことが無い……即ち現段階で識別化したレーダーを見たところで、元凶の位置を即座に発見出来ないのだ。
「──見つけた」
だが、今回に限ってはそれでも問題はなかった。
識別出来ない唖喰の生体反応……それこそがミミクリープラントの現在位置だと逆算で割り出すことを可能としたのだ。
ならば後は叩くだけ……とはいかなかった。
何故なら、かの唖喰の潜む場所まで行くには、生み出された夥しい数の唖喰の妨害が避けられないためである。
それらの処理を怠れば確実に妨害され、かといって一体一体相手にしてはいくら探知が出来ても、距離を取られて逃げられてしまう。
故にゆず達の助力が不可欠だと、翡翠は判断した。
だがしかし、無駄に数が多い唖喰のせいで通信が繋がりにくくなっている。
そして彼女達一人一人に直接伝えに向かっていては時間が掛かってしまい、これまた敵に移動する時間を与えてしまう。
それならば……一度で全員に報せればいいと、翡翠は即決する。
久しぶりの戦闘のせいか、はたまた司に支えられているためか、少女のコンディションは最高と言っても過言ではなかった。
極度の集中と一年半の間に鍛えた魔力コントロールによって、二度目の術式構築を為す。
「──固有術式発動、ガブリエル・リンク!!」
先程発動した〝ミカエル・アンパイア〟で割り出したゆず達へ向けて、術式の効果を及ばせ……。
「『みんな! このゴルフ場で一番大きな砂場に、ミミクリープラントがいるです!』」
『えっ!? 何これ!? なんか唐突に翡翠の声が頭に響いたと思ったらなんか見えたんだけど!?』『び、びっくりしたぁ!?』『まぁ、ヒスイ様だけでなく、他の皆様のお声も聞こえますわね』『飲み込みが早い上に何故そこまで冷静なのですか、アリエル様!?』『な、なんだか妙な感覚です……』『しかし、声と同時に見えるこの映像は……どうやら翡翠ちゃんの言う通りみたいですね』
翡翠の声に、ゆず達が一斉に各々の反応を返す。
鈴花と菜々美は大いに戸惑い、察しの良いアリエルにクロエが疑問を投げ、ルシェアは未知の感覚に困惑しているようだった。
季奈だけは黙っているようだが、それに構わずゆずが冷静に判断する。
固有術式〝ガブリエル・リンク〟。
その効果は『翡翠が指定した人物と魔力を介する思念伝達を可能とする』ことである。
これは会話だけでなく、翡翠の視覚で捉えた光景も伝えることが出来、今現在の彼女の視界は〝ミカエル・アンパイア〟によるレーダーであるため、ミミクリープラントの位置を個人の方向感覚から出る齟齬を減らして、正確に伝えられたのだ。
本来、単体では術者である翡翠が目視している人物にしか使用出来ないが、先の〝ミカエル・アンパイア〟と併用することで、識別した人物と広範囲かつ大規模な思念会話を可能としたのである。
より正確に例えるなら、翡翠を中心とした線が繋がった糸電話を投げ渡したようなモノだろう。
突然のことに困惑するばかりのゆず達に、翡翠は時間が無いと続ける。
「『落ち着いて聞いて欲しいです! ミミクリープラントはどうしてもひーちゃんが倒したいの! でも、そのためには他の唖喰が邪魔だから、みんなにやっつけてもらいたいです!』」
『なるほど、翡翠ちゃんの言いたいことは分かりました……ですが、今の私達は体力も魔力も消耗していて、これだけの数を一掃するのは中々難しいと思います……』
ゆずの言う通り、長時間の戦闘で体力と魔力を消耗している他、少なくない負傷もあった。
それでも広範囲攻撃の固有術式を発動させることは出来るが、魔力枯渇を起こしてでも倒し切れなかった場合、身動きを取ることすら出来ず喰い殺されてしまうだろう。
そんなことは戦場にいる全員が看過出来るわけがない。
多少の時間が掛かっても回避するべきだと思われたが……。
「『なら、ひーちゃんがみんなを治すです!』」
翡翠は諦めなかった。
治癒術式は少女の得意分野であるが、〝ガブリエル・リンク〟と同様、一人一人回る時間はない。
同じように一度に全員を治す必要があるのだがどうやってと考えている内に、美沙が最も愛用していた固有術式を思い出した。
(おねーちゃんの〝メタトロン・ビーズ〟みたいに、光弾を放てるなら? それに治癒効果を付与させてみんなに飛ばせるなら、わたしがここを動かなくてもなんとかなるかも。お願いおねーちゃん、力を貸して……!)
かつて美沙が〝メタトロン・ビーズ〟で形成した翼から極小の光弾を放つ姿を思い浮かべながら祈る。
するとその願いが届いたのか、翡翠はさらに新たな固有術式を構築していく。
ふわりと、翡翠の薄緑の長髪が優雅に浮かび上がると、彼女の肩甲骨付近に二つの魔法陣が展開された。
そしてバサッと……魔法陣から彼女の小さな体を容易に包めるかと思う程の大きな光の翼が顕現したのだ。
「固有術式発動──」
戦場に舞い降りた天使と見間違えても不思議はない、神秘的な姿を見せる翡翠はその術式の名を高らかに詠唱する。
「──ラファエル・リヴァイヴ!!」
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は6月22日に更新します。
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