234話 私が面倒を見ます!
過去編突入!
三人称視点で進みます。
~四年前──2014年8月1日──午後4時~
ようやく泣き止んだ翡翠を伴い、美沙は廃ビル群の一画にある、オリアム・マギ日本支部へと向かう。
何せ、翡翠の体には魔力が存在している為、唖喰という怪物の存在を肉眼で捉えることが可能であり、すなわち、この小さな少女に魔導士としての才能がある証明になるからであった。
魔導士は常に人材不足である。
唖喰との戦闘は過酷なため、恐怖から辞める者、負傷して戦線復帰が望めない者、最悪の場合死亡する者、様々な形で継続しないのだ。
とはいえ、翡翠のようなまだ九歳の小さな女の子に、そんな血生臭い戦いを強要出来るはずもない。
魔力持ちの人間が唖喰を目撃した場合、説明責任を果たすべきという規則があるが、その対象に翡翠も含まれていることに、美沙は腑に落ちない気分だった。
「もう少しで、私の住んでる場所に着くからね」
「……」
さらに、泣き止んでからというものの、翡翠は今のように黙ってしまっている。
それは無理もないだろうと美沙は思う。
九歳の女の子となれば、母親に甘えたい年頃だ。
その母親の死と自らの死に直面して、それまでと同じく過ごせというのは無理な話である。
「……ねぇ、お父さんはどうしてるのかな?」
「──っ!」
ひょっとしたら、この子の父親がなんとかしてくれるかもしれない……と思い、美沙は翡翠に父親の所在を尋ねる。
すると、それまで何を問いかけても無言だった翡翠に、肩をビクッと揺らす明確な反応が現れた。
「……パパは……お別れしたって、ママが言ってた……」
「あ……」
が、肝心の返答を聞いた美沙は失敗したと悟った。
お別れ……つまり、翡翠の両親は離婚していたのだ。
ただでさえ母親の死でショックを受けているのに、余計な追い討ちをしてしまったと悔いる。
質問ミスによって、無言の静寂が漂っている内に、二人は目的地にたどり着いた。
一見なんの変哲もない廃ビルだが、中には魔力持ちの人間にしか見る事が出来ない特殊な認識阻害の結界が展開されており、魔導士である美沙と魔力が宿っている翡翠は問題なく中へ入り、奥のエレベーターを使って地下へ降りる。
エレベーターは地下三階で止まり、美沙は慣れた足取りで翡翠の手を引きながら歩く。
少なくとも、手を振り払われないだけの信頼は寄せられていると密かに安堵しつつ、『支部長室』とプレートが取り付けられている両開きのドアの前で立ち止まり、空いている手でノックする。
『はい?』
「初咲支部長、失礼します」
『ええ、どうぞ』
部屋の中にいる人物に入室許可を貰ったことを確かめた美沙は、片方のドアを開ける。
中に入ると、手前には応接用のテーブルとソファがあり、奥には執務用の机が設置されており、そこには部屋の主であろう、黒のレディスーツの上に白衣を纏った理知的な女性が立っていた。
「初めまして。初咲楓よ」
「……はじめ、まして……」
初咲と名乗った女性の挨拶に、翡翠はポツリとだがしっかりと返した。
美沙から翡翠が経験した簡単な経緯を聞いている彼女は、二人が来るまでの間に翡翠の今後に関して色々と案を考えていたのだ。
翡翠のように、親が唖喰によって殺された子供には、組織管轄の孤児院にて保護するように定められている。
基本的には家族や自らの死に直面した少年少女のメンタルケア、衣食住に義務教育レベルの基礎教養など様々な生活保障が約束されている。
これだけ充実しているのは、唖喰の被害による孤児が珍しくないことが起因していた。
だが、小学生の翡翠にそれらの説明が十全に理解して判断出来るはずもないため、役所から借りた個人情報を元に彼女の近親者を洗い出して、その判断を仰ぐのだが……。
「天坂翡翠の母親筋の親戚は皆亡くなっていたのよ」
「そうですか……」
唖喰との関連は不明だが、片親の親戚が全滅とあってはどうにもならなかった。
そこで、当人が居る前ではあるが、美沙は翡翠の父親側に頼れないか尋ねてみたのだ。
「そうね、離婚しているとはいえ、血の繋がった娘だものね」
「翡翠ちゃん、もしかしたらお父さんと一緒に過ごせるかもしれないよ」
「……パパと?」
「そう、パパとだよ~」
「……」
なるべく明るく接する美沙とは対照的に、翡翠は未だ陰りのある様子だった。
「……それじゃ、一旦私は席を外すわね。戻るまではこの部屋の中でゆっくりして頂戴」
「はい」
とても父親と過ごせると知った少女の反応ではないことに、美沙と初咲は訝しむような気持ちを浮かべたものの、急ぎ父親の所在を明らかにしようと動いた。
「それじゃ、翡翠ちゃんが何か聞きたいことがあったら、私が教えてあげるね」
