216話 新しい日常の朝
「おはようございます、ツカサ先輩!」
「おはよう、ルシェちゃん」
十月十一日の朝の七時五十分頃。
オリアム・マギ日本支部の入り口前で待ち合わせをしていたルシェちゃんと挨拶を交わす。
ゆずと違って駅前じゃないのは、少しでも俺以外との男性との接触を避けるためだ。
ルシェちゃんもゆず達と比較してもかなりの美少女であるため、駅前にいたら注目の的になるのは明らかだし、そうなるとナンパをしてくるやつでも出て来る。
そうならないように、女性が大半を占める日本支部の入り口なら周辺に人はいないし、いたとしても相手は女性であることが多いため、安心して待ち合わせが出来るというわけだ。
しばらくはルシェちゃんの男性恐怖症の治療に専念するため、ゆずとの待ち合わせも一時的に制限することになってしまい、昨日はゆずを宥めるのに大変だった。
お詫びとしてキスを要求されたが、初咲さんやアリエルさんから甘やかすなと釘を刺されているため、二回目以降は何かと理由を付けて躱し、休日にデートで許してもらうことになった。
ともかく、俺とルシェちゃんは隣り合って学校へと歩みを進める。
「さて、男性恐怖症の治療といってもまずは何から手を付けるべきかな……」
昨日家に帰ってから男性恐怖症の治療に関する勉強は可能な限りしてみたものの、いざ実践するとなるとどれから行うべきが悩んでしまう。
「あ、それなんですが、アリエル様から治療プログラムをまとめた書類を受け取っていますよ」
「それはありがたい……って素直に言えないのはどうしてなんだろうなぁ……」
「あ、あはははー……」
あの悪戯好きなアリエルさんなら、男性恐怖症の治療にかこつけて何かしら仕掛けて来ないとは言い切れない。
ルシェちゃんもそれを分かっているのか、苦笑いを浮かべるだけで否定出来ないでいた。
「まぁ、何もないよりはマシか……早速見せてもらってもいいか?」
「はい! えっと、朝の登校時の場合は……これですね!」
今何パターンか存在しているような言葉が聞こえて来たが、口を挟まずに渡された紙を受け取る。
その紙に視線を落とし、書かれている内容に目を通す。
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愛するツカサ様へ。
ルシェアの男性恐怖症の治療の役目を引き受けて頂き、誠に感謝申し上げます。
さて、治療をするにしてもまずはどこから手を付ければいいのか、悩まれるだろうと思い、勝手ながらワタクシが医師と相談した上で道しるべを示したいと思います。
ルシェアの男性恐怖症はツカサ様以外の男性相手の場合、触れられれば発作が起きますわ。
目を合わせての会話はたどたどしいものではありますが、一応可能ではあります。
ですので、学業においては滞りなく済むかと思われます。
そこで、まずはツカサ様相手で、どこまでが限界なのかを把握するところから始めましょう。
ルシェアには辛いかと思いますが、先に限界を見極めることで明確なゴールラインを設定することに繋がります。
お二人の御健闘をお祈りいたしますわ。
アリエルより。
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あれ、思ってたより普通だった。
いや、開幕に愛するとか書いてるのを〝普通〟で済ましちゃいけないけれども……。
ちょっと自分でも感覚が麻痺していることに動揺してしまう。
「なるほど……先に限界を知ることが最初の一歩なんですね」
「あぁ、いくら俺相手てなら平気って言っても、限度はあるだろうしな」
アリエルさんだって真面目な時はちゃんとする。
ちょっと疑ってしまったことを謝りつつ、続きに目を通す。
下に書いてあるこれが最初にすることだな。
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手を繋ぐ
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これあの時の王様ゲームの続きとかじゃないよな?
