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244話 天使の嫉妬


 始業式が終わり、翡翠が日本支部の居住区にある美沙の部屋に帰って来たのは午前十一時過ぎであった。

 美沙の方も早めに帰ってくるだろうと予想していた翡翠は、今か今かと大好きなおねーちゃんの帰りを待ちわびる。


 なお、美沙と同い年である美衣菜は学校へは行かず、組織がサポートをして義務教育を受けている。

 あの攻撃的な狂人が学校に行く光景を翡翠は全く想像できないため、むしろ納得といった感じだった。


 そうしている間に、部屋の入口が開く。


 直感的に美沙が帰って来たと悟った翡翠は、彼女を出迎えるためにゆっくりと息を吸って挨拶の準備をする。


「おねーちゃん、おかえりなさ──」

「聞いて聞いてひーちゃん! 私ね、運命の人に出会えたの! もう心臓がずっとドキドキして止まらないの!!」

「──っへ?」


 ただいまも言わず、それどころではないと言わんばかりに顔を紅潮させながらも幸せ一杯という表情で帰って来た美沙の様子に、翡翠は呆気に取られて固まる。


 顔は真っ赤で、表情も非常にしまりがない……なんだか自分を抱き締めている時のようにへにゃへにゃになっていた。

 

 だがそれよりも、今彼女は何と言っただろうか?


「お、おねーちゃん? 運命の人ってどういうことです?」

「もう、そのままの意味に決まってるでしょ?」

「? そのままの意味って……」

「恋……しちゃった♡」

「……ん?」


 デレッデレのだらしない表情のまま、両手を頬に当てて嬉しそうに語る美沙の言葉に、翡翠はまたもや固まる。

 もちろん、小学四年生とはいえ翡翠は恋というものを客観的な知識としては把握している。

 それが美沙にも訪れた事実の方に驚いているのだ。


「──え、ええええええええええええええええっっ!!?」


 新学期早々、美沙の口から齎された衝撃の告白に、翡翠は絶叫するしかなかった。

 確かに彼女がモテることは良く知っていた。

 だがしかし、一度たりとも告白を受け入れたことはなく、本人も恋愛に興味はあっても一歩踏み出せないような状態だった。

 だというのに、今はっきりと美沙は初恋をしたと告げたのだ。

 翡翠が驚くのも無理はないだろう。


「オイオイ、廊下にまで聞こえてんぞガキ……」

「あっ! みみみ、みぃちゃん! 大変です! 一大事です!」

「アァ? なんなんだよ?」


 絶叫を聞いてやってきた美衣菜に、翡翠は慌てて縋り寄る。 

 煩わしそうな表情を浮かべるものの、一応尋ねてくれた彼女に翡翠はわたわたとしながらも伝える。


「お、おねーちゃんが初恋してるです!」

「……へー」

 

 だが、翡翠の予想通りと言うべきか、美衣菜は一気に興味を失くした呆れに近い表情を浮かべる。

 それでも翡翠はめげず、美衣菜の背に隠れたまま美沙に尋ねる。


「おねーちゃん」

「なぁにぃ?」

「おねーちゃんが好きになった人ってどんな人です?」


 あの美沙が恋をしたと明言する相手である。

 彼女の様子に関係なく純粋に気になった翡翠の問いに、美沙はハートが飛び出す勢いでふにゃっふにゃな表情のまま、両手を祈るように組んでうっとりとした眼差しを天に向ける。


「あ、知りたい? えへへ、改まって言うとなるとなんだか照れちゃうね……。彼はね、初対面の私の話を嫌な顔もせずに聞いてくれただけじゃなくて、側にいるととっても落ち着くんだ。ああいうのって包容力って言うのかな、とにかくそれがすごく柔らかくて心地が良くて、あぁ安心するなぁって分かるの。つー君──竜胆司君っていうんだけどね、私を顔が綺麗だからとかそういう目で見ずに私自身をちゃんと見てくれて、誰かを思いやる優しさに満ちた良い人なの! 男の子なんだけど魔法少女が大好きで、最近は魔法少女を題材にしたライトノベルにはまってるんだって! でもでも、やっぱり彼は素敵な人だからライバルも多いみたいなの。それもそうだよね、あんなにカッコイイ人がモテないはずないもん。それでも私は諦めるつもりはないよ! 家は日本支部から学校を挟んでそれなりに距離はあるけど、通えない距離じゃないから、お弁当とか作って美味しいって言ってもらえるといいなぁ! あとあと──」

「オイ、コイツヤベーぞ」

「みぃちゃんに同意するです……」


 軽い紹介で済むかと思いきや、どっぷり語り出す美沙に美衣菜はドン引きしていた。

 恋は盲目と言う言葉がこれ以上ないくらいに当て嵌まる姿を晒す姉に、翡翠すらも引くレベルであった。

 