初咲が席を外して調べている間、美沙は翡翠の質問に答えると言った。
すると、何かあったのか、翡翠は彼女へ顔を向ける。
「……あの白いのは何?」
「!」
あの白いの──つまり、唖喰のことを尋ねられた。
唖喰に関しては美沙に限らず、全人類が未だ全容を把握し切れないことを除いても、幼い翡翠にも分かるように、美沙はゆっくりと言葉を選んでから口を開く。
「──あれはね、アニメの魔法少女に出てくるような、悪いやつらなの」
「魔法少女?」
「うん、そう」
どうやら、ちゃんと伝わったようだとホッと胸を撫で下ろす。
「……おねーさんも、魔法少女、なの?」
「ふえっ!?」
ところが、続いて尋ねられた質問に、美沙は驚きを隠せないでいた。
恐らく、翡翠がそう思ったのは自分が唖喰を倒す瞬間を目撃したからだと察する。
確かに、自分は十三歳の中学生で未成年ではある。
魔導士とは、唖喰に唯一対抗出来る存在であるため、見ようによっては魔法少女と捉えられなくもない。
しかし、アニメで目にする様な魔法少女とは違い、魔導士の戦いは血生臭いものだ。
煌びやかな魔法はなく、あるのは敵を殺すために戦いに特化したものばかり。
魔法少女の敵役と例えた唖喰にしても、とても幼い子供に見せられるような外見ではなく、ただひたすらに獲物を喰らおうとする悍ましい習性をしている。
正直、魔法少女で例えたのは失敗だったか……美沙はそう思わざるを得ないでいた。
が、知りたいことがあれば答えると言ったのは自分だ。
その責任を果たさないのは、大人子ども関係なく、人としてどうかと憚られた。
「えっと、そんな感じ、だよ?」
故に、美沙は翡翠の認識に乗っかった。
魔法少女に失礼だと内心謝りつつもそうだと答えた美沙に、翡翠はジッと彼女の顔を見つめた後……。
「……そうなんだ」
端的にそう返し、顔を虚空に向け直す。
その様子を見て、美沙はどうしても胸が痛む感覚が抑えられなかった。
先程から、翡翠の瞳にはどうにも意志が掛けていた。
もちろん、母親の死のショックもあるだろう。
美沙自身ももっと早く駆け付けていればと、責念を感じるばかりだ。
ただ、それ以上に翡翠という少女の心には、生を望む意志が見受けられないでいた。
こんな幼い少女にまで、このような精神状態に追い込む唖喰の醜さに、最早数えるのも億劫な程に、美沙は呆れと不快感を抱く。
だからこそ、美沙は無言で翡翠の小さな体を抱き寄せる。
四歳の年齢差はあるものの、少女自身の体格が同年代の女子に比べて小さいのもあって、翡翠は美沙の両腕の中にすっぽりと納まった。
「──ぁ」
不意に抱きしめられたからだろうか。
翡翠の小さな口から、吐息交じりに声が漏れた。
美沙が自分の心臓に寄せるように抱いたため、翡翠の耳には柔らかな胸越しに、トクン、トクン、と鼓動のリズムが聞こえていく。
「……」
「……」
一方で、美沙は何も言わずに黙って翡翠を抱き締めたままだった。
否、言葉は不要で、自分の鼓動の音を聞かせて感じさせて、翡翠は生きているのだと暗に伝えるのには、この方法が一番だと判断したのだ。
「……あったかい……」
ふと、翡翠がそう零す。
少女の中で、何か満たされそうな感覚がすると同時に、がちゃりと支部長室のドアが開かれた。
「お待たせ──って、あらあら……」
「「あ」」
開けたのは、先程翡翠の父親のことを調べに出て行っていた初咲だった。
キョトンとする彼女と反対に、翡翠と美沙はどこか羞恥を感じながらもゆっくりと抱擁を解く。
なんだか、見られてはいけないものを見られた気分だった。
「……えっと、報告するわね」
「はい……」
「……」
二人の心境を察した初咲が、敢えて何も語らずに本題を口にする。
ホッとした気持ちを抱えながらも、美沙と翡翠は結果に耳を傾けた。
しかし、その結果はというと……。
「親権放棄ってどういうこと!?」
「そのままよ。元々離婚の原因は父親の不倫だったみたいで、向こうは前妻の娘はいらないと主張しているわ」
「それでも親なの!? 翡翠ちゃんはまだ九歳なんですよ!?」
「私だって信じられないわよ。でもね、現に彼女の父親からそう言われたら、こっちは強く出られないのよ」
「酷い……」
「……」
美沙の表情に明確な怒りが浮かぶ。
前妻の娘と言うが、翡翠は連れ子ではなく夫婦の間に生まれた子供である。
その子供を育てる正当な立場にいるのにも関わらず、自ら放棄するなど、不倫の事実も合わせてロクな人間ではないと憤慨する他ない。
そして、美沙以上に動揺が強いのは翡翠である。
こんな話を血縁のある彼女に前で言うのはどうかと思われるが、初咲が予め注意した上で翡翠自身が聞きたいと望んだことである。
それでも、自分が親に捨てられたも同然の扱いであることに、ショックは隠せないでいたが。
