270話 ひとりぼっちの天使へ
この半年間でわたしが見知った竜胆司という少年の特徴を挙げるなら、一緒に居ると心地良い包容力が真っ先に思い浮かぶ。
下心無く誰かと接する事が出来る紳士な心持ち、時折発揮する根気強さ、そんな一面を知れば知るほど魅力的な人間だと実感する。
だからなのか、もっと辛いだろうと思っていた彼との時間は、不思議な事に楽しいことの方が多かった。
おねーちゃんと一緒に過ごしていた部屋で抱き締めてもらった時、つっちーは自分の体を慮って優しく加減してくれて、小さなわたしの体はすっぽりと彼の腕に納まって、なんだか胸がドキドキと音を奏でて落ち着かなかったのはよく覚えてる。
でも、悪い気持ちは全くしなくて、むしろ自ら抱き着く程クセになるくらい。
それは、一緒に居て最も安心出来るおねーちゃんを彷彿とさせられて、そう思うと二人は大変良く似ていると私は感じた。
だから、ゆっちゃんがつっちーへの無自覚な恋愛感情に戸惑って、二人が疎遠になった時の会話で思わず口が滑りそうになり、咄嗟に記憶が薄いおにーちゃんのことだと誤魔化す。
幸い、その時のつっちーはそれを信じてくれて、特に追及はして来なかったことにホッと胸を撫で下ろしたりした。
ともかく、つっちーとゆっちゃんにはおねーちゃんの時と同じすれ違いを避けてほしくて、彼女なりに二人を励ましたりもしたっけ。
いつからかな……気付けば、つっちーにおねーちゃんを重ねて見るようになった。
彼が学校の行事で海水浴へ行くと知って、季奈に無理を言って連れて行ってもらい、おねーちゃんと約束したっきり果たせなかった泳ぎ方を教えてもらったり……。
とにかく彼は優しい人で、大変モテる人格だって思った。
おねーちゃんはもちろん、ゆっちゃんやなっちゃんが惹かれた理由を身を以って体感したの。
夏休みに入る頃には、おねーちゃんのことを知らないフリも忘れて自然体で接していた。
──ずっとこのままでいれればいい。
烏滸がましくも、そう思わずにはいられない。
だけど、その細やかな慢心に、わたしの予想を遥かに超えた早さで罰が下された。
=====
──それは、ゆっちゃんの誕生日会の後でのことだった。
ふと、小腹が空いたわたしは近場のコンビニへと足を運んでいた。
キノコとタケノコの形を模したチョコ菓子を買い、会計を済ませた後に偶然つっちーと出会ったのだ。
「つっちー! こんばんわです!」
「こんばんわ、翡翠」
「つっちーはどうしてここに?」
「母さんに買い物を頼まれたんだよ」
「なるほどです!」
わたしの問いにつっちーが手に持っている袋を軽く掲げて見せながら答える。
ゆっちゃんやなっちゃんからの聞きかじりだけど、彼の両親はかなりアグレッシブというか、独特な性格の持ち主らしい。
それでもつっちーは嫌な顔をせずにこうしておつかいに来ているところを見ると、家族仲は良いみたい。
羨ましくもあるが、彼が健やかに過ごせると思えば安い羨望だった。
そんな思いを隠しつつ、わたしはつっちーに話題を振る。
「ひーちゃんはお菓子を買いに来たです!」
「へぇ、どんなのだ?」
「キノコの丘とタケノコの原です! 特にキノコのチョコを半分だけ齧って、おかっぱさんにするのがマイブームです!」
「あーっ! 俺もよくやってたなぁ、それ」
食べ物で遊ぶなどマナーが悪いと自覚しているけど、一回はやると妙にハマる。
変なところで彼の共感を得たわたしは、もののついでとばかりにあることを尋ねた。
「つっちー。つっちーはゆっちゃんとなっちゃんのどっちを選ぶです?」
「──ッブ!?」
そんなに予想外だったのだろうかと、思う程につっちーの反応は分かりやすいものだった。
かつて彼がおねーちゃんへ抱いていた想いを知っている身としては複雑だけど、どちらを選んだとしても大変お似合いだと認識するくらいには、ゆっちゃん達は魅力的だ。
「まだどっちもなぁ……そういう翡翠は誰か気になる人とかいないのか?」
「ん~……特にいないです」
確かに同級生の男子からよく告白されるけど、おねーちゃんに聞かれた時と同じように、特別誰かと付き合いたいと思ったことはない。