 そしてさり気なく語られていたが、美沙は出会って恋をしたその日に〝つー君〟とやらの住所を把握しているようであった。

 

 ──おねーちゃんがストーカーになった……。


 翡翠はとても信じられないといった表情を浮かべる。

 以前から、自分が好きになった人に対しては危ない言動を匂わせていた美沙であったが、ついに訪れた初恋によって急速に残念な人っぷりを曝け出していた。

  

 もちろん、大好きなおねーちゃんが恋をしたという事実は、翡翠も自分のことのように嬉しいと思っている。

 しかし、それ以上に翡翠の心にはある不満が募っていた。

 その不満が嫌で、彼女は美衣菜の背を離れて美沙の前に出る。 


「──おねーちゃんはつーくんさんが好きになったから、わたしはどうでもよくなったです……?」

「え、ひ、ひーちゃん?」


 それは、嫉妬であった。 

 昨日までああやって惚気る話題の中心は自分だったのに、見ず知らずの異性に美沙の感心を取られたと思い至ったのだ。

 

 大好きなおねーちゃんを取られることは、翡翠にとって世界の終わりに等しいものだった。


「ご、ごめんね? ちょっと興奮しちゃっただけで、ひーちゃんがどうでもいいってことじゃないよ?」

「嘘です。つーくんさんのことを話すおねーちゃんは、わたしと居る時より楽しそうだったです」

「そ、それは、だって……」


 翡翠の言葉でようやく正気に戻った美沙が、慌てて取り繕うとする。

 しかし、初恋の幸せを知ったことで違うと言い切れず、むしろ翡翠の不満を逆撫でするだけであった。


「いいです。おねーちゃんはみんなに好かれる凄い人ですから、きっとつーくんさんもすぐにおねーちゃんを好きになってくれるです」

「え、あぁ、そ、そう……? って違う違う。つー君と付き合えてもひーちゃんがいないと私は寂しいよ?」

「むぅ~……」


 不満を表すように頬を膨らませる翡翠の言葉に、美沙は一瞬満更でもなさそうな反応をするがすぐに正気に戻り、その膨らんだ頬を指で押してプシュ~と萎ませる。

 

