165話 魔導少女とフランスデート ルシェア編
「着きました! 今日はここでボクがお支払いしますね、ツカサさん!」
「ああ、よろしくな、ルシェちゃん」
ルシェちゃんに連れられてやってきたのは、パリの北側にある〝パジョル通り〟の道沿いにある、オープンテラスが特徴的なカフェ店だ。
フランスでのカフェというのは、軽めの軽食や喫茶店という意味で、日本の認識とそんなに大差はない。
なお、フランスの料理店も日本の料理店と同じくいくつかの種類に別れている。
Brasserie……元々はビール製造所という意味だが、現在ではビールなどの酒類が飲める大衆居酒屋的な店と言ったところだ。
アルコールに合う料理などを取り揃えているので、軽い食事とアルコールを楽しみたい時に利用する客が多いという。
当然、俺達は未成年なので、食べられる料理は限られてくる。
Bistro……居酒屋という意味で、フランスではテーブル同士が接近した家庭的かつにぎやかな店が多いらしい。
日本でも同様に気楽な雰囲気のフランス料理店と言えるし、気のおけない仲間や、家族との日常使いの店として便利だという。
居酒屋だからと言って、未成年向けのメニューがないわけじゃないが、今日は無しという方向で決めている。
Restaurant……今では世界中周知されている言葉だが、その語源はフランス語で〝回復させる〟という意味の現在分詞から来ていて、なんと十六世紀の頃から作られていたという。
日本では、ファミレスを初めとして広く親しまれているが、フランスではやや高級なフランス料理店というイメージが強いという。
他にも、Auberge、Grande maison等の高級料理店もあるが、今回の目的にはそぐわないため、元から選択肢の中に入ってはいない。
そもそも、何故ルシェちゃんとこうして食事来ているのかというと、今日はゆず達は元々訓練の予定で、当然ルシェちゃんも参加するはずだったが……。
『クロエ様に休めと言われまして……』
ここ数日は張り切っていたが、あまり無理をさせるのも良くないとクロエさんから休息を言い渡されたのだ。
やる気が空回りしてしまったルシェちゃんは、急に出来た自由時間をどうやって過ごそうかと考えた結果、先週の戦闘の際に俺に助けられたお礼をまだしていないと思い至り、俺に食事を奢ることにしたという。
俺としてはそこまで言われるほどじゃないと一度は断ったが、ルシェちゃんが退かなかったことと、ゆず達から行って来てもいいと言われたことも相まって、初めて会った時と同様に俺が折れる形で受けることにした。
なお、クロエさんからは『食事誘われたからっていい気なるなよ? ルシェアに手を出したら貴様はこの世から唖喰のように塵も残さず消えると思え』と入念に脅された。
この一週間ですっかりルシェちゃんを気に入ったようで何よりだが、もう少しだけ俺のことを信用して欲しいとも思う。
そんなルシェちゃんの装いは、白色の二の腕部分がフリル状になっている長袖のブラウスに、黄色と黒のチェック柄のミニスカートから覗く、白くて細い足が惜しげもなく露わになっていて、足首を覆う程度の高さのベージュ色のブーツを履いている姿は、何とも可愛らしいものだ。
「ルシェちゃんオススメならまず間違いないな」
「えへへ……ここ、家から近いので、よく来ているんです」
「へぇ、この辺に住んでるんだな……」
「お父さんとお母さんにツカサさんのことを話したら、とっても仲が良いんだねって言われました!」
「そ、そっか……」
ルシェちゃんの両親に存在を明かされた気分は何とも言えないものだった。
鈴花の父親である悠大さんみたいに、親ばかを拗らせてなければいいけど……。
不意に胸の中で沸いた一抹の不安を覚えつつ、ルシェちゃんと二人で店の中に入っていく。
「Bonjour!」
「ぼ、ボンジュール!」
ここに来るまでの道中、ルシェちゃんからフランスの料理店における簡単なマナーを聞いていた。
その一つに、〝入店時は挨拶をする〟と聞いた時は正直驚いた。
日本では店に入ったら店員がお客さんの所まできて案内するが、フランスでは無言での入店はマナー違反に当たるとか。
日本で例えるなら、居酒屋や寿司屋に入った時の〝へい、大将!〟みたいなものだと、多少ずれているような気がするが、それが一番近い気がするんだからしょうがない。
