212話 身も心も許せる人
「むにゃむにゃ~……」
寝間着に着替えてリビングに戻ると、酔い潰れてソファに横になって項垂れているクロエさんがいた。
両親はまだ意気揚々と酒を扇いでいるため、アリエルさんの言う通り、クロエさんが異常に酒に弱いだけのようだ。
このままリビングで寝て風邪を引かれたら、泊めた側として申し訳ない。
なので、項垂れるクロエさんに声を掛ける。
「クロエさん、寝るならちゃんと布団で寝ましょうよ」
「むぅ~、なんらぁ? やぁらぁ、うごきひゃくにゃいろ~」
誰だこの人。
顔はふにゃふにゃで、呂律も回ってないし、だらけきってるし……。
普段のクロエさんとのギャップがあり過ぎて別人みたいになってる。
「ここで寝たら風邪を引きますよ? だから布団まで行きましょう」
「きひゃまがわらひをはこべぇ~。男ならそれくらいれきるらろ~?」
「えぇ……」
いつもなら『貴様に言われる筋合いはない』ってきっぱり断るのに、男の俺に運べと言うか……。
確かに出来なくもないけど……あぁもう、このままここで寝られて風邪を引かれるよりはマシだ。
正気に戻ったらそう言い訳しようと決めて、俺はクロエさんをお姫様抱っこの体勢で抱える。
クロエさんは女性ながら俺と同じ身長だが、体重は半分くらいと錯覚する程に軽かった。
「じゃあ、クロエさんを寝かせて来る」
「おう、あまり騒ぐなよ。近所迷惑だからな」
「なんならそのまま送り狼になって来なさい」
「それやったら俺が殺されるからな」
俺に対して厳しい態度のクロエさん相手ならなおさらな。
相変わらずな態度の両親に、そんなことはないと断ってから俺はクロエさんを抱えながら、二人が寝る二階の空き部屋に運ぶ。
「うぅ~」
「ほら、もうすぐなんで出来たら戻すのは勘弁してください」
呻き声を出すクロエさんにそう呼び掛けつつ、空き部屋の布団に彼女を寝かせる。
フランスで過ごして来た二人に布団で寝る習慣はないが、ベッドを借りるのも忍びないと予め伝えられている。
しっかりと毛布を被せたことを確かめた俺は、自分の部屋に戻ろうと立ち上がる。
「──リンドウ・ツカサ」
「え?」
不意にやけにハッキリした語調で自分の名前を呼ばれ、俺は驚きながらクロエさんに振り向く。
クロエさんの目は伏せられたままで、顔は酔っているため赤い。
気のせいかと思った瞬間、クロエさんの口が開いた。
「ワタシは……貴様が大嫌いだ」
「……」
クロエさんは俺に対してそう言い切った。
普通は面と向かって嫌いだと言われれば傷付くだろうが、俺の場合はその理由はハッキリしている。
「ユズ殿やナナミ殿のような女性に好かれているくせに、アリエル様の初恋相手が貴様など、ワタシは認めない……認めたくない」
彼女が人生を懸けて仕えると誓ったアリエルさんの好意を、他の女性に好意を持たれている俺に向けられているからだ。
自分が十年以上掛けても解決出来なかったアリエルさんに纏わり付くしがらみを、会って一ヶ月も経っていない俺が解決させたことが気に入らない。
一言で言えば、クロエさんは俺に嫉妬している。
彼女自身の男嫌いに関係なくだ。
「だが……それ以上に貴様には感謝をしているのだ」
「え……?」
そう思っていたからこそ、クロエさんの口から感謝をしていると言われて、戸惑った。
「貴様に恋をしてから、アリエル様が心からの笑みを浮かべられることが多くなった。事あるごとに次はいつ貴様に会えるのか、今何をしているのか、楽しそうに何度もな……」
「……っ」
ぎゅっと、心が締め付けられる感覚がした。
そうまで想われていることに対する嬉しさと、そうまで想われているのに応えられない不甲斐なさが、同時に押し寄せて来たからだ。
「あんなに楽しそうに笑われるアリエル様を見るのは、ローラ様がご健在だった時以来だ。だから、あの笑顔を守った貴様には感謝をしている……」
それでも、とクロエさんは続ける。
「何故よりにもよって貴様なんだ……何故貴様はユズ殿とナナミ殿に好意を持たれているのだ……貴様に好意を向けるのが、アリエル様ただ一人であれば、ワタシも素直にあの方の恋を応援出来るのに……」
「……」
そういう、ことか……。
