159話 アリエル・アルヴァレス 後編
謎の女性、アリーさんの正体は、アリエルさんだった。
何故気付かなかったのか……それは大きく分けて二つの要因があった。
一つは、アリエルさんの変装技術の高さだ。
髪色の違うウィッグを被り、琥珀色の目はカラーコンタクトで隠し、佇まいに関してはお嬢様だし、使用人のものを真似たのだろう。
さらに念には念をいれたのか、声まで変えていた。
正直同一人物だと思えなかった。
声優みたいに、地声とキャラに声を吹き込む時の声が別々のような感じだ。
二つ目の理由は、印象の差だ。
アリーさんの時は悪戯好きなお姉さんという印象で、アリエルさん本人の第一印象は、優雅で品行方正の典型的なお嬢様だ。
結び付くわけがない。
歌だけじゃなく演技も上手いとか、ゆずと季奈同様、最高序列に名を連ねる魔導士はハイスペックだな……。
もちろん、お嬢様らしい方が演技な?
わざわざ変装して俺に近付いたりするあたり、悪戯好きの性格は絶対に素だ。
アリエルさんを尊敬しているルシェちゃんが知ったら卒倒するだろうなぁ……。
憧れの人が聖女の皮を被った小悪魔とか、対照的な二面性に驚くしかない。
そんな俺の様子がよっぽど面白いのか、アリエルさんはニコニコとしている。
「うふふ、本当にリンドウ様の反応は面白いですわ。クロエ相手ではこうはいきませんもの」
「あー、まぁ、あの人は冗談とか真に受けそうなタイプですもんね」
実際、アリエルさんが結婚したらなんて鈴花が冗談めかして言ったら、警棒を首に突き付けられてたし、アリエルさんの冗談に一々本気を出すクロエさんの姿が容易に想像出来た。
「ええ、そこが彼女の良いところであり、悪いところなのですが、ワタクシを守ろうと真剣なのは素直に感謝していますの」
幼少の頃から主従の関係だったと聞いているが、クロエさんのことを思うアリエルさんの目は、手の掛かる妹を思いやる姉のように見えた。
「ただ、自身の男嫌いをワタクシにも押し付けて、恋愛すら禁じようとするのはあんまりですわ。婚期を逃してしまったらどうするつもりなのでしょうか?」
「いや、俺からは何とも言えませんけど……」
「そうですわ! この際ですから、リンドウ様に娶って頂くというのはどうでしょう?」
「はいっ!?」
いきなりなんてことを言い出すんだこの人!?
何故会ってすぐ――変装していた時期を含めても数回――の男に娶ってもらおうなんて結論に至るんだ!?
「ま、待って下さいって! 突然そんなことを言われても困りますって! わざわざ俺じゃなくても、アリエルさんなら選り取り見取りじゃないですか!?」
「あら、それでしたらリンドウ様を選んでいけない理由にはなりませんし、ワタクシとしてもただ知り合ったからリンドウ様を選んだわけではありませんわ」
「え、な、なんでですか?」
「そんなに不思議なことではありませんわ」
アリエルさんはそう言って一呼吸置き、両手に頬を当ててうっとりとした色っぽい表情を浮かべながら……。
「リンドウ様はワタクシの胸を鷲掴みにしたではないですか」
「――ぇ、あ……」
時が止まった。
『もう、女性の体は繊細なのですから、あんなに乱暴に掴まれたらビックリしてしまうんですよ?』
『ふぅ、ワタシのコレは見ての通りの大きさですので、肩が凝って大変なのです。リンドウ様のお顔に乗せたら楽になりました』
『んっ……リンドウ様の声の振動が胸に響いて……ふふ、何だか癖になってしまいそうですね♡』
あぁ、そんな会話してたなー……。
フリーズした思考が再起動して、何とかアリエルさんの言葉を咀嚼した瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
そうだったあああああああ!
アリーさんはアリエルさんが変装した姿なんだから、あの時やったことは全部筒抜けなんだった!!
アリエルさんに膝枕されて、くしゃみをした拍子にあのたわわな双丘に顔を埋めて鷲掴みにした挙げ句、あれで口と鼻を塞がれて気絶したことも全部!!
あれ、これゆず達だけじゃなくてクロエさんにも知られたら殺されてもおかしくない?
