181話 忍び寄る不穏の影
九月下旬。
菜々美が立ち直ったことで、彼女は真っ先にゆず達に心配を掛けたことを謝罪した。
もちろん、ゆず達は彼女を快く許した。
特にゆずに至っては自分を重ねていたこともあって、菜々美が元の調子を取り戻したことに感極まって目に涙を浮かべていた。
なお、菜々美とキスをした事実は伏せてある。
むざむざ吹聴していいことじゃないし、言ったら最悪俺の命が危ない。
そうした出来事があった翌日の木曜日。
交流演習も明日以降の金土日の二日間を残すだけとなった。
菜々美のことや唖喰のことでゴタゴタしていて経過を知れていなかったが、結局クロエさんの懸命の調査も空しく、フランス支部の元魔導士達を妊娠させた人物は不鮮明のままだった。
このままであれば、いっそのことポーラ達を解雇したのち、ちゃんとした人員が確保出来るまで他の支部からの派遣員に頼る形で済ますしかないという。
だが、これも難しい。
世知辛いことに魔導士も常に人材不足だ。
ゆず達の戦いを知って以降は傷付くことを恐れて辞めていく人が多いと思っていたが、実際は一年以上組織に継続して所属していた人に対して唖喰の絶滅不可を知らされることで、それ以上の期間を戦い続ける人があまりいないと知った。
俺が交流したことのある魔導士・魔導少女はそう言った戦い続けることが出来る強い人達がほとんどだからあまり実感は薄いが、普通は『絶滅出来ない相手と戦うとか絶対無理』なんていうのが至極真っ当な人の感性だろう。
少なくとも、ルシェちゃんや鈴花は続けるだろうが、ポーラ達は無理だろう。
むしろ、あらぬ文句を言って組織に不利益なことをやらかしそうだ。
その点でも俺は人に恵まれていると実感出来る。
ともかく、フランス支部の人材不足を補うために派遣員を送ろうにも、その派遣員すら遅れないのが現状だ。
だからこそ、ベルブブゼラル討伐のためにアルベールとベルアールを派遣したアメリカ本部長の判断は大胆なものだと分かる。
まぁ、それは自国に最高序列第二位という、肩書に裏打ちされた確かな実力を持つ魔導少女がいるからこその余裕だろうが。
なので、もしフランス支部に派遣員を送ろうとするなら、日本支部かアメリカ本部のどちらかが一番有力候補だと思う。
日本支部にはゆずと季奈という二大戦力がいるし、アメリカ本部はさっき述べた通り最高序列第二位の魔導少女がいる。
同じく最高序列の魔導士を抱えているはずのイタリア支部が候補に無いのは、肝心の第三位の人が常に世界中を放浪する人なので、あてにならないという残念な理由があるからだったりする。
もちろん、世界各国の支部にはクロエさんのように最高序列に名を連ねていなくとも遜色ない実力を持つ魔導士もいるにはいるが、やっぱり安定して人材を派遣出来るのは日本とアメリカのどちらかになるという。
「――と、いうわけですので、ワタクシはまだまだ馬車馬のように働く必要があるわけですわ」
「あぁ、アリエル様……なんとお労しい……」
人払いを済ませたフランス支部の訓練場内にて、それらの事情を俺とゆず、鈴花に菜々美の四人に一通り説明したアリエルさんはゆっくりと息を吐いた。
その様子は本当に疲労の色が強く出ていて、クロエさんが嘆かわしいというように顔を青くしている。
「仮に派遣される人材を指定出来るのであれば、ワタクシとしては是非タチバナ様とカシワギ様のお二人の派遣を願い出たいと考えておりますわ」
「「ええっ!!?」」
名指しされた鈴花と菜々美が驚きの声を上げた。
そのことには俺もゆずも驚きを隠せない。
何せ、最高序列第四位のアリエルさんがそう言うということは、二人にはそれだけの実力があると明言しているのだ。
片や経歴半年も経過していない新人、片や一年を経過して新人を脱したばかりの魔導士。
とてもじゃないが頼りがいがあるとは言えない。
それでも二人を推す理由を説明するため、アリエルさんは右手の指を三本立てる。
「理由は三つ。一つ目は確かな実力と人格の持ち主であること。派遣される人物が派遣先の支部の魔導士より実力が及ばない、又は人格に問題があっては人材育成以前の問題ですわ」
一つ目の理由は社会でも当然のものだった。
新人を育てるために他の部署から人員を引っ張って来たのに、新人と同レベルの仕事しか出来なかったら引っ張って来た意味がないのと同じだ。
逆に仕事が出来ても、指導する新人を見下すような人も駄目。
人間関係が悪いと仕事が続かないし、基本的なホウレンソウも出来ない。
社内差別など以ての外、全員友達になれとは言わないが、それでも最低限仕事に支障の無い付き合いが出来ることが望ましい。
現にポーラはまさに典型的にダメな方だ。
ルシェちゃんをストレス発散のために殴ったりいじめたり、挙句まともな指導もしていない。
ポーラそのものでなくとも、似たような人が派遣されても結局元の木阿弥になってしまう。
日本支部でも実力があって日常生活に支障はなくても、性格どころか人格がアウトな人も何人かいるらしい。
俺も一度だけヤバイ人を見かけたことがある。
他県に住んでいて、マスクを付けている魔導少女とゆずが模擬戦をしているところを見たことがあったが、そのマスク魔導少女さんは戦闘中に素敵な狂笑を訓練場内に響かせていた。
あれはもう初見でヤバイ人だと直感出来るくらいだ。
そして、そんな人を相手に顔色一つ変えずに勝利を収めたゆずさんも相変わらずだった。
やっぱ唖喰と戦っていたらああいう人に対する耐性も育つんだろうか?
