182話 消えた歌姫
突然クロエさんの口から知らされたアリエルさんが戻っていないという事実に、戸惑いと驚きを隠せずにいると、クロエさんは俺達の方へ近づいて来た。
「ゆ、ユズ殿……はぁ、はぁ……あ、アリエル様を、見掛けていないか?」
「い、いえ。私だけでなく他の皆さんもアリエルさんを一昨日から見ていませんが……?」
「そ、そうか……っく!」
この場で一番信頼しているであろうゆずに、クロエさんは何故かアリエルさんの所在を問いかけて来た。
だが、ゆずが知らないと答えると、クロエさんは苦虫を嚙み潰したように悔し気な表情を浮かべた。
その様子に嫌な予感がした俺は、クロエさんに尋ねることにした。
「……クロエさん、なんでそんなに焦っているんですか?」
「それ、は……」
言うべきかどうか顔を伏せて逡巡するクロエさんは、十秒足らずで決断したようで、顔を上げて口を開いた。
「……先日、アリエル様がルシェアと共に巡回の仕事に赴いたのは知っているな?」
「……はい」
「ルシェアちゃんは大丈夫だったの?」
「あぁ、見送りの際に問題ないと本人から申告があった」
「そうですか……」
それはそれでよかったと安堵するが、クロエさんは険しい表情のまま続ける。
「だが、昨日夜遅くになっても……今朝になっても、アリエル様はフランス支部にもアルヴァレス家にも戻られていないのだ……!」
「その巡回の仕事って元々泊まり掛けとかじゃなかったの?」
「アリエル様は時々私に仕事を任されることはあっても、必ず夕食前には戻られていた。今まで朝になっても戻られないことなど、一度たりともなかった」
菜々美さんの指摘をクロエさんは首を横に振って否定する。
「アリエルさんに連絡はしたのですか?」
「いいや、アリエル様は携帯電話を所持していない」
「ええっ!? 今どきガラケーどころか持ってすらいないって珍しい……」
よりにもよって持っていないとは思わず、驚きを隠せなかった。
能々思い返せばアリエルさんが携帯電話を持っているのなら、俺達の中の誰かと連絡先を交換しようとするはずだし、抜け出した時にクロエさんから連絡があったはずだ。
それをしなかった時点で、携帯すら持っていないことを察しておくべきだった。
「このような非常時を想定していなかったのですか?」
「う、ぐ……ワタシは何度も所持するだけでもと勧めたのだが、アリエル様本人はあまり必要性を感じておらず、ダヴィド支部長も先代当主が付け入る隙を作るのは得策ではないと難色を示されていて、結局ワタシが護衛の役割を担うことになったのだ」
先代当主……アリエルさんのお爺さんか……。
今でもアリエルさんをアルヴァレス家から排斥しようとしてるらしいから、警戒するのは当然か。
「あ、だったらルシェアに連絡はしてみたの?」
「そうか、昨日の巡回に付いて行ったルシェちゃんなら何か知ってるかもしれないよな」
「クロエさん、どうなの?」
鈴花の妙案に乗っかって、菜々美がクロエさんに尋ねる。
「……ワタシがそれをしなかったと思うか?」
「あ……」
だが、クロエさんの表情は晴れることなく、むしろ俺達より早い段階で取れる対応を取った後だと察するには十分な答えだった。
そもそも、ルシェちゃんと連絡が取れていたのなら、クロエさんはこうして俺達にアリエルさんの所在を尋ねに来たりしない。
アリエルさんが姿を消したと近いタイミングでルシェちゃんとも音信不通になったなんて、偶然にしても最悪に近い。
――あ。
「おい……まさか、そんな……」
「つ、司?」
俺はようやくクロエさんがここまで慌てる理由に行きついた。
事態はより深刻なのだと、理解したからこそ、彼女の焦りがよく分かった。
「……クロエさんがルシェちゃんとも連絡が取れなかったってことは、あの子もアリエルさんと同じように行方が掴めていないってことだよ」
「は……え、それって相当まずいんじゃないの!?」
アリエルさんが戻らない。
