260話 ボクにとってのヒーロー
後二時間で日付が変わろうとする時間帯に、ルシェアが再び竜胆家に尋ねて来た。
タイミング的に、元々アリエルさんと話し合っていたのだろう。
多分、あの人が転送術式で帰った時に、ルシェアが同じく転送術式でやって来たんだと予想出来る。
そして、アリエルさんが言った話に耳を傾けてほしいといったのは、紛れもなく彼女のことだ。
不思議と、そう確信出来る。
「……ちょっと待っててくれ」
『はい』
声を掛けてから、受話器を戻す。
そのまま重みのある足取りで玄関へ行き、ドアのカギを開ける。
「……」
「失礼します! ……ふふっ、ツカサ先輩の家に来るのは二回目ですね」
「あ、あぁ……」
何がおかしいのか夕方のことなど忘れたのように、朗らかな笑みを浮かべるルシェアに戸惑いつつ、俺は彼女に視線を向ける。
夕方に会った時は学校帰りだったから制服姿だったが、今は着替えて白のブラウスに紺のミニスカートを穿いていた。
よく見ると、彼女の両手にはボストンバッグが握られており、完全に泊まる気満々だと見て取れる。
「……泊まるのか?」
「はい! もう夜の十時ですから、念のためです」
「転送術式があるんだから、無理に泊まる必要があるように思えないんだけど……」
「ユズさんとナナミさんとアリエル様に、クロエ様までツカサ先輩の家に泊まったことがあるのに、ボクが無いのはなんだか不公平な気がします!」
「なんの張り合いだよ……まぁ、最終的に泊めるかどうかは話を聞いてからな」
「それでいいですよ」
何故かゆず達を引き合いに出して、竜胆家に泊まろうとする彼女に話次第という条件を加えるも、それでも構わないとあっさり了承した。
偶然とかではなく、ルシェアがアリエルさんの差し金なのは確定となったが、不思議と追い返す気力が湧かない。
それは、二度目にやって来たルシェアの決意が込められた瞳に、抗えないと思ったからかもしれないが……。
ともかく、再び竜胆家にやって来た彼女は、俺にあることを尋ねて来た。
「ツカサ先輩のお部屋に荷物を置いて来ますね」
「おい、なんで知ってるんだよ?」
「アリエル様から聞きました」
「あの人は~……」
眉間に寄った皺を解そうと、指で抑える。
空き部屋を掃除しないとと思っていたら、ルシェアがさも当然のように俺の部屋へ行こうとしていることに、呆れを通り越したため息が出た。
なんでみんなそんなに人の部屋に行きたがるんだよ……。
「──魔法少女グッズがあるだけで、他に面白いモノなんてないぞ……」
「ツカサ先輩のお部屋というだけで、ボクは楽しみですよ?」
「──っ」
何の含みも無い真っ直ぐな返答に、どうにも気恥ずかしさを感じてしまう。
男性恐怖症を抱えているはずの彼女は、どうしてこうも俺に対して警戒心が緩いんだろうか。
信じているから……だとしても、夕方に言った通り俺も男だ。
ルシェアに限らず、ゆず達に対しても情欲を感じたことは一度や二度ではない。
その度に彼女達を傷付けたくないと理性で耐えて来た。
美沙と付き合い始めた頃もそうだ。
あの頃は保健の授業で性教育が始まって、いずれ彼女ともそういうことをするんだろうかと、年相応に考えた時期があった。
その時は、美沙への気持ちを自覚していなかったから、結果的に今と同じく理性を以って抑えることになったが。
そう思い返している内に、ルシェアは俺の部屋の前へと辿り着いた。
「入っていいですか?」
「はぁ……どうぞ」
観念して許可を出すと、彼女にはニコリと笑みを浮かべてドアを開けて中に入る。
部屋には、魔法少女系列の作品のグッズがところ狭しと並べられていた。
「わぁ……日本のアニメはよく知りませんけど、これ全部魔法少女のグッズなんですよね?」
「あぁ、小さい頃からずっと集めて来たからな。ざっと三百は越えるな」
「ふふっ、ツカサ先輩って本当に魔法少女が好きなんですね!」
「……」
過去に美沙を連れて来た時も、彼女は同じことを言っていた。
今にして思えば、魔導少女だった自分に重ねていたのかもしれない。
自分と歳が変わらない女の子が、大切な日常を守るために強大な敵に立ち向かう、そんな彼女達と……。
でも、魔法少女と魔導少女じゃ決定的な違いがある。
前者は物語上ラスボスがいて、そいつを倒したら終わりが来る。
それに対して後者が戦う唖喰という怪物は、三百年も戦い続けてなお一向に全容が解明出来ないまま、絶滅不可という決定がされる程に、終わりが見えない。
戦いがいつ終わるか分からず、人類が一方的に消耗を強いられているようにも思える。