っと、話が逸れてた。
幸いアリエルさんが二人を選んだ理由を話していたようだし、話に置いて行かれていないようで少し安心した。
「二つ目、日本の最高序列であるナミキ様とワラモチ様が動かせないこと。基本的に最高序列の魔導士・魔導少女は各国での自由行動を認められていますが、原則として派遣人員として扱うことは出来ません。今回は交流演習ですので許可されていますわ」
これもまた当然。
所属国の最高戦力を送るということは、所属国の守りを捨てるようなものだ。
交流演習では平日は所属国に帰るため許可されているが、日本支部に派遣されていたアルベールとベルアールのように、派遣員は派遣先の国で寝泊まりをすることになっている。
人材育成にはどうしても時間が掛かるし、流石に最高戦力をそんな長期間貸し出すわけにはいかない。
じゃあ何で第三位の人は勝手に世界中歩き回ってるんだってツッコミたくなるが、これはイタリア支部の魔導士達がかなり高い実力を有しているためである。
一人一人がクロエさん級というのだから、組織の中でも最も安定した戦力とも言えるだろう。
が、それは自国を守るのに問題ないというだけで、人材を派遣出来る余裕があるわけではない。
それを抜きにしてもやっぱり第三位の人の放浪癖に頭を悩ませているらしいが。
自由人過ぎて段々どんな人か気になって来たのは、内緒だ。
「そして最後に三つ目。これは他二つの理由に比べてワタクシ個人の意思が強いのですが、お二人と交流があるからという理由ですわ」
「そ、それもそうですけど……」
「交流がある人と全くない人では段取りの確認のしやすさが段違いですの。特にワタクシの場合はクロエがついていますので、彼女が信頼出来ない人物は同性であっても到底受け入れられないのですわ」
「もちろん、アリエル様が候補に挙げられた通り、ワタシはスズカ殿とナナミ殿の人柄を信頼し、先日の模擬戦で手合わせを通じて実力も概ね把握している……故にお二人は派遣員として適しているとワタシは判断しているぞ」
「あ、ありがとうございます……」
クロエさんの頼もしい太鼓判に、鈴花と菜々美は身に余る思いから反論するどころかお礼を伝えていた。
すげえな……。
俺、クロエさんから未だフルネームで呼ばれるのに、鈴花達は名前呼びの上に〝殿〟って敬称付きで呼ばれてる。
ちなみにゆずも同じ感じで、ルシェちゃんは呼び捨てではあるものの、所謂同郷のよしみという類のものだ。
なお、アリエルさん曰くクロエさんは苦手な人物又は嫌いな人物はフルネームで呼ぶという。
これだけで俺が彼女に嫌われているというのがハッキリしただろう。
それでも男嫌いのクロエさんと会話が成立する時点で他の男よりは好意的らしい。
男ってだけで会話すら出来ないとか、ハードルが高過ぎてあまり特別扱いされてる感じがしないけど。
話が一区切り着いたところで、ゆずがクロエさんにあることを尋ねた。
「そういえばクロエさん、ルシェアさんはどうですか?」
「体調が優れないというので、休養を取っている」
「そうですか……」
ゆずはルシェちゃんの様子を聞いて、ため息をついていた。
こうして事情を知っている面々で集まっているのに、あの子だけ居ないのは妙だと思っていたが、体調不良なのか……。
「風邪かな?」
「昨日見た感じはそう見えなかったけど……」
鈴花の言う通り、少なくとも昨日話をした時は元気にしてたけど、大丈夫だろうか?