一緒にいたはずのルシェちゃんとも連絡がつかない。
このことから導き出される可能性は一つ。
「二人共誘拐されたかもしれないってこと!?」
「……そうだ」
菜々美の答えにクロエさんが頷く。
瞬間、クロエさんの焦りが伝染したように、俺達の心にも焦燥感が走る。
「た、探査術式を使えば――」
「いいや、あれは人間と唖喰、動物の三種類の生体反応を見分けることが出来るだけで、個人の特定は不可能だ。それにあの術式は平面の地図を見るようにレーダーを映し出すものだから、生体反応があったとしてもそれが上空なのか地下なのかは直接見てみないと分からんのだ」
「くそ、そうだった……」
こういう時に戦闘特化で進歩してきた魔導の拙さが浮き彫りになる。
そもそも、ゆずにストーカーが居た時だって、個人の特定が出来ていればもっと早く解決することが出来ていたし、高低差を見分ける機能だけでもあればよかったのに、なんとも歯がゆい気分だ。
今さらそのことを嘆いていても仕方ないと首を横に振って割り切る。
術式どうこうは後にして、今は二人を探す方法を考えないと。
「ですが二人は魔導士です。誘拐犯相手に早々遅れを取るとは思えません」
ゆずの指摘も尤もだ。
対人向けの護身術と身体強化術式を合わせば、魔導士相手には軍隊でも容易に敵わない。
だが……。
「クロエさんが懸念してるのは、同僚の人達を妊娠させた男の人が犯人かもしれないってこと?」
そう。
菜々美の言う通り、俺達はフランス支部の腐敗の元になっているある問題を知っている。
ゆずが一年前の交流演習の時に、模擬戦をしたことのある元フランス支部の魔導士達。
表向きは彼女達の寿退役となっているが、実際は誰が父親かも不明なまま妊娠していたという、無責任の被害者だ。
女性を妊娠させるなんて男が居なければ不可能だし、一年間という短期間でその退役した魔導士二十人それぞれに伴侶が出来て妊娠するとは偶然にしても歪すぎる。
しかもその全員が記憶処理術式を受けているため、アリエルさん達との思い出はもちろん、彼女達を妊娠させた男の詳細も不明なままだ。
男……とは言ったが、これが単独犯なのか複数犯なのかも一切不明だ。
DNA鑑定でも出来ればいいのだが、魔導という繋がりを失った彼女達と接触することは規則で禁止されている。
記憶処理術式を受けたことによって、向こうは完全にアリエルさん達を忘れている。
自分を一方的に知っている相手から話し掛けられて、素直に信用することなど出来ないし、ただでさえ慣れない子育てに不安を抱いているのに、余計な混乱を招くのは良くない。
なので、犯人の男の詳細を彼女達から聞きだすのは困難……いや、犯人に関する記憶も失われているから、不可能といった方がいいか。
だが、その犯人の記憶を覚えていないことが僅かな手掛かりとなっていた。
少なくとも、組織の一員であれば男でも記憶処理術式の範疇に含まれる。
正確には、組織と……フランス支部と関わりのある財団や企業の男が犯人という説が濃厚だ。
だからクロエさんは、アリエルさんやルシェちゃんとの時間の合間を縫って調査をしていたのだが、その成果は一向に実ることなく膠着状態が続いていた。
しかし、ここに来てアリエルさんとルシェちゃんが同時に姿を消した。
「ワタシが傍を離れている時に、アリエル様とルシェアが狙いすましたかのように行方をくらませた……可能性は高いと踏んでいる」
ある意味最悪のケースをクロエさんが口にする。
ダヴィド支部長やアリエルさんを始めとしたアルヴァレス家の目を掻い潜って、魔導士達を襲った犯人が、アリエルさんをターゲットに選んだということだ。
ルシェちゃんの場合は恐らく、アリエルさんと一緒に居たから情報の拡散を防ぐ口封じのために攫われたと考えるのが妥当だろう。
「でもさっきゆずが言った通り、あの二人が簡単に攫われるはずないよね?」
「相手が余程の手練れか、油断を突いたところを拘束したと見るべきかもしれません」