逆にどうしてわたしに執着するのか疑問に思う。
おねーちゃんが聞いたら、色々とわたしの良い所を語ったのかもしれないけれど……彼女はもういない。
と、沈み掛けた心を持ち直すように首を横に振った後、さらに彼へ問いかけた。
「それより、つっちーはゆっちゃん達のどっちかと恋人になりたいって思わないです?」
ゆっちゃんとなっちゃんはわたしの目から見ても綺麗な人だ。
引く手数多であろう彼女達から好意を寄せられているのだから、いくら草食系なつっちーでも、多少なりとも意識せざるをえないはず。
そう思っての質問に、彼は気まずそうに苦笑を浮かべて……。
「二人共、本当に俺には勿体無いからなぁ……それに、
実はまだ元カノに対しての初恋を引き摺ってるままなんだよ」
「──え?」
何気ない会話で知った彼の真意は、わたしにとっては稲妻が貫いたかのような衝撃を受けるものだった。
そんな動揺に気付いていないのか、つっちーは人差し指を立てながら続ける。
「ゆず達には内緒な? 菜々美さんは元カノのことは知ってるけど、引き摺ったままだってことは知らないからさ。あと単純に恥ずかしいってのもあるけど……」
「なんで、ひーちゃんには教えたです?」
「なんでって……」
とっくに諦めていると思っていた。
なのに、彼は永遠に叶わない初恋を抱き続けていたままで……。
ズキズキと、小さな胸にナイフを突き立てられたかのような痛みが走る。
暗に責め立てる言い草になっちゃったがけど、彼は特に戸惑いを見せる様子はない。
それに安堵したような、憤るような、複雑な気持ちを感じた。
でも、それらを呑み込んで、わたしは慣れた偽りの笑みを浮かべる。
「あ! そろそろ帰らないと日が暮れちゃうです!」
「え、あぁ、そうだな」
「それじゃ、バイバイです!」
「おう」
自分から聞いておきながらその先の言葉を知ることを躊躇ったわたしは、強引に会話を終わらせてその場を去る。
彼と交流を重ねていく内に、ひょっとしたらおねーちゃんのことを話しても許してくれるのではないか、なんて勝手に思い込んでいた。
しかし、それは驕りだったと思い知らされる。
未だ彼女への未練を抱えている彼に事実を打ち明ければ、絶対に糾弾されてしまう。
なまじ仲良くなっただけに、つっちーから責められることが怖くて堪らない。
彼が傷付けば、ゆっちゃんもなっちゃんもすーちゃんにも嫌われてしまう。
そうなれば、またひとりぼっちだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
走りながら、か細い声音で何度も後悔の言葉が漏れる。
孤独への飽くなき恐怖とみんなへの罪悪感が、小さな胸に張り裂けそうな痛みを齎す。
──ごめんなさい。
──調子に乗ってしまった。
──あの人の好きな人を死なせてしまった自分が、許されるはずがない。
そう自らの罪を再認識して幾度も責める。
厚顔無恥にも程があるなと自虐する他ない。
天坂翡翠に、人並みの幸せを享受する権利と資格なんて無いんだ。
決して消える事のない罪の意識が、そんな諦観を抱かせる。
やがて走り疲れたて、その場で立ち止まって蹲った。
息を切らして早くなった呼吸に嗚咽が混じり、しばらくそのまま泣き続ける。
そうしている内に携帯に着信が入って来た。
内容は──竜胆司が謎の意識不明に陥り、病院に運び込まれたということ。
「あ、あぁぅ……」
それは、わたしの胸の内に秘める罪の意識を、さらに助長させる出来事の幕開けだった。
=====
悪夢クラスの唖喰──ベルブブゼラルによって、つっちーが昏睡状態になった。
起きた事を端的に言葉で表せばこうなる。
でも、たったそれだけでもゆっちゃんは喪失感から焦燥を露わにし、すーちゃんもなっちゃんも彼女程でなくともショックを受けていた。
だけど、わたしが感じていた衝撃は三人のそれとは大いに異なっていた。
だって……つっちーが襲われる前に……わたしは彼と言葉を交わしていたから。
罪悪感から逃げずにいればつっちーを助けることが出来たはずだったのに。