本当に意味があるのか訝しむが、紙を睨んだところで答えが浮かび上がってくるわけでもないし、まだハードルは低い方だろうと思うことにして、俺はルシェちゃんへ左手を伸ばす。
「まずは手を繋ぐって書いてあったけど、いけそうか?」
俺がそう問い掛けると、ルシェちゃんはダンスの誘いを受けるようにそっと俺が差し出した左手に、自らの右手を置いた。
それを了承の合図と受け取った俺は、彼女の右手を握る。
ルシェちゃんの手は柔らかく、俺の手より小さいため繋ぐというよりは包むような形だ。
チラッとルシェちゃんを見やると、彼女の表情に変化はなかった。
「──平気、ですね。そういえば昨日ボクが発作を起こした時に、ツカサ先輩に肩を貸してもらった時にも触れていましたね」
「あの時も特に発作は起きてなかったよな。じゃあ、体を寄せても平気ってことか?」
「う~ん、あの時は発作でパニックになっていただけかもしれません」
「あー、かもなぁ……それじゃ、一旦手を離すか」
「あ……」
俺が手を離すと言った途端、ルシェちゃんは寂しげに声を漏らした。
その呟きは俺の耳に届き、離そうとした手がピタリと動きを止まる。
「ルシェちゃん?」
「え、あぁ、えっと、ごめんなさい。なんでもないですよ……」
「……」
今の呟きは本人も無意識だったのか、改めて気付いたルシェちゃんは申し訳なさそうに手を離そうする……のを、握り止めた。
「え?」
「寒くなって来たし、暖かくて丁度いいと思わないか?」
「! はい! えへへ……」
あんなに寂しそうな顔をするより、ルシェちゃんには笑顔の方が似合っている。
俺の提案に乗ったルシェちゃんがニコニコと握り返すのをみて、ほっこりする気分だ。
『うぅ、ルシェアさんの場所は私の位置だったのに……』
『ねぇ、なんで朝っぱらから尾行しなきゃいけないわけ? アタシ、眠いんだけど……』
後ろから聞き覚えのあるっていうか知ってる人の声が聞こえるけど、振り返ってはいけない気がする。
だが、俺は前に進むことも困難なことだと気付くには、その時まで気付かなかった。
能々考えてみてほしい。
俺は昨日、何のことで騒がれていたのか……。
ルシェちゃんの男性恐怖症による発作によって、俺はそれを完全に失念していた。
その答えがこれだ。
「ふぅざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」「バナナ! 粉バナナ!!」「何で転入二日目の留学生の美少女と仲良く手を繋いでるんだお前はよぉぉぉぉ!?」「俺リア充アピでもしてんのかぁぁぁぁぁ!!」「俺だって美少女の後輩と手を繋ぎてぇよぉぉぉぉぉぉ!!」「メガネ死すべし!」「竜胆先輩は死ね!」「先輩だからって俺達から青春を奪うつもりか!?」「許さねぇ、アンタは二度、俺達に失恋させようというのか!?」
そう、昨日の放課後に俺は転入初日のルシェちゃんと既に知り合っていたことで、男子達の反感を一身に買っていたのだ。
学校の校門まで行けば、そりゃ昨日の騒ぎを知っている奴の目に留まっても仕方がない。
校門に辿り着いた時に手を繋いだままの姿を見られて、あれよあれよというまにモテない男子達による包囲網が完成してしまったのだ。
ゆずと一緒の時はここまで騒がれることはなかったのだが、彼女だけでなくルシェちゃんも俺と仲が良いのはよっぽど気に食わないらしい。
普通ならこんな包囲網は無理に通って突破するのだが、今隣にいるのは男性恐怖症のルシェちゃんだ。
ただでさえ大勢の男に囲まれてビクビクしてるっていうのに、無理に突破をしようとすれば彼女が発作を起こしてしまう。
今はルシェちゃんを抱き寄せて出来るだけ他の男子に触れないようにしているが、それが余計に男子達の怒りを買ってしまい、余計に包囲網が強化されてしまっている始末だ。
「悪いルシェちゃん、しばらくはこのままになっちまうと思う!」
「い、いえ、えと、つ、ツカサ先輩が守ってくれているので、大丈夫です……」
「なら良かった──おいこら押すなよ! 俺は後で煮るなり焼くなり好きにしてもいいけど、何もルシェちゃんまで巻き込む必要ないだろ!」
「なら俺達が手を引いて出してやる!」
「あ゛あ゛!? ダメに決まってんだろ!!」
「はぁっ!? 独占とかふざけんなよ!」
外野がうるさいが、こればかりは仕方がない。
男性恐怖症のことは極力伏せておく必要がある。
何故なら、そのことを知って良からぬことを企む奴がいないとも限らないからだ。
発作を起こして動けないルシェちゃんに、さらにトラウマを刻むようなことを……そう思うと自然に苛立ちが募る。
だからこそ、俺が俺がとルシェちゃんを連れだすことを希望する男子達の手を跳ね除ける。