クロエさんが俺を敵視するのは、アリエルさんの初恋相手だからだけじゃなく、ゆずと菜々美からも恋愛感情を向けられていること……アリエルさんが失恋する可能性を警戒しているからだ。
失恋の辛さは、本当に苦しい。
俺の場合、したというより、させてしまった側だからこそ、その辛さはよく分かる。
美沙の二の舞にはしないようにって思う内に恋愛そのものに臆病になって、三人の告白に応えられないでいる。
そんな情けない自分にほとほと嫌気が差す。
「アリエル様を……かなし、ませたら、ただでは……すまさない、から、な……すぅ……」
ぽつりぽつりと言葉が途切れて、クロエさんは完全に眠った。
クロエさんはただ純粋にアリエルさんの幸せを願っているだけで、俺にアリエルさんを選べと強要しているわけじゃない。
俺だって、自分の恋愛事で取り巻く現状は最低だと思っている。
鈴花にも言われたが、告白したのに俺が優柔不断なせいで彼女達を不安にさせてしまっている。
ならいっそ、嫌われた方が──。
「~~っ、ダメだダメだ!」
首を横に振って後ろ向きの思考を振り払う。
嫌われた方がマシだなんて、それこそ俺を好きになってくれた三人を傷付ける。
そんな逃げの考えは絶対にダメだ。
「──もう寝よう」
頭を冷やすために、ベッドに横になろうと自分の部屋のドアを開けて中に入る。
「お待ちしておりましたわ、ツカサ様♡」
「……」
そこには紺の上下セットのスウェットに身を包んだアリエルさんがいた。
空気を読んでるのか読んでないのか判んねぇよ……。
「あの、そのスウェットって俺のですよね?」
アリエルさんが来ているスウェットは、記憶にある限りでも俺の物だった。
おかしい。
母さんにはちゃんと女性ものを貸すように言ってあるのに……。
なお、泊りなのに着替えを持ってきていないのは、二人が多少の金銭だけを手に転送術式で飛んで来たからだ。
「ええ、同性のお義母様の衣服では胸が入りそうにないだそうでして……」
流石のアリエルさんも俺のスウェットを着ることになったのは予想出来なかったのか、恥ずかしそうに笑みを浮かべていた。
そういえばゆずが体の成長で一部の服が着られなくなったと鈴花に相談していたことがあった。
最初は身長の話かと思っていたが、その話に耳を傾けていると実は胸の話だったようで、女性にとってかなりの死活問題らしい。
母さんより身長も胸もあるアリエルさんじゃ、そりゃあ母さんの服が着られるわけがない。
「ならなんで父さんのじゃないんだ?」
「お義父様がご自身の衣服は加齢臭がするからと仰られて……」
普通に聞けば自らディスっているように聞こえるはずなのに、これ幸いと俺の服を着させる口実に利用しているせいで、哀愁を微塵も感じなかった。
いや、加齢臭を抜きにしても俺の方が父さんより身長はあるから分からなくともないんだけど、スウェットにプリントされている『DOG』が『D O G』になってる。
アリエルさんよりまだ身長の高い俺のスウェットでも、彼女の胸によって生地が伸びていた。
あれ、もう着れないかもなぁなんて考えつつ、アリエルさんに話しかける。
「あの、悪いですけど俺はもう寝たいんですが……」
「あら、丁度いいですわね。ワタクシもこれから休むところですわ」
「そうなんですか?」
「ええ、そうなんですの」
……。
……。
「なら、どうして俺の部屋に居座るんですか?」
「ツカサ様と同衾して休もうと思いまして……」
あぁ、やっぱりか……俺の部屋にいる時点でそうだろうとは思ってたけど……。
さっきのお仕置きは全く懲りていないようだ。
もう一度すると逆に襲われそうな気がするため、最早説得は無理だと諦めることにした。
「はぁ……分かりました。でも変なイタズラをしたらアリエルさん相手でも放り投げますからね?」
「ええ、ツカサ様と同衾出来るのであれば、余計なことは致しませんわ」
一応刺した釘にアリエルさんはあっさりと了承した。
俺が耐えれていればアリエルさんは満足するだろうし、どうせ布団を持ってきて別々で寝ても潜り込んで来るのも目に見えている。
そんなやり取りのあと、俺とアリエルさんは一つの布団に包まって横になる。
なお、俺の部屋の布団はあの両親が将来を見越してダブルサイズを選んだため、二人で寝てもそれなりの余裕がある。
ゆずと菜々美が俺の部屋に来た時にも突っ込まれたが、このベッドを見られる度に居た堪れなくなる。