──戦うしかない。
そう思ってゆっちゃんに戦う意志を示すけど、やっぱり唖喰への恐怖は拭えないまま、彼女達に任せることになってしまって、再び自己嫌悪を感じるばかりだ。
商店街の戦いではゆっちゃんを助けたい一心で恐怖を押し殺し、なんとか彼女の九死に一生を得ることが出来たけれど、その後につっちーを助けられなかったことを責められて堪らず泣いてしまう。
それでも、かの唖喰と決着に臨むゆっちゃんの力になることは出来たけど、これで帳消しになったとは微塵も思えない。
おねーちゃんだけでなくつっちーも守れなかったのに、そんな虫の良いことを思えるはずがなかった。
そして、思ったよりも早く彼が唖喰の絶滅不可を知ったのだが……つっちーは折れなかった
それどころか、魔導士と魔導少女の日常を守るために戦うという固い決意を口にしたのだ。
彼の途轍もなく眩しい志と覚悟に、わたしは全く変わってない自分が嫌で嫌で仕方がなくなる。
一体、何回自分の不甲斐無さに呆れるのだろう?
別段、彼を恨むわけじゃない。
むしろ、恨むのは至らないわたし自身。
どれだけ無様を晒すつもりなの、どれだけ惨めな気持ちを抱くの……そんな思いで一杯だった。
──もう、こんな思いしたくない……。
一年前に薄まっていたはずの自殺願望が、ドロリと淀んだ滑りを持って再び色濃く表れ出した。
かといって、あの時のように自ら命を絶つことは出来ない。
なら……唖喰と戦って死ぬしかないよね?
それもなるべく自然な方が良いかな。
そう考えていた矢先に、かつてわたしの致命傷やおねーちゃんの死を齎した戦闘の元凶──ミミクリープラントが現れた。
──あぁ、今しかない……。
死を迎えて楽になれること、仇が現れたという建前を得たことの、二つの要素にかつてないチャンスだと歓喜に心を震わされる。
同時に過去の光景がフラッシュバックを起こして動揺してしまったけれど、それより一刻も早く楽になりたかった。
仇を討って死ぬ。
復讐と死を遂げることが出来る。
これほどまでに都合の良いことがあるだろうか?
ううん、無いって確信出来る。
降って湧いたチャンスに飛びつこうと、自分から戦線に跳び出そうとして…………よりにもよってつっちーに止められた。
「俺は誰にも死んでほしくない……それに例外なんてなくて、翡翠も同じなんだよ……」
「あ、うぅ……」
一切含みも淀みもないまっすぐな言葉に、病院の屋上でゆっちゃんと会話した時のように、お前は間違ってるって咎められているような気分になる。
何も知らないとはいえ、どうして彼は家族の犠牲の上で生きている卑しいわたしも守ろうとするの?
底無しの優しさに一種の不気味さすら覚えていると……。
「俺やゆず達だけじゃない。翡翠のお姉さん──美沙だって無理してまで戦ってほしいなんて思うか?」
「──っっ!!?」
隠していたおねーちゃんとの関係を、彼が言及して来て……。
殺意も自殺願望も真っ白になって、何も考えられなくなった。
=====
つっちーに話しがあるって言われて連れて来られた場所は、オリアム・マギ日本支部の入口付近だった。
時刻は既に午後七時を過ぎていて、十月末ということもあって陽はとっくに沈んでいる。
街頭の明かりも無い星と月明かりだけが僅かな光源で、そう言えば飛び出しておねーちゃんに助けてもらった時もこんな風だったなぁなんて思い返す。
でもつっちーは顔を合わせないままで、人一人分の距離を開けて立っている。
「……」
「……」
でも、つっちーは話があると言った割にはすぐに話題を切り出して来なかった。
かといって、わたしとおねーちゃんの姉妹関係を当てずっぽうで言えるわけでもないし、彼はある程度知った上でここに連れて来たというのは理解出来る。
けれども、わたしの方から話題を挙げる気にもなれない。
それにさっきまで、わたしはまた自分のことばかり考えて、おねーちゃんやみんなのことを何一つ考えてなかった。
一年前と何も変わってない浅ましい性分に、美沙の代わりに生きていることが恥ずかしくなる一方だった。
むしろ、何を話せばいいの?