聖女と呼ばれるお嬢様の体を、事故とはいえ知らぬ間に不用意に触れたわけで……あ、俺完全にアリエルさんに弱味握られてーら……。
全身に冷や汗が流れだし、俺は恐怖でガタガタと震えることしか出来なくなってしまった。
そのアリエルさんは俺の反応を見て――ニヤリと口元を歪ませた。
さながら〝気付いたか〟と言わんばかりに。
そんな意地悪な笑みですら、綺麗に見えるんだから美人はずるいよなー、なんて現実逃避が精一杯の抵抗だった。
ニコニコとした表情を浮かべるアリエルさんは、ゆっくりと床に座り込んでいる俺に歩み寄り、俺の右耳に顔を寄せてきた。
「結婚云々は冗談ですが、是非、フランス支部の立て直しにご助力下さい。もし断られたら……クロエに昨日のことを話しますわよ?」
「は、は、はひぃ……!」
そんな情けない返事をするしかなかった。
すげえな、この人。
言ってることは完全に脅迫なのに、綺麗な声で言うもんだから耳がめっちゃ幸せなんだぞ?
それにアリエルさんがどうして俺とこの場で二人で話すことにしたのか、その真意もわかった。
俺を味方に着けることが出来れば、必然的にゆずも味方に着くということになる。
わざわざ脅さなくても、既に俺達はフランス支部の立て直しに協力するつもりだが、アリエルさんとしては確証がほしかったのだろう。
「その、一つだけいいですか?」
「はい?」
「わざわざ色仕掛けなんてしなくても、一言言ってくれれば俺達は手伝います。だから無理しなくてもいいですよ」
アリエルさんの細い両肩に手を置き、そう諭す。
俺の言葉が意外だったのか、アリエルは目をパチクリと指せた後――。
「いえ、無理も何も、あのような色仕掛けはリンドウ様が初めてですし、何よりリンドウ様のあたふたする反応が見たくてやったことなので、そんなに深い意味はありませんわよ?」
なんてことのないように答えた。
「…………」
呆れと羞恥心に苛まれながらも、アリエルさんと二人での話を終えることになった。
~~~~~
「アリエル様! この男に何かされているのであれば、仰ってください!」
「なんでした前提なんだよ、ちょっとは信じてくれよ」
「誰が貴様のことを信じられるか!」
「大丈夫よ、クロエ。リンドウ様はとても紳士な方でしたので、楽しい時間が過ごせましたわ」
「アリエル様、男など簡単に信じてはいけません。どうせアリエル様を出し抜くための演技に決まっています!」
主が何もないって言ってんのに、男が絡むと一ミリも信じようとしねえな、この人。
それに演技で出し抜かれたのはどっちかって言うと俺の方なんだけどな。
メールでゆず達にアリエルさんと二人での話が終わったことを伝えて、真っ先に開口一番にクロエさんからの疑心暗鬼なわけだが、ここまで男嫌いが激しいと、過去に何かあったと思い込んでしまいそうだ。
「司君、先程何やら大声で叫んでいたようですけど、何かあったのですか?」
「え、ええっと……」
ゆずからの問いにどう答えたものか頭を働かせる。
大声というのは、アリーさんとアリエルさんが同一人物だと驚いた時だろう。
けれど、それをそのまま正直に伝える気はない。
アリエルさんと既に二度会っていたいて、今日以外で二人きりになっていたと知られれば、どんな不興を買うか分かったもんじゃない。
回避出来るならそっちを選んだ方が良い。
「アリエルさんに耳元で声を掛けられてビックリしただけだから大丈夫だよ」
「そうですか、あの人はちょっと悪戯好きなところがあるので、驚くのも無理はありませんね」
ゆずは納得したようにそう頷いた。
出来たらその悪戯好きの情報はもっと早く聞きたかった。
「でもあの声が耳元で囁かれるとか、羨ましいって思っちゃうあたり、アリエルさんって本当に凄いよね」
「本当に凄いよねー……スタイルも……」
あぁ、また菜々美さんが胸のことで落ち込んでる。
ちなみにルシェちゃんは目の前にアリエルさんがいることに感動し過ぎて、気を失っている。
アリエルさんに憧れる人って、なんでこんなに日本のアイドルファンと重なるんだろうか。
「待て、リンドウ・ツカサ。何故貴様がアリエル様を名前で呼んでいる!? 身の程を弁えろ!」
「本人は良いって言ってたけど……」
「ウソを言うな! アリエル様が貴様のような男に名前で呼ぶことを許されるはずがない!」
ええー……。
なんで俺が一方的に悪いみたいな言い方されてるんだ……?