別に俺が望んだわけじゃないのに……。
ともかく、俺はアリエルさんに背を向けているものの、アリエルさんは俺の方へ体を向けているのか、背中に手を添えられていた。
そうでなくともアリエルさんの近くではドキドキして寝れるはずもなく、中々眠気が来ないでいた。
「ツカサ様、起きていらっしゃいますか?」
「え、はい……」
不意にアリエルさんに話しかけられ、曖昧気味な相槌を打つ。
「ツカサ様は本当に紳士な心持ちなのですね」
「えと、ありがとうございます?」
「ですが、ツカサ様も殿方であれば、色々我慢なさっていることがあるのではありませんか?」
「そう思うんだったら、少しは自重してくれるとありがたいんですけどね」
なんだかんだ言っても俺も男だ。
年相応に女性にというか、そういうことにも興味はある。
正直、ゆずと出会ってからかなりの美少女・美女達と知り合って悪い気分はしないし、あまつさえゆずと菜々美とアリエルさんという三人から好意も寄せられている。
そんな女所帯の中で、俺はよく耐えている方だと自負している。
俺以外の……例えば石谷とかが同じ状況になったら、絶対に自制を効かせることなく誰かに手を出していただろう。
それじゃ、前任の日常指導係やダヴィドと同じだ。
「あら、ワタクシはツカサ様がお相手であれば、喜んでこの身を捧げますわよ?」
「っ、だから、そういうのはやめて下さいって……」
隙あらば誘惑してくるアリエルさんに、ちょっと強めに注意を口にすると、彼女は背中に当てている手で擦ってきた。
その動きは悪戯のようなものではなく、労わるような、慈しむような、優しい手つきだった。
「あ、アリエルさん?」
「先程の浴室のやり取りでもそうでしたが……ツカサ様は不当な性暴力に強い忌避感を抱いていらっしゃるのではありませんか?」
「──っ!?」
アリエルさんの言ったことは図星だった。
そう、彼女達がいくら良いと言っても、俺自身がそのことに忌避感を抱いている。
ゆずから前任の日常指導係の話を聞いたからこそ、フランス支部ではダヴィドが権力に笠を着て凌辱の限りを尽くし、ルシェちゃんを襲ったという事実があるからこそだ。
「もちろん、叔父様のして来たことを思えば、ツカサ様がそう思われるのも無理はありませんわ」
「なら……」
「──ワタクシはツカサ様と過ごした時間はユズ様やナナミ様以外の日本支部の方々よりも、同じ支部でもルシェアよりも少ないのです」
「え……?」
アリエルさんの言葉に、俺は思わず疑問が声に出た。
確かに彼女と過ごした時間はルシェちゃんよりも短い。
だが、こう言ってはなんだが、アリエルさんがそう思う事自体が予想出来なかった。
「特にユズ様とナナミ様には半年という時間の差があります。美貌やスタイルで競えば勝つ事自体は出来るでしょう……ですが、それだけでツカサ様の好意を得ることは出来ません」
一種の劣等感とも言うべきだろう。
俺は今の言葉で、アリエルさんがどういう意図で竜胆家に泊まりに来たのかを明確に察した。
彼女は……焦っていたんだ。
俺と過ごす時間が少ないのなら、自分の体を擲ってでも俺を振り向かせようとしていたんだ。
「ワタクシはツカサ様をお慕いしております……この想いに嘘偽りはございません。ですが、ふと堪らなく怖くなる時があるのです……ツカサ様に拒絶されてしまうのではないかと」
「そんなこと──」
「ええ、もちろん心優しいツカサ様がその様な事をしないとは理解しています。ですが、それでも……ワタクシとツカサ様にはユズ様達のような思い出が多くはないことが、どうしても焦燥感に駆られてしまうのです」
「……」
アリエルさんの声は吹けば消えてしまいそうに弱々しくて、背中に触れている手が寝間着をギュッと掴む。
「初めてなんですの……アルヴァレス家も外見も関係なくワタクシ個人を見て下さったことが、ワタクシの努力を無駄ではないと言って下さったことが、お母様達へ向ける愛とは違う恋をするのも……全て、ツカサ様が初めてですわ」
その手から、神経を集中させないと分からないほどの小さな震えを感じた。
背中越しに伝わる震えに、俺の心に大きな後悔が生まれた。
何が解ってるだ……俺は鈴花の言葉を十分の一も理解出来てない。