「私とつー君が付き合って結婚したら、ひーちゃんも一緒に三人で住もう? そしたら家族も増えるしずっと一緒だから──」

「将来設計が夢見過ぎて気持ち悪いです」

「気持ち悪い!?」


 どこでそんな言葉を覚えたのかと、辛辣な罵声に美沙はガーンっとショックの表情を浮かべる。

 その後も、不貞腐れる翡翠の機嫌を直すのに美沙は苦心するハメとなった。


 そんな二人の様子を見て、美衣菜はまたややこしいことになりそうだなと頭を掻くのだった。


 ~~~~~


 それからというものの……。


「ひーちゃん! 今日ね、つー君とこんな話をしたの!」

「つー君とね、一緒にお昼を食べたの!」

「あのね、つー君が薦めてくれた魔法少女のアニメを一緒に観ない?」

「すずちゃんっていう、つー君の女友達の事仲良くなったんだぁ」

「えへへ、今日もつー君はカッコ良かったなぁ……♡」

「……………」


 美沙は事ある毎に……というより、毎日司との間にあったことを翡翠に報告するようになった。

 一文を話す度につー君つー君と連呼されるため、最早つー君というあだ名が耳にタコが出来てゲシュタルト崩壊を起こすレベルであった。


 彼女が幸せそうで何よりではあるが、やはり嫉妬してしまう。


「あの、おねーちゃんがつーくんさんにベタ惚れなのは良く分かったです」

「え、うん。大好き♡」

「それはわたしにじゃなくて、つーくんさんに直接言ってほしいです」


 何故ここでそれを言うのか理解出来ず、翡翠は思わずそう返す。

 だが、その言葉を美沙は微妙に違う意味で捉えたようで、両手を頬に当てながら恥ずかしそうに目を伏せる。


「も、もう! ひーちゃんったら気が早いよ! まずはお友達からって言うでしょ? ちゃんとお互いのことを知ってから告白しないと、いきなりじゃ困らせちゃうよ?」

「うっっっっぜぇです」

「ひーちゃん!?」


 美沙の司に対する好感度が上がることに反比例するように、翡翠の中で司の心象は悪くなっていた。

 その存在を知ってからいい気分はしなかったが、美沙がここまで腑抜けになるとは思ってもいなかった。

 あと、純粋に惚気る姉の言動がウザいのもあるが。


「正直初めて会った頃のおねーちゃんは鬱陶しかったです」

「ねぇ、なんで最近はそんなにズバズバと辛口なこと言うの?」

「おねーちゃんがみっともないからです」

「え、あ、ご、ごめんなさい……」


 小学四年生の妹に頭を下げる中学二年生の姉。

 初恋をしてからどんどんアホみたいになっていく美沙に呆れつつ、翡翠は人差し指をピンッと立てる。


「分かりたくないですけど、わたしはつーくんさんの気持ちが良く分かるです」

「つ、つー君の気持ち?」


 非常に癪ではあるが、翡翠は姉の初恋自体は一応応援するつもりである。

 故に、話を聞いた限りで彼女にも分かった美沙の問題点を指摘することにした。


「おねーちゃんは相手と仲良くしようって気持ちが溢れ過ぎて、空回りするのが目に見えてるです。過剰なスキンシップは逆にイメージが悪くなるです」

「え、イメージ?」


 翡翠の言葉を反芻しながら、美沙はキョトンと首を傾げる。

 それに合わせて、彼女も首を縦に振って頷く。


「はいです。つーくんさんからすれば『なんか明るい美少女が積極的に絡んで来るけど、正直自分と一緒にいて何が面白いんだろう』って思ってるはずです」

「えぇ、まっさかー……」

「それにこうも思ってるはずです。『この人には地味な自分より相応しい相手がいるはず』……つーくんさん以外の男子に告白されて断った時、あの人のことを『自分より冴えない奴だ』って言われなかったですか?」

「い、言われたけど……ねえ、ひーちゃんは小学四年生で初恋はまだなんだよね? なんで私より詳しいの? それに私、つー君の顔は見せたけどそんな風に思ってたの?」


 妙に察しの良い翡翠に、美沙は思わずそうツッコんだ。

 司の人相を、翡翠は姉が携帯で撮った写真を通して知ったのだが、予想に反して普通の顔立ちであった。

 もう少し整えれば見れなくはないが、際立って顔立ちがいいわけでもなかったため、翡翠としてはどこに美沙が惹かれたのか全く理解出来なかった。


「話を聞くです! このままだと、おねーちゃんは一生お友達のままで終わっちゃうです!」

「ええっ!? ヤダっ!」

「だからそれをわたしに言っても意味がないです! 話を逸らしてばかりいないで続けます!」


 小学四年生から恋愛のレクチャーを受ける中学二年生という奇妙な構図が出来上がったまま、翡翠は美沙へアドバイスを送り続けた。


 紆余曲折あって、どこかよそよそしかった司との距離もグンッと縮まったようで、美沙は非常に幸せな表情を浮かべていた。


 もし、彼女の恋愛を妨げるとしたら、司の女友達だというすずちゃんが気になるが、それは既に美沙が問い質すまでもなく、向こうから彼のことは何とも思っていないと告げられたそうである。


 それはそれで複雑だと美沙は語るが、ともかく懸念していた最大の障害は心配ないようで、彼女は張り切って司との距離を縮めて行く。


 そして、新学期になって一か月が経過した頃……。

 

「……ただいま」

「お、おかえりです、おねーちゃん……」


 普段であれば、互いに笑顔で出迎えるはずなのだが、今日に限ってはとてもそんな余裕はなかった。


 美沙は今日、人生の大一番の勝負に打って出た……それは、ついに司に告白するというものである。


 大丈夫なのかと翡翠が尋ねると、美沙は唖喰を相手にするよりずっと楽だと返した。

 恋愛を舐めてるような、唖喰を舐めてるようにも思える言葉により不安が募るが、それでもと美沙は勇んで告白へと乗り出した。


 結果が気になって翡翠は学校の授業に集中出来なかったが、美沙もきっと気が気でないだろうとある種の共感を抱いていた。

 

 そして、帰って来た美沙は顔を俯かせており、翡翠にはその表情が窺い知れない。


「おねーちゃん?」

「や……よ、ん……」

「え?」


 もしかして駄目だったのか?

 翡翠がそう思った瞬間……。



「や゛っだよ゛ひーちゃん! 私、つー君の彼女になれたああああぁぁぁぁっっ!!」

「え、あ、あ、お、おめでとです、おねーちゃん!」


 幸せの涙で目を腫らした美沙が、翡翠に思い切り抱き着く。

 それと同時に齎された吉報に、彼女は素直に称賛した。


 大好きなおねーちゃんが幸せなら、その彼氏となった司の事も少しは認めてやろうと、翡翠は内心そう決意する。


 きっと何もかも上手くいく……この時は、誰もがそう思っていた。


ここまで読んで下さってありがとうございます。


次回は4月27日に更新します。


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