おねーちゃんの死を隠していたこと?
その死を招いてしまったこと?
何も知らない顔をして仲良くして来たこと?
……分からない。
頭の中が罪悪感と恐怖でぐちゃぐちゃに混ざり合って、何をどうすればいいのか、全く見当もつかない。
吐気すら感じる気持ち悪さを抑えながら、必死に言葉を探っていると……。
「ごめんな」
「え──?」
唐突につっちーが謝って来て、わたしはポカンと呆けてしまう。
「なんで、つっちーが謝るです?」
「俺が、翡翠の大好きな美沙を傷付けたから」
「そんなの、もう気にしてないです。だって、二人は両想いだし……」
「──そっか。知ってたのか……」
つっちーの気持ちを知っていることを告げると、彼は寂しげな表情を浮かべてそう返した。
違う。
悪いのはわたしの方なのに……。
好き同士の二人を仲直りもしないまま終わらせちゃった、わたしだけが悪い子なのに、どうしてつっちーがそんな顔をするの?
訳が分からなくて、無性に胸がキュウって締め付けられるように痛む。
気付けば目から涙が流れていて、堪らず口を開いて……。
「ごめんなさい……」
「……」
わたしが謝っても、つっちーは何も言わなかった。
それでも、私は涙声で嗚咽を混ぜながら……。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
何度も何度もつっちーに謝った。
──おねーちゃんを守れなくてごめんなさい。
──死なせてごめんなさい。
──身代わりに生きてごめんなさい。
──そのことをつっちーに隠してごめんなさい。
涙と一緒に色んな〝ごめんなさい〟が溢れて来る。
──許してもらえなくてもいい。
──だからせめて嫌わないでほしい。
そう浅ましくも願い縋るわたしに、つっちーは……。
「翡翠が俺に謝ることなんてないだろ?」
「──ぇ?」
ポンッと、いつものようにわたしの頭に手を置いて優しく語り掛けて来た。
どうしてそんな風に接して来るのか分からなくて、呆けて彼をまじまじと見つめることしか出来ないままでいると、つっちーは頭を撫でる手を止めた。
「そりゃあ……さ、美沙が死んだって知ってヤケになったくらいショックだったよ。でも、翡翠はそれ以上に辛くて苦しいんだってことは理解出来たんだ」
「──っ、なら、なんで怒らないの……?」
「翡翠に怒ったところで美沙が生き返るわけじゃないし、悪いのはアイツを殺した唖喰だ。なら、キミに怒る理由なんてない」
「で、でも! ひーちゃんが魔導少女にならなかったら、おねーちゃんは……っ!」
「少なくとも死ななかっただろうな。それでも、美沙の力になろうとしたんだから、やっぱり翡翠は悪くないよ」
やめて。
わたしに優しくされる資格なんてないのに、どうしてそう言うの?
いっそ責めてくれた方がまだ受け入れらるのに、わたしは悪くないって言われるなんて思ってもみなかった。
つっちーの考えていることが理解出来なくて、戸惑ってばかりのわたしに彼は手を取って包み込むように握って来る。
その手は大きくて温かくて、何故だか振り払う気にもなれない。
涙で滲む視界でつっちーを見ると、おねーちゃんの死に哀しみながらも、それ以上にわたしの心に眩しいくらいの光を射し込む笑みを向けてきて……。
「アイツを傷付けて仲直りが出来なかった俺に出来ることなんて、たかが知れてる」
「……」
「……けれど、もしその償いが出来るんだとしたら、俺は俺の持てる全部でそれをやり切ろうと思ってる」
「償い……?」
つっちーがおねーちゃんに償うことなんてない。
それを言うなら、むしろわたしが償わなきゃいけないのに……。
「──翡翠」
「っ!」
そう思っているわたしに、彼は目を真っ直ぐ合わせて語り掛け……。
「俺は、翡翠の家族になりたい」
「──え?」
おねーちゃんに言われた、あの言葉をその口から告げられた。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は6月18日に更新します。
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