「クロエ、リンドウ様の言うことは本当ですわ」
「あ、アリエル様! 何故男に簡単に名前で呼ぶことを許可したのですか!? それでは男が付け上がりますよ!」
なんでそこだけ妙に正論なんだよ。
確かに普通の男に、アリエルさんのような絶世の美女が名前で呼んでいいと言ったら、コロッと落ちる人もいるだろうけど、そこはゆず達と触れ合って来たことで慣れている。
あくまで自分の意見は捨てず、忠言をするクロエさんの言動に、本当にアリエルさんを慮っていると感じた。
でも頭固すぎじゃないか?
「問題ありませんよ。リンドウ様にはナミキ様を始めとして素敵な女性が身近にいるのですから、今さらワタクシ一人を名前で呼ぶ程度で動揺したりしませんわ」
「そ、そうですよ。アリエルさんがすごい美人だからって、アリエルさんをどうこうするつもりはありませんって!」
アリエルさんが俺を信頼するような言葉でクロエさんを宥めようとした。
俺も乗っかって、アリエルさんに気はないと後押しするが、当のクロエさんは……。
「貴様! アリエル様の美しさを愚弄する気か!?」
激しい剣幕で俺の胸ぐらを掴んできた。
どうやら、ゆず達の方がアリエルさんより上に扱われたのが気に食わないらしい。
自分の推しを下に見られたアイドルファンと重なって見えた。
かなりのうざったさを感じつつも、クロエさんの望むアリエルさんを褒める言葉を言うために、口を開く。
「いやいやそんなんじゃなくて、ゆず達で慣れていても、アリエルさんを初めて見たときは見惚れたくらいで――」
「貴様! アリエル様に鼻の下を伸ばしていたというのか!? 許せん!」
めんどくせえなこの人!?
褒めるのも比べるのもダメとかどうすればいいんだよ!
「クロエ、リンドウ様を責めるということは、彼と対等であろうと決めたワタクシやナミキ様達を責めることと同義ですのよ? 貴女がワタクシのためを思っての行動であるのは理解していますが、価値観の押し付け合いは争いの元……貴女の意地のせいでリンドウ様達を不満にさせ、協力を得られずにフランス支部が腐っていっても良いのでしょうか?」
「――っ! で、出過ぎた真似を……申し訳ありません……」
朗らかな空気から一変、アリエルさんは上に立つ人間のにふさわしい厳かな雰囲気に違わない剣呑な言葉で、クロエさんを責めた。
その言葉を受けて、クロエさんは顔を青ざめさせながらアリエルさんに謝罪した。
しかし、それでもアリエルさんはまだ表情を変えない。
「謝罪すべき相手はワタクシではなく、リンドウ様ですわよ」
「! し、しかし、元はと言えば――」
「リンドウ様に謝罪なさい」
二言は無いとばかりにクロエさんの言い訳を遮って、アリエルさんは再度謝罪を促した。
「ぐ、ぐぐ……」
だが、クロエさんとしてはアリエルさんから促されようとも男に頭を下げたくないらしい。
ここまで意地を張るなんて、本当に何があったんだ?
とにかく、このままクロエさんにだけ謝らせても事態は好転しなさそうなので、俺は何でもないという風に手の平を向けて振る。
「いや、俺はそんなに気にしてないですし、謝る必要はないですって」
「……ふん!」
「……リンドウ様の寛大なお心に感謝を」
アリエルさんは一瞬だけクロエさんを一瞥したあと、俺に向けてゆっくりと頭を下げた。
「あ、あの、アリエルさんが頭を下げなくてもいいですって!」
「そうです! アリエル様がこの男に頭を下げる必要はありません!」
いや、アンタは反省しろよ。
自分のミスを認めない部下の代わりに謝る上司そのものな状況に、俺は失笑するしかなかった。
今までもこんな調子だったのかと思うと、アリエルさんの手の掛かる妹のような眼差しもよく分かる気がした。
「部下であるクロエさんが素直に謝罪しなかったので、アリエルさんがそうして頭を下げることになったのでは?」
「っ!?」
あ、ゆずさんが言っちゃった。
でもクロエさんの驚愕を浮かべる表情を見ていると、マジでアリエルさんが頭を下げた意味を理解していなかったみたいだな。
「も、もも、申し訳なかった!!」
ゆずに指摘されて、ようやくクロエさんが謝罪した。
俺としては、さっき言ったように気にしてないため、苦笑交じりに大丈夫だと言う他なかった。
「えっと、そろそろ本題に入らない?」
「あ、そうだった……元々そういう目的だったもんね」
鈴花と菜々美さんがそう言ったことで、ようやく俺達がアリエルさんの元に訪れた目的を話すことになった。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
次回は10月25日に更新します。
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