「でもルシェアちゃんはここのところすっごく頑張っていたし、ちょっと疲れちゃったんじゃないかな?」
「確かにそうですね。交流演習が始まってから私達と共に訓練をしたり、クロエさんが教導係になってからは一層ハードになっていましたから、幾分罪悪感を覚えますね」
「まぁ、まだ二ヶ月の新人の子がベテランのゆず達の練習量に付き合い切れるわけなかったよね」
「それお前にも言えることだからな?」
ゆず達が各々の思い当たる節を述べる中、経験の違いを語る鈴花にすかさずツッコミを入れる。
鈴花は俺に遅れること一週間後に魔導少女となったわけで、それこそ俺と同じくまだ半年も経過していない。
実質ルシェちゃんと三か月程度の差しかないのだが、鈴花の場合その間の経験が濃密だったため、一概に時間の差だけとは言えない部分もある。
本人の才能とたゆまぬ努力があったからこそ、平然とゆず達に付いて行けているのだろう。
後で様子を見に行った方が……って、能々考えたらルシェちゃんの家のことはパリの北部にある以外は全然知らないな……。
「クロエさん、ルシェちゃんの具合がわるいなら見舞いに行こうと思うんですけど、あの子の家はパリ北部にあるのは知ってるんですけど、クロエさんは具体的な場所って知ってますか?」
「何故男の貴様にルシェアの個人情報を教えなければならない」
「あ、すみません……」
今にも心臓を突き刺しそうな鋭い視線で睨まれて、思わずヘタレる。
いやだってマジで怖かったんだって……。
そしてクロエさんの言うこともご尤も。
確かに女の子の住んでる場所とかホイホイ教えたら、個人情報保護法とかプライバシーの侵害とかに当たる。
親しき中にも礼儀ありという当たり前のことを見落としていた。
「まぁまぁクロエ。恐らくリンドウ様は気を失っている間にルシェアに看病されたお返しと思ってのことでしょうし、それくらい大目に見てはどうでしょうか?」
「しかしアリエル様……」
「それではこうしましょう」
渋るクロエさんに対し、アリエルさんは妙案を思いついたように両手の手のひらを合わせる。
「丁度明日の巡回の同行者がルシェアですので、その際にワタクシがそれとなく許可を得てみますわ」
「いや、体調が回復してから聞いても意味が無いだろ?」
明日教わったところで何の意味があるんだ?
結果として俺がルシェちゃんの住所の情報を把握するだけじゃん。
「ではせめて、どういった症状なのかを聞き出します。ただの風邪かどうかでも分からないよりは掛ける心配は大きく減ると思いますわ」
「そうですね……その方がいいと思います」
それならと賛同する。
と、同時にふと気になったことを尋ねる。
「アリエルさん、なんでクロエさんじゃなくてルシェちゃんを同行者に選んだんですか?」
「あの子も将来的にワタクシの傍仕えになるようですし、練習の機会を与えようと考えたまでですわ」
「なるほど……」
アリエルさんがルシェちゃんを指名した際、クロエさんから何のリアクションがなかったから、ちょっと気になっていたのだが、そういう意図ならばクロエさんが反対することも無いなと理解した。
だが、案を出したアリエルさんは『あ』と声を上げた後……。
「もし体調不良の理由が生理関係でしたら、どうしましょう?」
シン……と空気が静まり返った。
……。
この人は本当に……。
「……無理に報告しなくていいんじゃない?」
「流石にそれを司くんに教えるのはちょっとルシェアちゃんに申し訳ないよね……」
「そもそも答えないのでは?」
「……アリエル様、お戯れはよしてください」
アリエルさん以外の女性陣……クロエさんですら呆れ返っていた。
「あら、場の空気を和ませようと思いましたのに……」
素なのかわざとなのか、きょとんとした表情でいけしゃあしゃあと言ってのけるアリエルさんに、ますます呆れるしかなかった。
和ませるどころかむしろ変なベクトルで気まずくなってます。
ともかく、ひとまずルシェちゃんの事はアリエルさんに任せることになり、俺達は解散した。
そして二日後の土曜日の朝。
フランス時間午前五時。
日本時間では午後の正時にあたる時間のため、食堂でゆず達と食事を摂っていると、入り口のドアが大きな音を立てて開かれた。
突然の音に驚いてそちらへ顔を向けると、肩を大きく上下させるほど息遣いの荒いクロエさんが険しい表情をしており、彼女からあることを告げられた。
「アリエル様が……昨日の巡回から未だ戻られていないんだ!」
長かった五章もいよいよクライマックスに突入です。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は12月8日に更新します。
面白いと思って頂けたら、下記よりいつでも感想&評価をどうぞ!