次に、座る席は自分で決められる。
フランスの料理店に慣れない観光客ならともかく、基本的に座る席はお客さん本人で決めるという。
カフェの場合、店舗によってはカウンターで立ち飲み出来るスペースがあり、そこだとコーヒー代に割引がされるらしい。
さらに、食事の時間帯になると、テーブルクロスが敷かれた席がいくつか用意される。
テーブルクロスが敷かれた席は食事をする人用、何も敷かれてない席は飲み物だけの人用で分けられたりするので、席を決める前に店員に食事をするかどうか尋ねられる場合があると言う。
今日は食事目的なので、この場合はテーブルクロスの席に座るのが正解だろう。
幸い、テラス席が空いていたので、そこにルシェちゃんと二人で座る。
向かいに座るルシェちゃんを見やると、俺のマナーを褒めているのか、ニコニコと微笑んでいた。
どうやら及第点以上はもらえたようだ。
そのことにホッと安堵しつつ、こんな青空の下で飲むコーヒーは美味しいだろうな、と思いながらメニューに目を通し――読めない……。
「ごめん、ルシェちゃん……オススメを教えてくれないか?」
「あ、魔導器の翻訳機能では文字までは分からないんでしたね……女性の人でしたらCroque Monisieur……パンにハムとチーズを挟んで、その上にチーズを載せて焼き上げたもの等の少量の物が良いですね。男性でしたら、Steak Frites……フライドポテトがたっぷりついたステーキなんですけど、これがいいと思います」
「じゃあそれで……」
「はい!」
マナーは良くともフランス語が分からないという情けない姿を晒してしまったが、ルシェちゃんは特に気にした素振りを見せなかった。
彼女の場合、俺がフランスに初めて来たことを知っているため、無理もないと思っているだろうが、俺としては情けないことこの上ない。
そんな男のちっぽけなプライドを余所に、店員さんが注文を聞きに来るのを待つ。
基本的にフランスでは待ちの姿勢が大切で、あまり忙しく動き回る店員さんを呼び止めるということをしないそうだ。
ただし、どうしても時間がない時などは呼び止め注文しても大丈夫らしい。
とりあえず、店員さんが来るまで何か会話をしようと思い、一つだけルシェちゃんに関することである事を尋ねてみた。
「そういえば、ルシェちゃんってどんな経緯でアリエルさんに憧れたんだ?」
「アリエル様にですか?」
ルシェちゃんが魔導少女になる切っ掛けとなったアリエルさんとの出会いはどんなものだったのか、という質問だ。
俺の場合、あんなことがあったから穏便に済んでいるのかちょっと不安なんだけどな。
「そうそう。自分の夢だって言い切れる程の人との出会いって、どんななのかふと気になってさ」
「ええっと、そんなに大事があったわけではないんですけど……」
モジモジと、指を絡めるルシェちゃんはどこか恥ずかし気な様子だ。
「あ、嫌なら無理に言わなくても……」
「いえ! 大丈夫です! ただ……自分でも衝撃的なことなので……」
「ん? アリエルさんのファンになる切っ掛けなのに?」
「えっとですね、ボクがアリエル様に出会ったのは、唖喰に襲われていたところを助けて頂いたからなんです」
「ルシェちゃんも!?」
彼女が唖喰に襲われているところをアリエルさんに救われたと聞いて、俺は驚きを隠せなかった。
何せ、俺も今こうしている切っ掛けはあの日、唖喰に襲われているところをゆずに助けられたからだ。
それまで普通の日常を過ごしていたのに、突然唖喰に襲われていたら最高序列に名を連ねる魔導士に助けられる……何とも不思議な共通点に俺とルシェちゃんは思わず苦笑してしまう。
「なんだか似た者同士だな……魔導少女として戦ってる分にはルシェちゃんの方が立派だけど」
「そんなことはないです! ツカサさんだってボクを助けてくれた時はとてもカッコ良かったですよ!」
「そ、そっか……うん、ありがとう……」
カッコイイとか素面で言っちゃうルシェちゃんに、顔が赤くなってしまう。
この子、前々から思ってたけど結構天然だよな。
「お待たせ致しましたお客様。ご注文は如何なさいますか?」
「Merci、それではクロック・ムッシュとステーク・フリット、ショコラを一つとUn cafeを一つお願いします」