アリエルさんはダヴィドのせいで、自分の感情を誤魔化すことに慣れていただけで、俺が告白の返事をなぁなぁにしていることで不安にならないわけないだろ。
アリエルさんだけじゃない。
ユズとナナミにとっても、俺に対する恋は初恋なんだ。
人に恋愛感情を抱く経験の無さは三人とも同じなのに、慣れない恋で些細なことでも不安に思うのは当たり前なのに、俺は今の今まで気付かない程の馬鹿野郎だ。
「この想いが成就しないことよりも、ツカサ様に不要と断じられる方が、ワタクシには耐えられませんの……」
「アリエルさん……」
こんな有り様じゃ……身近な人を不安にさせているようじゃ、魔導士と魔導少女の日常を守ることなんて夢のまた夢だ。
そして、こんな自分に対する情けなさも一層強くなる。
何が情けないって、アリエルさんにここまで言わせているのにも関わらず、彼女の気持ちに応える感情を持ち合わせていないことだ。
結局、まだ揺れているんだ。
ゆずへの想いと、菜々美への想いと……アリエルさんへの想いに。
本当に自分の優柔不断っぷりには嫌気が差す。
けれども、その答えを出すには今はまだ早い。
菜々美との約束……美沙に会って過去の事に踏ん切りをつけるまでは……。
なら、今出来ることは……。
「アリエルさん」
俺は寝返りを打って、アリエルさんと向き合う形になった。
アリエルさんの表情は、声音で察した通り不安気なものだった。
彼女にそんな表情を、思いをさせてしまったことに罪悪感を覚えつつ、俺はアリエルさんの頬に右手を添える。
その肌は驚くほどに柔らかくて、アリエルさんの体温が直に伝わった。
ほんの少しだけ力を込めてしまえば、花の茎を折るように簡単に壊れてしまいそうだと錯覚する程の繊細な肌を撫でる。
「俺はレナルドさんの前で言った通り、アリエルさんを悲しませるようなことはしたくありません」
「あ……」
「それに、アリエルさんは俺との間に思い出が多くないって言ってますけど、別にそれでいいんです」
「え?」
「だって、これからこうして一緒に日常を過ごしていれば、思い出はたくさん作ることが出来るじゃないですか。数が少ないことなんて、すぐに忘れられるくらい、たくさんです」
「──っ!」
俺の言葉に、アリエルさんは目を見開いてまじまじと見つめる。
気休めだ、綺麗事だって言われてしまえばそれだけの拙くて淡い言葉は、それでも今この瞬間、確かにアリエルさんの心に響いた。
「あと、俺にとってアリエルさんはゆず達と比べるのが難しいくらい、俺の日常に自然と溶け込んでいるんです。めちゃくちゃ綺麗でスタイルもいいのに悪戯好きで、どこか危なっかしくて、時々こっちの心配も平気で飛び越えるくらい行動力と大胆さもあって、次は何をしてくるのか不思議と飽きないんですよ」
「あ、う、うぅ……」
ありのままの言葉を伝えると、アリエルさんの顔はみるみるうちに赤く染まっていく。
そんな初めて見る珍しい反応に、俺は笑みを浮かべながら続ける。
「俺は、アリエルさんが思うよりずっと情けなくて頼りないですけど、それでもちゃんとアリエルさんからの気持ちには向き合います。それだけは、絶対に約束します」
「あ……」
そう伝えて、俺はそっとアリエルさんを抱き寄せる。
頬を触った時もそうだけど、何度やっても女性の体はガラス細工みたいに繊細だと思う。
だからこそ、大事にしたいと思えるのだろう。
「──不思議ですわね……告白を受け入れられたわけではありませんのに、心が、とても幸せだと訴えているのです……」
俺の胸に顔を埋めるアリエルさんが、そう零す。
言葉通りというか、そう語る彼女の声音は確かな安心感を含んでいるように思えた。
「ツカサ様……愛して、います……わ……」
安心からなのか、アリエルさんはウトウトとしてそのまま眠ってしまった。
アリエルさんを抱き寄せている体勢から動くと、せっかく寝入った彼女を起こしてしまうし、俺もそのまま眠ることにした。
やがて眠気はすぐにやってきて、俺もすぐに寝入った。
そうして翌日の夕方。
二日酔いでフラフラのクロエさんを連れて、アリエルさんはフランスへと帰って行った。
次にいつ会えるかは分からないけど、アリエルさんの表情には陰りが見える事はなかった。
7時にキャラ紹介を更新します。