ルシェアはそのことを知らないが、魔導少女として高い才能を秘めているが、それと同等の実力があったであろう美沙が亡くなっている事実が、どうしても心を重くしていく。
「ツカサ先輩?」
「え、あー……それで話ってなんだ?」
ベッドにルシェアを座らせ、俺は椅子に腰を掛ける。
そうして場を整えて、要件を尋ねた。
すると、彼女は一度大きく深呼吸をした後、まっすぐ青い瞳を俺に向ける。
その吸い寄せられるような青の輝きが、嫌に心を締め付ける気がしながら、ルシェアの言葉を待つ。
「──ツカサ先輩は、出会って二ヶ月も経ってないボクが、自分のことを分かった気になるなって言いましたよね?」
「……あぁ」
確かに言った。
接触しても男性恐怖症の発作が出ない俺を、特別視しているような彼女に、他の男と変わらないと告げたのだが、こうして対面していてもルシェアに緊張した様子はあっても怯えていないようだ。
俺の返事に、ルシェアはスッと目を伏せる。
「きっかけはボクが痴漢を受けていた時、ツカサ先輩が助けてくれましたね」
「まぁ、ルシェちゃんが困ってたし……」
ふと、俺達が初めて会ったことの出来事を語り出した。
あの時は、いい歳したオッサンがダンスにかこつけて彼女に痴漢行為を働いていたんだっけ……それを見兼ねて助けたのが、もう一ヶ月以上前になるのか。
「あの時、怖くて誰かに助けを求めることも出来なくて、早く終わってほしいって祈るだけだった中で、ツカサ先輩が助けてくれたことがとても嬉しかったんです」
頬を赤らめてはにかむルシェアの表情から、それが本心であることは明らかだ。
助けた後の彼女にお礼をすると迫られた時は、ちょっと焦った記憶がある。
「教導係だったポーラさんの態度に、自分がバカにされたことよりボクのことを心配して怒ってくれて、唖喰と一人で戦わされていた時にも、術式を使えない男の人なのに銃を片手に駆け付けてくれたことも、しっかり覚えてます」
孤立していた彼女を助けるため、命令で動けないゆず達と代わって唖喰との戦いに加わった時のことだ。
それまで巻き込まれる形だったが、初めて自分の意思で戦いに臨んだことは、それしか方法がなかったとはいえ無謀だと言われた。
「その後、お礼にカフェに行きましたよね。あの時ツカサ先輩と一緒の席で食べたクロック・ムッシュの味は、今でもハッキリ思い出せます……その、間接キスをしたことも、忘れてません……」
彼女の案内で訪れたフランスのカフェでの一幕を語り、ルシェアが注文して口をつけた飲み物のカップに、偶然俺が同じ場所に口を付けて飲んだことで、間接キスが成立してしまったことがあった。
それを思い出してか、彼女の顔は真っ赤に染まる。
だが、そこに照れと恥ずかしさはあっても、不快感を抱いているようには見られなかった。
「次の日に、ナナミさんをはぐれ唖喰から庇って怪我をしたって聞いて、とても怖かったです……このまま目が覚めなかったらって不安で仕方ありませんでした」
重傷を負って意識を失っていた俺を、目が覚めるまで看病してくれていたことを話す。
咄嗟の行動とはいえ、ゆずや鈴花にアリエルさん、庇った菜々美にも多大な心配を掛けてしまった。
「でも、その後でボクは、ダヴィド元支部長に……」
「──っ」
先程までの表情とは一変、ルシェアは顔を俯かせて後悔と恐怖を色濃く滲ませる。
あのクソ野郎によって、彼女は無理矢理襲われたばかりか、行為中を録画されて脅された。
それによって、アイツのくだらない復讐の手伝いとして、アリエルさんの誘拐の片棒を担がれてしまった。
「ツカサ先輩以外の男の人といると、あの人にされたことがどうしても頭の片隅にチラつくんです……。触られたところがとても気持ち悪くて、全身が裂けるように痛くて、痛いって、やめてって言っても止めてくれなくて、むしろもっと痛くされて……たまに夢に出るくらいに、ボクの心に刻まれてしまってるんです」
「……」
攫われたアリエルさんを捜す最中に彼女からそのことを明かされた時、言葉が出なかった。
腸が煮えくり返る程の怒りが湧いて、すぐにでもアイツを殺しに行きそうになったくらいだ。
「どうしてボクなんだろうって、夢なら良かったのにって、何度も何度も目を逸らして泣くことしか出来ませんでした」
本当に、どうして彼女だったのだろうか。
アイツの考えなんて微塵も分かりたくないが、ルシェアがあんな目に遭う必要なんてなかった。
ダヴィドに脅されたことによる恐怖と、アリエルさんを欺いたことの罪悪感で板挟みになった彼女は、どれだけ後悔してもし切れない罪の意識を今でも抱えることになる。
よく見れば、青の瞳には涙が滲んでいるように見えた。