「Certainement」
あごひげのダンディな店員が注文を取りに来て、ルシェちゃんは慣れた口調でスラスラと注文していった。
「さっき頼んだショコラとかアンカフェってなんだ?」
「ショコラは日本で例えるなら、ココアのようなものですね。ただ、日本の物とは違ってフランスのココアは更に甘いんです。ツカサさんは苦味の強い物が好みだと聞いたので、勝手にアン・カフェ……エスプレッソを頼んでしまったんですけど……」
「いや、それでいいけど……誰から俺の好みを聞いたんだ?」
「ツカサさんにお礼をしたいとスズカさんに相談したら、そう教えてくれました!」
「俺の好みの周知率がどんどん広がっていくな……」
まさか外国にまで来て、自分の好みを友人伝手に知られるとは思わなかった。
同時、だからカフェなのかと納得もしたけどな。
ちなみに、フランスの料理店での会計はレジではなくテーブルで行う。
しかも、会計をする人は注文を取りに来てくれた店員さんに直接会計をしてもらう必要があるという。
別に他の店員さんに呼び出してもらってもいいのだが、出来れば覚えておいたほうがいいと教わった。
ざっと見た感じ、あごひげのダンディな店員さんは一人だけだから、忘れる心配はないだろう。
それから五分もしない内に注文した料理と飲み物が運ばれてきた。
ルシェちゃんが頼んだクロック・ムッシュは食パンの間にハムが重ねられていて、表面には美味しそうな焦げ目が付いたチーズがトロリと乗せられていた。
香ばしいチーズとハムの匂いは軽食なのが勿体無いと思える程に食欲をそそられるものだった。
俺の分として注文されたステーク・フリットもかなり美味しそうだ。
ジュージューと鉄板の上で音を立てている肉の香りだけで腹が満たされそうだが、備え付けられているポテトの香りも中々だ。
ポテトは日本のファミレスで備え付けられているものとはかなり違い、こっちが主役なのではと思える程美味しい。
肉はと言うと、なんとなくの風味で豚肉だと分かるが、日本での豚肉のステーキに比べて少し歯応えが硬いように感じる。
これは肉云々というより、フランスの調理法故だろう。
それでもめっちゃ美味しいけど。
エスプレッソも良い苦みだ。
肉の油が流されて口の中がすっきりする。
「あ、ツカサさん。ボクが飲んでるショコラも飲んでみますか?」
「いいのか? じゃあ遠慮なく」
ルシェちゃんから勧められるまま彼女からカップを受け取って、口に運ぶ。
おぉ……確かにココアより甘い。
けれど、くどい感じはしなくて、飲みやすい甘さだ。
さっきエスプレッソを飲んだから、甘さがさらに際立っている。
「ありがとう」
「いえ、フランスの文化を楽しんでもらえたら――あ……」
分けてくれた礼を伝えてからルシェちゃんにカップを返すと、受け取った彼女は何かに気付いて、みるみるうちに顔が赤くなっていった。
「ど、どうしたんだ?」
「えっ!? いえ、あの……さっきツカサさんが口を付けた部分が、その……」
「え、あ……あー……」
口元を抑えながら真っ赤な顔で恥ずかそうに指摘されて、ルシェちゃんが何を言いたいのか理解した俺もつられるように顔が赤くなるのが分かった。
やっちまった……。
目の前の食事に夢中で、ルシェちゃんがカップのどこに口を付けたのか見てなかったから、意図せず間接キスをしてしまった。
今までは、うっかりでもしないように注意をしていたから、ゆずや菜々美だけでなく、鈴花相手ですら避けられて来たのに、ちょっと気を緩ませたらこのザマか……。
あの、ルシェちゃんの小さい唇と――いかんいかん、意識すると余計に心臓がバクバクと囃し立てて来る。
落ち着け……落ち着け……そう、冷静でいこう……。
「と、とにかく、残りも食べようか」
「は、はい……ふふっ……」
「? な、何かおかしかったか?」
微妙に頬を赤く染めたまま小さく笑うルシェちゃんに、どうしたのか尋ねると……。
「いえ、ツカサさんは全然動じていないから経験豊富な人なんだなと……ボクは恋愛経験がないので関節キスで凄くドキドキしちゃって、子供っぽいなーって思ったらなんだかおかしくて……」
そう、上目遣いで答えた。
止めて、追い討ちを掛けて来ないで!?
経験豊富って言われても、元カノがいたのにキスも未経験だから、実際はルシェちゃんと大差ないからな?