それに対して男子達はさらに怒りを露わにするが、俺は右手の甲を向けて中指を立てる。
煽ってる場合じゃないけど、俺の心象を伝えるのはこれが一番だった。
「司ぁっ! ルシェアを連れて走って!!」
「えっ!?」
「スズカさん!?」
それが合図だったのか、いつの間にか学校の屋上にいた鈴花が大声で俺に呼びかけたかと思うと、アイツは自分の魔導武装である弓を装備して斜め上に向ける。
その瞬間、矢の射線上に魔法陣が二枚重ねで展開され、鈴花の放った矢がその魔法陣を通過する。
矢は無数の光の雨となって、次々に降り注いでいく。
包囲網を形成している男子達へ。
「「「「「ギャアアアアアアアアアアッッ!!?」」」」」
術式による攻撃は人体に怪我を負わせることはないが、物理的衝撃は受けるため、今の彼らには頭や背中などにブスリと鋭い何かが刺さったような感覚が走っているだけだ。
それでも男子達は大袈裟に悲鳴を上げて、少しだけ俺から注意が逸れた。
「ルシェちゃん、俺に身体強化術式を掛けてくれ!」
「は、はい! 身体強化術式発動!」
この隙に俺は腕の中にいるルシェちゃんに呼びかける。
彼女の詠唱に合わせて俺の体が火を灯したようにボウっと熱くなる。
身体強化術式が発動した感覚だ。
「よし、一気に走るぞ!」
「わ、わかり──ってふええっ!?」
「悪い、ちょっとだけ我慢してくれ!!」
極力男子達に触れさせないためとはいえ、ルシェちゃんをお姫様抱っこの要領で抱きかかえる。
動揺する彼女に謝りつつ、俺は前を見据える。
ふわりとフランス人らしいフレグランスな香りが鼻を掠めるが、それが気にならないぐらいに慎重かつ迅速に俺は跳び上がった。
「げっ!?」「あがっ!?」「ごふっ!?」「いっだい!?」「げべっ!!」「ぶっ!?」「ぎゃあ!?」「あべしっ!?」「うわらばっ!?」「おご!?」「うぼあ!?」「ぼぎゅ!?」「い゛!」
男子達の頭や肩、時には顔面を文字通り足蹴にして包囲網を突破していった。
忍者みたいだなと思いながらも無事に地面に着地した俺は、一年の教室前までルシェちゃんを連れて行って降ろす。
その様子を見ていた一年の女子達は何故かキラキラとした眼差しで俺達を見ていた。
あぁ、勢いとはいえ生のお姫様抱っこを見たからか……。
っと、早く行かないとまた男子達に囲まれる!
「それじゃルシェちゃん、また昼休みにな!」
「は、はい!」
そうしてルシェちゃんと一旦別れて、一気に二年生の教室へ駆け出す。
『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
『セニエさん、竜胆先輩とどういう関係なの!?』
『羨ましい!』
『え、ええっと、その──』
後ろからピンク色の歓声が上がり、俺はさっきの視線の意味を今になって理解した。
やっべぇ、あれって俺とルシェちゃんの仲を勘繰っていたのか……。
後で誤解を解くことを心に決める。
そうしてものの五秒で俺は教室に辿り着き、大きな音を立てながら教室に駆け込んで来た俺を、クラスメイト達は驚愕の表情で俺を凝視していた。
当たり前だろう。
俺がそっちの立場でも同じように凝視すると思う。
「はぁー、はぁー……」
「お、おはよう竜胆君……その、さっきの動きはなに?」
委員長がクラス代表として俺にそう尋ねて来た。
見られてたか……まぁ、あの騒ぎになって気にしない方が無理な話だ。
なので、息を整えながら俺は予め考えていた言い訳を口に出す。
「──体育祭に向けた自主練の成果だ」
十月二十三日にある体育祭のためだと言い張る。
「そ、そう、なんだ……」
それを聞いた委員長の表情は、理解に苦しむといった風に微妙な感情の籠った眼差しを向けて来た。
何せ、体育祭の競技に人を物理的に踏み台にするような種目はないからだ。
だが、俺はその言い訳を押し通す。
日常指導係と治療矯正係を兼任した新しい朝は、こうして慌ただしくも過ぎて行く。
秋も深まってくる十月の季節が始まる。
──ピーンポーン、パンポーン。
『校内放送です。2-2組の橘鈴花さん、至急屋上から出て職員室に来てください。繰り返します、2-2組の橘鈴花さんは、今すぐ屋上から出て職員室に来てください』
あ。
そういえば、アイツは俺とルシェちゃんのために立ち入り禁止の時間帯に屋上に居たんだった……。
後でジュースでも奢ろう。
密かにそう決めた。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回の更新は3月2日です。
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