「手練れはともかく、二人の油断を誘うなんて出来る気がしないよ……」
ゆず、鈴花、菜々美がそれぞれ質疑応答を繰り返すが、俺はふとある疑問が浮かんだ。
「待てよ、組織の一員か関係者の男でも記憶処理術式の範疇に含まれるんだから、犯人はそのどっちか……仮にそいつが二人の顔見知りだったらどうだ?」
「「あ!」」
顔見知りなら二人は警戒心を解くのは容易だろう。
実際にターゲットとの信頼関係を築いて、相手の警戒心を解いてから手に掛けるなんて、有り得ない話しじゃない。
「相手のことは知ってるからと安心して油断したところを、スタンガンなりで気絶させて誘拐……犯行の手口としてはこんなところか……」
クロエさんがそう口にする。
悔しいが、人の良い二人にはこれ以上ない有効な手段と言わざるを得ない。
「クロエさん、当日の巡回のルートは把握していますか?」
「あ、ああ。急遽代役を要請されることを見越して、一寸の狂いなく記憶している」
ゆずの質問に、クロエさんは焦りながらも答えた。
それを聞いたゆずは、人さし指をピンと立てて口を開く。
「ではクロエさんはその巡回先の最初に立ち寄る予定の施設と、と最後に立ち寄る予定の施設へ交互に連絡をして、アリエルさんの動向を探って下さい」
「な、何故交互なのだ?」
ゆずの指示にクロエさんが口を挟む。
「そっか。それで次に向かう場所と最後に立ち寄った場所の中間が二人の攫われた可能性が高い場所で、そこに何か証拠かメッセージが残ってるかもしれないってことだね?」
俺も何故そうするのか疑問に思っていると、ゆずの意図に気付いた菜々美が答えを口に出す。
正解と肯定するようにゆずが首を縦に振った。
「そういうことです。私達は外に出て可能な限りアリエルさん達を探してみますので、司君はこのことをダヴィド支部長に報告してください」
「分かった」
「パリって相当広いよね? 見つけられるかな?」
「無理に肉眼で探すより、探査術式を発動しておいた方がいいよ」
鈴花の不安を払うように、菜々美が探査術式を勧めた。
だが、鈴花はより不安を強めたように眉を顰めて菜々美に問い返す。
「え? でも個人の特定は出来ないんでしょ?」
「出来ないけど……もし二人を誘拐した犯人がパリの人気の無い場所に連れ込んだのなら、場所を絞ることは出来るよ」
「あ、そういうことか……」
菜々美が言いたいことはこうだ。
探査術式で個人の特定は出来ない。
これは絶対の制限だが、人の生体反応を確認することは出来る。
仮に単独犯の犯人が森の小屋に二人を連れて行ったとする。
すると探査術式で映し出されるレーダーには、犯人とアリエルさん達の三人分の生体反応をキャッチ出来る。
最低でも三人以上の場所に絞るように添削すれば、おのずと二人のいる場所も分かるということだ。
「でもこれは犯人の人数が分かっていればの話……アリエルさん達を含めて最低でも三人以上ってことしか分からない今だと、あまり有効にはならないけれど、全く使わないよりはマシだよ」
菜々美はそう言って説明を終えた。
「……分かった」
鈴花も反論することなく、捜索の手順の確認を終えた。
「クロエさん、必ずアリエルさんとルシェアさんを見つけましょう」
「ユズ殿……すまない、恩に着る」
ゆずがそう締めくくり、三人は屋外へと駆け出して行った。
残された俺達は、それぞれに指示された行動をこなすためにクロエさんは巡回ルートの施設や企業に電話をしてアリエルさんの動向を探り、俺はダヴィド支部長のいるフランス支部の支部長室へと向かう。
これが、日仏魔導交流演習の最終週における、長い一日の始まりだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は12月10日に更新します。
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