「そ、そっか……ルシェちゃんなら可愛いから、きっといい人が見つかるよ」
「うえ!? ボクがか、可愛いなんて……お世辞ですか?」
「いやいや、本心だよ」
「~~っ!!?」
あ、今地雷を踏んだ気がする。
またやっちまった……。
「わ、悪い……」
「いえ、あ、ありがとうございます……」
そうして、お互い微妙な照れくささを感じつつも食事を終えた俺達は、最後に店員さんに『メルシー』とお礼を言ってから店を出た。
「いやぁ、ほんとに美味しかったよ」
「えへへ、ボクが作ったわけじゃないのに、そう言ってもらえるとなんだか嬉しいです」
素直にご馳走になった礼をルシェちゃんに伝えると、彼女は言葉通りに嬉しそうにはにかんでいた。
良かった。
何とか元の調子に戻れたようだ。
「この後はどうし――」
――ピリリリリリリ。
「電話出ていいよ」
「すみません、ちょっと失礼します」
ルシェちゃんのスマホに電話が入り、先にそっちを済ませてと促す。
少し距離を取って、電話の内容を聞かないようにする。
三分程で電話は終わり、ルシェちゃんは通話を切った。
「あの、ダヴィド支部長に呼び出しを受けたので、今すぐフランス支部に戻らないといけなくなりました……」
「支部長の呼び出しじゃ仕方ないな……もしかして、最近のルシェちゃんの頑張りが認められているから、何かいい話かもな」
「だといいですね、ボクは転送術式で戻るつもりですけど、ツカサさんはどうしますか?」
「俺はゆっくり歩いて戻るよ。改めて食事に誘ってくれてありがとうな」
「はい、また機会があれば今度はユズさん達も一緒に行きましょう!」
「ああ」
そうしてルシェちゃんと別れた俺は、パリの街並みを眺めながらフランス支部に戻ることにした……。
「やっべぇ、迷った……」
戻るはずだったが、ここで二つの痛恨のミスを犯した。
まずは、スマホのバッテリーが切れたこと。
昨日鈴花とエッフェル塔から帰って来てから充電を忘れていたことに、スマホで地図を見ようとして気付いた。
旅行パンフとか地図は持っていないから、まず道が分からない。
そして、次はというと……右腕に着けている腕時計型の魔導器に貯蔵されていた魔力が尽きた。
原因は寝ている時にも翻訳機能のある結界を解除するのを忘れていたせいだろう。
さっきまでルシェちゃんと普通に会話出来ていたから、まだ余裕はあると思っていた。
けれど、通りすがりの人に道を尋ねたら普通にフランス語で返された……つまり、尋ねる数舜前に魔力が尽きたことになる。
何とも不運な間の悪さに、失笑するしかなかった。
ああ、チクショウ……変にカッコつけず、素直にルシェちゃんの転送術式にお邪魔しとけば良かった……。
後悔しようが過去に戻れるわけじゃないし、どうしようもない。
とにかく、南に向かっているが、方位磁石があるわけじゃないので、今自分が浮いている方向が本当に南なのか分からない。
道路標識も不親切なことにフランス語ばかり……あっても英語で、元の地名を知らない人にはとことん無慈悲だ。
太陽の向きを見ればいいんだろうけど、ルシェちゃんと別れてから曇りだして来たせいで、天にすら見捨てられた気分だった。
流石に夕食の時間になればゆず達が探しに来てくれるだろうけど、高校生になって迷子になったとか情けないことこの上ない。
「別にそれで見捨てる程冷たい子達じゃないけど、絶対クロエさんからは小言が絶えなさそう……」
例えば『それみろ、やはり男は頼りないな』とかな。
ある意味分かりやすい性格してるから、簡単に想像出来たわ……。
どうしたものかと完全に途方に暮れていると、通りすがりの女の人とぶつかってしまった。
「あ、すみません……」
反射的に謝る。
……て言っても、日本語だから分からないだろうけどな。
「いえ、こちらこそ……」
「え?」
しかし、予想に反してぶつかった金髪の女性は日本語で返してきた。
全く想定していなかったことに驚きつつ、俺は咄嗟に女性の手を取った。
「あら、随分と大胆なナンパですね……すみませんが、ワタシは用事があるので――」
俺に手を掴まれた女性は少し驚いた後、そそくさと立ち去ろうするが、俺は逃がすまいと手を離さなかった。
なぜなら、この人の手は絶対に離すわけにはいかない。
なんで、こんなところにいるんだとか、色々聞くべきだろうけど、意趣返しも兼ねて最初に核心を突かさせてもらう。
にっこりと笑みを浮かべて、俺は口を開く。
「いや~、俺自身もビックリしてます。だから観念して下さい、
アリーさん?」
「あ、あら~……?」
金髪の女性……アリーさんこと、教会で仕事のはずだったアリエル・アルヴァレスさんは、精一杯の誤魔化しの笑顔を浮かべるが、もう既に手遅れだった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は11月6日に更新します。
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