「穢されて、自分の手も汚してしまったボクなんて、ツカサ先輩やアリエル様に嫌われちゃうって、それを知られたくなくて、必死にあの方を探していたツカサ先輩のお願いも聞けないままで……あの時、先輩に乱暴されても仕方ないって諦めてたんですよ?」
だから、とルシェアは続ける。
「ツカサ先輩にボクを信じる、悲しませる人に怒るし、失敗したら一緒に原因を考える、何があっても味方でいるって言ってくれて──ボクは救われたんです」
「──っ!」
目に涙を滲ませながらも、微笑みを向ける彼女に目を奪われる。
早くなる鼓動に、ある可能性が頭を過った。
──おい、まさか……。
ありえない、そんなことあるはずない、と自分の考えを否定する。
でもそこに明確な否定材料は無くて、ただ目の前の少女の気持ちを見ていないことのようにも思えた。
俺の動揺を知ってか知らずか、ルシェアはまだ続ける。
「その後だってそうです。魔導士と魔導少女は普通の女の子と変わらないって言ってくれて、その人達を守るために戦うって覚悟を明かしたツカサ先輩は、本当にカッコよかったです」
白欧人らしい白い頬を赤く染めながら目を細め、両手を胸元に添えてギュッと握る姿は、情景を愛おしく抱いているように見えた。
いや、今語ったことだけじゃない。
この部屋に来てからの言葉全てが、ルシェア・セニエにとって忘れられない出来事なんだ。
「男性恐怖症が発覚した後にツカサ先輩に撫でられて、凄くびっくりしたのと同時に胸の奥がポカポカ温かくなったんです。発作もフラッシュバックも起きなくて、安心出来る優しい撫で方が……好きになりました」
一旦間を開けて発した言葉に込められた意味は、俺が察した可能性をどうしようもなく高めていく。
なのに、目の前の彼女から目を離せない、逸らせない、直視せざるを得ない。
「祖国を離れての生活は、正直不安で一杯でした。でもそれもツカサ先輩やユズさん達のおかげですぐに無くなったんですよ。朝起きてどんな話をしようとか、髪や服装が変じゃないかなって逐一考えて、明日会えるって分かってるのにさよならをする時は切なくて……毎日がドキドキとワクワクで一杯なんです」
何気ない日常を過ごす中で感じた愛おしさを一日一日、毎日嚙み締めるような慈愛の眼差しを俺に向ける。
そこに込められている想いが眩しくて、これでもかと心が揺さぶられていく。
「そんな日常をボクに与えてくれたツカサ先輩は、自分のことより誰かの心配ばかりで、困ってる人を放っておけなくて、その人が笑ったら自分のことのように笑えるとっても優しい人です」
──違う……俺は優しくなんかない……。
「自分の身を簡単に天秤に掛けちゃう危なっかしい所があって、いつも無茶ばかりするけれど、誰かが悲しんでたら力になろうと親身になれる献身的な人です」
──そんなの、ただの無謀なやつがたまたま上手くいっただけだ。
「実は、ボクが誰かに助けを求める時、アリエル様やユズさんより真っ先にツカサ先輩が浮かぶんです。ダヴィド元支部長やツムラさん達に襲われた時だって、名前を呼んでいたんですよ?」
照れ臭いのか恥ずかしそうに眉を八の字にする彼女の口から紡がれる、ルシェアが抱く竜胆司への絶大な信頼が、これでもかと見せつけられる。
あまりに身に余るその想いが、俺の諦念に駆られた心を逃がすまいと掴んで離さない。
「自分には何の力もないって言いますけど、それでもボクにとってツカサ先輩は、誰よりも頼りになるヒーローなんです」
──俺は、そんな柄じゃない。
そんな俺の逃げと否定に徹する考えに対し、彼女は青色の瞳の輝きを真っ向からぶつける。
強い覚悟と想いを秘める瞳に見つめられて、逃げ場が無くなったように感じた。
「……本当は、困らせたくなくて、伝えるつもりはありませんでした。ただでさえユズさん達への返事に頭を悩ませてるのに、ボクの気持ちなんか伝えたところで、迷惑じゃないかって……でも、今のツカサ先輩を見ていたら、そうは言っていられないって思いました」
そこまで言って、一度言葉を区切り、ルシェアは深呼吸をする。
そして俺と目を合わせる青の眼差しは、潤いを帯びてひかりを反射し、顔は緊張で真っ赤に染まり切っていた。
だけど、彼女は止まらない。
ゆっくりと口を開き──。
「──ボクは、ツカサ先輩のことが好きです。思い込みなんかじゃない、あなただけに向けた正真正銘の恋です」
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は5月29日に更新します。
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