「……おにーちゃんは?」
「え、お兄ちゃんがいるの?」
「うん……」
もう一人の血縁者の存在に、美沙は一縷の望みを見出した。
視線で初咲にどうかと尋ねるが、彼女は忌々しそうに眼を細めて……。
「──知らぬ存ぜぬよ」
「~~っ、なにそれ……」
呆れて言葉が出なかった。
美沙自身に兄弟はいないものの、その兄らしくない態度には苛立ちを覚えた。
そして何より……この瞬間に天坂翡翠は天涯孤独も同然となったのだ。
一体、この九歳の女の子が何をしたというのだろうか。
美沙はそんな憤りを胸に浮かべる。
その時、ギュッと美沙の服の袖が掴まれた。
「──翡翠ちゃん?」
「……」
掴んだのは、翡翠だった。
その小さな手は、フルフルと震えており、否応なしに美沙の心に悲壮感を募らせた。
「……初咲さん、翡翠ちゃんはこの後どうなるんですか?」
「……一応、父親からは孤児院に入れるなり好きにしろと伝えられているわ。癪だけれども、組織管轄の孤児院で過ごしてもらうことになるわね」
「そうですか……」
少なくとも、翡翠が衣食住に困ることはないだろう。
だが、傷付いて蓋を閉ざしてしまった少女の心を救うことには至らない。
事此処に至って、美沙は翡翠をこのまま孤児院へ送ることに、納得が行かないでいた。
──この小さな手は、こんなにも震えているではないか。
だから、美沙は翡翠の手をギュッと握り返す。
手を握られた少女は、ゆっくりと顔を上げて美沙と顔を合わせる。
翡翠の瞳は、悲しみも怒りも絶望も全てが混ざり合ったように濁っていた。
その目を見て、美沙はある決断をする。
舞川美沙にとって、この少女のために自らの手を差し伸ばすのには十分過ぎる程だった。
「初咲さん」
「ん?」
今度は、初咲へと顔を向け、美沙は一度深呼吸を挟んでから告げる。
「天坂翡翠ちゃんの面倒は、私が見てもいいですか?」
「──っ!!」
「ええっ!?」
美沙の大胆とも言える提案に初咲はもちろん、翡翠も驚きを隠せなかった。
魔導士として唖喰と戦っている以上、給金が支払われている。
そのお金は余裕を持って貯金はしており、自炊も人並みに可能だ。
だが、繰り返しになるが美沙は十三歳の女子中学生であるため、人一人の……幼い翡翠の人生を預けるには不安が拭えない。
「あなたねぇ……野良猫を拾って飼うのとはワケが違うのよ?」
当然、初咲は苦言を呈する。
かつての同級生から、子育ての忙しさをこれでもかと知らされているため、美沙が口にした提案が如何に無謀なのかを把握していた。
「そんなの解っています」
もちろん、美沙も考え無しに翡翠の面倒を見ると言った訳ではない。
「私だって魔導士なんですから、命がどれだけ儚いものか何度も目にして来ています」
「魔導士だからって、この子の人生をあなたが背負うことには何の理由にもならないでしょ?」
「いいえ、なります。その儚さを知っているからこそ、翡翠ちゃんの体だけじゃなくて、心の命も守りたいんです。……彼女のお母さんを助けられなかった、私の責任なんです……」
「……」
美沙の強い意志に初咲は何も言わなかった。
母親を助けられなかった贖罪の意味も無いわけではないのだろう。
だが、美沙は翡翠のために自分の力を使いたいと言っているのだ。
(あの美沙が、ここまで自分の意志を主張するだなんて……)
そう思わずにはいられない程、美沙が自らの意志を示したことが珍しかった。
やや逡巡した後、初咲はふぅと息を吐いてから、美沙と目を合わせる。
「──一月一緒に暮らしてみて、天坂翡翠本人が良いと望むのならという条件付きよ。彼女が嫌だと言うのなら、あなたの提案は白紙。それでも良いかしら?」
「そこまで譲歩してもらえたら、十分です……ありがとうございます」
頭ごなしに否定することなく、ある程度の譲歩をしてくれた初咲に礼を伝えて、美沙は隣に座る翡翠へ顔を向ける。
「──私が、あなたの家族代わりになるよ……良いかな、翡翠ちゃん?」
「……家族?」
〝家族〟という言葉に反応して、翡翠は空虚な瞳を美沙に向けた。
出来るだけ彼女の不安を和らげるように、美沙はにこりと笑みを浮かべる。
美少女に分類される彼女の笑顔を見れば、多くの人が見惚れるだろう。
それを狙った訳ではないが、美沙の笑みに対して翡翠は……、
「イヤ」
「──え?」
顔色一つも変えず、真顔で端的にそう返され、その返答に美沙はピタリと笑顔を凍らせた。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は4月7日に更新します。
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